著述編

栄光

唯物療法との比較

本教が常に唱える処の、唯物療法では駄目で、どうしても霊的療法でなくては、本当に治らないという事の実例として、左記のおかげばなしは、よくそれを物語っている。それは尿が閉止した病気で、其苦しみは大変なもので、原因は膀胱から尿道へ通じる口元に、血...
栄光

最後の審判とは

最後の審判とは、キリストによって発せられた言葉であるが、それは如何なる時期に、如何なる形によって表われるかという事で、キリストはそれに就て全然言われなかったから、今以て謎とされているのである。特に基督者は長い間此謎を解こうとしていたのは勿論...
栄光

無信仰者シャッポを脱ぐ

凡そ世の中をみると、大部分は無信仰者であるが、之も無理はない。明ら様に言えば、本当に心から信仰したいような宗教は殆んど見当らないからである。というのは奇蹟というものが、目立ってないからである。だから、無信仰者を非難する事は無理である。誰しも...
栄光

自分の悪に勝て

私は、此前悪に勝つという論文をかいたが、之は悪人に負けてはならないという意味であったが今度は他人事ではなく、御自分の腹の中に居る悪に勝たなくてはならないという事をかいてみる。凡そ如何なる人間では、腹の中ではいつも善と悪と戦っている。つまり仏...
栄光

神の経綸

我救世教は、如何に深遠微妙にして、偉大なるものであるかをかいてみるが、之を読んだらどんな信者でも、驚嘆して口も利けないであろう。抑々、神様の御経綸なるものが、人智を以てしては、到底想像もつかないものである事を知らなければならない。というのは...
栄光

地上天国を造る

左の論文は、前月廿二日、日比谷公会堂に於て本教講演会開催の砌(ミギリ)、何しろ録音や布哇ヘラルド紙等に掲載される予定なので、慎重を期し、前以てかいた原稿を持参した処、偖て私の時間となり演壇に登るや、自然に言葉が湧いて来るので、如何ともし難...
栄光

此事実を見よ

左のお蔭話は、特に参考になるから、充分玩味して貰いたいと思う。折角入信しても、一度信仰を離れるや、神様の御守護がなくなり、災い交々来るという実にいい実例である。又現代医学が如何に無効果である処か、反って悪化させるという事実である。之なども世...
栄光

毒結五十年

私は十八歳の時肋膜炎を患ったが、其時は、横腹を穿孔して、二百瓦程水を除った、処が其際の消毒薬と、そうして一旦治ってから、一年後再発した時の服薬と都合二回の薬毒が、恰度背中の腋の下の間位の処に固まっていたのを近頃発見したので、溶して了おうと思...
栄光

奇蹟の解剖

奇蹟とは一言にしていえば、あり得べからざる事実がある場合をいうのであるが、実は有り得べからざる処に有るという事は、本当はないのである。だからあると思うのは、それは誤解以外の何物でもない、というと何だかややこしい話だが、其理由を左にかいてみよ...
栄光

芸術宗教

人も知る如く、昔から宗教に対し、芸術は余り関係がないように思われて来たが、それでも日本で芸術の始まりは、先ず仏教芸術からであった。然し、之は甚だ単純な絵画、彫刻、織等は元より、音楽的には簫(ショウ)、篳篥(ヒチリキ)、木魚、銅鑼(ドラ)、...