現在私達は『大光明真神』を御神体として奉斎申し上げておりますが、明主様ご自身は御神体をご奉斎しそれを祈るということはありませんでした。前節で学んでまいりましたが、明主様は、全く神と人が一体に合一された境地に立たれて、救いの業を展開されていかれました。明主様の御肉体に「光の玉」が鎮まられ、最高位の神格を持たれましたが、そこから発揮される神力は、人類史上未だかつて一度も現れたことのないものでした。明主様は、病気の根本原因である霊の曇りを浄める神力を誰にでも無限に与えられ、そのことはまさにメシヤの証と言えるものです。
『翻って考うるに、救世主出現は単なる人類の理想と極める事も出来得まい。何となればキリストの再臨も、メシヤの降臨も、ミロクの下生も、往昔の聖者が予言しているに於ておやである。故に、何時かは出現の可能性がある事を信じない訳にはゆかないのである。之から私の心理描写にとりかかるのであるが、私は救世主の第一条件として以前から考えていた事は、何よりも先ず人間の病気を解決する事であって、人間の健康を完うし天寿を得させるという事の絶対的方法を授けると共に、それへ具体化する力を有する-その資格こそ救世主としての最大要素であらねばならない』
(神示の健康「救世主は誰だ」より)
『故に吾等が今現に行いつつある仕事は、実をいえば宗教とはいえない。何となれば宗教といえば、兎角既成宗教を連想し勝であるからで、本教の実態を把握しようとする場合、寧ろ邪魔にさえなる。即ち本当をいえば、前例のない大なる救いの業である。世界の大転換期に当って、此大きな救いが出なければ人類の危機を免れる事は困難であるからである。随而神は私をして此大偉業の遂行者として選ばれ給うたのである。私は自分はメシヤだとは敢ていわないが、将来メシヤ的力を神が私をして発揮せしめられるであらう事は今日言い得るのである』
(神示の健康「事実は雄弁なり」より)
『茲で私という者の使命を説明してみれば、右の意味が一層ハッキリ分ると思う。今私の行りつつある仕事の中心としては浄霊の業である。之は信者は知りすぎている位であるが、私がかいた一枚の紙を御守として懐へ入れるや、医師の見離した重難病でも全治させ得る力が与えられる。そうして此御守は今日迄何十万枚出したか分らない程で、然し何程増えても其力には変りはない。而も病気ばかりではなく、精神が改善され、人格が高まり、又危機一髪の危難が救われる等々、日々数限りのない奇蹟によって、歓喜の生活者が増えつつある不思議さで、此力こそ御守から発揮される力であって、私は敢て誇るつもりはないが、事実は飽迄事実であってみれば発表しても差支えあるまい。此様な絶大な力を行使した者は歴史上一人もない事は今更言う迄もあるまい』
(神示の健康「絶対力」より)
『としたら此力こそ経と緯を結んで生れた力であって、此力こそ仏教的にいえば観音力であり、妙智力であり、基督教的にいえばメシヤの力である』
(神示の健康「絶対力」より)
こうした救世主(メシヤ)としてのお働きをされる明主様がお持ちになっている光の玉、最高最貴の神霊の宿っている光の玉から私達が拝授している「おひかり」のお文字に、霊線を通じて霊的光が伝達され、それが浄霊力となって発現しているのです。浄霊による奇蹟は、日本は言うに及ばず世界各地で数限りなく起きており、浄霊体験集「岡田茂吉と現代における健康と病い」に掲載されている事例はそのほんの一例であると言えます。
さらに、明主様はご自身の光について次のようにもおっしゃっています。
『私と昼の世界との関係を一層徹底してみると斯ういう事になる。即ち私には光明の玉、昔から言われている如意宝珠が体内に宿っている。此事は以前にも発表したが、茲では光に就て詳しくかいてみよう。元来光とは太陽そのもののように思うであろうが、そうではない。本当は太陽と月との密合したものである』
(神示の健康「私の光」より)
『私にある光の力は非常に大きいもので、普通人の何万倍か何百万倍か、或いは無限大かも分らない程で、殆ど想像を絶するといってもよかろう。何となれば私が今毎日のようにかいている御守の文字である。光、光明、大光明の三種であるが、之を懐へ入れるや即座に人の病気を治し得る力を発揮される。此力こそ御守の文字から放射される光の為である』 (神示の健康「私の光」より)
『処が私は其御守の文字をかく場合、祈りもせず何等変った事は行らない。只一枚宛頗るスピードにかく。先ず一枚かくのに七秒平均であるから、一時間に五百枚は楽である。其一枚の紙で何万人もの病気を治せるとしたら、今後何万、何十万の人間に与えても効果は同様である。とすれば私が有っている光の力は略想像がつくであろう』
(神示の健康「私の光」より)
『又遠方の人で病苦に悩んでいる場合、よく電報などで御守護を頼んでくるが、それだけでお蔭を貰う人も沢山ある。それは私の耳に入るや、一瞬にして光の一部が分裂して其人に繋がる。之によって霊線を通じてお蔭を頂くのである。此様に光は何万倍にも、どんなに遠くても放射され、連繋されるのだから重宝である。一層判り易くいえば、私から放射されるものは、言わば光の弾丸である』
(神示の健康「私の光」より)
この章では明主様のメシヤとしてのお働きについて学んでまいりました。明主様が見真実の境地に立たれてからすでに半世紀以上が過ぎ、いよいよ天運循環して夜昼転換の様相を如実に示す事態が明らかになりつつあります。それは環境問題や健康問題をはじめとして、世界の動向の中にも読み取ることができます。時の進展と共に私達が自覚していかねばならないのは、良い意味での霊感の働く境地といった、高いものが要求される段階に来ているということです。「日本医術・浄霊」を通して、明主様によって示された目に見えない世界を求め、探究していっていただきたいと思います。
明主様に心を向け、明主様ご自身が神様はあるのか無いのか、神様があるということになればその神様に対して一体自分はどうなのかと問いかけられたそのご足跡に学びながら、「日本医術・浄霊」を通して目の前に現れる事実に対して虚心坦懐となって、真理を自らのものとして体得していくという姿勢こそが、思想性のある、正しい浄霊観を身につけていく上で大切でありましょう。