明主様が神霊研究に没頭されていた大正末期の頃、数々の神秘な事象に出逢っていかれるのですが、中でも特筆すべき事柄として“観世音菩薩とのご因縁”があげられます。それは大正十三年頃のことでした。
『或人が訪ねて来て、其頃流行宗教であった大本教に関しての話を聞きたいといふのである。種々の話をしてゐる最中、その人は、(中略)私の顔を凝乎と見ながら、「大本教は観音様と関係があるのですか?」と訊くので、私は、「否、大本教は神道であるし、観音様は仏であるから関係はない。」と言ふと、その人は、「然し先生の坐って居られる右の方に等身大の観音様が見える。」といふ。つまり其人は、其時霊眼が開けたのである。(中略)又よく訊くと、「観音様は眼を閉じて居られ、お顔やお身体は、画や彫刻にある通りです。」-と言ふのである。其後その人が私の家へ行かうと思ふと、眼の前にぱっと観音様が見える。」-といふ事などを聞き、私も不思議に思った。それまで私は、観音様の信仰は全然しようとも思はなかった。処が右の事があって、「自分は観音様に何か因縁があるに違ひない。」と思った。それ以来、種々不思議な事が次々起る』
(自観叢書 第四篇「観世音菩薩と私」より)
このように、明主様の身辺に時として観音様が顕現し、それを第三者が霊視するという不思議な現象が相次いで起こりました。それまでの明主様は観音様に対する信仰は全くなかったのですが、こうした事実を通して次第に観音様とのご因縁を自覚し始めるのです。