第一節、「日本医術・浄霊」は神霊科学療法

この神霊科学の意味するものは、宗教であって、宗教ではない、科学であって科学の領域に止まらない、その両者を踏まえたもので、これによって人類に真の健康と生命の安全をもたらす二十一世紀の科学であると言えます。「日本医術・浄霊」はこの神霊科学を基にして創成されたものであり、今までにない科学であることを念頭に入れておく必要があります。

『私は史上何人も知り得なかった万有の真理を会得したと共に、実験科学的にその実証を示す力をも与えられたのである』 
(栄光二二二号「超科学」より)

ではまず、見真実の境地に立たれた明主様の視点から見た、現在の科学の状況とその将来についてみてみましょう。

『いつもいう通り、現代科学はまだまだ低く、科学という程には到っていないからである。それを今詳しくかいてみるが、先ず今日科学の重点となっているのは、何といっても粒子の発見とその究明であり、これも顕微鏡の進歩によるのは勿論だが、その結果微粒子把握の進歩は驚くべきもので、何千、何万、何百万分の一という様に止まる処を知らない進歩であって、極微の極致までも捕える事が出来、将に無限界に迄突入せんとしている現在である。最近唱え出した精という言葉はこの無限界を指したものであろう。勿論この無限界を知り得たのは、科学的操作の為ではなく、科学理論を究明の結果、推理による仮定説であって、そうしなければ突当ってどうにもならないからである。処がこれこそ私の唱える霊の世界であるから、科学も漸く此処にまで来た訳で、正直にいって長い間霊を否定し続けて来た科学も、遂に敗北した訳である』
(神示の健康「私は宗教科学者だ」より)

『それはそれとして、右の如くこの精なるものこそ霊であり、気であってみれば、これを確実に把握出来たとしたら、ここに科学は一躍高度の地位に上ると共に、真理探究の学問の理想に一歩前進した訳である。併しそうなると科学は霊を対象とする以上、今までの如き物を対象とした考え方は前期的科学となり、霊のそれは後期科学として世界の舞台に登場する事になるから、ここに科学は百八十度の転換となり、宗教と一致せざるを得ないことになる』 
(神示の健康「私は宗教科学者だ」より)

明主様が“宗教と科学はひとつになる”と言われる理論というのは、現在まで発展し続けてきた唯物文化の次に来るべき、物質のみでなく目に見えない霊の存在をも認め、一方に偏らず両者が調和することによって実現する文明世界であるということを指しています。つまり神霊科学というのは、転換期を迎えている現代文明が新しい世界を切り拓く際の文明転換のキーワードとなるということであり、近い将来、霊科学の時代に入っていくということを意味しています。

霊科学の分野は、目前に迫ってきている二十一世紀の究明すべき大きな課題であるわけですが、それを応用し活用していくことについて明主様は、『霊の世界を把握しただけでは何にもならない。どうしてもその本質を把握し、人類に役立たせなければならないが、困ることには物の科学では方法があり得ない。どうしても霊には霊を以てするより外はないのである』(神示の健康「私は宗教科学者だ」より)と述べておられます。

そしてその具体的方法としての、人間に真の健康をもたらす「日本医術・浄霊」について次のように解説されています。

『即ち霊を以て霊の問題を解決している。言うまでもなく病気治療がそれであって、今ザッと説明してみると、一切の病原は患者の霊に溜積した不純物であるから、それを解消すれば治るに決っている。それは霊主体従の法則によるからである。その方法として霊的原子爆弾ともいうべき特殊の霊を放射し、不純物を焼尽する。この方法が浄霊という高度の科学操作であって、然もこれは医学のみではない、凡ゆる科学でも宗教でも不可能とされていたものも解決出来るのであるから、これこそ超科学でなくて何であろう』
(神示の健康「私は宗教科学者だ」より)

『我救世教に於ては、現在世界に類例のない程の治病の力を以て、現に多数の不幸な人々を救いつつあり、本教信者になった者は無論健康人となり、犯罪は出来なくなるし、戦争と雖も絶滅する力を有っている。それを如実に示すべく現在事実を以て示しつつあるのである。いずれは世界の視聴を集めるのは勿論であり、この力こそ今日まで地球の上に出現したことのないものであって、これこそ標題の如く科学と宗教以上のものである。しかも科学も宗教も一部のものとして包含されており、事物によって利用しているのである。以上の如くであるから、我救世教は現在の智識では到底理解出来ない程の神秘偉大なるものであって、強いて名をつければ救世力といってもよかろう』
(栄光一九七号「科学と宗教以上のもの」より)

『飽迄科学を以て自認し、科学として世に問はんとするのである。即ち未来の科学、最先端科学として、日本人によって創始せる世界的医術たらしめん事を期するものである』
(明日の医術 第三篇「霊的医術」より)

このように、「日本医術・浄霊」は既成宗教的枠組みではとても捉えきれない内容を持つものであり、その意味において、この浄霊をして“最高の宗教原理である”とも説かれ、同時に“超科学”であるともおっしゃっているわけです。