一般に関する奇蹟 06

茨城県 S・K
数限りなき明主様の大愛に包まれ、感謝と喜びに満ち満ちた毎日を送らして頂いて居ります。昨年三月入信させて戴いた者でございます。入信以前より数々の御守護を戴き、又々 この度は、眠っている私の信仰を呼びもどして戴いた様な大きな大きな御守護を戴きました。

それは九月一四日の夕方の事でございました。長女M(四歳)の姿が見えません。一人っ子なものですから、私と二人きりではどうしても満足いかないらしく、いつも同じ塀の中にある主人の勤める会社へ行っては、いたずらしながら元気で遊んでいる毎日でした。それに夕方にでもなれば決って「お父ちゃん迎えに行って来るからね」と言っては出て行きますので、その日も別に気にもしないで何時もの様にお風呂へ火を入れていたのですが、何時になくその日に限ってMの事が気になり、気になり出したら何となく胸騒ぎがして、じっとお風呂の火など見ていられなくなりました。急いで会社へ行ってMの安否を尋ねましたら、来ないとの事、慌てて往来へ飛び出しアチコチ探しましたが、見当りません。近所の子供達に尋ねましたら「Tチャンと二人で魚釣りに行くと言って汽車路の方へさっき行った」と申します。 六つと四つの子供に魚など釣れる筈がございません。それに線路と聞き、五時二二分のB線の来るのにも間のない時刻、私は夢中でした。

近所の子供達も共に探してくれるとて、駈足で線路へ向いました。勿論私もどうしてそこまで行ったかおぼえて居りません。踏切から上り下りを見ましたら、遥か向うの鉄橋の上に小さな姿が見えます。けれども私はMの上着は赤なのに、どうしてもスカートが赤の様にしか見えません。それでも唯夢中でした。鼓動も止るかと思う程高鳴る胸、気は急いでも進まない足、私は大きな声で「ジッと動かないで」と叫び夢中で汽車の来ない事を明主様に御念じしつつ鉄橋へ急ぎました。行って見て又々ぞっとする程驚かされました。二人共下駄を手に線路を跨いでしがみつき、しかもお尻が川の中へ落ちそうに枕木の間に入り、川には水が一杯に流れ、汽車が来なくても川へ落ちれば命などなかったのです。

子供心にも魚を釣りたい一心で、恐ろしい事も忘れて下駄を持って渡り始めたのでしょう。一足毎に川の流れを見る度に恐ろしくなってしがみついた処だったらしいんです。よくよく二人に言い聞かせながら踏切まで来ました時、ゴーッと物凄い勢で私達の前を汽車が通り過ぎました。

有難い御守護、Mは助かった。思わず私は両手を合わせて子供達が大勢いる事も忘れて涙をボロボロ流しました。あと五分知らなかったらどうなっていたでしょう。何時になく胸騒ぎを感じさせて頂いたのが御守護でした。以前この線路で、やはり三つ位の女の子の轢かれそうな処を見ていたものですから、その感激は一入でした。

家へ帰りましても薄暗くなりかかった夕空を、冷汗と生唾ばかり出る胸をおさえて、縁先へ掛けたきりしばし茫然と眺めるばかりでございました。夕飯の仕度さえ手につかない私でした。この一文を書いている中にも、あの時の事が思い出され、思わずMを見に会社へ行って来ました。汽車の汽笛を聞く度に、まざまざとあの時の事が思い出され、新たな感にうたれ、感謝の日々を送らせて戴いて居ります。私の肺浸潤の御浄化も、A先生始め、皆々様の真心こもれる御浄霊のお蔭で、今ではほとんど苦痛も薄らぎ、軽い咳や痰が少し出る位で、日毎に元気にさせて戴き夢の様な毎日です。

拙い筆や言葉では、あの感激の万分の一も書き表わす事の出来ませんことを残念に思います。この広大無辺なる御恵を深く感謝しつつ子供と共に戴きました御守護に、厚く御礼申し上げます。

明主様有難うございました。

(昭和二七年一月一〇日)

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神奈川県 M・S
この度、御神体並びに御書の御文字の中に、神様のお姿が拝されるという御恵を吾子を通じ頂きました事につき、謹み御報告をさせて頂きます。

昨年一一月三日、二、三日前より次男K(六歳、昭和二四年八月御守様拝受)が下痢の御浄化を頂いており「今日は僕寝てようかな」と申しますので、御浄霊をさせて頂きました処、御神体に「のんのんさんがみてる、のんのんさんが見てる」と申します。私はびっくりしました。ああ、お姿が拝めるのだと直感し「だって御神体は御文字だけでしょう」と申しますと、じっと御神体を見て「お母ちゃんほらこっちを、ちゃんと僕の方見てるだろう、僕の方見てるだろう」と繰返して申します。「どこにいらっしゃるの」と聞き返しますと、大光明如来様の「明」の御文字の所を指差して「ここにちゃんといるじゃないか」と申します。 子供の言葉はそのまま私にも本当に尊い響きをもって感じられ、思わず合掌致しました。

同月一一日の御参拝日に、御本部にて教師会の折、会長先生様に申し上げまして、御本部の御神体を拝ませて頂きました。Kは背のびする様にして、「明」と「如」の所を指差し「二人いる二人いる」と申します。今度は御書体につき拝ませて頂きました。明成の御額は「成」に、日月は「日」、円通自在は「円」、地上天国は「地」、天地開明は「開」、大経 綸は「大」、経の御書、大神力は「力」、散花結実は「結」、両手で高く抱き上げて子供の指差す御文字を皆一斉に見守るのでした。御色紙、御短冊は御落款の「主印」、会長先生の 資格証は、明主様の「主」の御文字でございました。又、支部及び自宅の御神体は「明」、地上天国は「地」、御色紙等は前と同じでございました。

その後、二一日御神苑御参拝の折、建設の御額を拝し、私は気付かずに居りました処「建」の御文字を指して、「お母ちゃんここにも、のんのさんいますね」と申します。

その間子供の状態は別に普段と変りなく、御浄化も軽く済ませて頂いて居りましたので特に御浄霊も頂かずに過させて頂いて居りました。その後は別に聞きもせずに居りましたが、一月になって再び聞いてみましたが「もう、のんのちゃんいない」と申しました。六歳の子供の事故、どんなお姿? と申しましてもはっきりした表現が出来ず、ただ両足を組んでその足をなめているような恰好を致します。御本部のお姿は支部や自宅の御神体のお姿とは違うと申します。勿論字などわからぬまま、指差した御文字を指で形を示して見せます。

今まで、お光の見えるおかげ話を種々拝読させて頂きましたが、私も吾子の口からそうした奇蹟をみせて頂き、唯々有難さと驚きとに胸一ぱいの気持でした。川柳に、負うた子に浅瀬を教えられて渡るという意味の句がありましたが、この度の御恵も、神様が無心なる子供を通じて私達に神の実在をお知らせ下され、お救い下さる大愛の御恵であると存じます。再び斯様な奇蹟を頂ける事はないと思うと、勿体ないと思われる許りで日々御神前に額ずきますごとに、そのことが脳裡に甦り、一層お道に精進させて頂けます様御祈念申し上げさせて頂いて居ります。

御神体はもとより、御書体のすべてに尊き大御霊魂を戴き、御守護を賜わっていることを思うと、神様の御用をさせて頂く身の幸福に、唯々感涙に咽ぶばかりでございます。微力で はございますが、一層お道の為御奉仕の誠をいたさせて頂き、この尊いお道を世の多くの人々に伝えさせて頂けます様念願して居ります。

明主様誠に有難うございました。

(昭和二七年三月一五日)

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東京都 M.S
私事、昭和二三年七月よりこのお道にお縋り致し、数々の御救いを戴いて居り乍ら、満足な御導きも出来ぬ今日までを、謹んでお詫び申し上げます。

昭和二七年一月二〇日前後かと存じます。夜一〇時少し前外出先より帰宅致しますと、家の前のどぶの所で、自動車がエンコして動かず、運転手さんがしきりにエンジンをフカし乍ら困っておられました。家の前は何しろ道の悪い所故、私もお気の毒になり「どうしましたか」と尋ねますと、「スリップして困りました。一人だし… 何か二尺ばかりの板があったら」と申しておられます。その辺は何もありませんから「私の家で探して上げましょう」と申して家に入り、どうやら間に合うらしい板を持っていってあげました。「それで結構です」と安心した様子でしたので、そのまま私は家に入り、火をおこし、夜の食事の仕度に取掛りました。するとまたエンジンの音がブウブウブルブルと盛んになります故、おやおやまだ動かないのか、この寒さ故他に故障が起きたのかしら、起きても運転手さんの事ゆえ、直ぐなおすことでしょうと思い乍ら食事を終え、後片付をし、翌朝のお米もとぎ一日の仕事もすっかり終りました。私の家はガスや水道がないので、火を起したり、井戸水をくむので割かた時間がかかります。それでもまだブウブウなっております。時刻は一二時五分前でした。一晩中ブウブウ唸っていては、御近所の家でも寝られません。私も寒い故、早く炬燵で温まりやすみたいと思いましたが、この寒いのに運転手さんが気の毒と思い、そうだ、大光明如来様にお願い申し上げて、お救い頂こうと思い、御奉斎室に入り明主様、大光明如来様にお願い申し上げておもてへ出れば、身を切られる様な北風、運転手さんはと見れば姿が見えず、さてはこの寒さに疲れて、車をおいて帰ったのかと思いましたが、よもやと思い電気のついていないクッションの方を見れば、真暗で何も見えません。でも声をかけてみようと「運転手さん、まだ動かないのですか、どうしました」と申しますと、ようよう窓を開けて「スリップしてどうしても駄目だから、今駐在所の巡査に頼んで、向いの電話をようようかけて、言伝を頼んだのですが、巣鴨だから、来ればもうとうに来るはずだが……………」とこぼしておられました。「それでは来ればよいが、来なければ明日の朝までこの車の中で震えながら寝るのですか。この寒いのに幾らお若い方でも堪りませんね。今神様にお願いしてあげますからそのままで少しお待ち下さい」と申して、直ぐスリップしている所を御浄霊させて頂き天津祝詞をお唱えして、お願いして居りました。確か一五分も経ちましたか、運転手さんに「動かして御覧なさい」といいました。運転手さんはエンジンをかけました。二時間以上も経っていました車体は凍りついた様でした。御浄霊の手は休まずつづけておりました。その時です、大神様は私の霊感に「逆行せよ」と妙智をお与え下さいました。すぐ運転手さんに「逆行」といいますと、運転手さんは「後へですか」と聞きました。「そうです」と私はいいつつ御浄霊し乍ら、大神様にお願い申し上げているうちに、エンジンの音と共に大きく車体が動き始め、少しずつ逆行し始めたではありませんか。その時の私の嬉しさ有難さは、この筆には到底現わせませんでした。ロで「オーライオーライ」と言いながら、御浄霊の手は続けて居りました。段々と逆行する車は泥だらけでした。私は車について、 そばのどぶへ落ちるのも忘れました。運転手さんに「もう大丈夫ですよ」と申しましたら「まだどうだかな」などと言っておりました。「こんなに動いたではありませんか。では前進してごらんなさい」といいました。運転手さんは不思議と思われたのでしょう。それより十四、五米前進し楽々走り出しました。車を止めた運転手さんは、私の側へ来て「助けて頂いたのでどうしたら宜しいですか」といいました。私は「どうもせずと宜しいですよ、大神様にお願してお救いして頂いたのですから、若し感謝のお気持がおありでしたら、熱海の世界救世教の大神様へ御礼のお心持をお向け下さい。そうしてこのお救いは自動車ばかりでなく、病貧争、心の悩みもすべて何でもお救いして下さいますから、もし知人に御病人でもおありでしたら知らせてお上げ下さい。それでも貴方のお心持が、大神様に通りますからね。さあ、よかったですね、寒かったでしょう。早くお帰り下さい 」と申しましたが、暫く立ちすくんで居られました。何か心に感じた事がおありのようでした。「では、何時かお尋ねする事があるかも知れませんから、今夜はこれでお別れ致します。有難うございました」と申されて勢いよく帰られました。私は早速家へ入り、明主様、大神様へ御礼を申し上げ、曇多き私にも、お救いの御力を賜わる有難さをしみじみと感じ、涙と共に御礼を申し上げました。何時かその運転手さんも、世の悩める人々にお知らせ下さる時もある事を楽しく存じ居ります。

明主様、誠に有難うございます。 謹んで御礼申し上げます。

(昭和二七年三月二九日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)