大分県 T・H
昭和二五年三月入信以来、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて頂き、私始め家族に又事業に日々数々の御守護と御利益を頂き乍ら、今日まで御礼の御報告も致しませず、誠に申訳ありません。ここに最近身に余る偉大なる奇蹟に御守護頂きました事を御報告させて頂きますと共に、「原爆恐るるに足らず」の御論文通り、まさしく爆風も何のその、光を胸に抱く私達は、絶対に救われる信念を強く持ち深く御礼申し上げます。
私は鉄工業に従事致して居る者ですが、去る六月一四日、いつもの通り早朝より忙しく、夢中になって作業致して居りました。午前中は何事も無く昼食をすまし、午後の作業を致して居りました処、丁度三時頃の事です。私の長男(昭和二六年二月入信)も同じ職場に働いて居るのです。その時長男の方は研磨機で作業して居りましたが、何事もなく済まし、後三〇分程たって、私も同じ研磨機で工具を研磨していました。処が突然の事です。側においてあったカーバイ ト(一缶)が一大音響と共に俄然爆発したのです。然も驚く勿れ! そのカーバイトは私の体の横に置いてあり、然も股に触れていたものなんです。一体私はどうなったでしょうか?何とカーバイトの爆発だからひどいものです。「ドーン」という一大爆発音と共に「ああ、しまった、やられた」と、唯それ丈の事を思ったのみで、工場の雑音は全く瞬間に私の耳より絶えてしまい、余りの激しい咄嗟の出来事なので気が転倒してしまい、後の事は何が何だかさっぱり判らなくなってしまいました。カーバイトの爆発だからそれを中心として、その爆風が四方八方に散るのが本当である、というより寧ろそれが自然現象なんであろうが、処が「信ずる者は幸なり」とはこの事であろう。何故ならば今言った様に、科学的にはカーバイトを中心として八方に爆風が吹き散る筈なのだが、大光明を胸に抱く私の身体の方にだけは、何と驚く勿れ! 微風たりとも来なかったのである。結局は私の体をよけて三方に吹き散ったわけである。何と不思議じゃありませんか! 否何と有難いではありませんか!ここが救世教信徒の一大特典です。その瞬間私はメシヤ様に救われていたのです。
暫くして私は気がついたらしいが、その時には無意識に私の耳を浄霊しておりました。爆風が私の体をよけた為に上昇した 爆風が、私の耳をかすって通った為であろう、一時耳丈聞えなかったらしいのである。それも一〇分程後には聞える様になりました。後に聞いた話だが、同じ職場で働いていた人も、 吹き飛ばされた筈の私が、キョトンとして耳を浄霊している様子に、驚きの目を瞠っていたそうです。又余りの大きい音響に近所の人々もびっくりして工場に見に来たのだが、何事なく耳に手を当ててキョトンとしている私を、不思議そうに眺め乍ら、「おかしいな! 変な事もあるものだ。不思議だ不思議だ」といって帰って行きました。後で長男に聞きましたのですが、その時の爆風は私の身体をよけて三方に吹き散ったそうです。又この事件が如何に大きかったかは右の爆発音で近所の人々が騒いだ一事だけでも窺い知られるであろうが、ここに又それをより以上に証拠づけるものとして次の事があるのである。というのはそのカーバイトの缶が何処に飛んで行ったのか分らぬ程だから大した事件である。
かかる恐るべき一大事件に、私の如き至らぬ者にも大光明様を胸に抱く私は、不思議にどこも負傷一つさえ無くメシヤ様の救いを得られたのであります。今あの時の事を考えるさえ身振いが致します。瞬間に炸裂する原爆の惨状にも、メシヤ様の教えを頂く吾々神の子は、かくして救われたのであると思い、メシヤの神の絶対なる救いの力に有難く嬉し涙を流しました。
早速、市内K町にある私達の教会S先生の家を訪れ、明主様の御写真を仰ぎつつ大光明如来様に深く御礼申し上げました。その時春季大祭に参拝させて頂いて御面会の節の御玉顔が、目のあたりに浮びいで、この一大奇蹟に救われし喜びに感謝の言葉は到底筆舌には尽くせません。
吹き荒ぶ嵐の外に安かりぬ神の護りの中に在る身は (御讃歌)
つくづくと右の御歌が身に沁み、思わず口ずさみました。拙文、拙筆で大変申訳ありませんが、以上御報告させて頂きました。明主様の御救いの万分の一にもと、朝な夕なに御道に尽く させて頂いて居ります。
明主様有難うございました。
(昭和二七年九月五日)
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大阪府 H.M
謹んで有りのまま御報告申し上げます。 私は昭和二六年九月一八日尊きお道に入信させて戴きました一信者でございます。 続いて妻も入信させて戴きました。入信後日浅き私に奇蹟の数々と御利益を戴きまして有難うございます。只今妻は胸部の大浄化を戴いております故、お道を知らない人々はあれこれと親切に申して下さいますが総て光明如来様におまかせ申し、心にお縋り申しております。
この度昭和二七年四月一日正午過ぎ次男S(四歳)が不注意から牛乳瓶の中に針を落したのを長男T(一〇歳)が一緒にのんでしまいました。弟のしらせに自分ものんだ事に気が付き、Tは泣き出します。不思議にも何の苦痛も無く咽喉を通ったのです。神様が救って下さる、心配しなくてもよい、と慰めて居ります内心、私の心配は一通りではありませんでした。その後何の痛みもなく、翌日登校致し、正午過ぎ帰宅致しました。間もなく「父ちゃんお腹が痛い」と申します。「虫かな」と申しますので「虫や」と言っているものの心配でたまりませんでした。丁度一時間過ぎた時、「痛い痛い腹に針が刺さってる。早く浄霊して」と泣き出します。ああ大変医師に診せ様か······そうだ自分は無医薬の救世教の信者だ、何糞、この時ぞと無意識に善言讃詞を奏げて浄霊致しました処、有難い事には三分間もせぬ内に楽になり、明主様有難うございますと思わず叫びました。丁度臍の左より少し下が痛い様です。又も痛くなり浄霊致しますと楽になります。近所のN様に御浄霊御願い致しました処 「心配しなくとも必ず救って戴けます。早速A支部へ御参り、浄霊を受けなさい」と申されました。翌日先生宅にお参り致しました処、折悪しく先生がお留守でしたが奥様にお話し申し上げ、御浄霊して戴きました。浄霊中瞬間でしたが「痛い」と飛び上りました。ああ抜けたと思い大光明如来様にお礼申し上げ、帰宅しようと思っていますと又も「痛い痛い」と申し、下腹部を押えて歩きません。今度はずっと下腹部が痛いと申します。あの瞬間的の痛さこそ昨日より刺さっていた針が動き出したのです。何と偉大な御力ではありませんか。私は一生懸命浄霊を致しました。間もなく歩行出来る様になり、帰宅致し翌日もお参りさせまして聞きますと少しも痛くないと申します。これは有難い救って下さる事と安心致しておりますものの、心配はとれません。当日学校で痛めばと思い休ませました。
私はお参りの帰途田舎に兄がおりましたのでこの出来事を話して置きましたので心配している事と思い実家へ行きますと、父や兄弟一同心配して「神様も結構だが一度医師に診て戴かないと若しもの事があれば大へんだ、針をのんでいるのに今まで放って置くなんて……」と異口同音に申します。私は世界最高の救世教を信仰している。何とか救って下さる一 念はあるものの、ではもう一度便を調べた上で、と申して帰宅しました。帰れば元気で迎えて呉れましてやれ安心。「お父ちゃん便が出た調べて」と申します。「何、便が出た」愈々白か黒か私は恐る恐る調べて見ると見当りません。駄目か、尚も隅なく調べた処何と有難いではありませんか、出た出た大ちゃぼの針が・・・・・・思わず大光明如来様、明主様有難う ございます有難うございますの連続です。
この時の喜びは筆舌には表わせません。Tも手を叩いて喜びました。丁度午後五時過ぎでした。鳴呼助かった、病院行が、腹を切るのが。その後私は職場に近所の人に針を見せては御神力の偉大さをお話し致しているのでございます。今後共微力乍らお道の為に尽力させて戴く決心でございます。拙文乍ら拝読下され、お道の一端にもなりますれば幸甚と存じます。
明主様有難うございました。
(昭和二七年六月七日)
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東京都 N.S
昭和二五年夏、当時小学校五年生の次女が校医から慢性中耳炎、扁桃腺肥大、蓄膿症と誠に数多い診断をされ、是非夏休中に治す様にと言われましたが、以上の病は医者へ行っても難しいと聞いており、困った事だと思っておりました。丁度その頃以前より親しいY先生が時折見えては御浄霊の御話を聴かせて下さいました。併しそれまでは大して気にもかけず、折角御道の御本まで貸して頂いても忙しまぎれに拝見さえせず「又あのおばさん変な事を始めた」と蔭で言っておりました。併し次女が余りにも沢山な病気を一度に言渡されてからは何となく心引かれ、勧められるまま先生と一緒に世田谷の御本部に参りました。そこで次女が御浄霊を頂いておりますのを拝見していますと、先生の掌が子供の体から一尺位離れているのに温かく感じると申しますので吃驚致しました。不思議に思い、いろいろお話を伺いまして病気が体の掃除である事は少しは分らして頂きましたものの、尚変な気持も残って帰って参りました。当時私共一家は戦災を受けてから事業(電気工事)も余り振わず又貸借も悪く、経済的にも非常に苦しい時代でございました。そこで御本部の先生に御話し申しました処「そういう事でも御救い頂けますからよく御願い申し上げなさい」と言われますので、半信半疑乍ら御神体に御願い申し上げてその日は何か心の中が明るく帰宅致しまし た。主人に今日のお話を色々致し、こちらの神様は病気のみでなく経済的にも御恵み下さる事を話しまして「神様に御願いして参りましたからあの貸金もきっと入りますよ」と本部の先生の受け売りをしました。その儘大して気にも止めずにおりました。処が驚いた事には翌日今まで何度足を運んでも貰えませんでした貸金の一部を、然も交渉していた以上の現金をわざわざ持って来て下さいました。私の様な未入信のたった一度のお願い事が、こんなにも速かにお恵みを頂けるとはどう考えましても人間の力の及ぶ処でないと思わず胸をうたれ、主人と共に顔を見合せ御客様のいられるのも忘れて茫然としてしまいました。これは黙っていては申訳ないと早速御本部へ御礼に上らせて頂きました。その時こそ神様は現実に私達の日常生活を御守り下さるものだと思い、次女の病気もきっと治して頂けるものと信じられました。日が経つに従って次女の病気も快方に向い、最近では殆んど全治させて頂きました。この様な事実に直面して今までの御無礼を御詫び申し上げ、早速私が御守様を頂き、その年の暮一二月三日初めて明主様に御面会の幸を頂きました。その日は只夢中でございました。かくも偉大な御力の明主様と、御歌の如く浜の真砂にも等しい私共が、こんなにもお側近く拝顔の栄にめぐませて頂きました事を誠にうれしく思いました。その御面会を頂きましてから三日目頃より事業の方がどんどん調子よく進みまして、去る七月頃工事を致しました貸金(約四〇万円) が少金乍らも初めて入金の糸口がつきまして、事業の方も現金で頂ける様な仕事が多くある様になりました。主人も次々のお蔭に感激致し、程なく入信させて頂きました。更に御守護を頂き非常に安価にて二階を改築させて頂き、大光明如来様をお迎えさせて頂きました。これより以前主人は三十数年来の難聴でございまして、医者も薬も主人自身あきらめておりましたが、この尊い御浄霊を頂く様になりましてから幾回となく御浄化を戴いておりました。丁度昨年一二月八日の御面会の当日の事、風邪の気味でしたが押して御参詣させて頂 きました折、急に鼻血が出まして側に居りました私も吃驚いたしました。それより耳の方がスーッと軽くなりまして、勿体なくも明主様の御声を初めてはっきりと聴かせて頂ける様 になりました。かくも偉大な奇蹟を賜わり、有難さに涙を浮べて明主様を伏し拝んで居りました。本人にとりましてこれ程の感激は無かった事でございましょう。
最近は事業も順調に進み、貸金の回収に苦しみました二、三年前の事を思い出しまして、心から感謝申し上げております。又かねがね会長先生には何かと至らぬ私を御導き頂き、朝に夕にどんな御忙しい中でもやさしく御教の道を迷わぬ様に説いて聞かせて頂きまして「明主様への御恩報じは大勢の方々をお救いする事ですよ」と言い聞かせられ、私も及ばず乍ら知合の方や近所の方々に御道の御話を致し何人かを信仰へ御導きさせて頂き、又毎日僅か乍ら病に悩む人を御浄霊させて頂いております。又、つい先日も次の様なおかげを頂きました。今まで私宅には電話が無く、何かと不便でしたので、再三再四電話局の方へ交渉に参りましたが中々神田局は難しく、折角順調に参りますと一寸事故が起り思う様に進みませんでした。併しここにも神様の深い御仕組のございました事を私ははっきり知らせて頂きました。丁度その頃は経済方面も、帳面合って金足らずという通り懐中の用金が自由に無く、 もしも電話が架設されました処で借金で支払わねばならぬ状態でございました。処が二月末頃にはどうにか良い方に向って参りました。丁度その頃、電話局から局員が参りまして「近い中に加入出来ますよ」と言ってゆきました。心待ちに待っておりました処、御近所の方が、お宅の電話番号は「五六九七ですって」と申されていましたので「この九と七が逆になれば申し分ないのだが」と申しておりました。私宅のお祭は月の五日になっておりますが、その朝の事、突然局から参りまして「今日電話を架設致しますから」と言われたので家中大喜びでした。そしてその局員が「お宅の電話番号は五六七九ですよ」と何気なく言いましたので、我と我が耳を疑い乍ら聞き直してみましたが「五六七九」とはっきり言って下さいました。家中吃驚しました。何という不思議な事でございましょう。この番号が他の家へ行ったからとて、そんなにも喜ばれるわけではなし、私の家にとってはこんなすばらしい番号は又とない。まあ有難いと家中お祭り騒ぎ、今日は又神様の祭日でしかもその日に通話が出来まして、信者さんも早速御利用下さるし、こんなにもすばらしい神様の御守護を深く感じました。尚電話の架設代金も公定価にて済み、又不思議にも今月は経済的にもめぐまれ、何事も順調に進ませて頂きました。
病苦も貧苦も御救い頂き、更に苦しむ人々を救わせて頂き、且つ考える事が思う様に進み、奇蹟の日々を楽しく過させて頂きます事を只々有難く感謝申し上げております。どうか今 後も微力乍らこの尊い御道に少しでも尽くさせて頂きたく念願致しております。ここに拙き筆ではございますが賜わりました御恵の数々を謹みて御報告させて頂きました。
明主様、誠に有難うございました。心より厚く厚く御礼を 申し上げます。
(昭和二七年五月七日)
(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)