薬毒に就いて

前項迄に詳説した薬毒の如何なるものであるかは、大体分ったであらうが、茲に最も明かな例をかいてみると、若し薬なるものが本当に病を治す力があるとしたら、先祖代々人間体内に入れた薬毒は、驚くべき量に上ってゐる筈であるから、現代の人間は非常に健康になってゐて、病人など一人も無い世界になってゐなければならないに拘はらず、事実はその反対であるとしたら、茲に疑問が起らなければならないが、全然気付かない迷盲である。何よりも昔から病は薬で治るものとの信念になり切ってをり、それが迷信となって了ったのである。それが為医学の進歩を嗤ふが如く病人は増へるばかりで、医師が、看護婦が足りない、病院は満員、ベッドの不足、健康保険、療養所、社会衛生等々、何だ彼んだの病気に対する対策の繁なる衆知の通りで、之だけ見れば医学の進歩とは科学的に、微に入り細に渉っての唯物的進歩であるから、治す進歩であって治る進歩でない。学理上治るべき進歩であって、実際上治るべき進歩ではない。斯う見てくると現代人の生命は学理の支配下にある以上、若し学理が誤ってゐるとしたら、学理の犠牲になる訳である。その根本は現在の学理は、人間生命まで解決出来る程に進歩したと信じてゐるからである。実に驚くべき学理の信奉者である。

そうして最近の統計によれば、日本人の寿命は近来非常に延び、三十年前は男女平均四十七歳であったものが、最近は六十二、三歳にまで延長したといって喜んでをり、之が医学の進歩としてゐるが、此理由は斯うである。即ち浄化作用を止めるべく医学は薬毒で人体を弱らせ、浄化を弱らせ、苦痛を緩和する。処が以前用ひた薬毒は弱い為浄化の方が勝って死んだのであるが、近頃の新薬は中毒が起らない程度に毒を強めるに成功したので、浄化の停止期間が長くなり、それだけ死も延長された訳で、恰度医学が進歩したやうに見えるのである。従って近来の新薬続出となったので、言はば変体的進歩である。勿論それで病が治るのではないから、死にもせず健康にもならないといふ中ブラ人間が増えるばかりで、此傾向は文明国程そうである。近頃欧州から帰朝した人の話によるも、英仏などは老人が多くなると共に、一般国民は勤労を厭ひ、安易な生活を求め、享楽に耽る事のみ考えてをり、殊に英国の如きは食糧不足に悩まされ、戦敗国の日本よりも酷いという事であるから、全く国民体力が低下した為であるのは争うべくもない。同国に社会主義が発展したのもその為で、社会主義は優勝劣敗を好まず、働く意欲が衰へるからで、英国近来の疲弊もそれが拍車となったので、日本も大いに考へるべきである。

話は別だが歴史を繙(ヒモト)いてみると、日本の建国後千年位までは、天皇の寿齢百歳以上が通例であった事で、その時代は勿論薬がなかったからである。その後漢方薬が渡来してから病が発生しはじめたと共に、千四百年前仏教渡来後、間もなく疫病が流行し、当時の政府は仏教入国の為、日本神々の怒りといい、仏教を禁圧した処、それでも効果ないので、再び許したといふ事である。今一つの例は有名な伝説で、彼の秦の始皇帝が“東方に蓬莱島(日本)あり、その島の住民は非常に長命で、定めし素晴しい薬があるに違ひないから、その霊薬を探し求めよ”と、臣徐福に命じ渡来させた処、当時の日本は無薬時代であった事が分り、流石の徐福も帰国する能はず、そのまま日本に残り一生を終ったそうで、今もその墓が和歌山の某所にあるそうだから、無稽な説でない事が分る。之等によってみても人間の寿齢は、薬さへ用ひなければ百歳以上は易々たるもので、事実人間の死は病気の為で、言はば不自然死であるから、無薬時代となれば自然死となる以上、長命するのは何等不思議はないのである。

(医学革命の書 昭和二十八年)