一般に関する奇蹟 04

愛知県 T.H
明主様日々御守護戴き、謹んで御礼申し上げさせて戴きます。

八月一〇日一時頃会社の電気室で、三〇〇〇ボルトの全スイッチに手を触れた瞬間に感電し同時に意識不明となりまし たが、不思議にも何等怪我も無く済まさして頂きました。余りの事に明主様と只一言、後は感泣致すばかりでございました。一緒に居ました同僚も、この不思議さには呆れるばかりでした。

神様の絶対力なる事を身をもって体験させて戴きました。何と御礼申し上げてよいか分りません。拙筆ではございますが、御礼の御報告の一端にもと思い、世の人々に御伝えさせて戴きます。明主様重ねて厚く御礼申し上げます。

(昭和二七年八月一七日)

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福岡県 I.M
私は病弱の妻を御救い戴きましたのが動機で入信させて戴き、只今では御守護のもとに仕合せな日々を過させて戴いて居ります者でございます。入信以来、戴きました数々の御守護の中から、その一端を謹んで明主様に御礼御報告申し上げさして頂きます。

四月一日正午頃、N町営業所に自転車にて出勤の途中の出来事でございます。S町裏のカーブを横切っておりました時にほんの瞬間・・・・・・どうして轢かれたのか分りませんが、ふと気が付きました時は米軍乗用車の下敷になって居りました。当然、轢死しているものと思って人々が騒然と車の周囲をとり巻いておりました。驚いて駈けつけた四、五人の人達が自動車の下から私と自転車を引張り出して下さいました。自転車のペダルは曲り、腕時計が三つに割れて散乱致して居ります。又、一〇間程先には靴が吹き飛んでおり、眼鏡も飛ばさ れておりました。人に助けられて起されまして、はじめて私の身体には何の痛みも傷も無い事を知りました。この時の有難さは何にたとえ様もなく、ただただ「明主様有難うござい ます」と御礼申し上げるばかりでございました。この理屈では割り切れない大奇蹟を現実に見て、周囲の人々も只唖然として言葉もありませんでした。その時通訳の人が「車にお乗 んなさい、病院に行きましょう」と言われますのを逃げる様に振り切ってすぐ教会にお参りさせて戴きました。

若しあの時に、明主様の御救いがなかったならば、私の生命はすでに無いものと思います時に、この御救いの御力の偉大さをしみじみと分らせて戴きました。教会にお参り致し明主様の御写真の大前に額ずきますと、入信以来賜わりました限りなき御神恩の万分の一にもお報いさして戴く事も、報ゆる事なく過して参りました今日までの御無礼をも咎め給わず、大慈大悲の御赦しを戴きまして只々申し訳ないばかりでございます。併しながら今日を期して新しく生まれ変らせて頂き、どうぞ明主様の病貧争絶無の地上天国御建設の御用に少しでも御使い頂けます様伏して御願い申し上げます。

明主様有難うございました。

(昭和二七年五月二五日)

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山口県 M.M
明主様、日々御守護を頂き、有難うございます。私は昭和二二年一月入信させて頂き、御神徳の忝さに日夜感泣して居ります。

私の頂きました数多い御恵みの内、特に記憶に新たな御守護の一つを、御報告させて頂きます。

忘れも致しません昨年の一〇月、私がまだS商業高校在学中(目下M外語大学在学)友人Aと授業の終了後、自転車で遊びに出かけ、途中傾斜二〇度位の坂で五、六百米位ある所にさしかかった時の事でございました。当時を振返って見ますと、全く身の毛もよだつ様な思いでございます。若い学生の常として、茶目気分も手伝ってAは自転車の荷台に掛けて居りましたのが、急に立ちあがりました。

私はびっくりして「若し巡邏にでも見付かるといけないから坐れ」と言いますとAは「いや平気だよ」といって聞き入れません。再三注意しても聞き入れず、私も困ってしまい、遂に怒って大声でどなりますと、急に私の首を締めつけました。ふと見るとその時丁度、前方には野菜類を満載して牛車が通っていました。あっ危い! と直感しましたが、如何する事も出来ません。下り坂の上でしかも自転車に二人乗りスピードも加わって居ます。どうしようかと思いましたが、どうする事も出来ません。首にまつわりついたAの手は益々力がはいり、私は意識不明となってしまいました。急にふと気が付いてみますと、自転車は牛車の側面から衝突し、自転車は目茶目茶、二人共撥ね飛ばされてしまい、私は地面に四つ這いになり、右手は後輪の寸前にあるではありませんか、アッ牛が? と思った瞬間「明主様!」と思わず心の中で御念じ致しました。牛は私の悲痛な気持も知らぬ気にゆうゆうと牛車を曳いていきます。夢中で明主様をお念じ申し上げ、再 び目をつむりました。この間、実際に一秒か二秒だったでしょうが、私にとっては全く一刻千秋という言葉がありますが、千刻の思いでございました。後輪が完全に手を引き終った時、ハッと手に力を入れ、引込めました。

見るとどうでしょう、手頸の表にも裏にも何等異常は認められず、かすり傷一つないではありませんか。手を振って見ても、手頸を廻して見ても少しも痛みは感じません。ああ有難い!と思わずぐっと熱いものが胸にこみあげて来たかと思うと、熱い泪がぽろぽろと頬を伝って参りました。気が付いて見ると、Aは足腰を打ち、立ち上る事も出来ず唸って居るではありませんか。同じ条件の下に事故を起し、私は無傷Aは重傷を負ったのです。この歴然とした御守護に今更乍ら明主様の御神恩の広大無辺なのに感謝させて頂きました。

その時、Aに有難いお道の事を色々お話して御浄霊を奨めてみましたが、無神論者で頑固な彼は頑として聞き入れず、医者よ薬よと大騒ぎをし、治療を続けたそうですが、未だに完全に治り切らず弱って居るとの話を聞き、今更の様に身の幸福をしみじみと味合わさせて頂いて居ります。幸い今は夏休みでもあり、せめてこの期間中でも受けた御神徳の万分の一にも届きませんが、少しでも御報い申し上げたいと中教会に御奉仕させて頂いて居ります。御讃歌中より

讃へても称へ尽せぬ御恵に酬はむ術のなきぞ悲しき

(昭和二六年八月二十一日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)