愛知県 O.N
入信以来度々御守護御利益を戴きました私方一家に、今回又々不思議なる御利益を戴きましたので御礼旁々御報告申し上げます。私共は二六年一月T別院にI先生をお迎えの折、大光明如来様を拝受させて戴き、四月二六HS中教会長先生に御奉斎をお願い致しました。以前も私共の井戸は大勢の人の集る時には水の出が悪くなり、大変不便を感じたのでございましたが、御奉斎の当日も出が悪くお手伝の人が難儀をして手伝って下さいました。それ以後は細々乍らも約二ヵ月程出て居りましたが、七月上旬からは全然出なくなり、飲料水は勿論のこと、洗濯水までも全部西隣の御厄介になって居りました。
こんな事では寒くなり雪でも降りだしたら困ると思いましたので、内々井戸屋にも相談して一一月中に掘り直して貰う様予算して居りましたが、今回の箱根美術館建設のお話をお聞きして、明主様に今まで戴いた御守護の万分の一にもお報いさせて戴くのはこの時と思いましたので、一一月七日A支部にお邪魔しました折、色々お話をお伺いして予定金額を御報告致しました。
その時私が「井戸を修理する予定のお金でしたが修理を一時延しておきます」と、K先生に申しましたら、K先生は「御利益で屹度水が出て来ますよ!」と笑ってみえました。
それから二、三日後でしたか、何の気なしに私が井戸のぞきますと、ああ何と不思議なことに、美しい水が一杯溢れて居るではありませんか!私は思わず家の中に居る妻に「おーい! 水が出だしたぞ!」と、思わず大声で怒鳴りました。妻も飛び出して来て「ああ! ほんとに綺麗な水ですこと!」と大喜びです。
それからはもう家だけでは使い切れない程に美しい水が後から後から湧いて来ます。近所の人達も見に来て「どうして水が湧き出したんだろうか?」と不思議がって帰って行きます。私も妻も嬉しくてなりません。早速中教会長先生にも御報告致しました。私共はこの奇蹟に依り神に奉仕する者のみの知る喜びをつくづく知らせて戴きました。
明主様の御霊徳を讃えまつり、御守護を厚く厚く御礼申し 上げます。
(昭和二七年一月六日)
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長崎県 H・E
明主様日々御守護戴きまして有難うございます。私は栄光第一一八号に「稲荷信仰一五年の泥沼から救われて」とのおかげ話を御発表戴きました者でございます。
以前家の中に祀って居りました稲荷を一時裏の空地の端の方に祀っておりましたが、いろいろとお話を伺って居ります間に、次第に稲荷に対する執着がとれて参りましたので御処分いただき、その空地に花を植えましたが、裏に出ます度に何か変に物淋しい気持になって参りますので、教会の先生にお尋ね申しました処「それではよく御浄霊を戴き、又空地も御浄霊さして戴いたらよいでしょう」と申されました。その日から早速空地を御浄霊さして戴いておりました。その内に何だかそこいらが湿っぽくなって参りました。併し今までその様な気配もありませんでしたので別に気にもとめていませんでしたが、次第にその湿りが強くなり、水が出始めたのではないかと思われる程になりました。何だか不思議な気持で少し掘ってみますと、何と驚くではございませんか。この家に住みましてから一六年間、少しの水気すら無かった所から、こんこんと澄みきった美しい水が湧き出て参ったのでござい ます。
私の村は炭坑地帯で、地下を坑道が通って居ります。その為に水気が減じ、炭坑開発以来井戸水は殆んどなくなり、水田は水が涸れて耕作が困難になりました為に、畠に切替えているのでございます。その上又今年は大旱魃で、今まで出ていた井戸水さえ干上るというその折も折、今まで全然水気の無かった所から、冷たい泉が湧出るとは、何という大きな奇蹟を戴いた事でございましょう。 全く夢にも思わぬ蔭を戴きました。本当に有難うございました。
近所の方もいろいろと話合っておられましたが、「結局どんなに考えても理屈が分らぬ。全く信仰のお蔭だ、不思議な事だ」と申しておられます。その後もずっと毎朝五時半頃から九時、一〇時頃まで、桶で五、六荷程、丁度時間給水の様に出して戴きますので、近所の人々とも分け合って、皆さん方に非常に喜んで戴いておりましたが、二日間雨が降り、雨が降れば家の中も一ぱいになる程水が出て困りはしないか、と思って居りましたら、ピタリと止ってしまって一滴も出ません。「これは益々おかしい、どうしてだろう」と主人と話合ってみました。そうして、これはお蔭の戴きっ放しで何等御恵みにお報い奉ることがなかったからであろうと、気付かせていただきましたので、丁度その時さん方に出張教修においで下さった先生に、御守護御礼をお願いに参りました。そこで先生に書いて戴いて御神前にお供えし、明主様に御詫びと御礼と御願をさしていただき帰宅致しました。
帰ってみまして再び吃驚致しました。出掛けてから帰るまで一〇分、長くとも二〇分は経っておりません。それに時刻は午後四時なのでございますが、 井戸に満水してこぼれているではございませんか。今までに午前と時刻のきまっていた事を思い、有難いとお礼申し上げるの外、何とも形容の言葉もなく、早速飛ぶ様にして御報告に行かせていただき、今までの不心得を深くお詫びさしていただきました。 全く申訳ない次第でございます。
それから調子よく出して戴きますので、少し欲を出しまして水の出る間井戸の側につきっきりに居るのも大変だと思い、少し大きく穴を拡げました。水の出口には全然関係ない様にして掘り、セメントで縁を塗ったのでございますが、 愈々々仕上ってみますと再び水の出が悪くなりました。何という不可思議な事でございましょう。これが想念の狂いと申すものでございましょうか、ここでも又一つ教えていただきま した。お蔭様で今日では又毎日勢よく綺麗な水をいただいております。
明主様寔に有難うございました。
これより少し前の事でございました。家の上手の畠に草をとりに上りました。そのとき足を一寸辷らせ、ハッと思った途端に手をつきましたが、その時全身にこたえる様な痛みを感じ、見ますと手頸の骨が「く」の字に曲っており、見る見る内に大きく腫れ上って参ります。その痛い事は言語に絶する程で、冷汗が流れ、気が遠くなり、吐気さえ催します。心 の中でお詫び申し上げ乍ら、大急ぎで家に帰り、主人に御浄霊をお願いしました。痛みは次第にうすれて参りましたが、手頸は曲った儘丸腫れしておりました。自分で引張って伸す 勇気はなく、以前「折れた骨は整骨して御浄霊いただいてもよい」という事をお伺いした様に思いましたので、接ぐだけならよかろうと骨つぎに行きました。「どうぞ唯骨を接ぐ丈 にして薬を塗らないで呉れます様に」とお念じしつつ接骨医の所に参りました。接骨医は手頸を直して「Hさんは手をこうすれば(浄霊の事)よいというから薬は塗らなくとも良いだろう」といかにもひやかした様に言いました。私は内心ホッと致し「はい結構です」と言って帰り、早速御礼申し上げて御浄霊をいただきました。翌日はまだ幾分腫れては居りましたが痛みはございませんでしたので、洗濯を致しました。絞ります時一寸痛みを感じる位で別に何ともなくさせていただくことが出来ました。一週間せぬうちに仕事には全然差支えなくなしていただき、二週間目には全く腫れもひき、元の様にしていただきました。本当に有難いことでございます。若い者であれば骨も早く接がるけれども、年を取ると中々一月もそれ以上もかかると申しますのに、嘘みたいに早く治して戴き、近所の方々も驚いておられます。寔に有難うございます。
ひどい骨折も僅かの日数で完全に治していただき、一六年も水気のない所からは素晴しいつめたい清水まで御恵み賜わり、数々の御守護に何と御礼申し上げ様もございません。
明主様寔に有難うございました。数ならぬ身ながら、この有難い御教えを一人でも多く、早くお取次さして頂きたいと思いまして、つとめさしていただいて居ります。何卒御用の一端にでも御使い賜わります様よろしく御願い申し上げます。
(昭和二六年一一月一日)
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岐阜県 M.M
私は二一年八月入信、一昨年一〇月二二日光明如来様の御神体を御奉斎させて戴いている者でございます。
去る九月六日朝の事、東隣りの二階から出火、忽ち猛火が私方へと風に煽られて迫って来たのを発見、驚いてそれ火事だ火事だとばかり無我夢中で娘を促して東廂へ上りました。
何の為に廂に上ったか、その時の心持は自分にもわかりません。
風は東から正面に、私の家へ容赦なく吹き付けて今にも焼け移りそうです。吾々親子が一心に猛火に向って浄霊している自分自身の姿を、程経てそこに見出したとき、頭の先から、 足の指先まで「ジーン」と、何物とも知れぬものが走り去りました。アッ光明如来様だと、意識したとき、初めて少し落着きました。
見れば、不思議と申しましょうか、奇蹟と言おうか。風向き、その他から考えても当然家は助かろう筈は無いのに、どうでしょう、いつの間にどうして変ったものか、風の方向が西北にそれているではありませんか。猛火は尚も猛り狂って、西北へ西北へと吹き付けて、救わる可き望みのなかった吾家が、完全に火災から免れたのでした。
この不思議この体験こそ如実に味わった私等でなくては、他の人々にはわからないと思います。
一家正に灰塵に帰す可き寸前を、神様の御救いにより助かりました私達の喜びと感謝は、到底筆や言葉では表わ ありません。
世間一般の人達の中にはヤレお光様がどうの等と、未だ何も分らず唯悪口する者さえありますが、何と浅ましい事でしょう。勿体ない事でしょう。色々と出て来る新聞記事や、悪しざまに言う人々のある度毎に、耳をふさぎ眼を蔽いたい位です。
けれどもそれ等の人々もやがては目覚めて、光明如来様のみもとに帰依信仰なさる時期も、必ず目前に来る事を私は確信しております。偉大なるこの御救いを厚く厚く明主様に感謝して、茲に拙い文をものして御報告申し上げます。
(昭和二五年一一月一日)
(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)