実生会ニュース

昭和二十四年一月号

“想像姙娠につき御教へを願ひます。

“子供が欲しいと思ひ続けて居ると月経不順等で月経が止まるとてっきり姙娠だと想い込みます。すると身体の調子が或程度迄姙娠同様の症状を呈します。それが想像姙娠です。(産婆さんから姙産婦手帖迄貰ったのに浄霊によりすっかり消えた例もありました)

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“彗星と天変地異とは何か関係がありませふか。

“あります。きっと世界に何か大変動が起きる前兆です。天地は合せ鏡とも云ひ、相影響し合っています。神道では彗星の事を「浄め箒」と称するそうですが、満更こぢつけではありません。

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“よく六根清浄と申しますが――

“五臓六腑の六腑を浄め、その諸器官から生ずる諸の欲を去る事で、よく山へ登る時に唱えますが、昔から山は聖なる霊場として敬虔なる風装、態度で登山したものでした。今は山を征服する等と申して、山に祭ってある神様や、山に鎮まる天狗の霊等を無視しますが、よく山で遭難するのは、山を汚し、山を軽蔑して、天狗の霊が怒ったからです。遭難は山の危険の程度より、山の天狗霊の性質による事もあります。ですから、登山は敬虔な態度で、大小便等をするときも汚して済まぬと詫びる位の信仰的態度が欲しいものです。

  勿論山そのものが非常に危険で、その為遭難する事もありますが、そんな山でも神様にお願いして登山すると万事好都合です。

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“高所から落ちて眼を覚ます夢をよく見る事がありますが如何なる理由でせうか。また正夢は何故事実が夢になって予知出来るのでせうか。

“人間が災難に逢ふとか、大怪我をするのも何年何月何日と実は決まっているのです。処が神様の御守護のある人は大難を小難に振替えていたゞけます。それが一番軽いのは夢で済ませていたゞける訳で、高所から落ちるのは地獄へ落ちる訳で大変結構な夢です。また死んだ夢を見るのも好く、今迄の自分が死んで新しい自分が生れる訳です。右の様な夢は篤信の方がよく見ます。正夢は正守護神が未来の出来事を夢で知らせて呉れたので、其際事実を見せる場合と寓意的に見せて呉れる場合とあります。歯の抜けた夢等、必ず凶事の知らせです。

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“逆睫毛は抜いても抜いても生えるのは何故でせうか。

“逆睫毛は先祖が神仏に無礼をした罪、自分が前世で神仏に無礼をした罪の結果です。眼は日月即ち神を現して居ます。信仰を続け、浄霊をすれば軈て癒えます。 

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“死人が出ると神棚に半紙を張り、額を外しますが、何故でせうか。

“迷信です。此のお道では死人を御神体の前に寝かせ、お光を戴いて浄霊されて救はれる様にし、また遺骨も床の間の前に安置してお光を戴かせませう。

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“みみずに小便をかけると小児の陰部がはれるのは何故でせう。

“みみずは小なりと雖も龍神で、その霊の怒りの祟りで、抵抗力の少ない小児の陰部がはれるのです。

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“浄め塩は如何なる訳でせうか。

“従来の習慣上の事で大した意味はありません。私共は塩で穢れを払ふより浄霊で浄めればよい訳です。

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“痣(アザ)は何か霊的原因があるのでせうか。

“前世に原因があります。切られ、突かれて死んだ霊が、霊界で浄化されても不充分で、その痕跡を残したまゝ再生すると赤痣があります。黒痣は切られたり、火で全身又は半身を焼かれて死んだ人の恨みの霊を受け、霊界で苦しんだ人が之亦浄化不充分のまゝ再生した場合です。

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“墓碑建立につきて、常識的に留意すべき事項を御教へ願ひ度く存じます。

“方向……墓地の都合もあり、どちら向きでもよろしい。本当は北が霊ですから北向きが最良とも云へますが、仏教は西方浄土とも云はれますので西向きも可です。  型……普通の型が可。

  石……普通の石で、出来得る丈白い色がよく、黒色、青色の石は不可です。

  盛土の高さ……一尺五、六寸の普通の高さがよろしい。

  植樹……樒、黄楊、高野槇、かなめ、もち等の常緑木で、背丈の伸びぬ潅木がよろしい。

(実生一月号  昭和二十四年一月一日)

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昭和二十四年二月号

“現在湯ケ原在住の婦人で、代々禅宗でお寺は山梨にありますが、主人死去の際遺言で日蓮宗に帰依し小田原の日蓮宗のお寺に葬りました。今回これを一つにして現在の湯ケ原にまとめてお祀りしたいと思ひますが、如何したらよいでせうか。

“お祀りするのは何処迄も霊本位に為すべきで、主人の霊が日蓮宗を信じて居るとすれば軽々しく御先祖と一緒に禅宗にして祀るべきではない。然し光明如来様をお祭りして三年位経ってから光明如来様にお願ひし、主人の霊にも納得の行く様伝へてから移せば可い。

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“蜃気楼、不知火、オーロラ、虹について御教へ下さい。

“蜃気楼は北陸地方の魚津の海岸のが一番有名である。此処では海を隔った朝鮮の風景が「きりぶすま」に写るのである。

  不知火は、或る説によると神武天皇が日本平定の砌(ミギリ)、古文書、器物等重要な物を不知火の海へ棄てた。それを龍神が守護して居て、その龍神が時々浮いて来る時に海が燃えると云ふのである。その事の真偽は別として、その時に特に重要な文書、器物を抱いて越前に逃れ、後茨城県磯原にひそんで代々守り続けたと云ふ事実がある。その家は現在天津教の竹内巨麿といふ人の家で、この方は武内宿禰六十六代の子孫と云はれている。

  オーロラは、北は気多(キタ)、霊が濃いとされています。その霊が特に濃い時に太陽の光線が反射して現れるのです。

  虹は水蒸気が濃い為太陽の光線が反射して現れるもので別に霊的に意味はない。 

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“満一才の子供で目が外人の如く青く他は別に異常のないそうですが、何か霊的に意味が御座いますか。またシラ子、赤毛、縮毛等につきても御教へ下さい。

“何れも何代か前の西洋人の生れ代りで、一部その特徴が残っている。日本では信長時代から相当数の外人が帰化している。

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“或る私生児が日向を嫌ひ、お天気の日には全然外へ出ず、雨の日は喜んで遊ぶそうですが、何か霊的に関係がありませうか。

“晴天の日に変死した霊の再生か地獄の霊が憑っている。非常に嫌ふ場合は前者で、大して嫌はぬ際は後者である。地獄の霊は明るい所を嫌ひ、そういふ人は凡てが地獄的、悲劇的環境である。

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“唖者と吃りについて御教へ下さい。

“唖者は、体的と霊的原因がある。耳が聞こえて口が利けぬのは、死に際し、発声器官に障碍を起す、例へば首を吊ったり、喉を突いて死んだ霊が再生するか、又は憑った場合である。

  吃りは頭と下顎、舌とのつながってゐる腺に毒素が溜り,それを浄霊すれば癒える。

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“はぎしり、いびき、寝言について――

“歯ぎしりは霊的であり、動物霊が寝ると勢ひが出る傾きがある。いびきは、鼻が悪い為である。寝言は、副守護神を統制する本守護神の力が弱く、副守護神が言ひ度い事を云っているのである。

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“除夜の鐘の百八つの意味は――

“人間の煩悩は一○八あると仏教で云はれています。その煩悩を鐘をついて消すと云はれています。珠数玉の一○八あるのもその意味で、神道でも一○八はよく用ひられます。

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“三毒、五濁、天魔、羅刹、夜叉の意味について御教へ願ひます。

“三毒は貪、瞋、痴、五濁(劫濁時のケガレ)は煩悩濁、衆生濁(悪人のケガレ)、見濁(種々の悪見を起す)、命濁(寿命が縮まる)、つまり、ともにつみけがれと云ふ事である。天魔は天の魔王、魔神、悪魔。羅刹は悪鬼。夜叉は女の悪魔で、要するに悪魔のいろいろな形容詞である。

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“仏壇にお詣りする時善言讃詞の後に「幽世の大神守り給へ幸倍賜へ惟神霊幸倍坐せ」とお唱へし、拍手してもよろしう御座いますか。

“拍手はしない方がよい。

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“太陽、月、地球の呼吸運動は夫々如何なる影響をお互に及ぼし、又人間に何か関係がありませうか。

“此の関係を人間の身体で云ふと太陽の出没は心臓の鼓動、月の盈虧は肺の呼吸、地球の四季は胃の蠕動(ゼンドウ)とも云ふべきで、心臓は太陽の霊気を吸ひ、肺は月の精気

を吸収し、胃は土の精分を採る。これが医学の根本である。

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“因縁、霊線、霊統について御教へ下さい。

“因縁は前世生きて居る時に交渉のあった夫婦、親子、兄弟、友人等が、今生は生れてから夫々相接近する事になる事を指す。霊線にも関係のある事で、俗に縁の糸とも云ふ。

  又人間のみならず土地等にも関係がある。見知らぬ場所へ行って非常になつかしかったり、いやな気がするのは、前世住んで居た所とか、非道い目にあった所とかである。

  霊統は血統とは全然違ふ。血統は肉体的のもので混血するが、これは前に説明した通りよい事で、人間が悧巧になる。霊統は祖先から分れる事はあっても、動き混る事はない。霊統から云へば大和民族は日本人の内一○○人に一人位のものであらう。日本人の大部分は支那人、次は朝鮮人の霊統である。そして支那民族は戦争を好み、大和民族は平和的である。

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“迦陵頻迦とはどの様な鳥でせうか。

“霊界の鳥でよく仏画の極楽にある様に尾の長い非常に善い声でなく鳥と云はれます。

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“人間が再生した場合、副守護神は前世と同じものがつくのでせうか。又変るとすれば如何なる意味に於てかはるのでせうか。

“副守護神は変る。人が霊界へ行くと副守護神は暫くはついていても、結局は離れる。そして再生した時は因縁で動物霊に落ちた祖霊や、住んで居た所の稲荷や、其他つながりのある動物霊がつく。勿論その動物霊にも高下があり、その人の霊統の罪穢の多少で高級又は低級の動物霊がつくのである。

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“御仏壇に御灯明を上げると時ならぬ蝶が出るとよく云はれますが――

“蝶に女(若い女)の霊が憑依して御参りに来るのである。

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“静岡市内の或信者で次々に祟りがあり、浄霊した所、古い鯉の霊が憑依して、地下一尺掘って祀って呉れとの事ですが、如何したらよいでせふか。

“人の濫りに踏まぬ場所を選び、地下一尺掘り、木片に鯉の霊と墨書して埋め、自然石に真鯉明神と彫りつけ、式典は善言讃詞を称へ、幽世の大神と称へ奉ること。御供物はパンか麩でよい。毎月祀る要はない。鯉は出世魚とも云はれ、霊的に普通の魚とは違ふ。

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“位牌に何々家先祖代々とか、代々霊、代々之霊、代々之霊位、代々之精霊とかいろいろありますが、何れが一番正しいのでせうか。また過去帖だけで位牌のない家、又は繰(クリ)位牌の家がありますが、これは如何でせうか。

“何れも大して問題はないが、常識的に云へば、代々之霊位がよい。過去帖、繰位牌は位牌を作るべきである。大体或物の使命、用途を考へるべきで、過去帖は元来祖先の戒名や命日を忘れぬ為に記録してあるもので、供養の対象ではない。供養の為に位牌があるので、それに祖霊がお憑りになるのである。繰位牌も感心せぬ。

(実生二月号  昭和二十四年二月一日)

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昭和二十四年三月号

“墓地狭小の為、父の墓石を建てる余地もなく、祖先の墓石も小さい為それを整理して  先祖代々の墓石を新たに建立致したいと存じますが、旧墓石をその礎石として使用しても差支へないものでせうか。

“差支へはないが、彫りつけてある字は消さなければならない。

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“三界万霊の三界の意味は――

“神幽現の三界を云ふ。霊界は縦横の三段階になっていて、縦は天国、中有界、地獄であり、横は一寸説明し難いが、重なり合っている。又は相互に含まれている状態で、現界(科学的には空気界)地獄、中有界、天国極楽界の状態となって居る。 

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“仏画に十二人の羅漢が書いてありました。またお寺に羅漢寺と云ふのもありますが、羅漢に就いて御教へを願ひます。

“羅漢は十六人が普通で、十二人は略である。婆羅門の行者が行をしている姿である。

  達磨様も羅漢の親玉とも云ふべき人で、面壁九年の行をしていて、満月の夜悟りを開いたと伝へられているが、婆羅門は難行苦行に依りて悟りを開く宗門で、お釈迦様はその苦行を読経に代えたのであるが、今でも仏教にはその名残りが残っている。  尚断食等もその苦行の一つで、現在は病気の治療等にも行なはれているが、これは傍でみている程苦痛ではなく、又一時的には身体の調子も良くなるけれど、暫く経てばもと通りになって仕舞ふ。のみならず、断食期間中は何の仕事も出来ず、反って怠けの罪を構成する事を知らねばならぬ。

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“動物の人工受精は霊子が入るのでせうか。

“勿論入るのである。

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“人間の正守護神は霊界に於て守護するので御座居ませうか、それとも人間に憑依するのでございませうか。後者の場合は霊界は留守になるのでございませうか。

“正守護神は人間につかず傍に居るのが普通で、一時離れる時は代理を置くのである。人間に憑依する事もあるにはあるが、そう云う場合は大概部下の動物霊を憑けるのが普通で、一般的に狐霊が多い。狐霊は正守護神の命令で憑って口を利く時に、命令通りの事でなく自分の個性を出して勝手な事をしゃべる事があるから注意せねばならぬ。又、夢知らせは正守護神がするのだが、正守護神によりてその夢の上手、下手がある。又、或る事を為すに気が進まぬのは正守護神が止めている事があるから、気の進まぬ時は中止するなり考へ直す方がよい。

  信仰に入る時に正守護神が盛んに働いている。即ち、祖霊が子孫を入信さすべく正守護神に頼み、また命令すると、正守護神はその人が入信せねばならぬ様な事情をつくるのである。

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“現在法隆寺は信仰の対象でなく往事の日本文化の貴い資料として後世に保存する目的と存じますが、昼の文化建設の前には旧文化崩潰の線に神の御意図は厳正であるのでせうか。

“法隆寺は仏教芸術の根本で千三百年以前に聖徳太子が御建立以来仏教芸術が盛んになったのである。今仏教の功罪を考へるに、絵画、彫刻、音曲等の芸術の面に於ての仏教の貢献は偉大である。民衆的な歌曲もお経が根本で、それから謡曲が生れ、長唄、常磐津が進歩した。浪曲も説教節から生れて来て、絵画彫刻の面でもその通りで、その意味からすれば法隆寺の炎上は実に痛惜に堪えぬ事である。が、それには深い意味のある事で、大体神様の御経綸は段々と小さな型から大きいものに移って行くもので、人間でも肉体、心、魂、霊子がある。その小さなものの変化をよく観ずれば、やがては世界の運命まで判るのである。だから法隆寺の炎上も、仏教芸術の将来を暗示していると云ふ訳で、而も全然消滅したわけでなく修復して新しく生れ出る事は、その意味に於ても日本芸術の為に一面哀しくもありまた喜ばしい事ともなる。尚、昭和六年六月十五日、自分は千葉県の乾坤山日本寺に詣でた事があるが、そのお寺には総ゆる仏様の像があり、また大きな菩提樹があり、その名からしても私は日本に於ける仏界の型だと思った。その六月十五日、此の日から昼の世界に変ったわけで、それには種々の神秘があったが、軈て発表する機もあらう。そのお寺が其後炎上し、遂に今日に至るも旧態に復し得ないのも、夜の世界の暗示と考へてゐる。

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“一般家庭の庭に植えては不吉と云はれる木がいろいろありますが、諸説紛々としていますので、植えて悪い木を御教へ願ひます。

“植えて悪い木はない。只、木の種類に依りこう云ふ事がある。即ち松、柳、銀杏の木は特殊の木である。即ち松、柳は龍神が憑依し易く、松は雄竜、柳は雌竜で、財物等を集める縁起がよい。門冠の松を植ゑるのもその謂れである。銀杏はよく「化銀杏」等とも云はれ、その実は人間の味がするとも云はれて、実は人間霊が憑依し易いのである。此の木はお寺や神社によくある木で、人家の庭の木ではない。その他の木にはこんな事がなく、よく果実の木を植えては不可と云はれるが、旨い実がなる、それを植えて食べる事は神様の御趣旨に沿ふ事で、植えて悪い事があるべき筈はない。(実生三月号  昭和二十四年三月一日)

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昭和二十四年四月号

“子癇は霊的原因でせうか。

“霊的である。恨みの霊が出産の妨害をする時に起る事がある。例へば子無くして死んだ先妻の霊が後妻の出産をうらみ、ねたむ時などに起る事がある。

  尚お産で血が減少した時、霊がかゝり易いから注意すべきである。

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“生死不明の人は如何御祀りしたらよろしいもので御座いませうか。

“菩提寺で戒名を附けて貰い普通の仏様の様にお祀りすればよい。若し其の人が生きて居て音信不通であったとしても、善い功徳である。

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“遊廓、料理店其他で営業用に階上を使い、家族が階下に居住する場合、階下で御神体をお祭り申し上ぐる事に御許し戴ける事で御座いませうか。

“御祭りしない方がよい。反って御無礼になる。最上のお部屋にお祭りすべきで、平家でもお祭りしてある床の間の天井裏等を物置等に使用する事は不可ぬ。そんな構造の家では、上を取片付けて、人の踏み入らぬ様にし清浄に保たなければならぬ。 

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“霊界に於ては現界の知恵学は役に立つが、地位名誉等は役に立たぬと或る霊が申しますが、真実で御座いませうか。

“其の通りである。霊界で地位が上になるのは、罪穢の少い人である。だから現界で地位、名誉、財産のあった人等は、霊界では地獄で苦しむ者も多い。例へ地位、名誉、財産等はなくても、足るを知って満足し、正しい人間としての行動及び篤き信仰心を持ち、収入の一部を世の為、神様の為に、正しく費した人は、霊界で幸福な生活を営む事が出来る。それ程霊界は公平であり、情実がない。

  其処に人間の此の世の不合理に対する救いもある訳である。従って、位牌、墓碑等に、生前の位階、勲等等を記入する事も霊的には無意味な訳である。

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“以前「安保」と名乗って居た家が三代前から「豊田」と改姓し、それ以後の仏は各位牌を作りお祭りしてありますが、此度先祖代々の位牌を作りますに就て御先祖の名前は如何致すべきもので御座いませうか。

“一枚の位牌へ「安保家豊田家先祖代々之霊位」とすればよいであらう。

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“七五三の御宮詣りの意味を御教へ下さいませ。

“本当の意味から云へば間違いで「シメ」と読む訳で、本当の神を締出して、次の神を迎へ祝ふ意味が伏在してゐる。七=土、五=火、三=水となり、今迄は夜の世界だから順序を間違って居たとも云へるが、習慣上行はれている事で、あまり兎や角云ふべき事ではない。

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“或る鰻屋の妻女が腹部の病気で二回も開腹手術を致し其後も健康勝れず、此度御浄霊を受けました処、身体をクネラセテ霊の憑依状態を現はし、また、その間その妻女の目に鰻の首が無数に見えた様ですが、鰻の霊を祀るには如何致したらよろしう御座いませうか。又鳥屋スッポン屋等の家庭にも不具者が出ますが、此等の霊の供養の方法を御教へをお願い申し上げます。

“鰻も龍神の一種で、一年に一回供養をする必要がある。それは新しい盥に水を入れ、御供物を供へ祝詞を上げ幽世の大神にお願いをし、霊界で救はれる様に、また因縁の魂は人間に生れ代る様念じてやればよい。

  尚耳のある鰻は絶対に食べてはならぬ。

  鳥、スッポンも怨みの霊である。鰻同様然るべく供養してやれ。

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(註)毎度申上げます様に右は大先生様御教の極一部の抄録でありまして、各教導所、世話人会、座談会等で御取次の発表をさせて戴いて居ります。実生分会本部では三日十三日二十三日の各旬並祭、月並祭で行って居ります。また皆様からの御質問を歓迎致します。

(実生四月号  昭和二十四年四月二十日)

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昭和二十四年五月号

“田舎の家では構造上大部分御座敷の天井裏等を物入れ等に使用致して居りますが、その部分さえ使用しなければ、御神体を御祭り致しても宜敷う御座いませうか。

“無論上を使用せず何も納れなければよい。尚床の間は置物、香爐、花器以外は置かない様に。他の物を置くと、床の間が物置となり、御神体の御光が薄くなる。総じて神様は、人間の御扱ひ方、想念によって御力が異なって来る。

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“霊界は意思想念の世界と承って居りますが、意思の疎通はどう云ふ方法で計るので御座いませうか。

“霊界に言葉も無い事はないが極く少ない。多くの場合は目で通ずる。霊界では非常に敏感で、肉体は却って邪魔になる位で、更に高級霊となると目も使はず、気持丈で通ずる。現界では間違った事をしたり、想ったりして、霊が曇って居るので、感受性が鈍って居る。唯物的な教育で、智慧は出てもこう云ふ働きは落ちて居るが、本来なら霊線を通じ、遠くの人の考へて居る事がわかる位になるべきであらふ。

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“入信して死亡した人の身体が死後も大変暖かい様ですが、何故でせうか。

“入信すると霊的に異なって来る。火素が増え、霊が暖かくなる。それで死んで霊が抜けても暖か味が残るのである。暖かいとは愛である。あの人は暖かい、あの人は冷い人だ等とよく云はれるが火素に依る、即ち愛の精神から出るのである。心臓が丈夫だと霊界から火素を多く吸収し、火素が増えると肺の活力が旺盛になる。丁度ボイラーと蒸汽の関係の様なもので、肺病が冷い理知的な人に多いのもこの訳である。 

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“他家へ養子に行った次男が死亡し、その霊を実家で祀る時、位牌の位置は他家の者として下段に祀るべきか、それ共兄弟として、その弟妹が実家で死んで居る場合、その上位にお祀りすべきでせうか。

“普通の順序でよい。また霊の希望があればその様にしてやれ。

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“丹波地方の一部で、死者を埋葬した場所に墓碑を建てず、墓碑は経墓として、御寺の境内に別に建てて居りますが、如何なもので御座いませうか。

“埋葬した場所へ墓碑を建てるべきである。土地の用途を考へまた日本中でこんな事をしたらどうなると考へれば解るであろう。

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“筍の生えた夢を見ると悪いと申しますが。

“迷信である。筍や柿を悪いとよく云ふが大した事はない。筍の夢もお医者さんなら気にするかも知れないが――。

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“春蒔の蔓の出る植物は左巻きですが、これを立秋後に蒔いて見ましたら必ず右巻きとなりますが。

“春は日――霊――左進右退であり、秋は月――体――右進左退で当然である。 

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“生れ年、生れ月日が人間の運勢、性格に影響があると云はれる所以について御説明下さいませ。

“人間には気がつかぬが総ゆるものに変化がある。気候にも春夏秋冬あり、月にも雨の多い月、旱魃の月がある。その年、月、日の霊気を受ける影響もあり、また生れ月日の数の言霊の関係もある。例へば私は十二月二十三日生れだが、二十二日は冬至で日が一番短く、二十三日は春分で昔はこの十二月二十三日を正月元日として暦を作らうとしたが種々の関係で一週延ばしたとも云はれ、二十三日生れの人は、春に向ふ運勢がある訳である。然しそれが総てでなく或程度は当るが、こだわる必要はない。 

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“三りんぼうをいやがりますが。

“一種の迷信である。もし悪い事があったとしてもそれは浄化で、あとはよくなる訳ではないか。信仰ある人は常識的に行動すべきである。

(実生五月号  昭和二十四年五月十日)

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昭和二十四年六月号

“朝蜘蛛を喜び夜蜘蛛を嫌ふと申しますが何か霊的に意味が御座居ませうか。

“迷信です。蜘蛛は手が多いから朝は物をかきこんで呉れる。夜は持って行かれるとでも云ふのでせう。

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“分骨は不可ないと申されますが、靖国神社或はお寺に分骨してあるものは如何に処置したらよいもので御座居ませうか。

“既に分骨したものはそれでよい。霊は死んでから暫くの間骨に霊線がつながってゐる。分骨すると霊線が分れるから霊が嫌ふ。あちこちになるから執着が取れにくゝなるのである。

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“戦死した者の霊は御祭りしないと帰れないものでせうか。例へばアッツ島に玉砕した霊は未だその地に居ると云ふ事ですが、勿論各家庭でお祭りして居ると思ひますが、如何なる事になるので御座居ませうか。

“無論祀らねばならぬ。現界的に云へば位牌は宿で、帰還した兵が家がなければ困ると同様である。お祀りする想念が霊層界へ行き、霊層界からアッツ島へ霊線がつながって早く救はれるのである。

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“聖者賢哲の霊は普通の人の霊より再生する度数は少いもので御座居ませうか。

“確かに早く生れ返って来ない。悟ってゐるから現界に執着がない。早く生れ代るのは現界を恋ひ慕って居るからである。霊界で長く止まって居れば居る丈浄まり救はれる訳である。因みに聖者賢哲(釈迦、日蓮、弘法大師等)も最近まで霊界に居たが、最近どんどん生れ代って五六七の御代建設の為働いている。

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“霊木として畏れられて居る樹で昔から枝を払っても祟りがあるとされていますが、最近非常に繁茂して家が陰気になり困って居ります。今度其家には御神体をお祭り致しましたが龍神に願って枝を払ってもよろしう御座居ますか。

“充分お断りすれば差支へない。口先でなく当然の理由があればよい。家が暗く御神体をお祀りするに困るから枝を払はして頂き度いとお願ひすればよい。

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“西宮市近郊の或る家で最初に建築した人は一家四人が三人まで死し、続いてその家を買った人も二人家族の主人がすぐ死し、三代目の家でも既に二人死し一人は目下病床に伏し飼猫までが病気であります。その敷地はもと池も大木もなく野原でありまして、祀り度くても訳が分らず困って居ります。御神体をお祀りする丈でよろしう御座居ますか、病人は浄霊の際憑霊現象は表はれません。

“霊の祟り、そのまゝではいけない。昔古戦場か刑の執行場所があって、亡霊が救ひを求めて居る。地縛の霊は建物を建てられると苦しむ。普通のはよいがおこりっぽいのやら執着のある霊があるから注意を要する。又地龍(地神)の特定の住家かも分らない。退けと云ふ印かも分らない。二、三十間移動すれば理想的であるが、止むを得ぬ時は充分お願ひして(御神体に)、夢で知らせて頂く様にすればよい。又或程度日数がたてば浄まる。

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“二年程前に入信して稲荷をこわしました。それから祟って居りますが如何にしたらよろしう御座居ますか。

“邪神の祟りは一時的であるが少くとも二年位はお祭りしてやる必要がある。(新しく友達が出来たと云って今までの友を棄てれば腹をたてられると同様)之より簡単にお祭りし、お詫びすればよい。しかし此の様な事は大変まづいことである。再びお祭りしてやる事は人間が邪神に負けた形になるから、これから何時もなぶられ易い。 

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“稲荷大明神、又は○○明神等、明神なる言葉を用ひますが、明神に就てお教へを、又天王様、天神様は如何なる神様ですか。

“明神は最初は偉い神様に附した名称であるが、今はだんだん滅茶苦茶の神様にもつける様になった。これが世の乱れの元で霊界の此の混乱が現世にうつり、下位のものが上になり僣上の沙汰だらけ、それが今度の終戦で追放等処理されてゐる訳である。天神、天王も尊称であって、菅原道真等を天神等と云ふは本当は間違ってゐるが、道真の死の際の執着が龍神となってたたるので、馬鹿に丁寧に天神とつけたのである。天王等は仏名で、大黒天、弁財天、愛染明王、孔雀明王等々色々あるが、別に神格に就てははっきりしていない。

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“天理教等では何の病気は何の罪穢によると言って居ますが、主なる病気と罪穢との正しい関係を具体的に御教へ下さい。

“それはでたら目である。いくらか理由は有ることはあるが、そう大して信ずるに足りない。

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“出石町の人が神戸市に在住して居て、三年前に死にました。神戸で葬式し戒名を貰って居た所、故郷の出石町の寺からも戒名を送って来ました。墓地も郷里にあるし、祖先と一緒にお祭りしたいと思ひますが、戒名はどちらにしたらよろしう御座居ますか。

“出石町の戒名でお祭りすべきである。

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“四十一歳の男子、太陽の直射は勿論、傘などで光線を遮断しても熱気のため全身が熱くなり、苦痛が増し、特に直射の個所は腫れ、後に薄皮と共に血の塊がはげます。夏季は特にその病状が甚しく、また、七、八年前よりは火に当ってもまた寒さに逢ひたる後も、身体が温まるに従ってその病状を呈します。以上の病状は霊的に何か関係がございませうか。又治癒致しませうか。

“霊的ではない。これは特別の毒素が集まっているのである。親や祖父が何とかの黒焼等とか、いかゞはしいものを特に多量に飲んだ特別の毒素の為で、浄霊すれば治る。

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“彼岸の中日にお寺詣りをしたついでに無縁仏に参詣致しました。帰宅後或る病人を浄霊致しますと無縁の霊がかゝり、毎月廿一日に御経を唱へて戴き度いと申します。其の日に自宅から善言讃詞を奉唱してもよいものか、それとも一々御墓詣りを致さなければならないもので御座居ませうか。又外の日にもお墓詣りを致しますが、無縁塚は詣らない方がよいので御座居ませうか。

“別にお墓詣りはせんでよい。その日にその方へ向って善言讃詞を唱へてやればよい。無縁仏はよく詣ってやれ。生きた人間よりも或は霊界人を救ふ方が一層功徳になる。その人によって救はれるのも因縁のある霊だけだ。

(実生六月号  昭和二十四年六月十日)

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昭和二十四年七月号

“お盆の意味に就てお伺ひ致します。

“釈尊の大慈悲から盂蘭盆会といふものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らして下さるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くといふが、兎に角地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。

  元来祖霊は全部仏壇にいる訳でなく、平常は選ばれた留守番の霊がゐるだけで子孫が拝む時だけ仏壇に集まるものである。その際仏壇には或程度救はれた霊だけしか来られない。つまり八衢以上のものが来られるので、地獄にいる霊はお盆の時以外は来られないのである。

  お盆には種々の儀式を行なって霊を迎へるのであるが、「おがら」を焚くのはこゝからお這入り下さいといふ目印である。之は今迄夜の世界だったため霊界も暗いので燈りを見せないと霊がまごつくからである。

  茲で注意したい事がある。それは仏事はどんな古い先祖でもする程よい。又長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるがこれはよくない。霊界人となってもやはり現界と同様親子兄弟の情は同じ事で、自分の子供のどの家へでも行ける様にありたい訳だ。従而、次男も三男も全部祭るべきである。

  位牌が多くて始末に困る時は面識ある祖霊はそれぞれに位牌を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。

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“墓石に自然石を用ひるのは墓相学上よくないと聞いておりますが、墓相といふものはあるものでせうか。

“人間に人相がある様に墓相の可否も多少はある。自然石を墓石にするのは余りよくない。自然石は本来庭石などに使ふべきもので、斯ういふ事に使ふのは理窟に合はぬからである。

  やはり墓には墓石の形にするのが本当である。霊によっては斯ういふ事を非常に嫌ふのがある。墓参に行くと、祖霊が墓へ挨拶に来る。その時墓が法に適っていないと嫌がるのである。霊界人はすべて法則通りを好むので実に几帳面なものである。  又黒石を大変嫌ふが、元来黒色は地獄とか悪魔を表徴するからで、天国は白色又は紫色で表はすものである。

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“田舎では仏具屋等が無い関係上、白木の位牌のまゝでお祀りしてある家庭がありますが、位牌は白木のまゝでも差支へございませんでせうか。

“無ければ仕方がない。けれど本当は一時はこれでよいが墨塗に金で書く等立派にするのがよい。白木は四十九日迄で、以後は此様にすべきである。田舎でも探せば仏具屋はある筈である。

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“夫婦の一方が死んでいる場合、その石碑に生きている一方の者が戒名を貰って朱色で刻む習慣がございますが、如何なるものでございませうか。

“両方で愛しあって死んでも一緒にと云ふ意味であるが、本当は間違っている。生きて居る時は生きて居る時の名前が有るではないか。霊界の名は不要である。

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“母は後妻でございますが、相続人以外の子供でも分家して父母の位牌をお祀りする場合に、父の先妻でも一緒にお祀りすべきものでございませうか。

“無論その方がよい。一人でもよけい祀ってやる事はよい事だ。

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“お葬式の時に樒といふ木を使ひますが、何か意味がございませうか。

“昔から使ふが、言霊から出たのである。死の木の実。それと非常に毒の木で、人がとらないから墓の木等にはごくよいのである。

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“こぶらがへりは何か霊的のものでございませうか。

“霊的ではない。足の毒素の固まりが筋を圧迫する為で、冷えるとよけい固まる。だから水中でよく起る。浄霊ですぐ直る。

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“日の出の方向に新屋を建てると本家が衰へると謂って非常に嫌はれますが、何か意味がございませうか。

“意味がある。東は地位が上で其処に新家を建てると本家が下になるから衰へる。他人なら構はぬ。身内の場合は分家が上になってはいけない。

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“西洋人の生れ代りがあると伺ひましたが、その霊は西洋の方から来るので御座居ませうか。又西洋にも日本人の生れ代りがございませうか。

“どちらもある。アメリカには日本人の生れ代りが沢山ある。矢張り因縁がある。例へば外人が暫く日本に滞在して風景の美しいのが気に入って憧れたか、日本婦人と関係があったかで日本に憧れ、知人夫婦等因縁の人の処へ生れるのである。

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“栃木県芳賀郡逆川村のある家で、こんにゃくの花が咲くごとに家人が死んで居りますが、何か意味がございますか。又「こんにゃく玉」を盗んで栽培致しましても育ちません。尚他人の土地へは繁殖して行きませんが何か訳がございませうか。

“余程意志のある(動物的想念のある)植物である。花が咲く事は稀で神秘的植物であらう。植物でも西洋に多い妖精の踊り等と云ふ事も事実である。痳菌ゴノコッケンは動物であり、段々癒って来ると植物(苔)の様になり伝染せず、酒などを呑むと再び動物性になり伝染する。

  伝説に人間は木から出来たとか或は土から出来たとか云ふが全然根拠の無い事とは云へぬかも知れぬ。

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“爪の様子でその人の健康状態が判ると申しまして、特に爪の凹凸や三日月形の淡くなった場合に不健康だと申しますが健康と如何なる関係がございますか。

“此の事は本当で健康、不健康をみるに爪は実によく分り、特に拇指の爪が最もよく分る。爪に皺がよる。艶のない色沢のないのはよく無い。薬毒等が多いとそう云ふ爪になる。

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“二十六歳の男(信者)全国珠算競技に第一位を得た人でございます。「七桁」迄の暗算は会話をしながら隣の部屋で読み上げていますのを間違ひなく寄せて終ひます。八桁になりますと耳をすまさないといけないそうで御座居ます。実に素晴らしい才能と存じますが、何か霊的に原因がございませうか。

“特に計算の能力が発達して居り、生れ代る度毎に其の類の仕事をして居るので益々発達して居る。人間の頭や才能は使へば使ふ程無限に発達する。不可能だ、駄目だと決めるから発達が止まる。無限だと思へば幾らでも出来る様になる。天才と云ふものもそんな者で幾代か同様の仕事を繰返し、其の才能が特に発達しているので、また其の仕事をする様になるのである。

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“苗代に漆の葉を堆肥に使用致しますと、「ゆりみゝず」がわかなく成績を挙げて居りますが、無肥料栽培の場合、連続使用致しますと、漆の毒素が溜って悪くなるのではございませんでせうか。

“普通の堆肥で土さへ汚さなければ虫はわかない。肥料をやったり、灰をやったりするから汚れて虫がわく。土さへ清浄にしてその生命を活かし、またその所有主が信仰心あれば無限に作物はよくなる。

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“建築の場合棟木を継合せます時、頭と頭を継合せますと長男に障ると申して居りますが、何か訳がございませうか。

“全然出鱈目ではない。何故なれば順序が反対だからである。頭と尻とつなぐのが本当だ。私は部屋に物を一つ置くにしても順序を考へてしている。順序を間違へると其れが色々の事に影響して来る。順序が整って居ると気持がよい。活花にしても法があり、御辞儀でも目上の人が目下の者より下の座で御辞儀をする等は妙なものである。

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“御簾の由来に付き御教へを御願ひ致します。

“昔天皇が家来や人民と会はれる場合、崇める形式である。床の間も同様であったが御簾がとれたのである。昔神武天皇の頃同殿同床と云って、其処へ御簾を下げられ其の中から御言葉を賜はった。それが段々民主主義になり御簾丈とれた形が床の間である。

(実生七月号  昭和二十四年七月十日)