第四節、真文明を創造する「日本医術・浄霊」

「日本医術・浄霊」を身につけ、明主様からいただいた“おひかり”を胸に、明主様との共同作業という心で研究を重ね、御光を取り次いでいくということは、救い主としての明主様が世に出るということであり、まさに昼の文化建設、真の文明世界の創造をしていくことを意味します。

『主神の矢は已に弦を離れたのであるから、ここに愈々世界革新劇は開幕されんとする直前となったので、やがては血湧き肉踊る驚天動地の場面は展開され、人類は恐怖と戦慄と感激と興味との渦の中に巻き込まれ、悲喜交々の人間の乱舞が始まるであろう。というように太初已に創作された神のテーマ通り展開されんとするのである。何しろそのスケールの雄大にして多角的なる想像を絶するのであって、その舞台監督としての私であるから、私はこれから千変万化、無碍の活動力を発揮し、大奇蹟を現すのである。その一例として現在一枚七秒間で書いた光の文字の紙片を懐へ入れるや、何万何十万の病者を救い得るのである。又数千里隔てたアメリカやヨーロッパにまでも、霊光は一瞬にして到達する。その速度たるや科学的計算は不可能である。というように、結局に於て現代文明は百八十度の転換となり、地上天国の基礎はここに確立するのである。併しこれを読んで直ちに喜ぶのは早い。何となればそれにはキリストの言った最後の審判という大峠があるからで、それを越さねばならないが、神の大愛は一人でも犠牲者を少くせんが為私をしてその救いに当らせ給うのである』
(地上天国誌昭和五十七年八月号「新宗教と世界の年齢」より)

第一章の浄霊の実際では、病気の原因は三毒であり、その集溜固結を溶解しようとする自然発生的熱によって浄化が始まり苦痛が生じてくるということを学びました。急所を発見してよく浄霊しますと身体の具合は良くなってきます。こうした確実に効果をいただける浄霊を体得していくことは大変大切なことであり、今後も学んでまいりますが、体的浄化を良くしていく浄霊ということにのみ止まってはいけません。

明主様によって明らかにされた霊気の発見と浄化作用の真理、そして浄霊の救いの偉大さを世の人々に知らせていかなければならない大切な時期であります。「日本医術・浄霊」を通して“人類が待望していた救世主が現れた”ということの証を立てていく必要があります。

『翻って考うるに、救世主出現は単なる人類の理想と極める事も出来得まい。何となればキリストの再臨も、メシヤの降臨も、ミロク下生も、往昔の聖者が予言しているに於ておやである。故に、何時かは出現の可能性がある事を信じない訳にはゆかないのである。之から私の心理描写にとりかかるのであるが、私は救世主の第一条件として以前から考えていた事は、何よりも先ず人間の病気を解決する事であって、人間の健康を完うし天寿を得させるという事の絶対的方法を授けると共に、それへ具体化する力を有する─その資格こそ救世主としての最大要素であらねばならない』
(神示の健康「救世主は誰だ」より)

『文化の進歩に対し、一大転換が行われなければならない天の時となったのである。其第一歩として、無とされていた一の霊界の存在を普く人類に明示される事となった。といっても無の存在である以上、其方法たるや科学では無論不可能である。そこで未だ曽て人類の経験にない程の偉大なる力の発揮である。即ち神の力である。処が、長い間唯物主観に固まっていた現代人であるから、納得させるには非常な困難が伴うのであるが、之に対し本教が行う唯一の方法としての奇蹟がある。即ち本教の浄霊法こそそれである。之によって如何なる無神論者と雖も、一挙に承服せずには措かないからである。従って此事が普く人類社会に知れ亘るに於ては、世界共通の真文明が生れんとして、現代文化は百八十度の転換を余儀なくされるであろう』
(神示の健康「一の世界」より)

明主様は、“偽りの文明、跛行的文明とは、基本的力の中心である目に見えない霊界を無視した結果である”とおっしゃっています。そして、“浄霊こそ、今まで否定されてきた目に見えざる世界を誰の目にも実在することを信じさせることができる力であり、そこから昼の文明が始まるのである”ということをお話になっています。

「日本医術・浄霊」を徹底するならばその目標をどこに置くかということですが、もうお分かりのように、それは健康と豊穰に満ち、かつ平和な世界である、真の文明世界の創造にあります。このように真の文明を創造する浄霊とは、有神思想を呼び覚まし、二十一世紀の幸運を招く術なのです。