健康の自由主義

病気とは体内浄化作用であり、それに伴う苦痛をいうのであるが、之を逆の意味に解し、浄化停止を以て治病の方法としたのが医学の考へ方であった。そうして此停止手段としては、身体を弱らすに限るから、薬と称する毒を用ひたのである。従って毒の強い程よく効く訳で、近来医学の進歩によって、死の一歩手前に迄毒を強める事に成功したので、決して治病の進歩ではない事を知らねばならない。その結果死亡率が減ったのであるから、つまり逆進歩である。以下此意味をかいてみよう。

誰でも病気発生するや、之は自然の浄化作用であるから、苦痛は割合強く共、その儘放っておけば順調に浄化は行はれ、速く治るのである。処がその理に盲目である為早速医師に診て貰うが、医師も勿論同様盲目であるから、専心浄化を停めやうとするので、茲に自然治癒との衝突が起る。即ち浄化とその停止との摩擦である。その為浄化は頓挫し、一進一退の経過を辿る事になり、衰弱死に至るのである。それが従来死亡率の高かった原因であるが、近頃は前記の如く生命を保ちつつ、浄化を圧へる事が出来るやうになった。というのは前記の如く強い薬が使へるやうになったからで、或期間寿命を延ばせるのである。然し無論全治ではないから、時が経てば復び発病する。此様にして人間は漸次弱って来たのである。故に医学の進歩とは治病の進歩ではなく、一時的苦痛緩和と若干生命延長の進歩である。此最もいい例としては借金である。元利合計請求された場合、一時に払はうとすれば破産するから、月賦にして気長に払う事にする。そうすれば第一楽であり、暫くでも破産を免れられると同様の意味である。

右の如く医学の進歩とは、借金返済ではない、借金延期法の進歩でしかないのである。然し之で一時なりとも寿命は延びるが、病の方はそのまま固って了ひ、真の健康とはならない以上、溌刺たる元気などはない。此際医師は斯う言うのである。何しろ貴方の躰はヒビが入ったやうなものだから、余程大切にしないといけない、軽はずみをすると元通りになると注意されるので、患者はビクビクもので、その日を送る事になる。私は此種の人を消極的健康人というが、今日斯ういふ人は益々増えるばかりである。此例として高度の文明国程そうであるのは、彼の英仏などを見ても分る通り、近来此両国民の元気のない事甚だしく、我国とは反対に人口増加率低下に弱ってゐるのみか、国民は安易を求めるに一生懸命で、国家の前途などは二の次にしてゐる。斯んな訳で両国の国威はガタ落ちで、植民地の維持すら困難となり、兎もすれば離れやうとする現状である。又国際的正義感にしても麻痺状態で、彼の中共の中国、南鮮侵略に対しても、只指を喰えて観てゐるばかりか、英国などは逸早く承認を与へ、アメリカを吃驚させた位である。その後も御義理的にアメリカに追随してゐるにすぎない有様である。而も同国が戦勝国であり乍ら、戦敗国日本よりも食料不足に悩んでゐるのもその現はれで、全く気の毒なものである。仏蘭西にしても御同様人民の闘志などは全然なく、アメリカが如何に気を揉んでも何等の手応えなく、只その日その日を無事安穏に過ごす事と、享楽に耽る事のみ考えてゐるやうだ。以上によってみても、昔英国が七つの海を支配し、仏国がナポレオン当時のアノ華やかさに比べたら、洵に感慨無量というべきである。此原因こそ全く恐るべき医学の進歩にある以上、日本も殷鑑(インカン)遠からず油断は出来ない。

次の米国にしても、近来医学の進歩につれて、病人は益々増へる一方で、悲鳴を上げてゐる状態である。之に気付かない限り、何れは英仏の後を追うのは必然であらう。私が先頃“アメリカを救う”の書を発刊したのも此事を憂慮したに外ならないと共に、日本にもお次の番が廻って来ないと誰か言ひ得やう。そうして右は大局的に見た医学なるものの実体であるが、之を個人的に見ると猶更よく分る。周知の如く今日医学の建前を基礎として、国民保健制度を立ててゐるが、之は日本ばかりではない。世界の文明各国は大同小異はあるが、何れも同様である。今それに就てザッとかいてみるが、何しろ現代人の健康の低下と来ては洵に酷いもので、その為当局の社会衛生上の注意も、益々微に入り細に渉り、煩に堪へない位である。ヤレ無理をするな、睡眠を多く取れ、風邪を引くな、暴飲暴食するな、栄養を摂れ、防毒に注意せよ等々、全く毀れ物扱ひである。剰(アマツサ)へ病菌の感染を極度に怖れ、結核や伝染病患者には近づくべからず、ヤレ手を洗へ、含嗽をしろ、消毒をせよ、マスクを掛けろ、濁った空気を吸ふな等々、その窮屈さは生きてゐるさへ嫌になる位である。之が文明のあり方とすれば、文明こそ大いに呪ひたい位である。

それに反し吾々の方の恵まれ方はどうだ。曰く食ひたい物を、食ひたい時に、食ひたいだけ食ひ、寝たい時に寝、働きたいだけ働き、無理をしてもよく、風邪引き結構、伝染病も結核菌も屁とも思はない。といふやうに人に迷惑を掛けない限り、自己の職業に差支えない限りは、自由無碍、明朗闊達、何等不安ない日常を送ってゐる。恐らく人生之程の幸福はあるまい。之を称して私は健康の自由主義といふのである。今日荐りに唱へられてゐる自由主義などとは、比較にならない程の幸福さであらう。では右を実行した結果はどうであるかといふと、之又大したものだ。私初め信者数十万人悉くそうしてゐるが、結果は一般人よりも罹病率の少ない事は十分の一にも足りない位であるから、病気の不安など全然ないと言っていい。その根本理由こそ今日の医学衛生の考へ方は逆であるから、その又逆にすれば真の健康法となる訳である。

以上によって医学の無智が如何に人間の自由を束縛し、無益な労力と余計な金を使はせ、生産をマイナスにし、而も凡ゆる不幸の原因を作ってゐるかといふ事である。以上の如くであるとすれば、今日之程重大問題はあるまい。又宗教に就いても一言言ひたい事は、宗教本来の使命は万人の不安を除き、安心立命を得させるにある以上、それが出来ないとしたら、存在の意義はない訳である。私は之に対しても敢て考慮を求める次第である。

(医学革命の書 昭和二十八年)