三、浄霊の順序を正しくする事について

1、浄霊の合理性について(御教え集二九号 五頁)

分りやすい話が、浄霊してどうもうまく治らない、おかしいなと思うと、見当が違うとか順序が違うとか、いろいろあります。それで順序というのは理窟に合う事です。合理的なものです。だからその病人なら病人が、未だ種々反対者があったり、その人の想念が恐ろしく食い違ったりする時には、うまくゆかないのです。そういう事に対してチャンと合理的の理窟があるのです。だからかえって疑ぐっていた人が馬鹿に治り、それから相当に信じている人で治りが悪いという事がありますが、それはそういう訳です。全然知らない人はいくら疑ぐっても、それは当り前の事で許されるのです。理窟に合っているのです。ところが相当事実を見せられながら、なお疑ぐっている人は思うようにゆかないのです。そういう事をよく考えてみると、チャンと理窟に合っているわけです。その合っている理窟を早く発見し、早く知るという事が智慧証覚です。

2、浄霊する時は順序を正しくすること(御教え集二十号 三九頁)

例えば患者が浄霊に来ますが、その時に一番先にやるのは、一番重い病気の人、つまり苦痛の大きな人を一番先にやれば良いのです。それから、さのみ苦痛のない人が幾人もいる場合には、年齢順にやればよいです。そうすれば理窟に合ってます。しかし年齢順だからと言っても、赤ん坊は又別です。ギャーギャー泣いて、いろんな事をすると他に障りますから、煩さくないように早く済ますという事は理窟に合ってます。そういう事が何もない時には、先ず年齢順からやるというのが理窟に合っているわけです。それから常識的に考えると、非常に身分のある人や何かで、非常に用事が多い人などは先にやる、という事も、又理窟が立ちます。それから、来た順も必要です。どっちにしてよいか分らない場合には来た順です。それから、来た順でも、苦痛のある人とか重い病気の時は、待っている人に一応断わるのです。“この人は重いから先にやりますから”という事を一言断わればよいです。順序から言うと、第一は病気の重いのからやり、その次が来た順、その次が年齢順で、後は常識的に考えればよいのです。そういう順序を乱さなければ、治りも良いし、よく効く訳です。

それは、霊界がそういうようになっているのです。こういう事を知ってみると、よくそういう事があります。おかしいなと思う事は、何か順序が狂うという理由があるのです。それで、こういう事は大変面倒臭い事のようですが、これが分ると面倒臭いどころではなくて、自然に気がつくのです。無意識に順序を正しくするようになります。そうならなければならないのです。

3、親切に公平であるべきこと(地上天国七号 一二頁)

(御 伺)御浄霊の際、患者に対しどの程度まで親切にすべきでしょうか。

(御垂示)親切にすればする程いい。程度はないが順序は大事で、神様第一でなくてはならない。併し人によって区別するのはいけない。どこまでも公平であるべきだ。