2)内臓の三位一体と浄霊

 いよいよ浄霊の原理についてですが、ここで、以上に述べました火素・水素・土素の三大元素によって構成されている大自然と人間とはどのような関係にあるのかということについてみてみましょう。

『古えから、人は小宇宙と言われているが、右の理は人体にも当嵌るのである。即ち、人体における火、水、土は「心臓、肺臓、胃」─に相当するのであって、胃は土から生じた物を食い、肺は水素を吸収し、心臓は火素を吸収するのである。故に、人体における心臓、肺臓及び胃は、火、水、土の三元素を吸収する機関で、この機関が人体構成の最重要部を占めているにみても、右の理は肯かるるであろう。然るに、今日までは心臓はただ汚血を肺臓に送り酸素によって浄化されたる血液を還元吸収するというように、血液のみの機関とされていたのは、全く火素の存在を知らなかったからである。
 右のごとく、胃は食物即ち土素を口中から食道を経て嚥下し、肺臓は呼吸によって水素を吸収し、心臓は鼓動によって火素を吸収するのである。
 従って病気発生するや、発熱するという事は疾患部の凝結毒素を溶解せんが為、必要量の熱即ち火素を心臓が霊界から吸収するのである。即ち心臓の鼓動は霊界から火素を吸収するポンプ作用である。発熱時より先に心臓の鼓動即ち脈搏が増加するのは、火素吸収が頻繁になるからである。その際の悪寒は、浄化に必要な熱量を吸収する為、一時体温の方への送量を減殺するからである。故に、解熱するという事は、毒素溶解の作用が終ったのである。
 右のごとくであるから、心臓が一瞬の休みなく、霊界から火素を吸収する─それが体温である。また肺臓も空気界から水素を呼吸によって不断に吸収しているので、人体内の水分は口から飲下する以外、肺臓の吸収によって得る量もすこぶる多いのである。
 右の理によって人の死するや、瞬時に体温は去って冷却し、水分も消えて、血液は凝結し、屍は乾燥し始めるのである。右を説明すれば、死と同時に、精霊は肉体を脱出して霊界に入るのである。故に精霊の火素が無くなるから、水分は凝結するのである。言い変えれば火素である精霊は霊界に還元し、水分は空気界に還元し、肉体は土に還元するのである』               (天国の礎「火素・水素・土素について」より)

『以上の如く、火水土の三位一体の本質によって構成された人体である以上、その病患を治癒するとしたら、その方法も三位一体の力に依らなければ合理的ではない筈である。之が本教浄霊の原理である』
                  (神示の健康「内臓の三位一体と浄霊」より)

 以上みてきましたように、「霊気」は非物質のため、目に見えず、現在の唯物科学でも、また五感によってもとらえることができません。しかしながら、その存在を確認していける方法を与えられている私達は、単に“病気が治ればいい”というところで終わらずに、明主様によって示された真理、すなわち自然と一体となっている人間であるということに「日本医術・浄霊」を通して気づいていく必要があります。心臓の鼓動による脈搏ひとつ採り上げましても、霊界の火素吸収と密接に関係しているわけです。その脈搏に何らかの異常が生じれば、それは大自然との調和がみだれていることを意味します。「日本医術・浄霊」に示されている病気症状にしても然りです。日頃の生活の中での小さな変化に気づき、それに対処していく姿勢こそが第一章で学んだ「健康の定義」の中の第一種健康の状態になっていく上で要求されるのです。こうしたことは次の第四章で述べる『浄化作用』との関連の中でしっかりと理解されねばなりませんが、常に、体的な現象面にのみとらわれず、その背後にある大自然の理、霊的側面との関係の中で「日本医術・浄霊」の原理を理解していくことが大切です。

『霊界に於る大転換の時が迫り来った。聖書中の世の終り、最後の審判の時がそれである。之が為最も強力なる絶対的救済力が必要となった。此力こそ前述の如く火水土の三位一体の力であって、土の力とは物質の原素で、人間の体に当る。光が体を通過する事によって土素が加わり三位一体の力となる。即ち観音力である。之を判り易く言えば、観世音菩薩の如意の珠から発揮される光素が、私の体を通じて観音力の発現となり、それが私から信徒の体を通じ浄化力となるのである』
                       (神示の健康「浄霊の原理」より)