3)大自然の活動-「霊主体従」の法則

 さて、次に大自然の活動について整理してみます。万有の原則として限界におけるあらゆる事象は、すでに霊界に発生し運動を起こしているということについては第二章で学びました。

『一切は霊が主で体が従であり、霊主体従が万有の法則であるからである。一例を挙げれば人間が四肢五体を動かすのも、眼に見えざる意志の命によるので、決して五体が勝手に動くのではないと同様である。故に奇蹟と雖も本原は霊に起り、体に移写するのであるから、この理を先ず確認する事である』
                        (神示の健康「霊主体従」より)

 この『霊主体従の法則』について理解するには病気が最も分かり易いということで次のようにおっしゃっています。


『現界における事象を解決せんとするには、先ず霊界のそれを解決しなければならない。この意味において病患治療といえども霊界よりの解決即ち霊を以て霊の治療をなす事こそ、真の治療法でなければならないのである。
 従って人体といえども霊体は霊界に属し、現体は現界に属しているのは勿論である。そうして病気とは既記のごとく集結せる毒素の浄化すなわち毒結の解体作用であるが、その過程を霊体に当嵌める時、毒素溜結は霊体局部の曇りであり、毒結の溶解とは曇りの消滅である』                      (天国の礎「自然力」より)

『元来病気とは肉体に現われた現象であり、結果であって、勿論本原は霊にある。即ち最初霊の一部又は数個所に曇りが発生し、それが体に映って病気となるのであるから、この曇りさえ払拭すれば治るのは明らかである』
                        (神示の健康「霊主体従」より)

『病気と雖も此原理の通りで、判り易くする為、誰でも経験のある腫物を取上げてみよう。
 腫物は最初小なる隆起が出来、それが漸次腫脹し、膨大し、赤色を呈し、発熱を伴い、局部は痛み、痒み等の苦痛があるのが通例である。此現象は体内の毒素が自然生理によって排泄さるべき活動が起り、一局部へ集溜し発熱によってその毒結を溶解、液体化し、排泄を容易ならしめる、それが自然良能作用である。又排出口を作るべく、皮膚をより薄く柔軟ならしめる。故に赤きは透明状となった薄皮を毒血が透して見えるのである。それから間もなく小孔が開き忽ち液体毒血膿は瀉出し、浄化が終るのである。
 右は体の説明であるが、此際霊は如何なる状態であるかというに、腫物そのままの一種の雲状を呈するのである。いわば曇りである。病気の重い程曇りは濃度である。右の如く曇りが霊の局所に集るかというと、それが不断の浄化作用であって霊全体の曇りが一個所に集溜し、排泄活動が起る。それが病気である。勿論体の方とは密接不離な関係である』                       (神示の健康「浄霊の原理」より)

 以上が霊主体従の法則に基づく浄霊の原理ですが、この法則は独り人間の身体のみに働くのではなく一切万有悉くに働いているのであると説いています。この霊主体従の法則は、大自然の活動の真理であり、“必ずそうなる”という必然性のものなのです。

 病気の他にもうひとつの例をあげてみましょう。万有の法則は汚濁の溜まるところ必ず自然浄化作用が発生することになっています。私達がよく体験する風、水、火の大三災にしてもそうなのです。

『風水の原因は天地間の浄化作用であって、何故浄化作用が発生するかというと、霊界における曇りすなわち眼に見えざる汚濁が堆積するのである。それを風力によって吹き払い、雨水によって洗滌される。それが為の暴風雨である』
                      (天国の礎「大三災と小三災」より)

 この場合の霊的曇りは何故溜まるのかということについては、それは人間の悪に属する心、言、行の結果として霊界に影響し、曇りが発生するのであるとおっしゃっています。では何故人間に悪心が起こるのかということに遡っていきますと、帰するところ人間の霊体の曇りというところにいきます。このいきさつについては善と悪の問題と関連して総論二で採り上げる予定です。

 とどのつまり、人間のあらゆる苦痛の原因は悉く霊の曇りにあり、霊主体従の法則によって移写し、その結果肉体的に言えば汚濁の排除作用となるのであります。


 集団的苦痛すなわち風水害や火災、あるいは社会的犯罪にしても悉くが病気以外の浄化作用なのです。これら忌まわしいことが起こらないようにするには、霊主体従の原理に則って、人間個人個人の霊の曇りを無くする以外に方法はありません。ここに「日本医術・浄霊」の創成の重要な意義があります。


 尚、大自然の活動については、『霊主体従の法則』の他に『左進右退の力』の発生の問題もありますが、それについては総論二で採り上げることとし、また、「日本医術・浄霊」の病理としての『浄化作用』については次章で詳しく説明いたします。

 大自然の構成とその活動については概略以上ですが、
『私がこの偉大なる浄霊法を発見し得たという事は、霊の実在を知り得た事がその動機である。すなわち霊を浄める事によって体が正常化するという原理であるが、これは将来の文化に対する一大示唆とみねばなるまい。実に科学の一大革命である』
                       (天国の礎「神仏はあるか」より)

『霊の実在を知る事によって事物を観察する時、洵によく透徹し、矛盾や撞着等の懼れのない事である。(中略)此様な素晴しい力の発現はそれ自体が真理であるからである』
                       (神示の健康「明日の文化」より)


とのお言葉にありますように、浄霊研究を通して体験を積み重ねながら大自然の実体に目覚め、そこに厳然として働いている法則に則った生活のあり方に切り換えていくことが真の幸福への道なのです。