第二節、主神の御経綸について

 しかし、こうした悪の存在も、実は主神の側から見れば夜の時代には必要であったのだと明主様は説いておられます。このことは普通一般であれば仲々理解し難いことです。幸いにして「日本医術・浄霊」を通して霊の存在を知った私達は、この偉大な光の本源である主神のプログラムすなわち御経綸についても学んでおく必要があります。また、そうすることによって御経綸上、「日本医術・浄霊」出現の必然性が分かってまいります。

『抑々此世界を天国化するに就ては、一つの根本条件がある。それは何かといふと、現在大部分の人類が心中深く蔵されてゐる悪の追放である。それに就て不可解な事には、一般人の常識からいっても悪を不可とし、悪に触れる事を避けるのは勿論、倫理、道徳等を作って悪を戒め、教育も之を主眼としてをり、宗教に於ても善を勧め、悪を排斥してゐる。
 其他社会何れの方面を見ても、親が子を、夫は妻を、妻は夫を、主人は部下の悪を咎め戒めてゐる。法律も亦刑罰を以て悪を犯さぬやうにしてゐる等、之程の努力を払ってゐるに拘はらず、事実世界は善人より悪人の方が多く、厳密に言へば十人中九人迄が、大なり小なりの悪人で、善人は一人あるかなしかといふのが現実であらう』
               (文明の創造 「天国建設の順序と悪の追放」より)

 そうして、悪人の種類を幾つかに分類しています。

『単に悪人といっても、それには大中小様々な種類がある。例へば一は心からの悪、即ち意識的に行ふ悪、二は不知不識無意識に行ふ悪、三は無智故の悪、四は悪を善と信じて行ふ悪等である。之等に就て簡単に説明してみると斯うであらう。一は論外で説明の要はないが、二は一番多い一般的のものであり、三は民族的には野蛮人、個人的には白痴、狂人、児童等であるから問題とはならないが、四に至っては悪を善と信じて行ふ以上正々堂々として而も熱烈であるから、其害毒も大きい訳である』
               (文明の創造 「天国建設の順序と悪の追放」より)

 こうした種々の悪が存在し、善との闘争が続いてきたのが人類の歴史でした。強者が弱者を苦しめ、略奪や殺人を犯し、大きくは戦争の発生となり数え切れないほどの人間が悲壮な死に追いやられ、不幸な人生を余儀なくされました。一方弱者はそれを防止しようとして様々な防御法を考えました。それが武器の製造であり、また陸海空の交通手段の発達をはじめとした物質面の進歩発展でした。集団的にも個人的にもあらゆる工夫を凝らしました。そうして結果的に人智の発達となり、文化の進歩となってきたのです。

『そこで之から其根本義を開示してみるが、実は現在迄の世界に於ては悪の存在が必要であったので、此事こそ今日迄の世界の謎でしかなかったのである。そうして悪の中で最も人間の脅威とされてゐたものは、何といっても生命の問題としての戦争と病気の二大災厄であらう。そこで先づ戦争からかいてみるが、戦争が多数の人命を奪ひ、悲惨極まるものであるのは今更言う迄もないが、此災厄から免れやうとして、人間はあらん限りの智能を絞り努力を払って来た事によって、思ひもつかない文化の発達は促進されたのである。見よ勝った国でも負けた国でも、戦争後の目覚ましい発展振りは如何なる国でも例外はあるまい。(中略)

 そのやうにして戦争と平和は糾える縄の如くにして、一歩一歩進んで来たのが現在迄の文化の推移である。之が又社会事情にも人間の運命にも共通してゐる処に面白味がある。之によって之をみれば善悪の摩擦相剋こそ、実は進歩の段階である。

 斯うみてくると、今日迄は悪も大きな役割をして来た訳になる。といっても悪の期間は無限ではなく限度がある。それは世界の主宰者たる主神の意図であり、哲学的に言へば絶対者とそうして宇宙意志である。即ちキリストが予言された世界の終末であり、そうして次に来るべき時代こそ、人類待望の天国世界であり、病貧争絶無の真善美の世界、ミロクの世等名は異るが意味は一つで、帰する処善の勝った世界である。此様な素晴しい世界を作るとしたら、それ相応の準備が必要である。準備とは精神物質共に、右の世界を形成するに足るだけの条件の揃ふ事である。処が神は其順序として物質面を先にされたのである。といふのは精神面の方は時を要せず、一挙に引上げられるからで、それに反し物質面の方はそう容易ではない。非常に歳月を要すると共に、其為には何よりも神の実在を無視させる事である。之によって人間の想念は自然物質面に向く。茲に無神論が生れたのである。故に無神論こそ実は悪を作る為の必要な思想であったのである』
               (文明の創造 「天国建設の順序と悪の追放」より)

 長い人類の歴史の中で、見えざるものは信じないという思想が物質文化の発達上、必要があって生まれ、現在まで存続してきたわけです。苦悩にあえがざるを得なかった人間の宿命ともいうべきものであったのです。しかし、時ここに到り、夜と昼の大転換の時代を迎えたのです。

『以上によって善悪に就ての根本義は大体分ったであらうが、愈々茲に悪追放の時が来たので、それは善悪切替の境目であるから、悪にとっては容易ならぬ事態となったのである。右は臆測でも希望でも推理でもない。世界経綸の神のプログラムの現はれであるから、信ずると信ぜざるとに拘はらず、右は人類の決定的運命であって、悪の輪止りであり、悪が自由にして来た文化は、一転して善の手に帰する事となり、茲に地上天国樹立の段階に入ったのである』
               (文明の創造 「天国建設の順序と悪の追放」より)