近来医学に於ては、手術の進歩を大いに誇称してゐるが、実は之程間違った話はない。寧ろ其反対で手術の進歩とは、医術の不進歩を表白する事は私は常に唱へている。従って真の医術とは、患部の機能は其儘にしてをいて、只病気だけを除って了ふ事で、之が真の医術である。それは殆んどの病気は機能の近接部に毒素が集溜固結し、器能の活動を圧迫阻害するからであって、機能自体には関係がないのである。従って治病とは右の毒素だけを除去して了へば、それで完全に治るのである。処が医学ではそのやうな巧妙な事が出来ない為、止むなく機能も共に除去して了うので、全く無力の結果に外ならないのである。従って病気を治す目的の為、患部全体を切り除るとしたら、原始人的方法であって、少なく共文化的でない事は言う迄もない。而もその手段たるや肉を切り、血を出し、骨を削るなどの残虐的行為により、患者に非常な痛苦を与へるに至っては寧ろ悲惨事である。成程手術中だけは麻酔薬を用いて痛苦を免るとしても、その後の傷口が治るまでのガーゼの取替や日数のかかる事、莫大な費用を要する等を考へたら、患者の負担は容易なものではあるまい。それでも順調にゆけばまだしもだが、中には経過が悪く再手術を要する場合もあり、切開してから誤診が分り慌てて口を閉ぐ事などもよく聞く話で、偶には手術の失敗で生命を失ふ事さへあるのだから、全く一種の冒険である。そればかりではない、外部的病気の場合手や足は勿論、指を切って不具にしたり、腫物などは醜い傷痕を残す等、一生涯の不幸の種を残す等忌憚なくいってみれば、現代医学は野蛮医学といってもよからう。
然し乍ら医師は曰うであらう。“成程それは分ってゐるが、若し手術をしなければ生命に関はる以上、不具や傷痕など云ってはをれないから、止むを得ず行うのだ”との理由もあらうが、之が大変な誤りである。というのは手術を要する程の病気なら、無論固結毒素に強烈な浄化が起ったからで、熱も痛みも相当激しいに違ひない。つまり旺んに治りつつある状態であるから、放っておけば迅速に毒は溶けて、排泄され必ず治るのであって、苦痛はそれまでの期間と思へばいい。それを手術の苦痛に比べたら何分の一で済むのであるばかりではなく、堪へられない程の苦痛であればある程短期間で済む訳で、長くとも数日位と思へばいいので、而も自然療法なら順調に治るから心配がなく、寧ろ楽しみとなる位だから我慢し易い訳である。処が世間よく何十日も痛む患者があるが、之は元の病気の外に薬毒を追加する為、其痛みが増したからである。而も自然治癒なれば不具にもならず、醜い痕も残らず、短時日で順調に治り費用もかからず、生命の危険さへないのだから、此事を知っただけでも大きな幸福を得たのである。然し之を読む医師も一般人も、今迄の考へ方との余りの異いさに、容易に信ずる事は出来まいが、之こそ絶対の真理である以上、白紙になれば簡単に分る筈である。それに就ての二、三の例をかいてみよう。
手術に就て最も多いのは、彼の盲腸炎であらうが、此病気の原因は服み薬の毒が胃壁を滲透して右側腎臓部に集溜し、それが少しづつ溶けて一旦盲腸部に移行し固結するので、健康であっても盲腸部と右側背部腎臓部を圧すと、多少の痛みがあるのはそれであって、之がある人は早晩盲腸炎が発るとみていいのである。之が或程度に進むと茲に浄化作用発生し、高熱に激痛を伴ひ、右の固結が溶け下痢になって排泄されて治るので、之が順序である。処がその際溶けた毒素は腹膜を通過するので、医師は間違へて、“之は大変だ。早く手術しないと虫様突起が破れて、腹膜炎を起すと最早手後れで助からない”と曰うが、之を吾々からみれば笑へないナンセンスである。というのは右は順調な経過であって、命に関はるなどは絶対ないからである。従って盲腸炎の場合何等手当もせず、放っておくだけで、一週間以内に必ず治るのである。而も盲腸は重要な機能である以上、それが失くなれば他に影響を及ぼすのは当然で、前記の如く腎臓部に溜った薬毒の移行する個所がなくなるから、その毒は他へ氾濫する。それが腹膜及び腎臓部である。そうなると反って盲腸炎より始末の悪い病気となり、容易に治り難くなるのである。此様に放っておけば簡単に治るべきものを、誤れる医療は反って将来の禍根を残すのであるから問題である。
次に多い病気に扁桃腺炎がある。之は液体薬を服む場合、それが口内の粘膜から浸入し、膿化し、扁桃腺部に集り固るが、それに浄化が起って熱で溶けて腫れ、破れて膿が出て治るのである。処が医療はルゴール等の塗布薬で固めるから、一旦治っても必ず再発するといふやうに癖になって了ふ。勿論其度毎に増大し、遂に手術の止むなきに至るのである。
次によくある病気にひょう疽(ヒョウソ)と脱疽があるが、此原因はひょう疽(ヒョウソ)は右なら右、左なら左の頸部淋巴腺に固結してゐる毒素が溶けて、指の先から出やうとするその為の激痛であるから、その際頸部を探れば必ず固結と発熱があるからすぐ分る。故に吾々の方ではひょう疽(ヒョウソ)でも指先に構はず、頸部だけを浄霊すれば忽ち痛みは去り、長くも数日で全快するのである。処が医診では指が腐るなどといふが、之こそ噴飯物である。此間違いは最初指先に一寸した腫物が出来ると、それが段々上の方へ拡がって行く。恰度腐れ込むやうに見へるからである。然し之は或程度拡がれば必ず停って了ふものである。又脱疽はひょう疽(ヒョウソ)と同様鼠蹊部淋巴腺に溜った固結毒素の浄化作用で、之は略すが、此両方共医療では必ず手術するから不具になるので、之も浄霊か自然治療なら必ず元通りに治るし、その他の腫物や皮膚の湿疹にしても悉く薬毒であるから、自然療法に限るのである。即ち凡ての腫物類は放っておけば、腫れるだけ腫れて最後に小さな穴が穿き、其処から血膿が排泄して全治する。而もどんな大きな腫物でも聊かも痕跡は残らないから、今後此理を心得ておれば、驚く程の膨大な腫物でも何等心配はない。而も之は非常に結構な浄化で、若し右の毒素が内攻すれば、内臓の病気になる処を外部に排泄されたので、大難が小難で済んだ訳である。又傷や火傷の場合よくその部へ膿が集るので、医師は黴菌浸入の為としてゐるがそうではない。その附近にある毒素が、刺戟の為其処へ集まり排除されるので、それだけ毒が減るから之も結構である。
茲で大いに注意すべきは消毒薬中毒である。手術とか外傷の場合消毒薬を不可欠のものとしてゐるが、何しろ何十倍に淡(ウス)めても黴菌を殺すだけの劇薬であり、直接筋肉から滲透するので、時が経てば必ず何処からか出やうとする。その場合多くは頭痛、眼(失明)、中耳炎、歯茎等であり、時には下降して肛門(痔)、陰部、手足の関節等へ迄も集溜し、腫物か湿疹となり、痛み痒みの苦痛が伴うが、只消毒薬に限って激痛であるからよく分る。その場合之はアノ時の消毒薬だなと思うと必ず肯くであらう。又近頃膝から下に腫物の出来る人が多いが、之は予防注射の薬毒が下降したもので、放っておけば膿が出て必ず治り、少しも心配はないのである。
(医学革命の書 昭和二十八年)