明主様より「おひかり」を許され、人を救う力と方法が与えられているわけですが、その力と方法というのは、どこからどのようにして生まれてくるものなのでしょうか。それを知るには、明主様のご事蹟、すなわち明主様ご自身がどのようにしてその神力を得られ、その救いの神業を人類に明らかにされたかという経緯を学ぶ必要があります。
明主様は人生半ばにして、それまで全く神の存在を認めないという無神論の立場から一転して、宗教の世界にお入りになりました。間さえあれば、世のため、人のために尽くし、事業を興されたのも世の中に役立ちたいという願いからでありました。その明主様が事業に失敗し、最愛の家族までも失うという大変な苦難に遭遇されました。これ以上ない不幸に見舞われ、“こんなに一生懸命世の中のため、人のために尽くしてきたのに何故自分は不幸にならなければならないのか”という、人間の幸不幸という根本問題に対して大きな不信感と疑問を抱き、当時宗教界で一世を風靡していた大本教の信仰に入られたのです。
そこで何をされたかといいいますと、“どうすれば救われるか”というお蔭信心ではなく、神の実在と人間の幸不幸の根本原因を探究するための神霊研究であったのです。