第三節、「夜昼転換」の受け止め方について

こうした人間の生命を直接的に脅かす健康問題をはじめとして、既成文化の各分野においても想像を絶するような様々な事象が今後起きてくるということを説いておられるわけですが、そのような現象に対して私達はどのように対応していけばよいのでしょうか。実際に夜昼転換が起きるということは恐ろしいことでもあります。しかし、夜昼転換を信じるということは、ただ単に恐怖に陥ることではなく、破壊と建設の同時発生による大精算の後の“昼の文化”、すなわち真・善・美完き理想世界の到来を視野に入れた、より積極的な意味あいを持つものなのです。そうした夜昼転換の意義をよく知った上で“これは大変なことだから、自分のような者でも役に立つならば心掛けて、明主様を求めて、建設のために役立とう”ということでなければなりません。そうした気持ちでこの歴史的大転換期に臨むならば、この上ない人間としての生きがいが生じてまいります。何故ならば、「日本医術・浄霊」は決定的大浄化作用を切り抜ける唯一の方法であるからであります。

『本来夜の世界とは闘争、飢餓、病苦に満ちた暗黒時代であるに反し、昼の世界とは平和、豊穰、健康等の具備せる光明時代である。(中略)東天に昇り初めた太陽は軈て天心に到るであろう。それは何を意味するか。言う迄もなく、全世界に於ける夜の文化の総崩壊であると共に、昼の文化が呱々の声を挙げる事である。それは凡そ予想し得られよう。何となれば日本が既に小さくその模型を示しているからである。而も世界の決定的運命は目前に迫りつつある。恐らく何人と雖も此框から免れる事は出来得ない。唯苦難をして最小限度に止め得る方法のみが残されている。然しその方法は此処に一つある。即ち本医術の原理を知って、昼の文化建設の事業に加わる事である』
(神示の健康「夜昼転換」より)

『それに就て、本教の出現であるが、以上説いた如く、審判を無事に切り抜け得る人間を、一人でも多く作るのが目的で、之が神の大愛であり、私に課せられた大使命でもある。其唯一の方法としての浄霊であるから、浄霊とは独り病気を治すのみではない』
(栄光百十号「最後の審判とは」より)

『私の霊感によれば、今霊界に於ては既に五六七世界の土台は築かれたのである。之によって近き将来、いとも現実的に此地上に出現する事は、疑う余地はないのであるから、何と有難い時節に生れたものではないか。之を慮う時、吾々は歓喜が湧き起るのである』
(地上天国誌昭和六十一年十一月号「五六七世界の建設」より)

人類が救われるか救われないかといった大変な時代に遭遇している私達に、こうした尊い願いが込められた「日本医術・浄霊」を取り次ぐことが許されているということをしっかりと受け止めておくことが大切であると言えましょう。

今こそ明主様が説かれた世の終わりという警告に対して準備をしなければならない大切な時です。一日手をこまねいていれば、計り知れない犠牲を払わなければならないということは目に見えています。人類存亡の危機を迎える時に際しての心構えについて明主様は、
『それに就て今後発生する凡ゆる事態が、人間の眼からみて理屈に合わないような事や、無益と思う事、破壊的の事等もあるかも知れないが、それは汚穢の一大清掃である事を知らねばならない。然し一切は神意の具現である以上、人間の凡眼によって、兎や角判断する事は出来ないとすれば、人間たるもの大いに謙譲の態度を以て、一切の推移に順応すべきである。此事を霊感によって知識し得た吾等は、常に偉大なる神意を曲解せざるよう戒意し、正しい神観を以て今後人類の経験のない、如何なる異常事や崩壊作用も信仰に徹する者の特権として与えられたる安心立命の境地に住し、生を楽しみつつ時を待つべきである』
(地上天国誌昭和六十一年十一月号「五六七世界の建設」より)

とおっしゃっています。