浄霊は精神療法ではない

 世間よく信仰で病気が治るのは、色々信仰で病気の治る話や安心のゆくやうな話など聞かされるので、それを信じる結果治るので、つまり精神作用の為であるとよくいふが、成程そういふ信仰療法も世間ザラにあるから、それを認めるに吝(ヤブサ)かではないが、本教の浄霊をそれと同様に見られては堪ったものではない。というのは疑っても馬鹿々々しいと思っても、物は試しだと思っても、余り勧められるので御義理でやる人でも、酷いのになると中腹で受ける人もある。それでゐて実によく治るのであるから、微塵も神経作用のない事は分るであろう。又今一つの例は、幼児である。左の二例は、僅か二才の赤子と六才の幼児が、医療で治らない結果、浄霊によって簡単に治ったのであるから、勿論神経作用などは薬にしたくもない事は明らかである。私はいつもいってゐる通り、信ずるから治るといふ事は自己欺瞞であって、治らない内から信じられる人は恐らく一人もあるまい。治るから信ずるのである。之が他力である以上、人間の力は全然加はってゐない、神様が治して下さる事がハッキリ分る、之が真の信仰である。


死の寸前の子供を御救ひ戴いて

(本文省略)


驀進する列車に吹飛ばされ瀕死となりし吾子救はる

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(医学革命の書 附録(おかげ批判) 昭和二十八年)