光新聞

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宗教の合理性

宗教を批判するに当って、正しいか正しくないかを判別する基準として一番簡単な見方は合理性か非合理性かによるのが間違ひない。此点神憑り宗教は危険性がある。といって、神憑りはみんないけないといふのではない。今日ある大宗教の開祖などに神憑りの多いの...
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本教と著名人

本教信者には、社会各層の著名人は数多くあるが、それを利用する事を好まない。何となれば著名人の名を利用するといふ事は、その宗教の力が弱いからで、宗教自体に力があれば、そのやうな必要はないからである。(光新聞十九号 昭和二十四年七月二十三日)
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新時代の宗教

宗教にも他の文化と等しく、新旧のあるのはやむを得ないのである。新時代には宗教もそれに適合するものが発展するのは当然である。キリスト教は別だが今日古い宗教がともすれば時代の波にさらわれようとするのをそうされまいと足掻いてゐる事実を吾等は少から...
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恋愛と宗教

恋愛についてよく質問されるが、私は左のように答える。恋愛そのものは神が人間に与え給うた恩恵の最大なものである。又恋愛の終局は結婚であるといはれるが、之が本当である。故に恋愛には叡智と、自省を要する。世間に多くある、無軌道的恋愛の如きは邪道で...
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悪人を見別ける法

私は長い間、随分いろんな人に接近したが、先づ世渡りの必要上悪人か善人かを見別ける事が一番肝腎だと思った。而も近来は強請が非常に多く来るので特にそう思ふ。処が此強請連中にもそれぞれ特徴があるから面白い、それをかいてみよう。第一彼等は非常に口が...
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箱根清談

私が度々発表した箱根強羅に於ける地上天国の模型は、今や第一期完成に近づきつつある。此の模型を初めて見る人は何れも非常に愕くのである。否幾度も見た人と雖も暫く見ないうちに余りの変り方に眼を瞠らない者はないのである。千人近く入る早雲閣は殆んど完...
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昔の宗教と今の宗教

私が現在、救世の業を達成すべく簡単な宗教形式を用いているが、然しそれは今迄あった宗教形式とは余程の違いさがある。昔の開祖とか教祖とかいう人達は、弊衣粗食、生活は洵に質素簡略で、しかも修業のため深山に篭り、水を浴び経文三昧に、所謂難行苦行を重...
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之を何と見る

曩に栄養の喜劇といふ論文をかいたが、未だ言ひ足りない点があるから追加としてかいてみるが、私が先年日本アルプスへ登山した時の事である。昼の弁当を食ふ時、山案内人夫の弁当を見て驚いた、白い飯ばかりで菜が見えない。私は「君の弁当は菜がないのか」と...
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寸言

腐敗する処必ず黴菌が発生するとすれば、国民が腐敗するから社会悪が発生する。狡い人間が殖えるから盗人が生れる-という理屈は原因があるから結果があるという事になる。処が、結果のみを防ぐ事に一生懸命で、原因をそのままにしてゐる処に、無智があるんだ...
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お蔭話を読んで

本教発行の光新聞並びに雑誌地上天国には満載し切れない程のお蔭話があり、すでに発表したものは今日迄数百に上っており、今も毎日続々と報告してくる。一々読む毎にその感謝感激の溢るる心情には泪なきを得ないのである。之程大きな救いは曽てなかったであろ...