著述一覧(未発表)

未発表御論文

鰯の頭も信心とは 大いなる誤りである

昔から唱へられて来た「鰯の頭も信心から」と言ふ言葉がある。其言葉を一般の人は、真理であるかの様に思ってゐるのであるが、之は大変な誤りである。抑々人間が、信仰的信念を以て拝む場合、其本体即ち、的である処のものは、飽迄も崇高なる神格と、正しい第...
未発表御論文

寝言

宗教宗教といふが一体何処にあるんだ。仏耶を初め、宗教じゃない、宗教に似たものだ。言はば類似宗教だ。何故なればどれも之も、人類を救ふ力なんか、テンデありはしない。否、御自分達さへ救はれっこはないではないか。御本尊の釈尊でさへ仏法の真髄は真如と...
未発表御論文

三千世界の大清算 -世界最後の大審判はあるか?-

昔から、世の終りとか、最後の審判とか言ふ事が、聖書等にあるが、それを詳しく説いた者は、未だ無いやうである。私は斯事に就て、はっきりとは言へないが、まあ夢物語とでもして、あるとも言へるし、無いとも言へるといふ位の所で説いてみるのである。易者で...
未発表御論文

観音様に御願する態度

今迄の何か信仰してる、信者の信仰の仕方は、私から見れば大変間違ってゐるのである。特に神前に於て御祈願をする場合、そうである。例へば、何か願事をするのに、洵に諄々し過ぎるのである。泣くが如く、訴ふるが如く、肩を震はし、哀憐を、強ひて乞ふ如き態...
未発表御論文

私の信仰の経路

私の生れたのは、浅草橋場で浅草観音様の裏の方であって、明治前に私の曽祖父が武蔵屋喜左衛門といって、其の界隈での幅利きで橋場から五六丁離れた所の浅草町という所で質屋を営み、相当の財産家で義侠心に富み、今の町長位の資格であり、人を助けることが好...
未発表御論文

科学では説明出来ぬ「治病観音力」 医科大学総長・教授諸君並に医学専門家に斯文を呈す

絶対に薬剤を用ひない、器械を用ひない、暗示を与えない、信仰的でもない、精神療法でもない、病気が無いなどと思はせない、疑っても、信じないでも、難症がどしどし治ってゆく治病方法が発見されたのである。例えば、扁桃腺が一回で治り、盲腸炎が二回で治り...
未発表御論文

箆棒療法 (昭和十一年)

世には種々の療法があるが、誰も気が付かないで好い気になってやってゐる療法の中から、滑稽だと思ふのを書いてみよふ。一、虫下し。よく虫下しだといってセメンを服ませるが、チト変だ。腹の中へ建築する事か、 道路でも拵えるなら兎も角、病を治すといふの...
未発表御論文

脳溢血は絶対予防し得る

近時社会の名士とか有用な士で、漸く学問経験を経、真に意義ある目的と希望を実現しやふとする頃、惜しくも仆れて了ふ痛恨事である。之が原因として、最も多いのが脳溢血である。此病気は、其儘鬼籍に入るか、幸にして生命を得たとしても、例外なく中風に罹っ...
未発表御論文

何故、本療法を創めたか?

抑々、本療法の創成されたのはどういふ訳であるか。又、如何なる原理によって、驚くべき治病成績を挙げ得つつあるのであるか。之は、何人も知り度い筈である。唯然し此説明に当って、最も困難である事は、所謂科学的でない、といふ事である。否、科学的にも、...
未発表御論文

現代医療の大誤謬

現在進歩せりと誇称し、世人も亦そう信じてゐる医療なるものは、恐るべき程の大誤謬に陥ってゐる事である。それが為に病が治癒される所ではない。病は大いに悪化されてゐたら、それを治ると信じて行ってゐるとは、何と恐るべき事ではないか。 難症といふ程で...