宗教が異う為に、救われる機会に恵まれ乍ら救われなかったりする例がよくある。というのは宗教によっては、他宗に触れるのを非常に嫌いそれが大きい罪悪のようになっているからである。之は全く其宗教に力のない事を表白している證拠で、言い換えれば信仰の自由を拘束する一種の信仰封建である。というのは本当に立派な宗教ならば、他の如何なる宗教へ触れても、迷いの生ずる懸念などあり得ないから、安心な訳である。だから私はどんな宗教でも触れていいばかりか、寧ろ大いに研究される事を希望するのである。その結果若し本教以上立派なものがあったら結構だから、其信仰へ自由に転向してもよい。何となればより良い宗教程救われる可能性が多いからであって、其行為は正しい訳で、正神ならば決して御尤めなどある筈はないのである。
処が世の中には他宗に転向すると、罰が当って病気や災難が来るとか、酷いのになると一家没落するなどと言って嚇かすが、斯ういう宗教こそ邪教である。元来正神の御心は公平であり人間には選択の自由を与えられておるので、正しい意味による改宗なれば、神様は御喜びにこそなれ、御尤めなど決してないのである。例えば茲に一人の妻女があり、其婦人は才色兼備にして申分なく、自分も自分以上の女性は天下にないという自信があるから、仮令夫が何処へ行っても、どんな女に接近しても、一向心配はない筈である。世間に女は大勢あっても、自分程の者は二人とないと安心している、というのと同様の意味である。
処がそういう宗教は、恐らく世界に一つもないといってよかろう。としたらそれだけでも本教の価値は分るであろう。では何故本教がそれ程の確信があるかというと、実はキリストや釈尊はじめ多くの聖者達は、最後に本教が出て万人を救うという事が判っているからで、その事を予言迄された位である。としたら今迄その信者達も、それに気がつきそうなものだが、未だ時期が来ないとみえて、そうはならないのは遺憾である。処がまだ始末の悪い事がある。それはキリスト教で言う本当の救世主が現われる前に、偽救世主が出るから注意せよとしている。それが為仮令本当の救世主が出たとしても、無批判的に偽者と断定して了う其危険さである。成程今迄に世界中偽救世主は幾人も出た例はあるにはあるので仕方があるまいが、困った話である。今之等に就て、次に載せる報告はよくそれを物語っているから、誰でも今後斯ういう事に出ッ喰わした場合、よく説明すれば分ると思うが、事実本教に救われて有難いから、直に転向しようとしても、躊躇するが、霊界に於ては大宗教の教祖なら大いに満足なさるに違いないから、それを知らせるのが肝要である。何れは世界の凡ゆる宗教の信者は、ドシドシ本教へ転向して来る時節が来るであろう。というのは各宗教々祖は霊界に於て、自分の信者を救って貰いたい為に、本教へ入信さすべく、大努力を振うからである。
キリスト教徒なるが故に
長崎県 T・F
此御報告を書かせて戴くにつきましては非常な勇気が必要でございました、幾度か躊躇致しました、それも唯拙文乱筆の故で御座いました、併し身に余る神様の御守護の深さに思い致しますと、其おかげの一端でも是非御報告申し上げさせて戴かねばと、焦る心をおさえつつ、若し御無礼申し上げる様な事があってはとおそるおそる筆をとらせて戴きましたが、繁雑になり、乱れ勝なる筆先を深くおわび申し上げさせて戴きます。
話は核心を外れておかげ話とは、凡そ縁が遠いかもしれません、先ず私の生い立ちから申しますと、私は或る寒村の掟厳しいカトリック旧教の上流の家庭の五女として生を享けました、処が父は、私が七歳の時、五島航路の船が沈没した折水死致しました為、母の手一つで成長した訳で御座居ます、処が生来無信仰な私は、長ずるに従って増々其度を深める親不幸な子でございました、それ故に頑迷固陋なる母を如何程なやました事でございましょう、今となってみれば、思い出した丈でも胸をかきむしられる樣な苦しさを感じます。
老母の顔に深く刻まれた幾条かの皺は、恐らく私が付けたに相違ありません、一体にキリスト教の家庭では仮に一人の異端者を出した場合には、 其責任によって両親の霊は救われないと固く信じている様子でございました、イエス・キリストが其様な事を言われたのではない事は確実でございますが、何時の頃からか誰かが言い出した事と存じます。
之を頭から信じこんで居る母は、是は一大事、是が非でもキリスト教に入信させなくてはならぬと、遥々やって来ては、キリスト教信仰に入る様に、執拗に奨めました、勿論キリスト教以外の宗教は皆迷信邪教と信じていた位頑固な母でございました、私は其都度、捕え所のない「ウナギ」の様に、ぬるぬると逃口上を見付けては話を外して、成る可く触れないようにつとめました、併し、私がすねればすねる程、繁しくやって来ては、同じ話を繰り返えされるので、 本当に親乍ら有難迷惑と思う位でした。
それに母性愛という、いかめしい伝統の絆をもっておしつけられますのでほとほと困りました、さあ又始まったと思う瞬間にたくみに話の方向を変えたり、話題を外すのがせい一杯で、弁解も何もあったものではありませんでした、
其様に無神論にかけては頑固一徹の私も、病弱で一六年間の心臓脚気で脊柱注射五本打ち、治らぬ内胃潰瘍となり血を吐き、二回迄遺言するという状態を、光明如来様にお救い戴き、自分乍らあっ気ないと思う位するすると、お道に入れて戴きました、唯神様が、憐れと思召されて、救い上げて下さったと思う外ございません、
兎に角よく分って見れば、じっとしていられません、遂に母も霊肉一体の御救いに御縁あらしめたい一念から『栄光』新聞、『地上天国』、等々を読ませて戴き、頑固な母に向って、先ず新しい正しい宗教観から話しをさせて戴きました、母は、キリスト教信者丈に、話も意外に分りが早い様に見えましたが、色々と理屈っぽく反問され、しかもそれが、 何とかして、 自己の宗教を弁護する事にほうほうの態でございました、私も可哀相な母の為に、あかずたゆまず、徐ろに明主様の御教理を説かせて戴きました。
処が母は、私の言う事が真実とわかればわかる程、頑になって、自己の宗教の殻にたてこもり、心の動きを、表情にすら表わさない為に、努力致して居りました、恐らくキリスト教徒の母にしてみれば、私の話には一向耳を傾けず、頭から邪教に迷う娘の私を救わんものと、逆の努力をしていた様で御座居ます、何しろ背信の罪の絆にしばられ、身動きならぬ母の立場に、却って可哀相にも思えて参りました、殊に年老いた母を正しい事ではあり乍ら余り無理に入信を勧める可きでもないと考え、唯私に対して信仰の自由を赦して貰い度い、安心して貰い度いと願うのみで御座居ました、
遂にその時は来ました、或る日の事、母は遂に私に御浄霊をたのみました、あの頑固一徹の母が、嗚呼! 明主様有難うございました、有難うございました、今日迄母の来る度に、何卒母の頑な気持が折れます様にと神様におすがり致して居りました、その願が叶えられたのでございます、自分の病が癒されたよろこびにまして嬉しゅうございました、それより間もなく、長崎の妹の夫が、「母から行ってお願いすれば、どんな病気でも治るから」と勧められたと申して、自分の神経痛を治して戴きに参りました、勿論おかげ戴き、工合よくならせて戴きました。
母はメシヤ教に、心から感謝して居りました、併し如何に讃美しようとも、絶対に入信する勇気はありませんでした、一つには、 キリスト信者同士の世間体を思い、 厳しき宗門の掟にしばられ、身動きならず、正しい事、良い事-正しい宗教-霊肉共に救われる宗教とわかっていながら、それを蹴って起ち上る勇気のない母でした、或る時は、救世教を認めたその事丈でも背神の罪に日夜戦いている様な潜在意識に苦しんでいた様に見えました、
私は再び悶着致しました、此御道が救われる唯一のお道であり乍ら、年老いたる母をこれ以上心苦しさを抱かせるには忍びないという、人間的な気持も手伝って、遂に私は母に申しました、「お母様に是非入信せよとは申しません、唯メシヤ教は正しい宗教だと分ってもらえばよいのです、私がお道の為にすすませて戴くのを安心して見守ってもらえばよいのです」と、
それから静かな幾月か流れました、心からメシヤ教を礼讃してくれる母は、私に救世の御神業にしっかりお手伝いなさいと時折り励まして呉ていましたその母の足が、しばらく遠くなった様だと気がかりになっていた矢先「ハハキトク」の報に接し取るものも取り敢えず母の許に馳けつけました。
枕許に坐れば、未だ幾分心残りがあると見え、かぼそき声で、「お前の事は心配いらないねー」と本当におまかせしきった嬉しい言葉を残してくれました、唯クリスチャンなるが故に、母は一抹の心苦しさを胸に秘めていたのではないでししょうか、私はそれを思うと胸が一ぱいになりました、併しわざと元気に、「ああ心配いりませんとも、母と子と、仮令登る道は違うとも山の頂上にあえぎあえぎ登り着いた時は一緒じゃないの、安心して、心安らかに天国にいらっしゃいませ」となぐさめ、慰めの言葉をかければ、いともおだやかに微笑を浮べつつ、眠るが如く最後の息を引取りました、私は悲しみの涙にもまして嬉し涙のこみ上げて来るのを禁じ得ませんでした、私は母が籍は異教徒にありながら、神様の自由無碍の御力によって、天国へ救われたのをありありと見せて戴きました、明主様まことに有難うございました。
キリスト教信者なるが故に厳しい宗門の掟にしばられ、自己を欺瞞せねばならなかった母の心境、-これは唯私の母一人の問題ではないと存じます、法滅尽の世、世の終りに、既成宗教の信徒の方々が必ず一度はぶつかる大問題であり、又その様な方々を母にもつ、姉にもつ方々の経験せねばならない事だろうと存じます。
明主様、何卒信ずる事うすき母の霊を御救い賜ります様御願い申し上げます。
(栄光百二十一号 昭和二十六年九月十二日)