第三節、悪心の起こる根本原因について

 このように現在まで必要であった悪が、いよいよ不必要になったのですが、その悪について『そう容易く追放される訳にはゆかないが、それに就ての神の経綸は寔に幽玄微妙なるものがある』と、前置きされながら宇宙の構成に言及され、何故悪の心が人間に起こるのかということについて解説されています。

 宇宙の構成については総論一(II)で採り上げましたが、ここで簡単に繰り返しておきましょう。

『言う迄もなく宇宙の中心には太陽、月球、地球の三塊が浮在してゐる。そこで此三塊の元素を説明してみると、太陽は火素、月球は水素、地球は窒素といふやうになってをり、此三元素は勿論各々の特質を有ち、夫々の本能を発揮してゐるが、右の中の火素、水素の二精気が密合して大気となり、地球を囲繞しつつ、一切万有の生成化育を営んでゐる』
                    (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

 そして、これら三元素の地球上における流動密合状態についてはさらに次のようにおっしゃっています。

『地球上のあり方であるが、之は陰と陽に別けられてゐる。即ち陽は火の精、陰は水の精であって、火は経に燃え、水は緯に流れてをり、此経緯が綾状となって運動してゐる。此状態こそ想像もつかない程の超微粒線の交錯であって地上或程度の高さに迄達してをり、之が空気の層であり、大気でもある。右の如く陽と陰との本質が具体化して、火水、熱冷、昼夜、明暗、霊体、男女等々に表はれてゐるのである。又之を善悪に分ければ陽は霊で善であり、陰は体で悪である。此意味に於て善も悪も対照的のものであって、之が大自然の基本的様相である』
                    (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

 人間は霊と体とから成立していることは既にお分かりのことですが、その霊こそが人間の本体です。そこに何故悪が芽生えるのかということについて、以上のような前提を踏まえながら、善悪の心の問題を掘り下げておられます。

 人間がこの世に生を享けるということは、霊的に言えば神の分霊としての魂が宿るということを意味しました。そして他の二つの魂、すなわち祖霊中から選抜された正守護神と動物霊である副守護神との関係ができるということについても、第三章で学びました。悪の心の発生は、実は人間自身が作り出してしまう罪穢や体内に入れる異物のために生じる霊的曇りと、目に見えない存在である霊、主として動物霊との関係に起因しています。つまり、霊の曇りの多いほど悪霊が憑きやすいのです。

『一体副霊とは何の霊かといふと、日本人は男性にあっては天狗、蛇、狸、馬、犬、鳥類等の死霊が主で、其他種々の霊もあり、女性にあっては狐、蛇、猫、鳥類等の死霊が主で、他にも色々な霊があり、又此副守護霊以外臨時に憑く霊もある。斯んな事をいふと現代人は馬鹿々々しくて到底信じられまいが、之は一点の誤りなき真実であって、之が信じられないのは其人は唯物迷信の為であるから此迷信を一擲すれば直に判るのである。何よりも人間は其憑いてゐる動物霊の性質がよく表はれてゐるもので、注意すれば何人にも分る筈である。

 右の如く臨時に憑く霊も、殆んどは動物霊であって、偶には人間の死霊もあり、極く稀には生霊もある。では臨時霊が憑く理由は何かといふと、言う迄もなく其人の霊の清濁によるので、曇りの多い程悪霊が憑き易く、又元からの副霊の力も増すから、どうしても悪い事をするやうになる。此理によって現代人の大部分は霊が曇り切ってゐるから、悪霊が憑き易く活動し易い為、犯罪が増へるのである。(中略)此理によってより良き社会を実現するには、清い魂の持主を増やす外に道はないのである』
                    (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

『そうして本来魂なるものは一種の発光体であって、動物霊は此光を最も怖れるのである。処が現代人の殆んどは魂が曇ってをり、動物霊といふ御客様は洵に入りいいやうになってゐるから、忽ち人間は躍らせられるので、百鬼夜行の社会状態になってゐるのも当然である』                 (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

『悪の発生原は霊に発生した曇りであり、此曇りに元から憑依してゐた動物霊と、後から憑依した動物霊と相俟って、人間は動物的行為をさせられる。それが悪の行為である。早く言えば霊の曇り即悪である以上、悪を撲滅するには霊の曇りの解消である事は言う迄もない』                (文明の創造 総篇「悪の発生と病」より)

 以上が明主様によって解明された善悪の根本義です。私達の日常生活に障害を及ぼし、社会不安を巻き起こしている様々な不幸の根本原因は、私達の霊に生ずる曇りにあるわけです。この原因を解消しない限り、どんな対策を講じてもそれは病気に対する対症療法のように、一時的には良くなったように見えても根本的解決には至らないのです。人間であれば誰もが抱いている幸福になりたいという願いが、様々な社会的あるいは個人的努力にも関わらず仲々成就しないという理由はここにあります。

『以上の如く主神は正神と邪神とを対立させ闘争させつつ文化を進めて来たのであるが、其結果遂に邪神の方が九分九厘迄勝ったのが現在であって、茲に主神は愈々一厘の力を顕現され、彼等の大計画を一挙に転覆させ給ふ、之が九分九厘と一厘の闘ひであって、今や其一歩手前に迄来たのである。従って此真相を把握されたとしたら、何人と雖も飜然と目覚めない訳にはゆかないであらう』
                    (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

『喜ぶべし茲に最高神は顕現され給ふたのである』
                    (文明の創造 総篇「悪と守護霊」より)

 火素を主とする幽玄霊妙な神秘光線で霊的曇りを焼尽し、心身の病を癒しながら、しかも知らず識らずのうちに魂本来の輝きを復活させて霊的向上が許されていくという「日本医術・浄霊」の偉大な力は、まさに最高神から発現されているものなのです。その尊い御光が、主神の御経綸上、悪を輪止まりにすべく、神人合一としての明主様を通じて、激動の昭和の時代に現れたのです。浄霊の研究を通して、こうした主神の御経綸の中に位置づけられる「日本医術・浄霊」の意義を理解していかねばなりません。そうすることによって、霊肉共に健康な人間づくりに込められた明主様の尊い願いと、この「日本医術・浄霊」が真の文明世界建設の核心であるとおっしゃったことに対する確信がより強固なものになってくるのです。それはまた、明主様と私達との霊線がより太くなり、より強い霊力をいただけることにもつながっていくのです。