第三節、「見真実」に基づく真理の開示

 そして大正十五年に大正天皇が崩御され、年号が昭和と改まった頃のことですが、明主様は神からの一大啓示をお受けになりました。この時の様子については次のようにおっしゃっています。

『昭和元年十二月或夜十二時頃、未だ嘗て経験した事のない不思議な感じが心に起こった。それは何ともいえない壮快感を催すと共に、何かしら喋舌らずには居られない気がする。止めようとしても止められない、口を突いて出てくる力はどうしようもない。止むなく出るがままに任せた処、「紙と筆を用意しろ。」といふ言葉が最初であった。私は家内にそうさせた処、それから滾々と尽きぬ言葉は思ひもよらない事ばかりである』
                  (自観叢書 第四篇「入信後の神憑り」より)

 その内容は、原始時代ともいうべき五十万年前から七千年前にいたる日本の創成記にはじまって、現在、未来にまでおよび、一切を司る神の意図を明示するもので、容易には信じることのできない内容であったのです。その中には皇室に関することや、ご自身と神様とのご経綸上の関わり、第二次世界大戦で日本が敗れるということも説かれていたということです。特に、将来の世界の実相についてしたためたのが『二十一世紀』というご論文ですが、昭和の初めに、そうした様相を見通し得たということは、この啓示の奥深さの一端を明かすものと言えましょう。

 この啓示を境にして、それまで書物を中心に続けられてきた神霊の探究から、霊的な力によって人々の悩みを救い、幸福へと導く、救いの業の在り方、すなわち具体的救済法の確立という方向へと進展していきました。当時を振り返って、明主様は、
『当時私の生活は奇蹟の連続であった。疑えば疑ふ程その疑ひを解かざるを得ない奇蹟が現はれる』                   (信仰雑話「神は在るか」より)
とお話になっていますが、その徹底した研究を通して“神様、仏様はこの世にあるということを奇蹟をもって私は神様から知らされた。いろんな疑問を投げかけると神様は奇蹟で応えられる。奇蹟によって私は神も仏もあるということを感得した”、“目に見える現象の世界が全てではない。目に見えない霊界が厳然として存在するということも分かった。人間の霊魂が存在するということを心から信じられるようになった。また、病気と霊が大変な関わりがあるということも発見した”ということをおっしゃっています。こうして、次々と真理を解明されていかれたのです。

『偉大なる何物かが私を自由自在に操り、一歩々々神の世界の実在を、奇蹟を以て会得させた事で、其際込上げて来る歓喜をどうする事も出来なかった程である。此気持たるや幽幻至妙言葉では現はせない心境であった。而も相変らず奇蹟続出で、興味津々たるものがあった。一日の内に何度心が躍ったかは分らない』
                       (御教え集「私は神か人か」より)
とその頃の心境を述懐されています。

『人生観は百八十度の転換をなし、人は神仏の加護を受ける事と“霊の実在を知らなければ空虚な人間でしかない”事を覚ったのである。また道徳を説くに当っても“霊の実在を認識させなければ無益の説法でしかない”事も知り得たのである』
                       (天国の礎「神仏はあるか」より)

 大正末期から昭和の初めにかけての数々の神秘な出来事をご体験される中、明主様は、ご自身のお腹の中に「光の玉」が宿ったことを覚られました。

『一体私という人間は、何の理由によって此世の中に生れたかであるが、私の前半生は平凡なものであった。然し一度宗教人となるや、凡てが一変して了ったのである。というのは何物か分からないが、私を狙って何だか目には見えないが、玉のようなものを投げかけた、と思うや、其玉が私の腹の真中へ鎮座して了ったのである』
                     (栄光一一六号「宗教文明時代」より)

 こうして、たゆまざる研鑽の結果、神示を契機として自らの腹中に光の玉が鎮まるとともに、それが最高の神霊であることを実感して、
『自由自在に私の肉体を使はれるのである。全く私を機関として一切衆生を救はせ給ふのである』                 (自観叢書 第四篇「私の告白」より)
という不動の自覚に到達されるのです。

 そうして、“神様を追求していったところ最高神が存在しているということが分かった”ということをおっしゃっていますが、これを私達の側から言えば、明主様は様様な奇蹟を通じて最高神の存在を確信をもって訴えられるまでに覚りを得たということを意味しています。こうして、明主様は揺るぎない自覚と透徹した智恵の裏付けをもつ境地に立つに至り、それを自ら『見真実』と呼びました。見真実とは、過去、現在、未来を見通す霊眼、心眼のことを言います。それはまた、一番霊層界の高い地位に霊籍を置かれるということを意味しています。

『今日迄の宗教を初め、哲学、教育、思想等凡ゆるものは一切に対し或程度以上の解釈は不可能とされ、深奥なる核心に触れる事は出来ないとされた。彼の釈尊は七十二歳にして吾見真実となったと云ひ、日蓮は五十余歳にして見真実となったと言う事であるが、見真実とは、前述の核心に触れた事を言うのである』

『私は四十五歳にして見真実になったのである。見真実の境地に入ってみれば、過現未に渉って一切が明かに知り得る。勿論過去の一切の誤りは浮び上って来ると共に、未来の世界も其時の人間の在り方も、判然と見通し得るのである』
              (自観叢書 第十二篇「神秘の扉は開かれたり」より)

 こうした見真実の境地から、今まで未知の分野であった事柄に対して真理を明らかにされると共に、昭和六年六月十五日の『夜昼転換』の天啓(総論一(I)第二章参照)という一大神示、さらに『大光明世界の建設』を獅子吼された昭和十年一月一日の立教を経ながら、救いの業の核心となっている「日本医術・浄霊」を完成されるに至るのです。