本教信者なら、霊界の有無など問題ではない。有るに決っている位の事は、誰も知っているが、然し乍らヤハリ体験者の話を、一回でも余計聞いた方が、それだけ信じ方が深くなるのは勿論である。殊に信者未信者を問わず、疑いのある人には最もいい参考となると思うから、左記の体験談を是非読んで貰いたいのである。
昏睡して一度は霊界へ赴き新な生命給わる
兵庫県 K・M
昭和二六年六月一七日時頃より急に頭が重く成りました が、食事を戴いて居る処へ、A中教会S支部のN先生がお越し下さり、当日私の月例祭で有りましたのでN先生に早速浄霊を頂き、ズッと楽に成りました、御祭を終りましたのが午後六時頃でした、すぐ床に就かせて頂きました、一七日夜より二一日まで四〇度位の熱が出て少しも寝れず、肩胛骨内側上下が痛み、苦しみは言葉で言い現わせませんでした、何時も中教会会長先生が「病気は肉体の破壊では有りません、良く成るための浄化であるから感謝しなさい、治った後は喜ぶための苦しみであったと言う事が判るのですよ」と御話を伺っておりました、又頭が激しく痛くなって来ましたが、先生のお話の如く今この様に苦しいが、屹度私は治ると思いなおしました、N先生は枕許へ座られ、一日何回となく浄霊をして下さいました、それより少し楽になりました、私は記憶がなかったのですが、誰かが来たような気がして入口を三回程開けに行けと申したそうです、二二日の朝から、前後判らぬ事を言って腹も立てたそうです、其間色々の処へ行って居たり、お詣りをして居たり、時には浄霊にも出て行ったようにも思います、私が勤めて居る事務所へも行った様にも思います、又私の家がこわれそうで絶えず動いて居ました、それより私は判らなくなりました。身内の人々は医者に懸らなければ命がなくなると、さんざん言われたそうですが妻は「神様に救って頂きますから、まあ見ていて下さい」と頑張ったそうです、私は昏睡状態になってから霊界の方に行って来たのです、その模様をありのまま記さして頂きます。
第一修養の為寮生活をするがよいと言うので、どこか阪神方面の寮へ行きました、朝の点呼をすまし、朝食を終り、運動場へ出て好きな運動をしました、一時間後にベルが鳴り大勢の人と共に昼食を戴き、午後は土砂の作業をしました、すると私の側へえらい人が来られ「お前は川の作業をしなくてもよい」と言われ、其後又一同と共に寮に帰りました、一日の感謝の御礼を申し、一日の疲れを休ませると言う生活を三日程した後、偉い人が又来られ、「〇〇警察へ行け」と言われ、一同と行きました、二時間程北西に向かって行った処で止まると、七ツの辻だと言うてくれました、そこで皆が自動車より下車少し山手に上る、上へ行くと警察署が有り、医者や警察署員が居て名簿もあり、一人一人名前を呼び「順番に今迄やって来た善い事、悪い事を皆言って見よ、隠し事はならない、嘘をつくと酷い目に遭せる」と言われ手には割竹を持ち次から次へと調べて居ました、其間色情の検査に移り、陰部より塩水を入れ、針金の様な物で掃除した後ガーゼをさし込み、その人の罪によって最悪の人はさわると痛んで堪らない様にみえます、そして其場で切開され、直ぐ火葬場へ沢山の人は送られます、私は御蔭様で少しも痛まず、一寸さわる程度で許されました、調べも終りますと一八名ずつ第一火葬場へ送られ、釜の中へ放り込まれるのを見ました、私は「お前は入らなくともよい」と聞き、次に第二火葬場へ皆が行く事になり私もついて行きました、火葬場の前迄行くと階段が有りその階段は角がなくフチも丸く、上へ上るにも摑まる処もありません、私は小便がしたくなりましたが、する所もなく困って居りましたが、終いにはする処も見つかり、する事が出来ました、それからは階段を楽に上る事が出来ました、今から思えば其時に現実の寝床に大小便と汗が出て、寝巻蒲団等がボトボトになったんだと思います、小便の重さで下半身が重くて体が自由にならず、階段の処で小便が出てから楽に上れたのも、その時だったのです、第二の火葬場の釜の入口迄行きますと「お前はここへ来なくてもよろしい」と言われたので、案内されて休憩所へ行きました、法廷では御話が有って御話を聞き又後はのんびりと遊びなさいと言われました、それは丁度天国の様な処で有りました、四季の花も沢山咲き立派な三階建の家も沢山有りました、どの家も光明如来様をお祀りして有り、御仏壇には御屏風観音様をお祀りして有り、各家々では三階は御神前で有りました。私もA中教会に早くお詣りをしたく思い見廻わすと目の前にA中教会が有り早速教会に入れば、お顔なじみの先生方、一般信徒の方々にお目にかかれ、やれ嬉しやと御神前に頷けば、お祈りも間に合いまして、会長先生の御話もお聞きさせて戴き、自宅に帰り、今帰ったと声をかければ妻や親族一同、ああ気が 付いたと喜んで下さり、丁度二日間は昏睡状態でありました。今日では家族、親族の人々が大変喜んで下さり、命のないところを御救い下さいまして真に有難う御座居ました。
明主様、厚く御礼申し上げます。
(栄光百二十二号 昭和二十六年九月十九日)