第五節、幽幻力について

 さてここで、霊子の世界のさらにまた奥の幽幻界についても採り上げておきましょう。私達には全く想像もつかないような言説ですが、幽幻界は最尊最貴の神霊が活動している世界であり、「日本医術・浄霊」はそこから発揮される幽幻力の一部を利用しているのであると明主様は説いておられます。「日本医術・浄霊」による数々の驚くべき奇蹟はこの力の結果なのです。

『最近に於ける無線科学の進歩は、電波、光波、音波等の躍進となり、今現に各国とも盛んに応用されつつ、戦力にまで至大関係を持つに至ってゐる。然し乍ら私の解釈によれば右は霊科学に於ける体の面である事である。

 即ち霊に於ても、その霊と体との二面があつて、人間の五感によって知り得る範囲は、霊の体の面に属するのである。然るに私の今爰に述べんとする所のものは霊の霊であつて、五感に触るる能はざるもの、即ち見えざる光、無声の声、捉へる事の出来ない電波である。

 右の如く無にして無に非ざる存在、私は仮に名付けて霊電波又は幽幻力といはふ。この幽幻力に於ての原素の活動こそ、凡ゆる力の本源であつて、その中心としての主動力こそ宇宙意志であり、之によつて戦争も起り、平和も来すのである。勿論無限大から無極微に至るまでの森羅万象一切の変転流動の根源のそれである。

 故に、一切の活動の根源が幽幻力であつて此幽幻力こそ『絶対無限の力』そのものである。然るに今日迄の人間は、力といへば物質力即ち唯物的力を強大と信じて来たのであるが、それは凡て逆の観方であつた事に気附かなければならない。何となれば、物質力は如何なるものと雖も限度がある。例へば、火と水の力によつて発生する動力と雖も、何馬力といふ限定線があつて、それ以上は許されないのである。限度を超ゆる時、それは機関の爆発といふ危険があるからである。然るに、近代科学は前述の如く、一歩霊の体の面にまで進んで来たといふ理由によつて、物質力の限度を破つて、無限とさへ見らるゝのであるが、実は之等も機械力によつて捕捉する事も出来、又抵抗力の発現も可能であるといふによって鑑ても、無限力とは言ひ得ないのである。

 然るに、私の言ふ幽幻界に於て発生する処の無に等しい幽幻力こそ、之は絶対であり、無限であり、万有の創造力でもある。従而、この幽幻力の発揮こそ、科学に非ざる科学であるといへよう。私は此力の存在の発見と利用によつてのみ、初めて理想的なる人類文化の建設さるる事を信ずるのである。

 此意味に於て力の強弱を測定する場合、物質は最も弱く、非物質であればある程その強度を増す事で、勿論之が宇宙の原則である。

 そうして私の創成した此医術の原理こそ、右の幽幻力の一部の利用である事を告げたいのである』                (明日の医術 第三篇「総結論」より)

 この幽幻力の発揮に当たっては、人間の魂こそが鍵を握っており、そこから湧起する想念のあり方や人間によって表現される文字、言葉、絵画等が重要であることを次のように解説されています。

『幽幻力は霊である以上、如何なる精巧な機械と雖もその発生は不可能である。独り人間の霊力即ち魂から発生する訳であるから人体こそ洵に神秘霊妙なる存在である。然るに今日迄の人間は機械の発達にあまりに幻惑された結果として物によつてのみ一切を解決なし得ると思惟した為、人間に潜在する処の超物質的力に気づかなかつたといふのが真相である。(中略)

 但し、此幽幻力発揮に当って心得べき事は、私利私欲の如き不純なる観念が、些かにても混るとすれば、それは効果がない事である。飽く迄その目的が、国家社会人類の為である正義感、之を一言にしていへば至誠によらなければならない事である。(中略)

 文字と言葉とは、吾々人類社会にとつて如何に大きな作用をなしつつあるかといふ事を考へなくてはならない。(中略)右に述べた処の幽幻力即ち幽幻的に動かし得る文字も言葉もあり得る筈である。故に、幽幻力発揮の方法として、私は文字と言葉を使用したり、又は絵画を使用する場合もあり、意念を用ふる時もあるのである』
                     (明日の医術 第三篇「総結論」より)

“私の書いた文字は生きて働く”とおっしゃり、数多くのご揮毫と絵画を描かれたのも実はこうした深い意味あいがあったわけです。また「光」のお文字については総論一で学びましたが、ここで改めてその神秘霊妙なお働きに思いをいたし、明主様を中心にした浄霊に取り組みながら研究する中で、そのお力を事実を通して実感していくことが大切です。その無限絶対の力の背景には、以上述べてきましたようにスケールの大きい、大変奥深いものがあるということを理解しておかねばなりません。

 このように、「日本医術・浄霊」において説かれる神霊科学こそ二十一世紀の最高の科学であり、また最高の宗教原理でもあり、宗教にして宗教にあらず、科学にして科学ではない、二十一世紀の文明を築くためのものなのです。