之迄説いた事によって略々分ったであらうが、要するに医学誤謬の根本は、自然を無視した処にある。といふのは病気といふものは、曩にかいた如く体内機能の邪魔物である毒素を、病気といふ形によって排除する自然作用であって、そのやうに神が造られたものである以上、人間はそれに従ふのが本当である。此例としては、彼の風雨や雷火である。之は空気界及び霊気界に汚穢が溜り、之が濃厚となると、毒素が発生し、人蓄其他に害を及ぼすので、浄化作用が発生する。即ち風で吹き払ひ、雨水で洗ひ、天日で乾かし、特殊なものは雷火で焼尽する。之を小さくしたものが人間の病気であるから、此理を知ったなら病気を止める事が、如何に反自然であるかが分るであらう。
茲で病気と科学の関係に就ての誤りに就いて詳しくかかねばならないが、元来科学の役目は人間生存上人間の意欲を満たすべく、より便利に、より美しく智能を豊富にし、幸福を増進する為の学問であって、その分野は自ら定められてゐる。それは形而下的学問であるに対し、人間の生命は形而上的の存在であって、科学の分野には属してゐないのである。即ち科学は唯物的分野であり、人間生命は唯心的分野であるのが真理である。然るに近代に至って科学の驚くべき発達によって、人間はそれに幻惑され、科学を以てすれば如何なるものでも解決出来るとする科学過信に陥って了ったのである。それが為己れの分野を逸脱し、唯心分野の領域に侵入したので、その結果人間生命をも自由にして了った。此下剋上的考え方が医学を生んだのであるから、根本的に誤ってゐるのは今更言う迄もないのである。
以上の如く人間生命は、唯心分野にあり、唯心分野を握ってゐるのが神であるから、私が行う治病の素晴しい力も神から発現する以上、如何なる病気も治るのは当然であって、敢て不思議はないのである。処が現代人は之を見て不思議と思ひ、奇蹟としてゐるのは実は嗤ふべきであって、逆さになって見れば真直なものが逆さになってゐるのと同様である。という訳で私が行ふ神霊治病方法は、見た事も聞いた事もない破天荒的であるから、容易に受け入れる事は出来ないので、一時は戸惑ひするが、併し根本から判るに従ひ俄然として、長夜の夢が醒め、医学の迷蒙も分り、茲に安心立命者となるのである。従って此著を読んでも、尚躊躇逡巡目覚めないとしたら、その人は滅びの淵に臨んでゐる危険極まる人と言ってもいいであらう。
(医学革命の書 昭和二十八年)