1) 腎臓萎縮
腎臓は体内機能中、三大機能に次いでの重要なる役目をしているもので、之は医学でも唱える如く、一旦腎臓へ集溜されたる液中から、貴重なるホルモンを抽出すると共に、廃物液体である尿は膀胱へ送られるのである。処が厄介な事には、腎臓が完全に活動されるとしたら右の通りであるが、実際上幼児から少年、青年、壮年と年を重ねるに従って、漸次働きが鈍るのが通例で其原因は腎臓が萎縮するからである。では何故萎縮するかというと、腎臓が前述の如く、必要なものと不必要なものとが分けられる場合、右に二者以外の異物が混じる場合がある。此異物こそ言う迄もなく薬毒であって、之がどう処理されるかというと、ホルモンにも尿にもならないので、腎臓の表皮を滲透して、背部腎臓面に浸出し僅かずつ溜まるでのある。それが固結し腎臓を圧迫するから、腎臓は漸次萎縮し、ホルモン産出は減少する。(不感症は此原因が多い)と共に尿の処理も鈍化し、其幾分は之も外部へ浸出するから、薬毒に追加され、両毒合併して毒結は愈々増大する以上、背柱の両側に溜まり上向延長しつつ、遂に肩や頸の辺迄及ぶのである。肩や首が凝るのは之であって、面白い事には此両毒結を判別する事が出来る。即ち患部を押せば薬毒の方は固くて痛み、頑固性であるが、尿毒の方は稍々柔軟で殆ど痛みがない。そうして毒素は遂に頭脳内に迄侵入するので、其結果浄化が発るそれが頭重、頭痛は勿論、脳膜炎、日本脳炎、脳脊髄膜炎、脳溢血等、凡ての脳疾患である。此頭脳内の毒素の有無を知るのは甚だ簡単で、頭脳に手を触れてみれば直ぐ判る。即ち少しでも温味があれば毒素のある証拠で、温かい程毒素が多い訳だが、現代人で無熱の人は恐らく一人もあるまい。右によっても分かる如く、最初に述べた感冒の原因である肩から上に固結する毒素は、凡て腎臓が元である事は明らかである。としたら感冒も結核も肺炎も殆どの病気は腎臓萎縮が原因である事が判ったであろう。処がそればかりではない。肋膜炎も、腹膜炎も関節リウマチも神経痛も婦人病も勿論そうであり、カリエスも、肝臓病も、黄疸も、糖尿病も、胆嚢、腎臓、膀胱内の結石も、喘息も、中風も、小児麻痺も、精神病もそうである。としたら実に腎臓萎縮を起こさないようにする事こそ、健康の第一条件である。以上の病気は順次説く事にするから、それを読めば尚良く判るであろう。
(文明の創造 腎臓病とその他の病)
浄霊の急所
腎臓を完全に働かせる事が肝腎で、それには腎臓萎縮の原因である固結を、溶解除去すると共に、作らないようにする事である。
(文明の創造 腎臓病とその他の病)
2) 急性腎臓病
次に、最も多い病気に腎臓病がある。之は急性と慢性とあるが、世間、腎臓病と称するものは其殆どが慢性であって、急性は極稀である。急性の症状は、四十度前後の高熱を出し、背面腎臓部の左右両方か又は一方が激痛を伴うのである。此場合激痛の為、腰を動かす事は不可能で、多くは身体を湾曲させて呻吟している。そうして蛋白は多量に尿と共に排泄さるるのである。之は自然治癒によっても、一、二週間にて順調に治癒するのである。
(明日の医術 腎臓病と糖尿病)
浄霊の急所
背面腎臓部(上記に同じ)
3) 慢性腎臓病
慢性腎臓病の症状は、人も知る如く尿と共に蛋白の排泄及び浮腫、腰痛、疲労感等である。そうして浮腫のある場合、尿量は減ずるのである。医家は蛋白の排泄ある程、病気亢進と解釈し、蛋白を無からしめようとして、随分摂取の禁止をなし、又は牛乳の多量飲用を勧め、薬剤としては利尿剤を用い得るのであるが、之等の方法は悉く誤診であって、私の発見による原理を次ぎに述べてみよう。腎臓疾患に於て、何故尿と共に蛋白が排泄せらるるかという事は、医学上未だ明らかでないようである。それでは蛋白とは何であるかというと、実は然毒又は尿毒、薬毒が、背面腎臓部に凝結し、それが体温計に表れない程の微熱(掌を宛てれば良く判るのである)によって溶解し、一種の液体となって腎臓内に浸潤し、尿と共に排泄せらるるのであって勿論浄化作用の為である。故に、蛋白が排泄せらるるだけ病気は軽減するのである。その證左として、私が多くの腎臓病患者を治療の際その溜結毒素の溶解施術を行うや、微熱が発生して、一時は蛋白の排泄が非常に多くなるのであるが、漸次少量となり、終に全く無蛋白尿となって完全に治癒するのである。私が治療した腎臓病患者は何れも同様の経路をとって完全に治癒したのである。
(明日の医術 腎臓病と糖尿病)
浄霊の急所
背面腎臓部(上に同じ)
4) 腎臓結核
次に、腎臓結核は極稀であって、誤診の方が多いのである。そうして此患者は医家に於ては左右いずれかの腎臓の剔出をすすめるのである。然し、手術の結果は予後良好であったとしても、全身的活力は減じ、普通人としての活動は先ず困難であるといえよう。そうして、医家は血尿によって結核の診断を下すようである。然し、私の経験によれば、腎臓以外の原因による血尿もあるのである。それは如何なる訳かというと、多くは両鼠蹊腺上部の微熱又は軽熱の腎盂炎による発熱の為、輸尿管の附近が常に熱せられているので、尿が輸尿管を流下する際熱尿となり、それが尿道を通下するので、尿道粘膜の薄弱なる人は、粘膜が火傷するので、その火傷部の血管から血液が浸潤して血尿となるのである。之等は右の微熱部の毒素を溶解するに於て、大抵数日間で容易に全治するのである。然し、稀には真の結核性腎臓病もあるが、之は腎臓部に痛みがあり、それが膀胱に移行し、攝護腺から睾丸に迄移行するという悪性で、非常に苦痛があり、最も難症である。
浄霊の急所
背面腎臓部、膀胱、攝護腺(前立腺)、睾丸(上記に同じ)
血尿だけの症状
微熱のある背面腎臓部、両鼠蹊腺上部、尿道(上記に同じ)
5) 結石
之は胆嚢の中へ石が出来るので、その石が胆汁と共に胃に向かって流入せんとする際、輸胆管通過が困難なのでそれが堪えられない激痛となるのである。従って石も特に治療困難な病気としている。近来細い針金様の機械を作り、咽喉から胃を通じて、補捉し出すという事を聞いているが余り効果はないようである。所が石の小さい場合、通過下降し、腎臓にまで流入するので、腎臓内の尿素が付着し、段々大きくなってゆき、茲に腎臓結石となるのである。そうして困る事には、結石は腎臓活動の為、腎臓壁に触れて疵が出来る。そこへ尿が泌みるから痛みと共に出血するので、之を医診は腎臓結石というのである。而も結石は漸次育ってゆき、余り大きくなると致命的となり、医療は手術によって片一方の病腎を剔出するのであるが、其時分は非常に固い石となっており、之を細工をして指輪やカフスボタン等に作られた物を見た事があるが、頗る光沢があって宝石に見紛うばかりである。又小さい内膀胱に流入し、腎臓に於けると同様育ってゆく、之が膀胱結石である。処が最も困る事には、其石が膀胱の入口へつかえる事がある。それをうまく通過しても、今度は尿道口へつかえる。両方共尿の排泄を止めるから、尿は漸次下腹部に溜まり腫れるので、医師はブーヂを挿入するが、之も尿道口だけの閉塞なら奏効するが、膀胱口の方は仲々困難なので、逐に生命に関わる事となるのである。茲で、最初の胆嚢結石の原因をかいてみるが、之は曩に述べた如く、腎臓から滲出する尿毒が、漸次上部に移行する際、胆嚢の裏面から胆嚢内へ滲透するので、其毒素と胆汁と化合して石となるのである。
(文明の創造 肝臓、胆嚢、膀胱の結石)
浄霊の急所
背面腎臓部
之を治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活発にさせ、余剰尿を作らないようにする事で、それより外に方法はないのである。
患部
従って本浄霊法によれば、割合簡単に石は分解され、砂の如くなって、尿と共に排泄されるので、短期間に全治するのである。
(文明の創造 肝臓、胆嚢、膀胱の結石)