病気の原因は体内に溜った薬毒の固結が、溶解排除される苦痛である事と、医学は其苦痛を逆解し、溶けやうとする毒素を固める事であるが、それには毒を体内に入れて弱らす事である。といふのは毒素排除即ち浄化作用なるものは、人間が健康であればある程旺盛なものであるからである。そこで浄化作用を停止する事で、それには健康を弱らす事である。その理を知らない人間は、昔からその毒を探し求め飲ませた処、躰が弱り、浄化が弱り、苦痛が軽減したのでそれで治ると思ひ、有難いものとして薬と名付け、病気の場合之を唯一のものとして用ひたのである。之に就いて有名な漢方の名医杉田玄白の曰った事は、“薬は毒である。治病に薬を飲ませるのは、毒を以て毒を制するのだ”との言葉は至言である。只些か徹底しない点は、毒を以て毒を出さないやうにするといった方が尚ハッキリする。
此理によって毒の排除を止めるに毒を以てする以上、古い毒素の上に新しい毒素を追加するので、古い毒の固りの外に新しい毒の固りが増えるから、最初より浄化が悪性となる。それに対し又新しい毒を入れるから、段々毒が増えてゆき、躰は弱る上に弱るので、浄化の力も弱くなる。斯うなった人は顔色悪く、風邪引き易く、元気なく、常に医者と薬に浸りきりになり、生ける屍の如くなって、年が年中苦しみ通しであって、一人前の仕事など到底出来ない哀れな者である。而もそうなってもその原因が分らないから、相変らず次から次へ医師を取換へ、新薬を探し求め、灸や禁厭、民間療法、信仰等に遍歴してゐるが、それでも根本が分らない為、散々金を使った揚句、苦しみ乍ら彼の世行となるので、此因はといえば医学の誤りであるから、此罪悪こそ驚くべく恐るべきもので、結果からいへば医学は悲劇の製造元であるといってもいい。
此様に私は思ひ切って赤裸々にかいたが、之を読んだ医学関係者は何と思うであらう。中には憤慨する者もあるであらうが、全人類救済上止む事を得ないので、小の虫を殺して大の虫を助ける訳であって、之こそ神の大愛によるのであるから、寧ろその恩恵に感謝すべきである。その結果病なき人間が増へるとしたら、此世界はどうなるであらうか。今迄の地獄世界は一転して、地上天国、極楽世界となるのは必然で、想像するだに歓喜幸福の希望が湧くであらう。
(医学革命の書 昭和二十八年)