微熱というもの

此微熱というものは、現代人にない人は恐らくあるまい。唯意識しているといないだけの相違であろう。処が此微熱なるものは、案外人体に対して、大きな影響を与えているもので、それを今かいてみよう。先づ頭痛、頭重は固より、精神集中力も乏しく、散漫となり記憶力が減退し根気がなく、何かにつけて億劫がり、始終体が重懈(オモダル)く、兎もすれば寝転びたがる。又食欲も薄く、好き嫌いが多く、水気のものを好み、飲料を欲しがり、性質も怒り易く、気が塞ぎ世の中が面白くなくなるから、悲観的に物を考えたがる。ヒステリーも之であって、凡べてが消極的で、晴天の日よりも雨天の日を好み、風邪を引き易く、鼻が詰ったり、耳鳴がしたり、扁桃腺炎が起り易い。又急いで歩いたり、坂を上ったりすると、息切れがし、足が重くなる、という訳でザットかいただけでも、此位だから、仲々馬鹿にはならないものである。

凡てがそんな訳だから友達附合もよくない。人々と円満にゆかず、家庭にあっては夫婦仲も悪く親子兄弟達ともしっくり合わず、いつも自分の言い状を通したがり、自分の行いに理屈をつけて、気儘勝手な振舞をする。此場合自由主義などは、最もいい口実である。そんな訳で家庭が面白くないから、どうしても忌わしい事が起り易い。近来家出娘や家出息子の多いのも、そんな為もあろう。酷いのになると、一家心中という破局的運命にまで陥るのも、右の原因もあるであろう。

そればかりではない、之を社会的にみた時、多くの人は、夫々自分勝手な理屈をつけたがるので調和も欠け、詰まらない事でも、直きに議論となったり、争わずに済むような事でも争いたがる。之等も余りに自分本意の為であろう。之等は政治方面に多い様である。又団体内で一つの問題を討議する場合等、どうもヤッサモッサが多すぎ、一致点を見出すには、仲々時間が掛るのである。としても世人は其原因には気が付かないよりも、余り関心を持たないようである。

処がまだある、右のように何だ彼んだと五月蝿い社会としたら、人々は気持のいい事より、悪い事の方が多いので、何かしらで紛らそうとする。そこで酒とくる。酒の売れ方が幾ら高くなっても少しも変らないのは、其為でもあろう。それ以外苦悩から脱れようとして刺戟の強い快楽を求めたがる。若い者はキャバレー、ダンスホール、パチンコ屋や又変な方面へ走ったりする。年輩者は年輩者で、少し余裕のある人は、お妾や花柳界に慰安を求めようとする。此様に何も彼も不健全な娯楽が旺んであるのは、今日の世相である。

以上の如く凡ゆる悪の面の根本原因は、全く微熱が最大原因としたら微熱程恐ろしいものはないのである。処がそれだけではない、微熱の為に健康診断を受ける場合、結核の初期に見られ易いから之も厄介な話だ。一度そう言われるや、絶対安静をはじめ、色々な逆療法を施される結果、何年も苦しんだ揚句、彼の世往きとなるのが大部分のようで、幸に治って元通りの仕事に従事出来るような者は、恐らく百人中一人も難しいであろうとすれば、どの点からみても、微熱のない身体にしなければならないのは勿論である。

では微熱の原因は何処にあるかというと、全く人間体内にある薬毒の為であって、それが各局部に溜結しており、緩慢な浄化作用が起る為で、之を本当に治すとしたら、浄霊以外絶対ないのであるから、本教信徒が増えるに従って、前述の如き凡ゆる忌わしい事は、消えて了う訳である。そうなったら実に気持の良い住みよい社会が出来るではないか、之が即ち地上天国の姿である。

(栄光百二十号 昭和二十六年九月五日)