私物語

私物語

私と映画

私の映画の好きな事は、信者はよく知ってゐるが、何しろ今でも隔日には必ず観る事にしてゐる。そこで私が映画に親しむやうになった最初からの経路をかいてみるが、私が一番先に映画(其時代は活動写真といった)を見たのは十五、六歳の頃であった。其時は浅草...
私物語

無信仰時代(二)

私は若い頃から、非常に映画が好きな為、映画監督にならうと思った事がある。然しよく考へてみると、映画監督では仮令出世した処で大した事はないので、いっそ映画事業をやって成功者とならうと思ひ、先づ其手始めとして映画館を造ってみやうと思ひ立ち、心掛...
私物語

無信仰時代(一)

いつかも記いた事があるが、私の前半生は至極平凡なものであったから、詳しくかかなかったが、其後記き漏らしたと思ふ点も少なくないので、興味ある話題を少しかいてみようと思うのである。それに就て先づ私の現在の妻であるが、之は二度目であって、最初の妻...
私物語

私は神か人か

私といふ人間程不思議な人間はあるまい。恐らく世界肇って以来類型のない事は確かである。私自身と雖も考へれば考へる程、不思議の一語に尽きると思っている。そうして昔から知る限り、聖者、賢哲、偉人等の伝記を見ても、私に当嵌るやうな人間は一人もない。...
私物語

私の神秘

私はいつも思ってゐる事は、私程不思議な人間は世界肇って以来一人もない事を信じてゐる。実に何から何迄不思議だ。自分でさへそう思ってゐるのだから、他の人としたら私といふ者の実体を想像してみても、結局群盲的であらう。といふのは神秘性が余りに多いか...
私物語

序文

今日世界人類の約半数以上は、何等かの宗教信者であり、其中の大部分はキリスト教、回々教、仏教の三大宗教が占めてゐる事は、今更言う必要はないが、右の三大宗教の創立者は、キリスト、マホメット、釈迦の三聖者である事も分り切った話である。そうして彼等...
私物語

私物語

・序文・私の神秘・私は神か人か・無信仰時代(一)・無信仰時代(二)・私と映画