一、現代医学には科学性がない

 1、病気になって服薬するという事は、常住服薬の効果で健康 であったが、一時薬を止した為に発病した。従って又服薬す  れば健康になるという理窟と同じ事
             (御教え集二六号 二七頁)
 病気によって薬を飲むという事は、つまり始終薬を飲んで健康だった。それがたまたま薬を止したために、病気になったというのです。丁度不断メシを食っているのでピンピンしているが、ついメシを一度か二度抜いた、だから弱って働けない、それで早くメシを食って腹をくちくしろ。それで食うと、くちくなって働けるという理窟です。だから薬を飲んでいたために達者でいたのだ、ところが薬が切れたので弱ってしまった、要するに病気になった。だから薬を入れれば又達者になる、という理窟と同じ事です。ここをよく考えてみると分ります。浄化作用という事を知らないで、ごく常識的に平凡な理窟で考えてみてもわかります。“あなたはこの頃大変体が弱ったようですね”“ええどうも薬が切れたのでこんなになりました”“では薬を沢山、なるだけ強い薬を飲みなさい”というので強い薬を沢山飲んだら快復した、というのが今の人です。ところでごく山奥の人や、下層階級の人や、又全然何も知らない人は、薬を飲まないから、そういう人は体が弱くなっていなければならないのです。それから昔は弁慶とか、いろいろ強い人が居ましたが、そういうのは薬をウンと飲んでいなければならないのです。ところが文明時代と言われるようになってから、だんだん弱って来ているのです。それで今は世界中が大騒ぎになって薬を飲ませようとしているのですから、これはどうも変な話です。それで薬を飲まないから丈夫で、丈夫だから薬を飲まないという人が沢山あります。ところがどうも不思議なのです。“大体薬を飲むから丈夫なのではないですか。あなたみたいに薬を飲まないで丈夫という事はおかしいではないですか”という事になったら、これは大変におかしい事になります。だからそれだけの簡単な理窟が分らないのです。
 そうして今度は浄化作用が分ってからの話ですが、そうすると、その薬を飲むと近頃のように新薬などがドシドシ出て──新聞広告などは薬の広告で埋ってます──そうして飲んで、結局命まで無くするのですが、平凡に考えてさえその馬鹿さ加減が分ります。今度はそれ以上にマイナスになるとしたら、全く馬鹿を通り越しているわけです。そういう事の理窟が分らないだけは馬鹿で済みますが、今度はそうして苦しんで命を縮めるという事は、馬鹿よりか以上です。そこで「超愚」という題をつけるよりしようがないのです。

 2、薬というものは全部麻薬である為一時的に効果を奏するの  で幻惑された

  1 麻薬は急激に効果を奏し、他の薬はジリジリ来るため、麻  薬は恐ろしいが、薬毒は恐ろしくないという、甚だ矛盾した  考えが有りの儘の姿である。
               (御教え集一四号 八頁)

 御論文〔医学断片集 薬と名の付くものは全部麻薬なり〕
                (註 栄光一七四号)

 これをよく信者に説明してやる事です。胃が悪い、苦しい、気持が悪い、というので胃の薬を飲む。そうすると一時良くなる。頭が痛い、するとノーシンを飲むと一時良くなる。だから一時良くなるけれども、そういった胃が苦しいとか胃痙攣が起るとか頭が痛いとかいうのは、胃病の薬や消化薬を飲んだその結果です。消化薬を飲むと腹が減って美味しくなるから、うっかりそれに惚れて一寸工合が悪いというとやる。それが麻薬と同じですから、遂にはやっぱり気持が悪くなる。で、一日一服飲んだのが、しまいには二服三服と段々薬を強くするが、これは麻薬の経路と同じです。最後には麻薬をやらなければ苦しいので、麻薬を泥棒して迄買って使う──そういうふうになります。只麻薬の方は急性です。急激に来る。それから他の病気の薬は慢性です。だからして急激に来る麻薬の方は恐ろしがって、ジワジワ来る薬毒の方は恐ろしいとは思わないという、甚だ矛盾した可笑しな話なのです。それが現在の有りの侭の姿なのです。だから一切の薬は麻薬と、こういう工合に思って──無論信者の人は思ってますが、そういう工合に説明すると一番分り易いと思います。そこで結核にしろ、ヒドラジッドをやった処が熱が非常に下って食欲が増えた──それは食欲というのは熱が一番関係があるのですから、熱が下れば食欲は出ます。食欲が出るから肥って来る。そういうような工合だから、非常に効いたようにみえる。処が最近は二、三週間で元通りになって、結核菌は悪性になっているという事を聞きましたが、麻薬が二、三週間で効かなくなったという事です。それに就いても段々霊界の浄化作用が強くなると、今迄半年も一年も効いた麻薬が段々効かなくなって、今読んだように「この頃薬が効かなくなった」「先には大変効いた薬だ」と言うのを考えてみれば分るのです。考えてみて、何処迄もそこを徹底してみれば、分らない筈はないのだが、そういった観念も起らないのです。只、つまり薬迷信に陥り過ぎてますから、薬の為という事に考え附かないのです。それ程酷くなっているのです。処が人間の身体は、何も二十年前や三十年前と違ったわけはないのです。人間の身体というのは何千年何万年前と理窟は同じです。それが単に十年か二十年前に効いたものが効かなくなったという、そんな馬鹿な話はないのです。処が効かなくなったという事はよく聞きます。「何の薬はあの時分は効いたが」と。これはお医者さんが言うのだから間違いないです。そうするとお医者さんは、人間の身体が変ったのではないか・・と、それは思わないのです。そうするとどういう事か? 薬が変ったかというと変らない、先と同じ製造方法です。そうすると疑いが起る筈です。処がその疑いの考えも起らないのです。起した処で分らないのです。どうも何んだか変だがと、それ丈です。そうするとお医者さんが絶対治らないというのが、こう(御浄霊)やって半月か一月で治る。これはどうして治ったと、首をひねる丈でおしまいになる。だから我々からみると実際馬鹿なものです。訳が分らない。やっぱり肥料も麻薬中毒と同じです。硫安とかをやった年とか、その次の年とかは馬鹿に出来るのです。そうするとそれが良いと思って、段々やっていると中毒になるのです。そこに気が附かないのです。ですから肥料も薬も理窟は同じです。結局麻薬中毒と思えば間違いないです。

  2 薬を変えると一時効くという事は、一つ薬を飲んでいると、
   薬に対する抵抗力が生じて中毒になる為効かなくなり、止   むを得ず変えるのである。
              (御教え集一四号 一六頁)
 よく麻薬中毒という事を言いますが、麻薬中毒と言うと他人事のようですが、今、日本人全部が麻薬中毒なのです。只早く効く麻薬と遅く効く麻薬との違いです。で、みんな麻薬と言っているのは、早く効く麻薬です。それから薬と言っているのは、遅く効く麻薬です。それに就いて書いてみたのです。

 御論文〔医学断片集 薬と名の付くものは全部麻薬なり〕
                (註 栄光一七四号)

 よくお医者さんなどが“この薬は前は効いたが、この頃は効かない”という事を言うのですが、あれはやっぱり麻薬中毒と同じで、麻薬も最初は三日に一本射てば良かったが、段々効かなくなって、今度は二日に一本、一日に一本というように詰ってます。あれと同じで、前は風邪の薬を飲んだり胃の薬を偶に飲めば済む位だが、段々頻繁にしなければ追附かない。よく喘息の注射などは、起る度に射ったのが、それがしまいには段々詰って来て、三日とあけず射つようになる。それで始終射つという事になります。あれは麻薬の作用と同じ事です。麻薬は、しまいには射たないと苦しいから人の物を盗んでも射つようになります。喘息の注射はそれと同じです。少し注射しないでいると息が詰まりそうになります。そうしてみると、一切の薬は麻薬なのです。だから麻薬中毒を恐れるのなら他の薬も恐れなければならないが、只他の薬は麻薬のように早くない。遅く効くから、中毒になり方が暇がかかるから、それで気が附かない。実に人間の頭の悪さというのはお話になりません。それから結核の新薬なんかでも年中変ってます。今はヒドラジッドなんかと言っているが、この次は又何か出て来ます。それに気が附かない間はいくらでも薬が出て来ます。併しそのうちにこっちの説を世界中が信じるようになります。それ迄の間はドンドン新しい薬が出ます。それで新しい薬というのは、麻薬なら麻薬の効きが良くなるのです。だからそれが分れば恐ろしい話なのです。薬の中毒を患者に言う場合に、麻薬を例にとって言うと分り易いと思います。一番良いと思います。ストレプトマイシンという麻薬なのです。ヒドラジッドという麻薬なのです。こういうふうに言うと分り易いです。段々薬の種類が増えると──増えるという事は、これも可笑しい事で、よく胃なら胃の薬を飲んでいると、もうそれが効かなくなる。すると、薬を変えると一時効くという事を言いますが、一つ薬を飲んで効かなくなるという事は、中毒になっているのです。中毒というのは、身体にそれに対する抵抗力が出来るので効かなくなる。人間の身体というのは、丁度食物や何かで毒のある物を食べていると、段々毒に中らなくなるが、あれと同じ事で、一つ事をやっているとそれに中毒をしてしまう。だから変えなければならない事になる。これは農業の方の連作と同じです。つまり肥料中毒にかかっているから、そこで畑なら畑を変えると、一時良くなるという意味と同じ事です。そういう点を考えると、薬毒というのは良く分るのです。

  3 現代人は、薬毒で頭脳を悪くし、物事を判断する力を失っ   ている。その為薬の一時的効果に幻惑されている。
              (御教え集一二号 一九頁)
 どんな問題でも、結論は一つです。一番良いやり方というのは一つしかないのです。それが、頭が悪い為に見附からないのです。というのは、因は薬毒です。ですから、この間も言った通り「上面利巧の芯馬鹿」だというのはそういう訳です。だからどうしても薬というものを全廃する──無くなれば、頭はずっと良くなります。頭は良くなるし、伝染病というのが無くなります。あの黴菌というのは薬毒から湧くのです。黴菌でも、良い黴菌もあるし悪い黴菌もあります。良い黴菌というのは必要ですが、悪い黴菌というのは薬毒から湧くのです。それを知らない、発見出来ない。そういう訳だから、とに角少なくとも、もう少し人間の頭を良くしなければならない。教育も肝腎ですが、教育はどっちかというと上面を利巧にする事です。まあ物識になる事です。ですから、物識になれば判断力は良くなる訳ですが、処が芯の方が頭の活動力が悪いから、肝腎な物事の判断をするそういった頭脳が働かない訳です。要するに頭脳の中心が働かないで廻り丈が働いてしまう。処が薬というものを又馬鹿に信じているのです。新聞にも出てますが、今度出来たヒドラジッドなどを、大した物のように思って飲みたがっていますが、態々悪くする──肺病を治さないものです。薬というのは全部麻薬です。一時良くするのです。丁度頭の悪い人が、麻薬を注射すると頭がはっきりして来る。だから小説を書くにしても、あれが流行っている。急ぎの原稿を書くのに、あれをやると馬鹿に良く書ける。それで中毒になる。それは麻薬丈ではない。一切の薬がそうです。食欲がないので薬を飲むと、一時増えたりして良いように思えるのです。だから次々に飲んで、結局それが癖になって段々中毒症状になる。併し直ぐに大いに効くのは麻薬として取締っているが、緩慢に効くのは分らない。発見できない。だから急速に効くのは麻薬として排斥するが、緩慢に効くのは良いとして奨励するのですから、この無智なやり方、頭の悪さです。又それに慣れ切っているのです。それを教えよう、分らせようと思って、我々は骨を折っているのです。そういった麻薬を、麻薬でないと思っている迷信です。それを言うと、こっちの方を迷信と言う。その位頭が悪いのです。だから現代人と言えば、少なくとも脳病です。  

 3、薬は消極的健康者にする為、一時的病人が減少するが、形  を変えた病気になって現われる
               (御教え集二六号 七一頁)
 特に胃の薬ほど分りますが、一つ薬を飲んでいると効かなくなります。そこで薬を変えると一時効くのです。というのは、その成分に大して体の方が、つまり抵抗力と言うか、慣れてしまうので効かなくなるのです。それで今“肺病で死ぬのが延びた”それから“寿命が延びた”と言うこれがその理由なのです。最近ストレプトマイシンとかパスという新薬は、抗生物質と言って、今までとは全然違った成分の薬なのです。それで抗生物質が非常に良いという学説になっているようです。というのは、今まで飲んだ薬とは全然違った成分だから効くのです。効くという事は浄化停止の力が強いのです。そこで浄化が弱るからして死ぬのだけは延びるわけです。だからこれを続けて何年か後には、抗生物質に人間の体の方が抵抗するというようになるから、そうなると元の木阿彌になります。そこで今は、肺病などにストレプトマイシンをやると、数カ月後には菌の方の活動力が非常に強くなって、これをどうしたらよいだろう・・・というのが今の医学界の問題なのです。
 近頃──去年あたりは結核が減ったなどと喜んでますけれども、減ったというのは、B・C・Gとか、ストレプトマイシンとか、やれオーレオマイシンだとか、色々新しい──ああいう薬を用いますから、その為に浄化を停止したのです。浄化を停止した為に、一時、死亡だとか悪化を──一時食止め、抑えたから、そこで、一寸そう言った死亡率とか患者とかが減ったのですが、けれども、それでずっといく訳じゃないのだから、結局又浄化が起って、今度は先よりか悪性な結核か、さもなければ他の病気──形を変えた病気が起って来ます。形を変えた病気というのは、近頃アメリカで非常に起り出して来ました。アメリカでは、今迄ないような悪性な病気が大分起って来ましたが、これは結核を食止めた為です。

 4、薬に殺菌力はない
               (御教え集八号 一一頁)
 病気の原因も──結核菌の発生するという事は、霊の曇りですから、霊の曇りを取れば、結核菌の因がないから、あと発生しない。というのは、あと発生しなければ段々無くなっていくのです。人間に寿命があるように、結核菌にも寿命があるのです。だから、段々無くなっていくのです。古い奴は段々死んでいくのです。処が後々出来ていくのです。子が生まれて、後々繁殖するように見えるので、医学は間違えたのです。で、菌を本当に殺す事が出来るような薬なら、人間も殺すのです。飲薬なら、胃に入ります──胃から腸にいって、それが色々な消化機能の活動で、薬は方々に行くのです。身体中に行くとすれば、その時分には、殺菌の力は無くなってます。又注射すると、血管をグルグル廻って心臓に行って、肺の黴菌の所迄行くうちに、もう気が抜けてしまっているのです。本当に殺菌するなら──肺なら肺にやればそれは死にます。グルグル廻っても未だ殺菌する力があれば──毒の強い奴だと、それは人間の命がないです。だから、結核菌を殺すように、人間を殺す事になる。そうすれば徹底しますよ。それを一生懸命にやっているのですから、哀れなものです。

 5、医者の言う事には一貫性がない
              (御教え集一四号 一八頁)
 この間、薬が段々効かなくなるという話をしましたが、今し方の学校放送の時間で、今年の赤痢の多いのは、サルファ剤というのが、前には飲ませると割合に良く治ったが、そのサルファ剤がこの頃効かなくなった。どういう訳で効かないかというと、医者が言うには、素人が矢鱈に使うから効かないのだと言う。すると素人の手に入ると薬の効き目が薄くなるというのはどういう訳か一寸分らない。反って医者の方が薬を余計使うのだから、あべこべではないかと思いますが・・。素人が使うから効かなくなった為と、その外もう一つの原因は、効くと直ぐ薬を止めてしまう、その為に治り損って増えると言うのですが、これもその言う処は分らない。むしろ薬が効いているから、直ぐやめるのではないですか・・。一寸下痢が止まるので、もう治ったと思ってやめる。それがいけないのだと言うのです。ですから、要するに医者の言う事は出鱈目なのです。理窟が一貫してないのです。何がなんだか、さっぱり分らない。そんな事でもう頭が変なのです。何んと言って良いか分らない。それだからして、いつも医者が言うのは、手を洗う事、それから食物とか食器に蠅がたからないように、それより外にしようがない、という事を言っているのです。実に情ないような話です。