之を何と見る

曩に栄養の喜劇といふ論文をかいたが、未だ言ひ足りない点があるから追加としてかいてみるが、私が先年日本アルプスへ登山した時の事である。昼の弁当を食ふ時、山案内人夫の弁当を見て驚いた、白い飯ばかりで菜が見えない。私は「君の弁当は菜がないのか」と訊くと、彼曰く「ヘイありません、之で結構うまいです」と言ふ。私は見兼ねて「何か缶詰か何かの菜を上げようか」と言ふと「それなら砂糖を頂きます」といふので、砂糖を若干与えた処、彼は喜んで飯へかけて食ったのである。此事実に就て驚かない現代人は恐らくあるまい。といふのは飯ばかり食ってゐて毎日十貫以上の荷物を背負ひアルプスの険路を上り下りするのであるから、栄養学者は何といふであらうか聞きたいものである。何故ならば今日の栄養学に於ては、重なる栄養は菜にあるように言ってゐるからである。

又今日混食をいいとしてゐるが、之も可笑しいと思ふ。彼の満洲苦力の体力旺盛な点に於ては世界的に知られている。処が彼等は朝昼晩とも高梁製のパンのみであるというから極端な単食である。とすれば現在の栄養学は事実と反対になるという訳で、之も栄養学者の一考を要する処である。此理由は私から言えば斯うである。それは単食の場合、栄養機能の神秘力は必要だけの多種栄養素に変化生産するのである。

次に、栄養の喜劇中にも述べた如く栄養学で唱える栄養分とは実は反対である。というのは所謂栄養分が多過ぎる結果、体内の栄養生産機能の活動が鈍化するから、体力は衰え早く老衰するのである。此点に鑑み、私は九十歳を超えたら極端な粗食をなし、長生きをしようと思っている。という訳は粗食であればある程栄養生産機能は活溌な活動をしなければ、生を営むだけの必要栄養分が摂り得ない。栄養機能の活溌になる事は、とりも直さず若返る事である。之に就て種々の例を挙げてみよう。

私は十七八歳の頃、肺結核を患い故入沢達吉医博から見放された事があった。其際死の覚悟を以て私は或事によってヒントを得たる絶対菜食を行ったのである。処が意外、病勢一変しメキメキと体力が復活し菜食三ヶ月にして病気以前より健康になったのである。その事あって以来、私は栄養学の全然誤謬である事を知ったのである。その後、私の血族の肺患二人まで、菜食療法で完全に治癒した事があった。勿論その頃は無信仰者であったから、ただ菜食だけで治った事は勿論である。

昔から、仙人といふ言葉があるが、之は嘘ではない。全く在った事は、事実である。之から雑誌「地上天国」に於て、続き物として出す「寅吉物語」及び「秋葉三尺坊」の記録をみれば、信じない訳にはゆくまい。又現在生きてゐる、後藤道明氏とその師である瑞慶仙人の記録をみても肯き得られるのである。

仙人の本場は、何といっても朝鮮であらう。一体仙人になる修業はどうするのかといふと、食物は松葉を細かく刻み蕎麦粉と練り合はし生のままかなり大きい饅頭にしたものを最初は一日三つ食ふのである。慣れるに従って一日二個となり、ついに一個となるが、それからが大変である。といふのは、何にも食はず水ばかりで生きてゆくのである。茲で大抵の人は落第するそうであるが、及第すれば真の仙人となるのである。昔から仙人は霞を食って生きてるといふが、満更、嘘ではないのである。そうして或本で仙人の年齢をみた事があるが、一番長生きが八百歳次が六百何十歳、段々下って三百歳位はザラにある事がかいてあった。

この人間の寿命に就て、私は竹内宿弥の家系をみた事があるが、之は確実なもので今も竹内家に保存されてゐるから信をおけるのである。竹内家で一番の長生きは、三百四十九歳であって、三百二三十歳が二三人あり、竹内宿弥の三百六つは、確か四番目か五番目であった。それが漸次早死となり、徳川末期頃は、大抵百二三十歳になってしまったが、明治に入ると更に短くなり、九十歳台、八十歳台になってしまった。最早、今日は普通人と同様である。右のように段々短命になったといふ事は何か理由がなくてはならないと思ふが私の考えでは、斯ういふ事の為ではないかと思ふ。それは、竹内家代々の遺言の中に、石楠花の葉を煎じて服めといふ事が出てゐる。之は勿論、長生きの為と思ってであらうが、実は之が短命の原因になったのではないかと思ふのである。

先年、ブルガリヤで死んだ、世界最高の長寿者として有名であった百五十六歳の老爺があったが、之に就て面白い話がある。此長寿者の死去によって非常に歎いた婦人があった。それは、年は百二十歳といふ老婆で、何の為に悲しんだかといふと右の百五十六歳の老爺と若い頃相愛の仲だったそうで、何かの事情で夫婦になれなかった為に今日迄、忘れ得なかったといふ訳で、歎いた理由が判ったといふ事である。そうして百五十六歳の老爺は、死の少し前十一人目の妻君をもらう話があったといふのだから、唖然として想像がつかない程である。

次に仙人の話に戻るが、仙人になると非常に身が軽く、山野を獣の如く馳駆するそうであるが、此点私は首肯され得る。何故なれば私が、菜食三ヶ月の終り頃は、非常に身体が軽く、よく試しに屋根から飛降りたものである。何しろ高い所へ登っても不思議に恐怖を感じない。併も身体が非常に軽く、根気がよくなり、耐久力が増加し、事に当って飽きるといふ事を知らない位で、全く菜食は非常に良いと判ったがただ一つ欠点ともいふべきは、物質的欲望が非常に薄くなった事である。その代り怒る事も嫌ひになり、凡てに諦めがよく、いはば無抵抗的性格になるといふ訳で、全く仙人を想像され得らるるのである。

以上長々と、栄養に就ていろいろの例を挙げて述べたが、要するに、栄養は野菜にあるといふ事で、それを教える目的から此文をかいたのである。

(光新聞十七号 昭和二十四年七月九日)