人間の寿命

病気とは体内保有毒素の自然排除作用の苦痛であり、言はば体内の掃除であり、浄血作用である事は分ったであらうが、此理を知ってその通りを守れば益々健康となり、百歳以上の長寿も敢えて不可能ではないのである。といふのは言う迄もなく、百歳以下の死は病の為であり、不自然死である。それが自然死なら、神から与えられた天寿を全うし得るのは当然であるから、人間之以上の幸福はあるまい。その理を知らない今日迄の人間は、誤謬医学によって多額の金を費ひ、病苦の種を購ひ、生命を縮めてゐるので、而も之を文化の進歩と思ってゐるのであるから、その無智なるいふべき言葉を知らないのである。従って此医学だけにみても、今日の文明は真の文明ではない事が分るであらう。成程文化の進歩は一面人類の幸福に役立ってはゐるが、他の半面医学によって不幸を作ってゐるのであるから、公平に見て功罪相半ばしてゐるといふのが適当であらう。

そうして今迄説いた如く、現在迄の人間は先天性毒素と後天性毒素とを、驚く程多量に保有してをり、之が凡ゆる病原となるのであるから、此理が分ってその通り実行するとしても、早急には間に合はない。何となればあるだけの毒素は何等かの形によって幾度となく、浄化作用によって排除されなければならないからである。然しその都度放ってをけば必ず治るから、何の心配も必要はないと共に、苦痛が強ければ強い程、急速に多量に毒素は減るから、寧ろ喜んでいい。又苦痛と雖も峠があるから、それを越すまでの辛抱である。右は浄霊を抜きにしての事であるが、浄霊すれば驚く程促進されるから、そうする事を勧める。

そうして昔は四百四病といったが、今日は千数百にも上っていると曰はれるが、医学が進歩すれば減る筈だが、反って増えるのはどうしたものか不思議である。之に対し医学者は斯ういふ。医学の進歩は今迄未発見であった病気が、発見されたので、それが増えたやうに見えるのである。だが之は詭弁か、そうでなければ誤解である。本当をいえば薬の種類が増えたからだと、吾々の方ではみてゐる。といふのは薬毒が多い為、排除の個所が増えたからである。之に就て医学の解釈は、病気の種類は夫々異ってゐると思ふのは、療法が夫々異ってゐるにみてそう思はれる。処が吾々の見解は、病原は一つだが、発病の個所が異ふのを、医学は誤ったのである。その證拠には浄霊の場合、如何なる病気でも同一方法でよくなるにみて明らかである。

(医学革命の書 昭和二十八年)