1) 苦悩と善行
罪穢を払拭する方法としては、苦悩によるかまたは善行を重ねるかの二つである。
『天国の礎』(罪穢と病気)
① 苦 悩
人は悪を思い、悪の行為を重ねるに従って漸次曇りが増量する。然るに曇りの濃度がある程度に達するとき、それを解消すべき自然浄化作用が起こる。勿論霊界における鉄則であるから、如何なる人といえども免れ得ない。そうして右の浄化は多くの場合病気となって現れるが、時としては他の形すなわち種々の災害等によることもある。
『天国の礎』(罪穢と病気)
信仰と難行苦行と密接な関係があるように、昔から一般人に思われているが、元来難行苦行は古代インドのバラモン教が起源で、釈尊出現以前のインドは、殆どバラモン信仰がインド人の大半を占めていたという事である。彼の達磨の面壁九年の苦行もそれであるし又羅漢とは苦行の修行をした時の行者の姿であって、その苦行たるや、羅漢の絵や彫刻にある如く、片手に物を捧げたり、木の股に座したり、甚だしきは板の裏から何本もの釘を打ち込み裏返してその上に座禅を組むので、臀部はその何本もの釘に刺され、非常な苦痛の下に一年二年又は数年に及ぶ者さえあるそうで、それ等の通苦を我慢する事によって悟りを得る。即ち覚者たり得ると言うのである。
『天国の礎』(難行苦行)
② 善 行
人に善を行う時は、相手の人の感謝の想念が光となって、善行者に対し霊線を通じて伝達して来るから曇りが増すことになる。その反対である場合、怨み、憎しみ、嫉み等の想念は曇りとなって伝達して来るから曇りが増すのである。これによってみても人は善を行い他人を喜ばすべきで、決して他人から憎しみ、怨み、嫉み等の想念を受けてはならない。
世間よく急激に出世したものや成金輩が、いつしか失敗没落するようなことがあるのは右の理によるのである。すなわち成功の原因は自己の力量、手腕、努力によるとなし、増長慢に陥り、利己的独善的となり、贅沢三昧に耽る結果、多数者から憎しみ、怨み、嫉み等の曇りの想念がいしゅうする結果、霊衣は光を失い、薄くなり、終に没落するのである。 また、何代も続いた名家や富豪などが没落するのは、元来社会的上位にある者はそれだけ国家社会から恩恵を受けている以上、それに報いなければならない。すなわち大いに社会に向かって善事を行い、これによってたえず曇りを消すべきである。しかるに多くは己の利欲のみを考え、利他的行為に乏しい結果曇りの方が増量し、形態は立派であっても霊の方は下賤者同様になっている。そのため霊主体従の法則によって終に没落することになるのである。私は以前東京の大震災の少し以前、ある霊眼の利く人の話しを聞いたが、それによれば大厦高楼の街も、霊的には小さな陋屋が立並んでいるとのことであったが、果してその通りになり驚いたのであった。
『天国の礎』(霊波と霊衣)
◇ 宗教奉仕
かの有名な大富豪初代ロックフェラー氏がまだ商店の小僧であった時、人は善事を行わなければならないとしてキリスト教会へ献金したのである。最初は一週間に五銭であったが、収入の増すにしたがい十銭となり、五十銭となり何千何万円となり、ついにはかの有名なロックフェラー研究所のごときものを創設したのである。右の献金の額を最初手帳の裏面に記入したので、その手帳は同家の家宝となっているそうである。
私が天理教研究時代こういう話しがあった。肺結核で不治と断定された一青年、天理教の信仰に入り、何か善行を施さんと思案の結果、都会の道路上に吐き出された痰を清掃せんと思い立ち、三年間毎日それを実行したところが病気はいつしか跡形もなく消え全快したとのことであった。
『天国の礎』(罪穢と病気)
◇ 社会奉仕
米国最大のベツレヘム製鋼所を創設した、かのアンドリュー・カーネギー氏は、.死に際会し、氏が平素から唱えた持論を決行した。それは全財産数億ドルを社会公共のため献金し、後継者たる子息には百万ドルの資産と大学教育とを与えたに過ぎ無かったとのことである。またミュンスターベルヒは大著『米国民』で美田を買わぬアメリカ富豪の気質を絶賛している。たとえば1903年に大学、図書館、研究所などの寄附金だけで約一千万ドル、秘密の寄付はその数倍にのぼるという。また前大戦の直後、カーネギー氏は「国際平和財団」に巨額を寄付した。その一部でドイツの学者や学界は蘇った。リープマン教授等が完成した戦争と犯罪に関する世界最初の尨大な研究叢書の公刊も、かれの寄附金でやれた仕事だ。この研究だけでも、世界の幸福にどれほど寄与しているか、測りしれないという。私はこれからの事実を考える時、米国繁栄のよってきたるところを知るのである。それに引換え日本人の財閥のあまりに利己的であったことが、今日の没落を招いたであろうことを思い、決して偶然ならざるを知るであるう。
『天国の礎』(霊衣と霊波)
かの清水の次郎長こと山本長五郎氏が当時ある高僧に出会い、その僧侶から『貴下の顔には死相が表れている。おそらく一年以上この世に在ることは難しい』と言われたので、次郎長は死を決し、資産全部を慈善事業に投じ、某寺に入って死を待っていたところが、一年を経、二年を経てもなんら異常がなかったので非常に立腹していた。たまたまさきの僧侶に会う機会を得たので大いに詰ろうと思った。会うやいなや彼の高僧いわく『実に不思議だ、貴公に以前会ったときの死相は跡形もなく消えている。とアベコベに詰られたのでさすがの次郎長も、実はかくかくと語ったので、その僧侶『それは貴公の善行によって死生を転じたのである』との話であった。
『天国の礎』(罪穢と病気)
◇ 陰徳を積む
陰徳というのは人に知られないで、いいことをすることす。よく、神社の境内などに”金何円也“とか書いて寄附の札が貼ってありますが、あれは人に知られるから陽徳です。人に知られる場合は、それだけの報いがもうきているのですが、人に知られない場合は、神様がごほうびをくださいますから、同じ徳でも、陰徳の方がよっぽどいいのです。ところが、人間というのは現れないと気がすまないものですが・・・・・。なるべく人に知られないでいいことをするのです。そうすると、神様の方で何層倍にもして返してくださいます。だから、陰徳を積むというのはたいへんなことです。いまの人は、このことがわからないから陽徳ばかりです。
『問答集・昭和24年』
2) 供 養
そもそも人間は現世において(中略)知らず識らずのうちに悪に属する行為を重ねるため、それが罪穢となって霊体に曇りが堆積する。したがって死後霊界人となるや、その罪穢の払拭が厳密に行われるのである。(中略) 霊体の罪穢に対し、その遺族が誠心誠意懇ろなる法要を営むとか人を助け慈悲を施し善徳を積むことによって、それだけ霊の浄化は促進さるるのである。この理によって親に孝を尽くし、夫に貞節を捧げる等は、現世よりもむしろ死後における方がより大きな意味となるので、慰霊祭などは霊は非常に喜ぶのである。
『天国の礎』(霊界の審判)
ここで餞供の食物について知りおくべきことがある。それは霊といえども、食物を食わなければ腹が減る。そうして霊の食物とは、すべての食物の霊気を食するのである。ただし現世と違い、極めて少量で満腹するので、霊一人一日分の食糧は飯粒三つくらいで足りるのである。したがって普通の家庭で餞供された食物といえどもかなり多数の霊人が食しても余りあるくらいであるから、その余分は餓鬼道の霊達に施与するので、その徳によって、その家の祖霊の向上が速やかになるのである。この意味において祖霊へ対してできるだけ飲食など供えるべきで、万一祖霊へ対して供養を怠る時は、祖霊は飢餓に迫られ、やむを得ず盗み食いする結果、餓鬼道へおちるかまたは犬猫のごとき獣類に馮依して食欲を充たそうとする。それがため畜生道へおちるのである。
『天国の礎』(霊界の構成)
3) 参 拝
人間に曇りをなくすることが健康法の根本であります。これは光によくすることが一番光にふれることである。朝夕観音様を拝むことは光にふれることで、光に照らされることである。魂に光を受けるから清まるのである。この光に大、中、小がある。本部が大であり、支部が中であり、自家の観音様が小なのである。
『ニーリーダーの手引き』(朝夕の祈り)
信仰に入り、神に向かい拝み祈れば、神と人間とが霊線によって繋がれる以上、霊線を通じて神の光は魂に注入され、魂の光が増す。
『天国の礎』(犯罪をなくすには)