此患者の経過を見ても、医療は無力処か反って悪化方法である事がよく分る。之が進歩したものと信じ、命まで委せるのであるから、之以上の冒険はあるまいと言ひたい。その為の患者の痛苦の激しさは、此文を読み乍ら膚に粟を生ずる位である。而も今日斯ういふ人はどの位あるか分らないのであるから、何と恐ろしい世の中ではあるまいか。処が斯んな酷い症状でも、浄霊するや忽ち快方に向うのであるから、常識では到底考へられないであろう。
茲で医師の無責任である事は、貴重な人間生命を余りに軽視しすぎる事である。といふのは手術の直前に曰く、貴方の病気は分らないから兎も角切開してみようといい、切開してみると手のつけやうがない酷い状態なので、諦めよと婉曲にいったそうだが、それ程の悪化が切開しなければ分らないといふのは、医学の診断なるものが如何に幼稚であるかが分る。処が之程の難物でも浄霊で全治したのであるから、神の業と人間の業との違ひさが分るであろう。
死に度い程の激痛地獄より夢の様に御救い戴いて
(本文省略)
(医学革命の書 附録(おかげ批判) 昭和二十八年)