二、浄霊の形式と方法

 1、浄霊医術習得の一番の修行は力を抜くこと
              (御教え集十号 三十頁)
 この頃御守護電報などが日に何本となく来ますが、重態な場合もあるし、つまらない──こっちから見るとつまらないのだけれども、本人や浄霊している人は、重大だと思って電報打つのでしょうが、病状と苦痛によって分ります。大した事でなくて、じきに治るような事で御守護の電報が来ますが、あれはどうも治し方が違っているのです。浄霊が違っているのです。というのは、やはり力が入るのです。力を抜いてやれば何でもなく治るというのに、治らないという事はそういった訳です。だから浄霊の一番の修行というのは、力を抜く修行です。そうして、力を抜いてその霊が向うに通らなければならない。だから本当言うと難かしいのです。しかし、やり方は楽なのです。だから楽で難かしいと、こう思わなければならない。それで、通そうとすると力が入るのです。そうでなく、力を抜いて霊を向うに通すのです。これでやると非常に良く治る。兎に角力が入ってはいけない。若し治りが悪いと、力が入ったなと気がつかなければならない。私が始終そうです。私が一寸、誰かを浄霊してやる場合に、力を抜くと非常に良く治る。可笑しいなと思うと、知らず識らず力が入っている。ですから力を抜く修行です。それが出来るに従って良く治る──と、こういうふうに思っていいです。

 (イ)力を抜くこと
              (御教え集二号 七一頁)
 浄霊ですが、これは(手)今まで振ってましたが、これからはやめなくてはいけない。どうしても、こうする(振る)と力が入る。そこでどうしても、力が入らないようにするには、じっとしているのです。ですからそういうようにして貰いたい。だから、動かさないという事です。そうして、出来るだけ力を入れないで、ぼやっとしているぐらいがよいのです。ピンとしない事です。

 (ロ)力を抜くこと
              (御教え集二号 七一頁)
 今までよりか何倍も良く治る。そうすると、今のお蔭話にあるが、一時間やったとか、二時間、三時間やったとかいう、あれは嘘です。あなた方がやっても、二十分か三十分位で治ります。

 (ハ)力を抜くこと
              (御教え集一五号 五五頁)
 こう(浄霊)やって、どうも治りが悪いなと思ったら、力が入っているのです。益々霊界が変って来て、火素が増えるに従って、余計そうなるのです。つまり人間の力というものが邪魔するのです。力を入れると、折角の霊を邪魔してしまうのです。それだけ治りが悪くなる。ですから私なんかでも、始終力を入れないようにしてます。そうすると、とてもよく治る。今までの人間は大抵の事はあべこべをやっていたのですから、これ(浄霊)なども、理窟から言うとあべこべです。何でもなく治るような事が割合に治ってないが、それはみんな力が入るからです。今は非常に火素が増えてますから、病気は非常に簡単に治るのです。あなた方でも、大抵な病気は簡単に治ります。どうも治らないという事は、力が入っているのです。

 (ニ)力を抜くこと
             (御教え集二十七号 三十頁)
 この力を抜くという事は、むしろ難かしいです。しかもだんだん浄化が強くなるに従って、ますます光が強くなるから、そうすると光を出すには、力を抜くほど出るのです。少しでも力を入れると、光の出が悪くなるのです。妨げるわけです。力を抜くという事は、これ以上は抜けないというところまで抜かなければならないのです。

 (ホ)力を抜くこと
              (御垂示録二五号 一二頁)
 浄霊しながら鼻唄でもうたいたいくらいの気持でやるのが一番よいのです。それで、神様に御願いするのはいくら一生懸命になってもよいのです。それは構いませんが、ただ浄霊の場合には、自分が治すのではないので、神様に治していただく、自分はその道具だから、そのつもりになって居ればよいわけです。私などもやっぱりそうです。少しでも力が入ると治りが悪いのです。勿論お腹の光が出る場合にも──力というのは腕力ですが──それが出るわけですから、それだけで光が薄くなるわけです。

 2、早く治してやりたい時程「一生懸命」にならぬこと
              (御教え集一八号 四三頁)
 最初に一寸注意したいことは、浄霊のやり方にどうもまだ力が入るようなのです。その力が入るというのは、「一生懸命」にやるからです。この「一生懸命」がいけないのです。しかも急病とか患者が苦しんでいる場合には、早くなおしてやろうとして余計に一生懸命になるから、かえって効かなくなるのです。だから患者が苦しんでいる時や、早くなおしてやりたいという時ほど「一生懸命」になってはいけないのです。神様の事は反対が多いのですから、できるだけ軽く、まるで他人事のような気持でやる事です。というのは、光がお守から手を通って出る場合に、ここ(掌)で一生懸命になると、其処でつかえてしまうのです。掌はなんでもなく、気がはいらないと、この光がずっと通るのです。私は浄霊する場合には『なおしてあげよう、曇りを取ってあげよう』という気持はありますが、手の方は『ええい、可哀想だからやってやろう』というような、至極不真面目と言えば言えますが、そういう気持でやってます。又その方がよく効くのです。ですから、それを忘れないようにしてやる事です。
 よく御守護の電報が来ますが、なんでもなく治るような事を電報で来るのです。というのは、浄霊の効きが悪いからなのです。悪いという事は力がはいるのです。それは長くからやっている人と、最近の人との違いさはありますが、大体今言ったような点が一番ですから、一寸注意しておきます。

 3、手の力の抜き方と患部に対する直射について
              (地上天国二四号 一五頁)
(御 伺)
 御浄霊の際は手の力を出来るだけ抜くように御教えを頂きましたが、同様に御光が目的個所へ滲透するように念ずる人間念力も、出来るだけ放下すべきで御座いましょうか。その方便として、脇見をしたり、他の考え事をしてもよいという事になりますと思いますが、如何でございましょうか。又御光は直線に進むと致しましたら、掌の面を浄霊個所に対し、そのように合わせなければなりませんと思われますが、如何でございましょうか。
 御伺い申し上げます。
(御垂示)
 手の力を出来るだけ抜く事と、患部に奥深く滲透するようにする。この矛盾のような方法であるから、熟練が肝腎である。次に霊射は勿論直線である。アインシュタインの説のような光線屈曲はないのである。

 4、腕の曲げ方について
               (御垂示録三号 六四頁)
(御 伺)
 浄霊の場合に腕を伸ばした方が宜しいでしょうか。
(御垂示)
 伸ばしたら力が入ります。少し曲げなければならないです。手も、あまり突張っては駄目です。軽くするのです。

 5、浄霊の距離について
               (地上天国五号 一一頁)
(御 伺)
 浄霊の時、手をどの位離したのが一番霊気が強いでしょうか。
(御垂示)
 かなり遠くとも霊気はつよい。二、三間は離れてもよいが、あまり遠いと中心を外れるおそれがあるから、二、三尺位が一番いい所で、中心がよく合うのである。

 6、患部と掌の距離について
                 (御垂示録三号 六三頁)
(御 伺)
 浄霊は、距離はどの程度が一番宜しいので御座いましょうか。
(御垂示)
 普通一、二尺です。場合によっては五尺でも良い。又場合によっては、力を入れない場合のは一寸でも良いです。それは自由自在です。

 7、如何なる場合でも、なるべく掌と患部とを離すがよい
                        (御教え)
(御 伺)
 手を離す距離は、それ程気にしなくても宜しいでしょうか。
(御垂示)
 それは気にかけなくてよい。──仰向きに寝たままで動けない人の背中をする場合は、その患部に手を突込んでじかにあててやればよい。併しじかにつけてやるのは宗教的でないし、又効果も離してした方がいい。

 8 浄霊時は掌の指を開かないこと、又場所によっては
指による浄霊の方が効果がある

 (イ)
              (御教え集一七号 五三頁)
 浄霊の時には指をつけた方が効果があります。というのは、こうすると(指をつける)霊がまとまってゆきます。開けると間が隙きますから、くっつけた方がいいのです。それから場所によっては、指だけで(掌でなく)浄霊する時に効果がありますから、指を開けないでつけるようにすると、ずっと効果があります。

 (ロ)
              (御教え集一七号 五九頁)
 これからは、浄霊の時には指をくっつけるようにして下さい。そうすると非常にいいです。ところが、指をくっつけるとどうしても力が入りますから、力が入らないようにしてくっつける事です。

 9、小さな固結の浄霊
               (御教え集二四号 六頁)
 ごく小さい固まりがある事がありますが、それを浄霊するには、指から霊を出すのです。これは何時も言うとおり、触ってはいけません。二本の指でこうやって中指から霊を出すようにするとよいです。この指から出る霊は強いですから、小さい固まりはよく溶けます。

 10、時と場合によっては寝かせて浄霊してもよい
                     (御教え)
(御 伺)
 患者を寝かせて御浄霊しても宜しいでしょうか。
(御垂示)
 ええ構いません。病気によっては寝かせてやったらよい。寝かせてする場合でも、手は五寸から一尺位離したら宜しい。

 11、仰向けに寝た侭の病人の浄霊について
               (御教え集四号 二四号)
(御 伺)
 特に天底、肩部、頸部、鼠蹊部横より腎臓部で、仰向けに寝た侭である為背部よりの御浄霊は出来ませんが。
(御垂示)
 背部の浄霊は出来ます。手を入れて、離さなくてもぴったりくっついた侭で力を入れないようにすれば結構出来るのです。そうしなければ駄目です。

               (御教え集四号 二四頁)
 (背部の浄霊は)手を突込んで、そうして力をいれないで霊気を入れるのですから、何でもないです。

 12、浄霊時放射能感があるのは本当ではない
              (地上天国四八号 一一頁)
(御 伺)
 御浄霊の場合、主として使用する私の右の掌は、一昨年末頃からと思いますが、御神霊放射能の充満、流動、放出感があります。左の掌にはありません。御浄霊の霊力は、放射能感のあるなしによって差異があるのでございましょうか、御伺い申し上げます。(御垂示)
 放射能感がするのは本当ではない。右だけ出るものではない。左右同様に出るものである。私の言うとおりに力をできるだけ抜けば、そんな筈はない訳である。

13、自分より上位の資格者に対する浄霊
               (地上天国三号 一五頁)
(御 伺)
 弟子が先生を、又は普通の御守の人が大光明の御守の人を浄霊しても差支えないものでしょうか。
(御垂示)
 差支えない。その人を浄霊する場合は、自ら位置が変る。される方は先生でも、浄霊する場合は神様がそのように守るのであるから、差支えない。

 14、椅子を使うことについて
               (御垂示録一五号 一二頁)
(御 伺)
 重病患者は疲れますので横にしますが、今の若い人達は坐るという事が不自由で御座いますので、椅子を使うという事は宜しいでしょうか。
(御垂示)
 構いません。それでなければ外国人は浄霊出来ません。

 15、一人対一人と決めなくてもよい
               (御垂示録三号 一頁)
(御 伺)
 浄霊の事に就きましてお伺い申し上げます。前には御垂示戴きまして一人対一人というのが原則でございましたが──。非常に激しい浄化を戴きました時分に、何人でもやって居りますのは如何なものでございましょうか──。
(御垂示)
 あの時はそうです。しかし、時が進むので、年中一つではない。時が進むに従って違います。その時に合ったやり方でやるとよい。そんなに窮屈に決めなくても、臨機応変でよい。

 16、正しい浄霊の戴き方について
              (地上天国二二号 一九頁)
(御 伺)
 御浄霊は浄化した時だけやればよいという事を伺いましたが、積極的に御光を頂き、浄化を求める為、御浄霊を受けるのは如何で御座いましょうか。
(御垂示)
 そんな必要はない。何故なれば、無浄化の際浄霊を戴くと、非常に骨が折れるからである。それよりも、浄化を起したいとしたら、信仰によって徳を積めば、魂が浄まるから、自然浄化が起るので、それが本当の信仰である。

 17、重態の場合、体を診る時、先方の意志を掴んだ上
   臨機応変にやればよい
                  (御教え)
それからもう一つ肝腎な事は、腎臓から背中にかけてで、肩胛骨の間から背骨の両側に土手のようになっている奴が曲者で、憂鬱症や、胃の悪い人は、其処に原因がある。勿論この源は腎臓であり、又腰や腹の痛い人は腎盂が原因であり、これは腎臓の少し下で横から押すと大抵の人は痛むが、此処に熱が出やすいのです。腰、腹が痛んで、転がるように苦しんでいる人でも、此処をやればじきに治ります。

 18、急所の見当をつける方法
                  (御教え)
(御 伺)
 最近は以前のような講習も致しませんので、会員にも急所ということが徹底出来ないように存ずるのでございますが。
(御垂示)
 そう、そういう点は非常にあります。だから頸の廻りや肩などには触っても構いません。この触るということは、熱の有無を見るのであって、急所も大体上半身が主です。それで、第一の急所は耳下腺と頸部淋巴腺、第二は後頭部です。患者の額に触ってみて熱い時は、その原因は額の奥か、後頭部か、耳下腺にあるとみていい。だから先ず額を御浄霊してみるのです。暫くやって一寸でも軽くなり、熱が下っていれば、額の奥に原因があるとみていい。それでも下熱しなければ耳下腺をやってみる。未だ駄目なら後頭部。それでも下らないならば肩をやる。この順序でやってみれば、熱性病は十中八、九いいです。こういう個所に熱が出るために咳や痰が出たり、頭がボーッとして、憂鬱になったりするのです。
 又手の病気は肩が大切で、中風で手の利かないのも、しもやけも、肩をすることです。しもやけなどは手の局部だけやったのでは、一時は良くなっても又始まります。

 19、急所が見付からぬ場合は一旦気を入れてすること
              (御教え集一一号 二頁)
 これは何事でもそうですが、浄霊の場合も、つまり三十分なら三十分、一時間なら一時間やる場合にも、続けてやらないで一旦気を入れる・・・、そうしてやると効果があるのです。それで、急所を見付けようと思って一生懸命やるが、急所が見付からない。それで一旦気を抜くと、直ぐ見付かる場合がある。