御 光 話 録

昭和二十三年御光話

一月一日

  (新年の大先生御歌)

  いたつきの漸く癒てあらたまの  年の始を迎ふうれしさ

  あらたまの年を迎へて身も魂も  清きかりけり神とある身は

  ぬばたまの闇地も尽きて光明の  道踏み初めし心地こそすれ

  日月地三位一体の御力を  具備して出でます弥勒大神

  (右の御歌を福居秀介氏の伴奏にて作曲家杉山長谷夫氏独唱)

“なかなかよく出来てます、雅楽調ですね。仏教なんかよりずっとよい。仏教のは活気がない、何か幽界へ引っぱって行かれる様です。やっぱりやる人が坊さんだからでしょう。西洋の音楽ではヘンデルのメシヤがすぐれています。あの程度でも大したものです。メンデルスゾーンのもありましたね。(ハイドンもあります。)ああそうですか、あんたの「出船」は藤原義江がよくやりますね。(藤原さんが殆ど紹介して呉れました。)

  作曲家はいいものです。(どうも貧乏で困ります。)いや両方いいのは難しい。(残したのは中山晋平です。)あれは此の頃余り作りませんね。(もぐり込んでる様です。)音楽でも日本のよい所を日本人が認めるべきですね。日本音楽では琴が一番いい、あんなすばらしいのは西洋にはない。日本のは静的、西洋のは動的ですね。そこに相違がある。又西洋にも子守歌が沢山あるが、日本のもの位条件に適っているのはない。日本のを聞いていると眠くなるが、西洋のでは折角眠くなったのに眼が覚めて了う。日本から素晴らしい音楽が出るといい。

  音楽もいいもんですがね――実際どうもベートーヴェンの味は一部分きり判らない。全般はどうしても判らない。ショパン、シューベルト、モツアルトはよく判りますが、西洋のは古い方がいいですね。最近のは理屈の音楽だ。長唄でもいいのは古典です。大正以後のは駄目です。(越後獅子やカッポレはなかなか名曲です。)芸術品も私は好きですが、昔の方が新しいですよ。最近のには本当の新しみがない。音楽にもこういう点があるのでしょう。こんな事は実に不思議ですね。ジャズは私には判らないですね。やっぱり踊るためでしょうな。音楽そのものを味わうことは出来ない。(あれは酒と女の音楽です。)そうでしょう。

  アメリカ人には、なかなか人道的ないい点と野蛮人的趣味と両方がありますね。彼等は最初イギリスから渡って土人と結婚したためなんでせう。土人的趣味がジャズとなって現れてゐるんですね。アメリカ人の野性に富んだ丁度西部劇の様な深みのないもの――(ジャズの調子はニグロ的です。日本の馬鹿囃子は、馬鹿ではなくいゝものです。リズムはとてもすぐれてます。)日本のジャズですね。日本人が今に日本を発見するでせう。青い鳥みたいですね。日本にはいゝものがありますよ。絵でも本当の絵は日本画です。油絵は絵ではなく、唯なする丈です。日本のは単純であって而も深い、油絵も印象派が出てから又妙ちきりんになりましたね。

  今迄は日本人のすぐれた点を封建的な力が押えていたんです。これから日本人の天才を発揮する時が来たんです。

  建築でも木目などに気のつくのは日本人です。西洋人や支那人は皆色を塗ってしまう。(朝倉文夫さんの所へアメリカ人が来て彼の設計になる家を見て感心してゐます。朝倉さんは日本主義の人で、学校は西洋カブレしてゐるからとて、子供さんを自分で教育して居ます。)そんなに偏らないでもいゝんですよ。然しアメリカ人の建築家のライトだけはすばらしいですね。あの帝国ホテルを設計した人です。音楽でも外国人が研究するために、日本の昔のよいレコードが輸出されてゐるさうですね。マダムバタフライには日本の「フシ」が入ってゐます。

  洋画が純写生風から脱却したのは尾形光琳が輸出されてからですよ。世界中の美術、彫刻は光琳の影響をうけてゐます。ルネッサンス式を光琳がぶちこわしたんです。今度は音楽でも光琳が出るでせう。宗教、医療は勿論吾々がやる。今の大体インテリは、いゝものは西洋のものでなくちゃならないと思ってゐる。軍閥時代の「日本的」も困りもので、戦争に都合よい所だけ日本的にしたんです。その結果は竹槍位の所です。日本のいいものは平和な所にある。日本のよさをこれから外国人が発見するでせう。そうしたら日本人はビックリするんですよ。イタリヤへ行って土産にマカロニを買って帰ったら日本製だったといふ風に。

………………………………………………………………

一月十八日

  (福居秀介氏述“神の子アヴァックの奇蹟”を井上先生朗読)

“現代的でいゝですね。今の時代にはこういふ説き方がよろしい。よく出来てますよ。講演会でもして配ったら反響があるでせう。最初から露骨に出さぬやり方がよい。新しい行き方だ。神懸り的、説教的では駄目ですよ、マタカ――と思はれる。

“大先生が御治療なすって居られる写真と共にアメリカのミシガン大学へ送らうと思ひますが――(福居氏)

“いやそれはいけない、此だけ送ればよい。露骨な宣伝は私は嫌ひですよ。

………………………………………………………………

“腹の大きいのは腎臓が悪いんです。脳膜炎はよく治りますよ。

………………………………………………………………

一月二十八日(水)

“腹膜炎は腎臓が大切、その外は背中の真中をよくやる。腹膜炎で黄疸を併発すると大抵助からない。癲癇は治療すると発作が一時ひどくなります。

“ホルモン注射を百本位した人、紫色のブツブツが全身に出来、痒みはげしく白い粉の様なものが出ますが――

“薬毒だ、よく治療すれば早く治る。精々やんなさい。――産後七十日位は御浄めを受けるのはよいが、やってはいけない。それはお産の古血が残ってゐて、手を使ふと手に集って固まり、次に溶ける時痛む。出来るだけ日が経ってからやる方がよい。産後針仕事をすると眼を悪くするのもこれと同じです。だから古血がどの様に出たかによって行動を決めたらよい。

………………………………………………………………

“兎唇はやっぱり霊的でせうね。前世に於ける動物性が残るんですね。

………………………………………………………………

“米軍の落下傘兵ですが、最近飛行機が怖くなり、殊に自分の落下傘の番号七が怖く、七の字を見ても発作を起すのがあります。

“飛行機で死んだ人の霊が憑いてるんですよ。(米人軍医が二ケ月で治しました。)それは自然に治ったんだ。この治療でやるなら前額部をよくやればよい。青酸カリの様な毒物をのんだ時には胃腸をやる。全身に毒が廻って了ったら仕方ない。

………………………………………………………………

“北海道のアシベツ山の方へ行きたいと考へてます。

“アシベツ山は重要です。北海道の中心ですから、あすこが開ければ北海道は容易に拓ける様になる。一生懸命やんなさい。

………………………………………………………………

“腹膜炎で黄疸をやると、黄色の水と腹水と一緒になって溶けにくゝなるから、黄疸を併発したら駄目です。化膿性腹膜炎は小便がたまり、やがてそれが膿になるんです。腹膜炎は水の溜まらぬ様に腎臓をよくやる。殊に右を主にして、重ければ一日五、六回以上やんなさい。腎臓をやる時はフトンかタタミをやる様な気持で狙ふと、霊が腎臓に集中しますよ。

………………………………………………………………

二月八日(日)

“産後四十日程の女、火事に会ひ、以来気が狂って丁度狐つきの様になります。

“眠れる様になればよい、治ります。産後の精神病は特に治りいゝです。それは産後は血が少いから霊が憑り易いんです。血が充分あれば憑依しません。

………………………………………………………………

“神前結婚の形式を私も考へてゐるんですがね。今迄の神前、仏前結婚は余り感心出来ません。

“先日致しました時は祝詞と誓詞の中へ観音様と大先生の御名前を入れさせて頂きました。

“天津祝詞は結婚式には要りません。お祀りの時は上げなさい。

………………………………………………………………

“善言讃詞と祝詞と両方を上げます場合、日月地大神守り給へ幸へ給へが重複致しますが――

“重なっても構はない――仏壇には拍手を三つ打つ。神道では五十日祭までは拍手の音を立てないが、こっちでは音を立てゝ構はない。仏は現界でないから二拍手が本当かも知れませんが正式は三拍手、日月地だから三がよい。今までは地がなかったんですから――結婚や葬式の形式も作りたいと思ってます。躰がすっかりよくなったらそういふのを作りたい――出雲の神様は営業がうまいですね。大国主命と大黒天とは縁も何もない。

………………………………………………………………

“四人の子が脳膜炎を次々に患ひ、今度その四人目(二才)が死にましたが――

“何か訳がある。何か祟ってゐるか、罪が深いと取れないんですよ。そんなのもどうこう考へないで自然に任せなさい。講習を受けたからとて皆助かる訳ではない。今は大清算が始ってゐる。観音様に救はれるといふのは亡ぶべき運命の者が、例へば五人死ぬべきものが二人か三人で済される事で、全然死なずに助かる訳には行かない。今は大変な時期だからね。難しいもんだが、これは判る人は判るし判らぬ人は判らない。――生きてゐる人がグズグズしてゐると霊が大いに働いて判らせるといふ事が随分ある。

“死んでからあの世で判る人が多いです。御守りの事が存命中は判らず霊界へ行って初めて判り、「お蔭で明るい所に居ることが出来ます」と非常に感謝されたことがあります。

“此の道で助かるには矢張り人間としての道を践まねばならない。

………………………………………………………………

“新家庭は必ず仏壇を設けねば駄目なんです。

………………………………………………………………

“霊媒に観音様が憑ったからとて丸呑みには出来ません。

………………………………………………………………

“普通の観音様や仏壇に善言讃詞を上げても駄目です。止むをえない時――例へば光明如来を頂かうとしてゐるが、表装がまだ出来ない時は別ですが。

………………………………………………………………

“茨城の太田町で先日日蓮宗の行者が四、五十名集って修行中、その指導者格の人に金色の光が見えたので、よく調べた所その中に一人御守りを頂いた人が居りました。

“光明如来を御祀りすると離縁もなくなる。此んなのがある。少し頭の足りない主人があり、その細君が光明如来を御祀りした所、段々主人の頭がよくなり、この分なら一生つれ添っても大丈夫だといふ訳で納って了ひました。夫婦喧嘩もしなくなります。光のために動物霊が萎縮するんです。喧嘩は動物霊ですからね。

“支那でも道教の信者は霊格が高い様です。新しい信者が掟を破って肉食などして帰ると門番に見破られ殴られる相です。

………………………………………………………………

“今度の帝銀事件の家も代々質屋で大分怨まれてましたが、此の前に入った夫婦も変死し、空屋になってゐたのを帝銀が借りたのださうです。

“私は前に相場が好きでよくやったんですがね。まあ損許りでしたが、兜町辺りには怨みの霊が沢山居て、あすこから持って来る紙幣についている。悪銭身につかずとは本当ですよ。だから私は損許りしてゐたんです。それが判ってから相場はやめて鉱山を始めました。こうして信者の持ってくる金は浄財許りです。霊は何にでもつき作用します。怨みの霊が家に入ると家の霊が曇る。松下の家にはその家を作った大工――未だ生きてるんです――白い髭の老人の霊が来たさうです。自分の作った家に執着を持ってゐるからですね。だから人を苦しめてはいけないんです。

  私はよく言ふんです。偉い人になってはいけない、有難い人にならねばいけない。偉い人になると敵から怨まれる。英雄の末路哀れなのはそのためです。明治天皇がおかくれになった時、皆二重橋で御平癒を祈った。全国では何万といふ人が祈ったでせう。それでもおかくれになった。これは明治天皇は日清日露の戦をやったので、支那人やロシヤ人から怨まれる。その怨みは日本の中心の天皇に集るんです。何しろ人間は時々思ひ出しては怨みますから始末が悪い。

  馬鹿々々しい事でも先方の言ふ様にしてやるのがいゝ。災難とか運が悪いとか云ふのは皆これです。偶然なんていふのは絶対無いんです。それさへ判れば苦しい時には、あゝ之は自分が種を蒔いたんだと考へる事が出来るんです。

  今は世の中が皆怨みっこです。愛するなんてことは少しもない。自分だけいゝ子にならうとしてゐる。こういふ目で政治を見るとなってゐないです。又国民も之が判らないんで苦しめられるんですよ。

………………………………………………………………

二月十八日(水)

  (立春の日の御歌)

  立つ春の今年今日の日何かしら  行手明るき心地こそすれ

  年毎に祝ふ春立つ此のよき日  ことに祀らむ神の御前に

  今日はしも今年春立つよき日なり  吾業開くる始とぞ思ふ

………………………………………………………………

“これからは朝の礼拝は天津祝詞、夕方は善言讃詞を上げる。神は昼、仏は夜だから。昔から天子様の居られる所を朝廷といふ。之は政治のための会議を朝やったからです。今の政治は朝廷ではなく晩廷ですね。

………………………………………………………………

  仏壇には祝詞は要らない。「幽世大御神守り給へ幸倍給へ」と「惟神霊幸倍坐世」の二ケ所だけでよい。特別の御祀りには両方上げたらよい。

………………………………………………………………

“丹波の方で三月二日に三分間空気がなくなり人類は滅亡するといふことを、インテリの人々も信じてマジメな顔で私に訊ねましたので、そんな事はないと申しました。

“そんなバカな事はありませんよ。地震の予言でも大分騒いでゐますね。私は地震はないと云ってるんです。之は学者の考へと逆ですが、学者は土地が沈下してゐるからあると云ふが、私は沈下しつゝあるからこそ地震はないと云ふんです。地震は地殻の収縮なんだから一度に収縮する時は大地震だ。従って小きざみに収縮してゐれば大地震はない。

  予言といふものは世界中にありますよ。先年もロシヤだかで世の終りが来たと云って何万といふ人が山へ登って待ってゐたなんて事があったですね。ロシヤには紀元前の頃ソドムといふ町があったが、之が地震で沈下して無くなったことがあるんです。之を連想して恐れたんでせう。

  予言といふものは外れるものですよ。キリスト教でも云ってますね。以前或有名な牧師に世の終りのことを訊ねたら、地上の人が全部死に、千年位経ってから又生き返る。それが復活だとマジメな顔で云ってました。聖書に世の終りには山々が噴火して川の水も熱湯となり大きな雹が降り、之に当った人は死ぬとか、逃げる時欲を出して家の方をふり返って見た者は死ぬとか書いてあります。世の終りとは夜の終りのことですね。

“いろいろ予言はあったですが、大先生の様にハッキリ云はれなかったんですナ。

“さうでしたね。

………………………………………………………………

“千葉県トヨスミ村の十二才の少女、学校の先生から習ったとてコックリさんをして居りますが、それが「あの講習をうければ病気が早く治る」とか、私のことを指して「あの先生はいゝ人だ」とか云ひます。

“その狐霊は人間より上ですね。

“茨城の方の十九才の女に、キンペイ稲荷が憑き、夜になると暴れます。そして云ふことには「昼は眩しくて仕方がないが夜は何とも云へぬいゝ気持だ」――

“さうですよ。私は以前心霊研究会に入ってましたが、霊が出る時は電気がついてゝも駄目です。霊が出るとそれが夜光塗料を塗ったオモチャを飛ばしたり、ラッパを吹いたりテーブルを持ち上げたりしました。西洋では盛んですね。

  狐霊にはいゝのも居ますよ。今のなんか人間より宣伝力があります。人間に賞められたのより確かですよ。その狐霊はいい事をして早く人間になりたいんです。牛馬でも人間から堕ちたのがある。そんなのはうんと苦しんで働く程早く人間になれる。その時可哀想だからと考へて苦しめないのもよしあしです。却って苦しむ方がよい。牛馬は酷い目にあふ程喜ぶ。先年鬼怒川へ行ったが、牛車に乗った時、叩くと牛はよく動いた。之は痛いから動くんではないんですよ。

………………………………………………………………

“地鎮祭はどう致しませうか。

“地鎮祭の祝詞は出来てます。之はやった方がよい。之をやれば霊界で神の許しをうける事になり、浄められて障りが消える。祭服を着てやる。習ふ必要があります。

………………………………………………………………

“治療の時の祝詞は天津祝詞でよい。(幽世大神……三回)。相手が合掌出来るならさせた方がよい。仏壇の線香や鐘は今迄の様で結構です。

………………………………………………………………

“神道では神さえ祀れば仏はどうでもよいとしてゐるが之はいけない。特にキリスト教は先祖を祀らないから不幸です。病人や死人が余計出ます。山室軍平なんかはいゝ人でしたが不幸だったですね。実に哀れです。祖先を祀らないから祖先が怒るんです。西洋は霊界も東洋と違って居り、又生きてゐる時からさういふ風に教育されてゐるから構はないが、東洋の霊界は縦で層をなしてゐます。西洋は横です。

“最近家族制度が変化しましたが霊界も変るでせうか。

“家族制度が変っても大したことはない。今までは家長が一人で威張ってゐた。之は間違ひですよ。

“どうも最近は外国のまねをして困ります。

“外国の通りするんなら大いに結構です。が、悪い所だけまねして了ふ。今の指導者も危いからうっかり出来ません。

“財産もこれから公平に分配される様になるが、そんな事で若し仏が怒るなら怒る方が悪い。今までは余りひどすぎましたからね。

………………………………………………………………

“自由主義も今のは唯自分だけの自由主義です。本当は他人の自由主義も尊重してやらねばいけない。さうでせう。だから自分の自由には程度がある。若い人が親兄弟の自由を尊重しないのは間違ひです。自由主義といふのは、或程度楽ですが、又或程度は窮屈ですよ。だから浅い考へだと困る。結局自分一人だけよくならうといふ事がいけない。それが争の本です。今度の侵略戦争も日本にとっては自由主義です。然し朝鮮、満洲などやられた方は迷惑です。ですからむしろ利他主義が本当です。まだそこまで人類は行ってないんです。

“今の政界は我利我利亡者が集ってゐる。社会党もあはよくば又政権を握らうとしてゐる。之は今度は自由党にゆづるべきです。いろいろと理屈を考へ出してはツベコベ云ってる。文化の段階まで行ってない証拠です。芦田にも今度は愛想がつきました。何しろ、よしだ(吉田━善)あしだ(芦田━悪)ですからね。

………………………………………………………………

二月二十八日(土)

“満一ケ年の嬰児、左足が五分位短く脱臼らしいのですが――

“ブラブラしてゐないなら脱臼ではない、治るさ。

………………………………………………………………

“二十一才の青年、以前肋膜をやり全快しましたが、最近腰が痛み、医師はカリエスだと云ひ腰に穴をあけ膿を出して居ります。私はカリエスではなく、肋膜の時の残った毒が出てくるのだと思ひますが――

“医者よりあんたの診断の方が合ってます。肋膜の浄化ですよ。食欲が少いといけない。

………………………………………………………………

“十六才の女の子、頭を下げたきりで上げられず、暫く医者へ行って居りましたが却って悪くなり今月二日より御治療しました所一回宛よくなってます。神様の御恩を忘れたからだと本人は申して居ります。

“そんなのは医者にかゝってゝは死んで了ふ。気が小さい人ですね。何か霊が憑いてゐる。

………………………………………………………………

“宗教になりましてより、観音様や日月地大神の御働きについて信者が非常に知りたがって居りますが。

“観音様は観音菩薩で、仏教の方では観は見る、客観的にわきで見る事で、音は世間の音、即ち世の音を見るのだといってますが、おかしなものです。これではまるで目の中に耳がある様ですね。コジツケですよ。観音様は昔印度に渡って布咀落迦山に登って住はれた。日光にオダケ観音がある。二荒山は布咀落迦山の事で、その因縁による。布咀落迦山は海岸に近く、南に海があり、その山の上に寺の様なものを作り、又その庭に金剛法座を設けて説教した。経文に二十八部衆を従へ、観自在菩薩南海大師として善財童子らに説法したとある。当時印度は大自在天が支配してゐた。観自在菩薩とは大自在天の世を見るといふ意である。此の故に観世音といふ。菩薩とは一番下の位で尊者と同じ様だ。印度では如来より天が上だらう。何々天とは印度の位になる。

華厳経に、布咀落迦山上に観世音菩薩あり善財童子らが大慈悲教を説かれるのを聞いて居られたが、その中に既に沢山の弟子が居られ、中にも侍者として二十八部衆居り大弁財天、大梵天王、帝釈天王、金色孔雀王、毘沙門天王、阿修羅王等の外、ナーラーナヤ金剛、ワーヂラーバニー金剛の兄弟二人(此の二人を仁王尊といふ)等の諸天が居られたのを見ても、釈迦は観音様から教を受けたことが直ぐ判ります。(以上観音講座第二より)

  日蓮の曼陀羅にも大自在天がある。天照大神は下の方に小さく書いてある。こゝにもいろいろ意味がある。伊都能売大神はネ、日本に居られた時迫害をうけてお逃げになった。その時姿をかくすため頭巾をかぶり身を包んだ、そのお姿が絵に書いてある。古事記には世を浄める神と出てゐる。で、日本を脱出して支那から印度に渡り庵を作り観自在天となられた。観音様は日本人ですよ。だから釈迦や阿弥陀は頭の毛が縮れてゐるが、観音様は縮れてないんです。何故逃げたかと云ふと、それは素盞嗚尊に命をとられ様としたからです。素盞嗚尊の奥さんは乙姫、又弟姫、オトヨの姫とも云ふ。素盞嗚尊は朝鮮のソシモリ山――古事記にありますが――に下り、日本へ来て実権を握った。之が出雲朝の始めです。

  伊都能売大神は天照大神の頃かそれ以前の神様です。素盞嗚尊は世界へ出て行きユダヤへ行ってユダヤ人の祖先となった。で素盞嗚尊の代りになったのは乙姫だ。観音とは、乙姫――音姫を観てゐる事を意味する。そして何れは日本に帰り、素盞嗚尊の実権を取り返さうとする時期を待って居られた。千手観音がそれです。今迄は乙姫が財宝を握ってゐた。神様の話は虚々実々だがマンザラ作り話でもないんです。乙姫は物質に執着して竜になり、丹後の竜宮海といふ海に沈んだ。時期が来ると三寒三熱の苦しみにあひ、遂には国常立命にお詫びする様になる。国常立命とは以前世界の実権を持って居られたが、節分の夜鬼門の方に押し込められ艮金神となられた神様です。国常立命が伊都能売大神になる。国常立命は霊界で閻魔大王になり、裁きの役をやるが、それが苛しくて可哀想だといふ事から半分は閻魔大王に半分は観音になる。神は厳格だが仏といふのは慈悲だから、伊都能売大神は、仏界で観音様になったんだ。即ち善悪無差別の慈悲である。本地垂跡説も今迄のは間違ひで、日本へ再び帰って来られて衆生を救ふことの意味である。神様は霊的に分裂する。精神分裂ではないがね。フロイトのは霊憑りを説明したもので「ジキル博士とハイド」などはそれで説明される。

  伊都能売大神は龍神になり霊は富士山頂に(兄花咲耶姫の守護神久須志神社)、体は琵琶湖で時期を待って居られる。竜神といふのは力が強いんです。で、大神も悪魔の邪魔に対抗するため竜神となられたんです。

  伊都能売大神の御働きは、イズ=火、ミズ=水です。ミイズといふでせう、之は逆なんです。火と水で光になる。夜の間は本当の火がない。月の光ですね。太陽は月の六十倍の光を持つといふが、今迄観音様をお祀りしても少ししか御利益がなかったのはそのためです。イズ、ミズが五、三、それでも足らず更に土の力が加はってそれが日月地の御力になる。今迄はニロク=二力だった。夜の間は三界(天界、中界、地界)は殆ど水だった。六、六、六だったが、今度は五六七になり、天の六が地に降り土の力が加はる。金剛不壊の力だ。絶対力になる。いかなることでも自由になる。神道で云ふマニの玉とは完全な玉の事ですネ。これから先は神秘になるから又時期に応じて説く。

  私が之を始めたのが昭和三年で、それから六年して昭和九年まで治療し、更に六年の昭和十五年まで上野毛でやり、更に六年、二十一年までが基礎工事なのです。私の修業は終った。去年からミロクの時代になった。霊界から日月地大神の御力が私の躰を通して人に働くんです。これから三年は現界の基礎工事、それが終ってから世界的になるんです。光に「ヽ」の御守りは天から地に降った事です。祝詞にあるでせう、光明如来(火と水)が応身日月地に現ずると。之は相手に合う様に働く、大きく云へば世の中に合ふ様にする。威張ってみては駄目です。その社会に合ふ様にやらねば駄目です。そうでないと爾光尊みたいに気狂扱ひされる。日月地にも三段あり、現界に対してはやはり光明如来で、日月地、光明如来、観音の三段になる。徹底して説明せねばならぬが今はまだ時期ではない。

………………………………………………………………

“天津金木とは――

“之も半分きり説明出来ない。神武天皇以前、その時の天皇が正月に之を拝むと、その年の吉凶がわかる。一種の占ひですよ。之は代々伝はって稗田阿礼の所にあった。神武天皇に征服された日本人が代々口伝えして遂に丹波で百姓をしてゐた阿礼に至り、太安万侶がそれを誌したのが古事記ですよ。天津金木は地上天国の予言になってゐる。何れ又話さう。あらゆる宗教がなくなってから之を拝む様になる。

………………………………………………………………

三月八日(月)

  (二、三の人々夫々御浄化を頂いたことを御報告)

“後頭部の毒血は普通痔で出ますよ。大分浄化が強くなりましたね。

………………………………………………………………

“地所を移転するため約三百年来の墓所を移したいのですが、そのお祀りは如何したら宜しいでせうか。

“無闇にやってはいけない。ちゃんと霊に承知して貰ふんです。埋めた骨も出すんでせう?  すっかり叮嚀に移さなければいけない。その時御酒御饌を上げて善言讃詞を称へ、「今度かくかくの事情で墓所をお移し致しますから、今迄此所に鎮まって居られた御霊様(ミタマサマ)御一同新しい所へお移り下さいます様御願ひ申し上げます」と断ればよい。酒を上げるのは、先祖には酒呑みも居ますからね。

………………………………………………………………

“仏壇へ生臭いものを上げるのは?

“構はない。酒だっていゝですよ。それから普段も善言讃詞を全部上げるのが本当はいいんだが、時間もかゝることだから簡単に最後の二句丈でよい。

………………………………………………………………

“こんな事が御座いました。別府で先日御光を頂いた女の人、以来心から先祖をお祀りしてゐました所、一月程した或日、御経を上げてゐますと霊が憑った。丁度そこへ階下から主人が上って参り早速御伺ひしますと、それは母親で、いふことには「自分達は今迄ろくに祀って貰えず霊界でルンペン同様で実に苦しかった。今度有難いお守りを頂きよく祀りをしてくれて実に嬉しい。今後共この道を離れることなく祀ってほしい」と云って去ったさうです。

“祖霊が今迄求めてゐたものにぶつかったんですよ。それは喜んだでせう。この位嬉しいことはないんですから。

………………………………………………………………

“或家の仏壇に常に一尺位の蛇が居りましたが、たまたま子供のパンツの中へ入ったまま疎開荷物として運ばれたため、パンツの中で死んで了ひました。後、その子供は病気で危かったですが、今はすっかり元気になりました所、今度は母親の夢に出て「おれを元の様にしろ」と云って首にまきついたのですが――

“それは祖霊ですね。観音様をお祀りしてますか。(まだです。)お祀りすれば宜しい、蛇も救はれます。

………………………………………………………………

“大黒様の由来を御教へ願ひたいのですが。

“これにはいろんな伝説がある。が、その中で割合信じられるのは、最初日本で天照大神が生きてられた時、印度から一人の偉い人が渡って来て家来にしてくれと云った時、大神はもっと柔和な顔になったら家来にしてやると云はれたので、笑顔をしてお仕へする様になった。そして今でいふ財政を司ったといふ説がある。これが伝説の中では一番いゝでせう。

  私が大黒様をお祀りし出したのは大森時代、丁度不景気な時代でもあり、毎月赤字であった。こっちはふところも淋しくてやり切れなかった。所が或る銀行員が大黒様を持って来て要らないかと云ふので、私も気に入って祀り出した。その像の裏には文久何年とか書いてあった。するとその月から赤字がなくなって了った。これはいゝといふ訳で、それからは大黒様を何種類も集めましたよ。上野毛の大きな大黒様には神秘がある。四、五百年経ったもので、麻布の古道具屋から手に入れたんです。これを呉れといふと主人が、これは自分自身で拝んでゐるんだから上げられないとて断られたが、後でその主人が夢をみて、大黒様が紫の雲にのって出て行かれる姿を見たさうですが、その年の大晦日に自動車で私の所へ持って来たんです。その時主人は別れを惜しんで大黒様に抱きついて泣いてましたよ。たしかその時は三百円包んでやりました。その時から金がよく入る様になった。大黒様をお祀りするといゝですね。大きなのほどいゝですよ。此の前渋井が大きなのを作って開眼してくれといってトラックで持って来ました。男四人でやっとかつぐんですよ。そのためか渋井の所はバカに金が入る。一月二月なんか大したもので、人に話しても信じられない位です。いくらかそんなこともあるんでせう。不動銀行の牧野といふ人は大変之を集めてます。大黒様の夢知らせで、関東大震災の一寸前日本銀行の公債一千万円を不動に預け入れた。行員は変に思ったが、間もなく震災で外の銀行が支払はないのに不動だけは支払ったので一度に信用を博したさうです。たしかに大黒様はいいですね。いろいろ神秘がありますよ。治療所も患者が大勢来て金が沢山入ればいゝんだから祀ったらよい。大黒様はいはれよりも御利益があればよい。

  大黒と恵比寿と対でもいゝが大黒丈でもいゝ。あの木槌は土からの財、恵比寿のは海からの宝を意味してるんです。

………………………………………………………………

“三十五、六才の米国婦人、十年来の偏頭痛なのですが――

“原因は薬毒ですよ。治療は患部をすればよい。

………………………………………………………………

(「紫雲」所載「現代医学とマルキシズム」を朗読)

“面白いですね。その説き方は面白いです。医学の誤りを人類にわからせることは大変いいことですよ。

“食養生の桜沢如一さんも東洋に大偉人が出ると云ってゐます。

“まア一部の人に一部分わかってゐる。マルクスも一部の真理がある。絵でもいろいろな色を塗っていゝ絵が出来る。然し赤い色がいゝからといって全部赤く塗って了ったんでは何だか判らなくなって了ふ。マルクスもエンゲルスもとても貧乏で苦しんだんです。今の人々はそれを見て有難がってゐる。共産主義も今が一番盛んでせう。今に煙の様に消えて了ふ。こんなバカバカしいことが世界の人々をだましてゐるといふのは大したことですよ。私はその点大いに感心してゐます。野口英世なんかも黄熱病研究のため途中で死んで了ったんですが、世界の人々は彼のことを立派だといって賞めてゐる。そういふ人は自分では満足でせうがね。実際よくもいろんなバカバカしいことが世界的に拡がり、又人々がよくもだまされてゐるもんですね。これこそ全く世界の謎ですよ。

………………………………………………………………

三月二十八日(日)

“日本紙をたたんで御軸の前に御供へし祝詞を奏してそのまゝ三日間置いてから、御霊光として使はせて頂いて居りますが宜しうございませうか。

“それで宜しい。御供へした水を飲ませてもよい。然し之はいつもやらずにたまにやるように。「おひねり」もいゝが、当局に知れぬ様にやればよい。口に入れるものは黴菌がどうとか衛生上なんだとか云って煩いから。

………………………………………………………………

“青森から来た講習生ですが、或時いきなり観音様がお憑りになり、将来は○に十の宗教に統一されると云はれ、又一時に天照皇大神、素盞嗚尊、月読尊の三神が御出ましになり、素盞嗚尊は天照皇大神におあやまりになった所天照皇大神は懐しがられて泣き乍らいろいろ御諭しになられ、三神が和解されました。その他いろいろ仰せられましたが一寸こゝでは申し上げられない神秘もありました。その人は狐霊がだましてゐるのではないかと云って居ります。又その時大神は因縁により北に天降ったのであるとも申されました。

“その人は全然神の事を知らぬ人ですか。

“余り知って居りません。石沢といふ元女学校長をしてゐた人です。普通の人にも大神がお出ましになられるものでせうか。

“えゝそれはありますよ。有名な人には憑かずに却って有名でない人に憑ることの方が多いです。

“一昨年も御軸の前で、精神統一して祝詞を奏上致しますと、家屋が大鳴動して神が天降られたので御伺ひ致しますと、素盞嗚尊であると仰せられました。そして此の事は特筆すべき事であるから何時か世に出さねばならないとも申されました。

“まんざらでもないようですね。

………………………………………………………………

“光明如来と日月地大神の相違に就て御教へ願ひたいのですが。

“結局同じもんですがね。つまり最高の地位になられた場合「日月地(ミロク)」です。「日月地」は大神で神の位です。これで五六七となって御働きが完全になる。光明如来の方は火と水です。観音様は火水土ですが、土が少しなんです。何故土が少いかと云ふと、之は私が出てから加はったからです。観音様は慈悲の御働きで善悪無差別、一切衆生凡てを救ふ御働きであって、あいつは悪いとか、こいつはどうとか云ふのは観音様ではない。観音様の御本体は国常立命で、北海道の芦別山におしこめられてから霊界で閻魔大王となり審判のお働きをされる。従って頗る苛しいんです。所がそれだけでは人間がやり切れぬから慈悲の神として現れたのが観音様であり、神や如来の地位では高すぎて衆生済度が出来ないから菩薩の位に下がられたんです。それが一段上ったのが光明如来です。今迄は観音様を拝んでも御利益はあったが弱かったんです。壺坂の沢市の話の様に御利益はあったんです。そこへ土が加わると力が強くなる。土とは人体です。それが光明如来になると火と水=光が強くなる。今度離して御浄めする様になったのは、光明如来の御働きで、くっつけてしてゐたのは観音様の御働きです。そして土の力が完全に強くなられたのが「日月地」です。

  私は昭和三年から六年間菩薩、九年から十五年まで如来、十六年から二十一年まで「日月地」の働きをしてゐたのです。之は霊界であって現界は去年から「日月地」になった。一昨年までは私も治療したが、去年から出来なくなった。それは位が高くなって大衆と離れたためなんです。

………………………………………………………………

  此の道に入った人が、よくわからずに霊界へ行っても救はれる。野々山さん、此の前あんたが話してましたね。霊界の方が盛んなのです。然し直ぐ救はれる人と、さうでない人とある。霊界の団体の霊でも此の話を聞いてすぐ承知するのとしないのとある。浄めを受け乍ら死んだ人は早いですね。

“昭和五年頃、大先生が御頭を短くしてお出でだったので、何故長く伸す様になさらないのですかとお訊ねしましたら、私は今坊主の修業をしてゐるからだと仰せられたことを記憶して居ります。

“さうだったですか。昔の事は私自身も忘れて了ってますよ。

“先日福居先生が霊媒を通じて、なくなられた稲川先生をお呼びした所合掌して出て来られ「私は折角道に入らせて頂いたが迷ひがあったため現界を追はれて霊界へ来た。迷ひは霊の曇りであるから決して迷はない様に。私は今霊界でビッコだの片輪だのを治療してゐる」と申されたさうです。

………………………………………………………………

“幽世大神とは――

“幽世大神とは閻魔大王の事です。然し最近は外の神がなられてます。閻魔大王は現界を司られ、霊界は大国主命です。けれどもやっぱりちょいちょい霊界にも帰られますから両方かけもちですね。

………………………………………………………………

“受講者が死亡した場合御守りは如何致しますか。

“御守りをつけたまゝ火葬にすれば宜しい。

………………………………………………………………

“昔行方不明になった人の祀り方は――

“出た日が判ってゐればその日にやる。判らなければその人に近い人、例へば妻とか親とかの日にしたらよい。

………………………………………………………………

“重病の時の祝詞は幽世大神と称へた方がよい。

………………………………………………………………

“手鏡を見たり小鼻がピクピクしたからって全部死ぬとは限らない。助かる人はいくらも居ますよ。私が肺で死にさうだった時、毎日手鏡を見てましたが現にこうして生きてますよ。

………………………………………………………………

“私は何れ国常立命の主宰される時が来て大浄化が起ることゝ思って居りますが、それを考へると悩んで了ひます。

“あんまり考へすぎてはいけない。あんた自身がやってゐるんではない。神様がやって居られるんだから神様にお任せしたら宜しい。

“自分のしてゐる事が神に反してゐやしないかと思ひます。

“反しない様にすればよい。神の御心に反してゐるか否か一寸人間には判らない事です。

“私が今持ってゐる物は全部神の物だとすると自分で使ふのが怖ろしくなります。

“それは小乗ですよ。

“ではその限界といふものはどうしたら宜しいでせうか。

“それは常識だ。程よくやればよい。一人でも余計人を助ける事が大切です。

………………………………………………………………

四月八日(木)

“講習を受けた娘さんですが結婚生活二ケ月の後離縁致しました。所が婚約の時先方から刀を贈られましたので、今度返したのですが、どうしても受けとらないので、その刀の始末がつかねば次の結婚に差障るとて母親が心配して居ります。その刀は如何処分したら宜しいでせうか。

“それは後であんただけに教へて上げませう。

………………………………………………………………

“大黒様はいくつあってもよい。以前私の所には五十体位あった。別に欲張った訳ではないですが、後に人に分けて上げました。大黒様は大きい方がよい。小さいのが数あるより大きいの一つの方がよい。

“大黒様の御祀りの仕方は――

“観音様の前に置いておけば別にお祀りはしなくても宜しい。観音様の御祀りの時に一緒にやればよい。

………………………………………………………………

“過去によく霊気療法といふのを聞きましたが――

“人間の霊気にはいくらか治療の効がある。霊気療法のはそれです。

………………………………………………………………

“何か世間に水の霊気といふのがありますが。

“今迄の療法は患者の病気を引きうけるのです。御木徳一が人の道を始めたのは、徳光教の金田徳光のためです。この人は相当偉くて奇蹟をいろいろやったんですが、それが御木の喘息を治した。所が御木の方はすっかり治ったが金田が今度は一ケ月許り苦しんだ。そんなことから御木は「人の道」を作ったんですが、こういふのをお振替といって他人の病気を自分が背負って苦しんで了ふ。で、毎月二十五日にそれを神様にとって貰ふ。まア苦しみを神様にしょって貰ふんです。あれはこんな風にしてゐましたが段々病人が多くなり、苦しみも一人でしょい切れなくて準教祖といふのを十人位作ってました。今までのは皆引きうけるんです。それは神は月の系統であって水で治す。まア洗濯の様なものです。だから水は汚れて了ふ。所が私のは火で燃して了ふんだから自分は汚れず、病気をしょふどころかやればやる程丈夫になる。それはあんた方がやって、判るでせう。火を使ふのは今迄なかった。霊界が昼になった証拠です。

  キリストも矢張り月の系統です。彼の奇蹟は後世大袈裟になったんでせう。教祖に値打をつけるためにやったんですよ。日本にも弘法大師の石薯なんてありますね。弘法大師は病気を治す力がなかった。だから弘法灸を使ったんです。釈迦にもこの力はなかった。それで薬草喩品がある。観音様は薬師如来で薬をのめと説かれてゐる。之は未だ夜の世界であり浄化させるよりも浄化停止の方が手取り早かったからです。観音様は神の化身であり伊都能売大神ですがその上に主神が居られる。それは神道では天御中主大神、キリスト教では天の父、ユダヤではジュース、又メシヤ、支那では天帝、印度では大自在天と云ふ。キリストは父の命で父の子として現れたといふが、それはあの時代必要があって出たんです。私のは主神の力が伊都能売大神を経て、更に私の体を通して皆に行くんです。私は電灯会社であり、観音様は水力電気、大神様は水を出す源です。御守りは一つの霊線の中継ぎ、まア電球ですね。この電球は本社は同じですが、人によって百燭光にもなり又十燭光にもなる、その人の働き次第です。普通の人の霊力とは全然違ふ。御守りのない人がやるのは丁度電灯のない所で手探りしてる様なものですよ。まア修行しても懐中電灯位ですよ。

“水の霊統も固めに属するのでせうか。

“固めです。自分の力で治療するのは固めです。ウスヰ式治療法なんかも固めです。あれは重病人は入院させてましたが結局御自分も入院して死んで了った。元、海軍の軍人の間に大分盛んだったですね。

………………………………………………………………

“野菜の無肥料栽培に就て御伺ひ致したいのですが。

“やり方は今までと同じですがね。今までの畑は肥料があるから悪い。又種子にも毒が入ってゐるから三年位は駄目です。だから畑は新しい土を入れ替える。長く作ると土の養分がなくなるといはれて来たがさうではなく、使ふ程土の養分が出る。砂を焼いて入れるのも不自然だからいけない。無肥料でやると物によっては初めからよくとれるのもあるが大体二、三年から四年位経ってから収穫がふえる。堆肥は使ってよい。この腐らしに加減が要るんです。木の葉は葉のすじが残ってゐてはいけない。堆肥を使ふといゝのは、堆肥に肥料があるからではなく、熱が出るからいゝんです。肥料の成分――窒素にしても空中に充分ある。それは地霊ですが、その上に製造したのをやるでせう、だから多すぎて了ふんです。燐酸やカリも同じで熱を起す働きですが却って毒が加はる。土が酸性になるのは肥料をやりすぎたためです。第一土は生かしてやらねばならない。だから連作してやらねばいけない。箱根で栽培してゐるんでも、ナスやトーモロコシを連作してますが、それでよく出来るんです。而も悪い石だらけの土地で、第一虫がつかない。虫なんかは肥料から生じる。だから消毒、殺虫剤を使ふのは間違ひです。あんな薬をぶっかけたら虫は死んでも、土が荒れて了ふ。トーモロコシなんかもう五、六年やってゐる。神山荘の近くの呑本の婆さんがビックリして種をくれといふから、種子がいゝのじゃないと云ってやったんです。果樹は私はやってないが、今迄の様に剪定は必要でせう。枝豆はとても虫がつき易いんですが箱根の枝豆には全然虫がつかない。

“半年程前に青森の林檎の産地で薬を使はず小鳥とか蜂、蛙などを使って害虫駆除に成功したといふ記事がありました。

“さう、小鳥なんかそのために神様が生かしてある。作物は根の伸び易い様にしたらいゝ。堆肥を使ふ時も木の葉の固いすじに根がつかえない様に腐らかして了ふ。草ならば余り固くないからさうでもない。土が固まって了ふのを防ぐのが堆肥です。専門家は根によく空気を入れるといゝと云ってるが、そんなら空中にさらして了ったらいゝ。中耕も土を固めぬためです。箱根で古くて小さい、いぢけて了った木を見ると下に石が沢山ある。それが邪魔して発育が悪いんです。根が石なんか割りますからね、すごい力です。だから耕すのも固まらせない事が必要です。麦踏みは霜のためですね、冬を越すから。霜は上からでなく下から土をもち上げる。だから土がふかふかして了ふ。それを防ぐために麦を踏むんだからあれはいゝ。野菜の中、根を喰べるものは根に陽が当る様にすればよくとれる。甘藷などは畝幅を開けて、又一番よく陽が当る様に畝の方向を按配する。さうするととても大きくなりますよ。上野毛でも大きなのが出来た。一番よく判るのは雑草です。虫がくってないでせう。あれは肥料をやらないから。第一、肥料をやらないと旨いんですよ。茄子なんかいゝ香りがして、ジャガイモなんかも真白でいゝ香りがしますよ。だから無肥料のを喰べつけると、クソなんかまいて作ったのなんか食えない。大根でもガリガリ云ふのは皆肥料です。無肥料だとキメが細かくてねと細かくてねとしてます。普通は大根にはよく肥料をやるんですよ。まるでクソまみれです。サツマイモは農林やオイランはすじがない。キントキは無肥料でもすじはあります。

………………………………………………………………

“仏壇の中の御位牌が多すぎた時はどう致したら宜しいでせうか。

“原則としては面識のない祖先は先祖代々之霊の中へ入れていい。面識のある人のは位牌を作って祀る。が、多くなったら古いのから整理したらよい。勿論その時はお祀りをする。位牌はいくら小さくてもいい。之は大黒様とは違ひます。然し等級をつけねばいけない。例へば子のよりも親の方を大きくするといふ風に。

  鐘を叩くのは今御馳走を上げるという合図です。食物を供へると霊界ではちゃんと係がゐてね、食物を運搬するんです。朝お祀りしても祖霊が来ますよ。ちゃんと何百人も来ます。そんなに大勢集ってもほんのこれっぽっちの大いさです。何しろ霊は伸縮自在ですからね。

………………………………………………………………

“主人と私と神棚仏壇と二つになってゐるのですが。

“それは仕方ないですね。一緒にするんなら神棚が上です。箱だけ別にすれば並べてもいい。その際神棚は左、仏壇は右です。霊界でもそれは別々です。此の世で夫婦でも霊界では大抵別々な所へ行って了ふんです。会ひたいとてちょっくら会えない。修行が出来ると神の許しを受けて会ひに行けます。或階級のものは夫婦生活が出来る。だから現界で一生懸命人助けして修行しておけば出来るんです。死んでから一緒になるといいますが、心中なんかしたら体がくっついてゝ離れない。やがて許されて離れても別々な所へ行って了ひます。この修行とは執着をとることです。仮令神の許しを頂いて会えた所でキス一つ出来ないです。キスなんかしようとすれば体が硬直して了ふ。之は執着があるからです。

“霊界で新しく夫婦になれますか。

“そんな出たら目は出来ない。然し想念が一致する方に近くなることは出来る。それが第三天国以上だと神格が出来ますから夫婦生活も出来ます。

  霊界は秩序整然たるものです。此の世の親子だって霊界では居る所が違ひます。子の方が親より上の人も居ますよ。

………………………………………………………………

四月十八日(日)

“薪を燃すため御軸が汚れた場合は――

“そのまゝで宜しい。大したことはありません。煤が下ったらハタキではたいたらいゝ。

………………………………………………………………

(京都の一住人からの手紙を井上先生朗読、内容は――)

“一、何故に八つの分会が分立してゐるか、

二、天国会では昭和二十五年に大浄化があり、その時天国会の会員だけ残り、他  の会員は死んで了ふとの予言を宣伝してゐるが真意如何、

三、入会金、御守り代の高価な事、真の宗教ならば金を沢山出したもののみ救は  れるなどと云ふものではないと思ふが如何、

四、農村人には天国会の云ふことに驚き真意も判らずに入会してゐるものが相当  あり、之では意味がないと思ふが如何。

“神様がやってるんだから間違ったことをすればその人が間違ふだけである。神様から制裁を加へられる。外の人は気をもむ必要はない。まアこんなことはいゝ加減にしてゐればよい。それから大勢の中には頭の変なのも居る。そんなのを一一取り上げてゐてはやり切れない。それこそしまひには観音会警察部を作らねばならなくなる。“大本教の御筆先に「世界の人民三分になる」とある。之はのことかのことかわからない。中島の方で大浄化の時は二割しか残らぬと云ってゐるのは、中島が大本で凝ってゐるからそういふんだ。三割が二割までおまけしてある。わたしらは%と解してゐるが、それはわからない。神様はわかってゐたって人間には知らさない。

“やはり大本の御筆先「こわさ故の改心はほんまのものではないぞよ」とあるが、こわくて改心したのは本当の改心ではない。天理教でもよく人をおどかすが、脅迫するので本当でない。つまり愛で改心するんでなければ駄目です。不良やヤクザと一緒では神様の仕事ではない。

“福井の方でも昭和二十五年に八割死ぬとか云ってゐる様です。その他天国会でなければ駄目だとか、来年になれば大先生は極楽へ行かれて了って御目にかゝれないから今の中に行けとか云ってゐると聞きました。

“冗談ぢゃない、私はまだ極楽へは行きませんよ。

“全くそんな具合に大先生に対しまして丁度ヒイキの引倒しの様なことをよく耳にします。又分会分立のことでも会員は大分悩んで居ります。

“いやみんなケツの穴がせまい。そんなことでは世界は救はれない。争ひをなくするのが此の道であるのに争ひを自分らでやってゐては駄目だ。分立も去年文部省で八つにしろといふんで、私は嫌だったがやったまでです。まづ観音会を救ふ事が先ですね。

“下北沢の神官が、将来は一つの宗教に統一されること、薬はいけないものであるが今迄は止むを得ず使ってゐたこと、赤・白・黒の蟻があり、今に金と銀の蟻に征服されること、を云って居ります。

“蟻にも共産党があるんですね。

“予言予言といふが、宗教で予言のないものはない。キリストも釈迦も皆予言者ですよ。「天国は近づけり」と云ったのも予言ですよ。天理教もさうです。日蓮の「義農の世」といふのも予言です。が、あゝいふのは捉へ所がないからいゝ。何年何月にどうなるなんていふのは外れるに決ってゐる。仮令予言しても又神が変へて了ふんです。それは一般に知れてはいけない事なんだからです。みんな予想なんですよ。予想が理想です。日をきったりするのなんかウソだと知っていゝ。

………………………………………………………………

“昨日真知学会(ミロクロッヂ)の会合に行って参りましたが、その時世界には七種の人種が次々と出る。第一がなくなる時大戦争や天災があり、そして第二の人種が現れる。第四の人種は太平洋中に没したアトランチス人で、彼らの時代には飛行機なんか今よりもっと素晴らしいのがあった。そのアトランチス人の血が日本人に混ってゐる。今は第五種の時代であり、又第六の人種が出つゝある。そして第六のは顔は印形で霊の事を解する人種だと云って居りました。会長の三浦さんと云ふ人に「ミロク」の働きこそ我々の働きなることを話しましたら大変喜んで居りました。

“それは確かに真知ですね。学ンで知るを人知と云ひ、学ばずして知るを神知と云ふと云はれる通りです。時期が来てそろそろあちこちに現れ出してますね。

“こうやって手で治す方法もずっと古い時代何千年も前にはあった訳なんです。

“日本の古文書のウワツブミにも出てゐるさうです。

………………………………………………………………

“雑誌は何時頃出来るんですか。

“大体六月頃になると思ひます。

“一つ私も文章を書いてみませう。そしてそれに依って之を広めて行ける様に野々山さんにも書いて貰ひなさい、野々山さんはなかなか筆の立つ人だから。よく出来たら観音教団の機関紙にしてもよい。

………………………………………………………………

四月二十八日(水)

“これから直接云ひ難いことや恥かしいことは要点と住所姓名を一緒に書いて井上さんに出して下さい。それに対して次に質疑応答式に返事をして上げますから。それによって外の人も開発されますからね。

………………………………………………………………

“或日霊媒の所へ参りました所、戦死した主人の霊が出まして昭和二十年六月二十三日十三時点呼をしてゐる様子をし「よし」と云った瞬間倒れ右胸に入れてゐた光明を三回さぐり「よく判った」と三回云って死んださうでございます。御守護を厚く御礼申上げます。  又私に「お前は米国へ行き此の道で人を救へ」と申しました。

“此の間も戦死者の霊がその姉に憑り昭和二十二年何月何日何時何分に死刑にされたが、その時は十五人横に寝かされ、その上をローラーで引いて殺された。自分だけは今度許されて日本へ帰ることが出来たが、殺される時隣りには何某何才、その隣りは何某何才とすっかり教へてくれた。普通こういふ死に方をすると地縛の霊となってその場所を動けないのだが、その姉が去年の秋御守りを頂いたのでその功徳で救はれた人です。

………………………………………………………………

“最近新潟の方でコレラの様な病気が流行してゐる。群馬の方でもあって六日病と云ひ、六日で死んで了ふんです。ラヂオでは三日で治ると云ってますが嘘です。医学の統計なんかも嘘が多いんです。小野田の妻君が之に罹った時は下痢やら嘔吐が続いて水も飲めず、どんどん衰弱して了ふ。一時間位の中に顔の相が違って来る。そこであしたの朝大先生の所へ行って御願ひしようとして仕度してゐたら卅分位経って少し宛よくなりもう大丈夫になった。この病気は治療しても効がなく、却ってひどくなり注射なんかすると必ず死んで了ふといふ物凄いのださうです。これが全国に拡まったら全く恐怖時代ですね。いよいよ恐怖時代が来ますよ。今後こんな病気の時は熱海の方を向いて「大先生御守護御願ひ申上げます」と頭を下げて言ったらよい。これからはこういふ方法も許される。

“霊的なのではないでせうか。

“いや霊的ではない。人間は衰弱すると必ず霊が憑る。だから霊的な病気の様に見えるんです。こんな場合霊媒に見て貰っても丸呑みには出来ない。狐や何かゞ憑いていろいろと喋ったりするからね。肺病でも衰弱して来て症状が霊的に見えるのは霊が憑くからです。

(井上先生「天国の福音」中の省略された原稿「恐怖時代」を朗読)

(人類は今まで薬を使って来たが今後霊界が昼になるにつれて火素が増量し、今まで服用した薬は体外へ排除される。その時も既存の固め療法をしてゐたら勿論死を免れない。薬毒の多い現代人はその時が到れば急激な浄化のため相次で死亡し「人類は何分の一、何十分の一又はそれ以下に減ずるかもしれない」そしてその恐怖すべき時代は「一九四七年以降数年間に現出するであらう」)

“皆毒で一杯なんだ。肉や皮膚より毒の方が多いでせう。でせうぢゃなくて全く多いんです。その時にカイセンをやった者は浄化が軽くて済む。だからカイセンは有難いんですよ。

“肉三膿七ですか。

“その位なら上等ですよ。肉一毒九ですよ。昔は「膿塊人」と題して笑冠句を作ったもんです。今の様な激しい病気や形の変った浄化が起った時、初めてこのお浄めの意味がわかります。私がこう云ふと悪宣伝の材料になり観音会に入らぬと死んで了ふなどと云ふ人が出る。私が云った通り云ふならいゝけどオマケがついて了ふ。空気が三分間なくなるといふ話もよく調べたら出口王仁三郎が言ったんです。そしてこっちで云った様にしてこっちを害しようとしたんです。やっぱり邪神が憑依してゐるんです。外の宗教でもこういふことは云ってます。以前キリスト教の牧師で「天国の福音」会々長といふ人に会ったらその人が曰く「世の終りとは人類が全部死んで了って千年経ってから一旦死んだのがポツリポツリと生きかへる、それが復活だ」と云ってゐた。その頃私は宗教の事はよく知らぬのでバカバカしくてね。又チベット学者の河口慧海を訪ねて、人間は死ぬとどうなるかと訊ねたら、宇宙の大霊に溶けこんで零になって了ふと云ってゐました。そんな考へになると虚無思想で悪い事をする様になる。何故なら善をしても悪をしても死んでから零になるんなら悪いことをしても此の世で楽をしようといふ気持になるから。

  何年何月にどうなるといふ予言は外れるものだ。関西の地震もさうです。そういふ事は人間に判ってはいけないんです。寿命と同じで寿命が予め判ったら人はいい加減前からもうあとこれこれで死ぬんだからといってブラブラ遊んで了ふでせう。地震が確実に予言されたら家を建てる人もなくなって了ふ。だからそんな事を知らせるのは邪神です。正しい神は唯こういふ事が将来あると知らせるだけです。大本で浅野和三郎を訪ねた時、お立替は昭和十一年にあるといったので、もしなかったらどうするかと問ふたら、私は軍人だから腹を切ると云ってゐた。十一年には何もなかったので彼は止めて了ったのです。キリストの再臨なんてのもね、「メシヤは夜盗人の来るが如く来る」とか「栄光の雲に乗って天降る」とか書いてある。これはどっちにもとれる様にしてあるんです。

………………………………………………………………

“仏教がなくなると因縁なんかはどうなりませうか。

“もっとはっきりする。仏教のは曖昧だ。だから因果応報はこれから早くなる。今まで悪い事をして出世してゐる人があり、死ぬまで大してその報ひを受けてゐない様に見える事もあり、世間の人々は「あんなにあの人は悪い事をしてゐるのに何ともないのは変だ」と思ふことが屡々ある。之は因果応報が遅かったからです。然し之も体に入れた薬が何れは出さねばならないのと一緒です。それが段々に時期が来て早くなり、最後には即障即暴(ソクショウソクバク)となって直ぐに暴露して了ふ様になるんです。最近そういふ傾向が随分ある。戦死者だってさうなんですよ。

………………………………………………………………

“人間の神に対する冒涜の罪の裁きはどんなものでせうか。

“病気とか又は非常な苦しみです。

“その場合病気の症状で判りませうか。

“判りますね。一家死にたえる、一人ではすまない。神社の大木なんか勝手に切るとひどいですよ。大抵一家死に絶えて了ふ。神に対する冒涜の怖しさは私も随分体験してます。その中で一番重いのは、つまりね、昔竜神様を押し込めた罪、押し込めた方に味方した罪が大変で、今はその裁きの時なんです。今迄の特権階級がさうです。これからは益々大変なんだが、まあ余りはっきりは云へません。結局は祖霊の罪になるわけですね。

“三毒の中の然毒には之が含まれてゐるのでせうか。

“いやいや含みません。此の裁きに会ふとね、つまり訳が判らずに死んで了ふ。ここの町会長は一昨日家内が出会った時元気だったんですが、その晩急に死んで了った。こんなのはさうです。

“唯物論者なんかは如何でせう。

“相当な罪です。今に見てらっしゃい判りますから。あれはサタン――赤い竜が支配してゐるんです。

“此の前も宗教家と唯物論者がラジオで対談して居りました。

“えゝ私は聞きそこなったですが、私は以前から共産党の赤龍と戦ってゐるんで、今も戦争中です。今年中にこっちが勝つでせう。二十年前にも共産党の者が私の命を取らうとして匕首を持ってやって来て、それを畳につき刺して脅迫しました。そいつは赤龍ですから顔から首まで真赤だった。その要求は金銭上の事ではないんですが、それを承知して了ふと私の仕事が出来なくなる様なものでした。私の仕事の邪魔をしに来たんです。

………………………………………………………………

五月八日(土)

“胃癌は食欲がなければ見込みがない。霊界で救はれる様にして上げなさい。

………………………………………………………………

“天照皇大神、伊都能売大神、国常立命の御関係に就て――

“天照皇大神と伊都能売大神は関係あるが、国常立命の方は古い事です。だから関係はないですね。岩戸隠れはつまり素盞嗚尊と争になってね、天照皇大神が御逃げになったんです。それが岩戸隠れで、信州水上山の事であってそこで一生を終られたらしいですね。それから戸隠にも行かれたらしく、こゝから「岩戸」といふ言葉が出たんでせう。後、天照皇大神を慕って方々へ御祀りした。今判ってゐるのは丹波の元伊勢、丹波の綾部、丹後のマナイ神社その他宇治山田等です。

“夜の世界とは――

“天照皇大神の岩戸隠れ以後の時代を言ふんです。伝説によれば国常立命は非常に厳格な神様で、そのためその支配にやり切れず八百万の神々が一致して御引退を願った。結局輿論に抗し兼て御引退になったといふ事になってますがね。此の点は大本教祖の「出口なほ」に国常立命が御憑りになっていろいろ物語られた、それを基にして私はお話するんです。艮に引退せられ北海道の芦別山に押し込められた。之は本当でせう。之が節分の日で、一般の者はそれから豆を煎って之をぶつける様になったんです。神々は此の煎豆に花が咲いたら出て来てもいゝといふことを言って節分の行事をしたんです。その時国常立命は綾部にも居られたんです。そのためか綾部地方は、鬼は内福は外と逆に言ふんです。ですから之は事実と思えるんですね。国常立命は霊界で閻魔大王になられた。之は非常に苛しい善悪審判の役目ですね。然し厳格一方のやり方では可哀相なので、命は現界で観音様になられた。之は私の解釈です。だから観音様は善悪無差別で慈悲を以て救はれるんです。絶対の慈悲ですね。そういふ訳と思って大差ない。天照皇大神と観音様とは全然違ふ。天照皇大神は太陽を表現してゐるんです。天に日月星辰があって地に之が写ってゐるんです。正月の「鏡餅」といふのは天が地に写る事を意味してるんです。だから又日月星辰が人間に写り、昔から偉い人を星といふんです。天に木火土金水の星があるから人間にも五人の偉い人がきっとある。天照皇大神は太陽神で、仏界では大日如来です。仏とは全部神様が化けたもんですから。こゝにいろいろと神秘があります。国常立命は神の中の頭梁で引退と同時に家来の神々も引退した。そのあとは邪神が支配することになり、天若彦命がその総大将です。天のじゃくとは之で、天の邪鬼のことですね。人類が邪神に苦しめられるから、一方でその害を防ぐため、国常立命や正神界の神々――正神の中には邪神の方についた神もある――が、出られる時になったんです。仏に化けられたのは皆偉い神々です。が後には仏の中にも邪神についたり負けて了ったのも沢山ありますがね。艮の金神の妻神豊雲野命は「未申(ヒツジサル)の金神」です。古い時代には世界的にいろいろな御経綸があったんです。日本、朝鮮――昔は陸続きだった――支那等相当交通が盛んだった。国常立命は生れ変っていろいろ仕事をされたと云はれるが之は事実らしいです。陸続きだったことは日本にも象の骨が出たことで判る。象があっちからやって来たに違ない。そして正神が仏になった時、一部の神は仏にならずに龍神になり、日本の近海で時を待つことになった。これが八大龍王で釈迦に封ぜられたのです。九州の海峡、明石、越後と佐渡の間、東京湾の海底で  時を待ってゐた。その他十和田湖にも居ました。十和田湖の龍神が天に昇った時は地震、暴風雨が起り、水が渦巻き、やがて金龍が昇天して行った。之を二、三十人の人が見たさうで、私はその一人から聞いたんです。八大龍王は皆人間になって働いてゐるんです。勿論本人には判ってませんがね。まだ面白い話もありますがその中だんだんに話しませう。

………………………………………………………………

“狐霊について――

“狐霊は沢山居ますね。恐らく何億と居るでせう。日本許りでなく支那、ロシヤにもゐます。ヨーロッパ、アメリカは少い。白人は具合が悪い様ですが、東洋人殊に日本に多い。狐霊が元から守護神としてあるのと、急にかかるのと二つあるがこの区別は判ります。一人に五、六十匹つくこともある。豆粒みたいに固まってゐるから判ります。

“狐霊に憑かれるのも因縁でせうか。

“因縁ですね。以前小山といふ婆さんを治療しましたが、その人は昔女郎屋のおかみをやってゐた。女が少し長く女郎をやってると霊界で狐になる。それで敵討ちにその婆さんに憑いたんです。「大先生を殺すんだ」と云って騒いだり、狐に「今日お前の心臓を止める」とか「今日お前の頭を溶かして了ふ」とかおどかされ、毎日鏡許り見てました。それで、普段は何ともない。だから「小山さん、あんたは正気の気狂だ」と云って笑ったもんです。半年位手元に置いて治療しつゝ研究しました。

………………………………………………………………

“此の道は現代科学をすべて否定するか否か。

“すべては否定しない。今迄の医学でも体の構造、内臓の働き等は参考になり功績である。又黴菌も大変いゝです。又非常に間違った点は根本的には、今迄の世界は夜で病気を固める方が早く、溶かす力が弱かった。そこで釈迦は薬を飲めと云はれ薬草喩品といふ経もある。又薬師如来とは観音様の変化でもあった。観音様さえ固めの方法を摂られたんです。昼の世界になると固めることが出来ず、溶かす方法がよくなる。それを私が早く知ったんです。何れは皆知るんですが、薬で固めるより溶かす方がいゝことも知った訳です。医者は之に気づかず、今以て固めんとしてゐるのです。西洋医学はいゝ事もあり、今まではよかったのです。丁度冬は綿入を着るが、暑くなればそんなものは着ない。今の医療は夏になったのに益々綿入の綿を厚くして着てゐる様なものです。

………………………………………………………………

“霊の研究に就て――

“神が必要と認められゝばその人に霊の研究をする機会をお与へになる。宗教と霊は関係が深いから或程度は誰にも知らされるが、研究しようと思はなくても興味を以てゐれば、神様の方で判るようにして下さる。唯そのね、概念を得たいのなら本があるからそれを読むのはいゝことです。霊的研究に凝ると自分に霊をかけたりするが、之は危険が伴ふんです。人に霊をかけたり、霊を浮かせたりすると精神病になります。精神病になって自殺したのを私も知ってます。日蓮宗など霊が浮いてくると「口がきける」と云って喜ぶのですが、之も精神病になるから危い。又狐は畜生だから、こんなのをよく使ってゐると自分自身が畜生道へ堕ちて了ふ。だから行者なぞには案外不幸な人が多いんですよ。

………………………………………………………………

五月十八日

“三毒五濁とはどんな意味で御座いませうか。

“仏教にある言葉です。三毒は貪、瞋、痴、之は字の通りです。五濁の方はまあいろいろな罪汚れです。大した意味はありません。私は必要のないことは忘れて了ってゐます。余りよく記憶してゐるのも骨が折れますよ。記憶のよかったのは大隈重信で、物忘れする人は羨しいと云ってます。寧ろ忘れて了ひたい様な事迄も憶えてゐる。例へば庭で働く植木屋の賃金、今はいくらいくらで何年前はいくらいくらだったとか、こういふ木はこういふ風に植えるといゝとかいった事迄憶えてゐた人です。英国の元首相のバルフォアーは数字がどうしても憶えられず、議会の演説で数字を読む場合には秘書が代ってやった。自民党の吉田さんも頭が悪いですね、演説なんか聞いても下手です。馬鹿とか利口とか云ふことゝ記憶とは全く関係ないとは云へなくても、さう大して関係ない。学校なんかも記憶のよい者が成績がよい。だからそれが偉くなるとは限らない。アインシュタインも学生の頃頭が悪くて落第したさうですね。落第したってさう悲観する必要はありませんよ。

………………………………………………………………

“稲荷の御祀り、午と狐の関係は――

“毎月午の日、大体月初めにきめてやればよい。お祀りを午の日にやるのも何かあるんでせう。之も必要ないせいか憶えてません。いはれはたしか聞いた事があります。初午だけはなるだけ盛大にした方がよい。

………………………………………………………………

“今迄御祀りしてゐた神様の御処分の方法は――

“祝詞を奉唱してこう言ったらよい。「今迄いろいろ御守護有難う御座いました。今度観音様を御祀りする様になりました。就きましては今日限り元の御座(ミクラ)に御帰り下さる様御願ひ申し上げます」と云ってから社は焼いて了ったらよい。こう言へば神様は御帰りになって社は空ッポになるから。

………………………………………………………………

“家が狭いために床の間へ仏壇を置くのは如何でせうか。

“結構です。先祖が光明如来の光を浴びるから霊界での向上が早い。

“夕方の御祀りの時御軸に善言讃詞を御上げ致しますが、仏壇にもやはり善言讃詞を御上げした方が――と存じますが――

“法事や御祀りの時は仏壇に善言讃詞を上げるが、普段は上げない方がよい。唯最後の二句だけでよい。若し上げるならば、観音様の御軸に祝詞と善言讃詞を御上げし、仏壇には善言讃詞だけあげる。こうしないと御軸と仏壇と格が一緒になって了ひますから。

………………………………………………………………

“今度の新しい大光明如来の御軸は――

“特別に書いたんです。教導師には上げてもいゝが、一般会員はいけません。神様の事には民主的でない点がある。階級的ですから。

“以前ある家に行ったら、神棚があり、どうも気にかゝるので家人に訊ねたら、金光教の神様だが今は余りお祀りしてはいないといふので神様にきいてみると、早く帰りたいのだが手続きしてくれないので帰れないと云ったことがあります。やっぱり言霊で称へて貰はねば帰れないんです。そういふものですよ。言霊を称へずに社を焼いたりすると神様の居所がなくなるので宙ぶらりんになって了ふ。ですから言霊は大切なんです。又階級が厳然たるものだから低い地位に観音様を御祀りしても観音様は来られない。

  何か神様を御祀りしたくなくなったら、それは矢張り知らせなんだからよく御祀りして御帰りになって貰った方がよい。

………………………………………………………………

“天照皇大神と伊都能売大神の御経綸に就て――伊都能売大神に就きましては古事記にも出て居りませんが――

“伊都能売大神の事は昔は言へなかった。いゝ加減にボカしてあったんです。天照皇大神は太陽神で、位は上だが御働きは限られる。伊都能売大神は火と水で、仏界では観音様になる。之に土の御働きが加はって弥勒になるのです。天照皇大神は一つの力であり、伊都能売大神は二つ、弥勒大神は三つの御力となり、之が三位一体で完全になる。

“弥勒大神は土の御力即ち肉体を御持ちになって御出現と存じますが――

“えゝさう、さうです。

………………………………………………………………

“毎月十八日の御観音様の日に御祀り出来ない場合は――

“十七日にしたらよい。神仏の御祀りや法事なぞは早くするのはよいが遅れるのはいけない。

………………………………………………………………

“国常立命と天照皇大神の押し込められ給ふた事の相違は――

“天照皇大神の事は割に近い。近いと云っても今から大分昔だが、所が国常立命のはそれよりずっと前で別個の事です。国常立命は天若彦命らにより艮に押し込められたが、天照皇大神は素盞嗚尊に攻められ御身が危くなって逃げられ、信州水上山へ御逃げになり、その地で御かくれになった。そして御髪の毛を切って御神体として方々へ御祀りしたんです。日枝神社なんかはそれです。

………………………………………………………………

“現在会員の会費の一部を以て積立金として積立て、将来会員のための福祉例へば旅館の如き宿泊設備、教会、農場、学校、治療所等々の建設を考へて居りますが、大きな分会にはいろいろ福祉がありますが、私共の分会はまだ小さく、従って未だ見るべきものなく、会員に淋しい暗い気持を抱かせて居ります。この点に就きまして大先生の御導きを御願ひ致し度う存じます。

“そういふ問題は管長がやるべきです。渋井さんと相談してみなさい。経営はすべて本部管長がやることになってゐる。分会長も居るんだから皆で相談してやったらよい。

“先日も管長に会って御話しした所、管長とは名許りで実際は五六七会の会長であるからその方の事をしてゐると言はれてました。

“今迄は私がやって来た、で、その習慣が残ってゐる。宗教の形を整へた上は管長が全部やるべきです。が、そこまで未だ行ってないのです。もう暫く自然の動きに任せておけば定まる事は定まる。神様がやってられるんだから。私はこうすればよいと自分で考へても神様の御考へと違ふことは始終ある。この家は狭いので去年広い家を買ふことになったが、どうもその後旨く行かない。こいつはおかしいと思ったのでよく調べたら、箱根の方を先にやらねばならないんです。それは箱根は五で熱海が六で小田原が七ですから、箱根の寮が出来上り使ってからでなくては駄目です。こういふ風に人間の計画と神様の御計画とはちょいちょい違ふんです。神に御任せして時を待つんですね。此の間も中島の所へ二百万円の税金を納めろと云って来た。中島はびっくりして「そんな金はない」と云ふと「此の家は誰のだ」「自分のだ」「ではこの家を売って納めろ。君の所は大変な収入がある、駅を降りて人々が皆来るではないか」と云はれ、中島は青くなってボーとしてゐた。で、私は「一体あんたは何を信仰してるのか、何も信仰してやしないぢゃないか。くよくよ心配するのは神を信じてないからだ。人間の方でそんな態度をとれば神様としても面白くないですよ。そんなに気をもむのは」そう云ったんで中島も判り、今迄のは形だけの信仰だといふことを悟ったんです。所が税金の方もちゃんと旨く行って運動してくれる人が出て位で済んで了った。私も思ふ様に行かんなと思ふ時は神様に御任せする。始終ありますよ。私の処の税も五百万円だったが運動してくれる人が出て何分の一で済むことになってます。霊的に云ふと心配したりくよくよしたりすると霊が地獄へ落ちる。始終自分の霊は天国に居なければ駄目だ。どんな事があっても  気をもんだりしないならば霊は天国に行き、そこで神様は旨くやって下さる。分会も文部省の命令で八つにした。物を分ければ最初は旨く行かぬにきまってゐる。滑らかに行かぬだらうとは思ってゐた。然し神様がやって居られるんだから日時が経てば円満になって行く。ですからゆっくりと時を待つことです。私は以前治療士三訓を作り治療所へ貼らせた。「威張るな、怒るな、早まるな」です。三つの中何れか一つにでも該当したら治療士の資格がない。結局こういふ事により自分が磨かれるんです。神様の修業の中で一番大切なのはこっちを怒らせることです。昔は私も神様からよく言はれました。以前は私も神様の事はよく判らず、はらわたが煮えくり返る様に思ったこともあり、余り癪に触って頭がボーとして来たこともある。私は二十年間借金で苦しみ、差押も七、八回、破産したこともあります。差押へられると箪笥の引出に封印しますが、その紙をそっとはいで引出しを開けたこともあります。あいつをはがすと刑事問題になるんですから怖いですよ。上野毛の家には木札に此の家は仮処分の家だと書いてある。余り人目につかぬ所に立てゝますが、実際借金には苦しみました。又五島慶太もひどい事をしました。離れを作らうとして土台を作りすっかり準備したら建築停止をくはせた。その時も腹が立ちました。所が面白いのはね、箱根の観山亭を作る時、その離れの材料をそっくりそのまゝ持って来たんで、観山亭は出来たんです。今から考へればむしろお礼を云っていい位です。計画を立てゝやらうとしても旨く出来ない時は、神様に何か思召があるんだと考へることです。熱海の家の事では今両方共困ってゐる。売った方でも困ってゐる。税務署は時価で評価するから二千万位になる。それから税百六十万円を引くと千八百四十万円、それを双方で負担すると、先方は家を売った上に九百二十万円納めねばならない。私の方は法律的には出来るんですが、然し人情としてそんなことはとても出来ない。それで今はそのまゝに放ってゐるんです。そこで私は之は屹度神様が何か御計画になって居られるなと考へてゐる。或時期にはっきり判って来ます。ついそこの畑地もやっぱり山下が持ってゐるんですが、先達て「買はないか」と言って来た。私は「要らない」と云ふと家内が「あすこに変なものでも建てると困るから買って了ったら――」と云ふので買ふ事にしたらもう売れて了った。私の所へ来た時は三十万円程だったが、後で聞いたら競売りで大分高くなったさうです。所がその買手の人は熱海の請負師で渋井が仕事をさせてる人で「大先生が御入用なら何時でも御使ひ下さい」といふ訳です。やっぱり必要なんですね。必要なものは飛んでもない所から入って来ますよ。宗教になる事だって私がしようと考へてしたんではない。進駐軍の中佐の牧師が或程度この道を了解して、之が将来発展すると必ず医者と衝突して禁止される、それには宗教になってなければ――といふ訳で宗教になったんです。全くなってよかったんです。之で全国の医師会との間に起っていたいろいろな問題もなくなってしまったんです。

………………………………………………………………

五月二十八日(金)

“女権尊重の叫ばれる今日、離婚といふことに就て――

“今度「信仰雑話」といふ本を発行するので私も「夫婦の道」に就て少し論文を書いてみたんですが、今迄の信仰はいろいろと間違ったまゝ続いて来た。私は本当の事を知らせたいと思って「夫婦の道」を書いたんですが、之が判れば離婚といふことも問題なくなる。

(井上先生「夫婦の道」を朗読)

(要旨……近来見合結婚がいゝか、恋愛結婚がいゝかいろいろ問題になってゐる。然し之を霊的に見ると吾国は如何なる地域でもそれぞれ産土神(ウブスナガミ)を御祀りしてゐる。之は現界に於ける区役所の如く冠婚葬祭や出生を司る神で、子供が生れると産土詣りと云って御礼に行くのもそのためである。結婚もやはり産土神が男女を結合させるのである。これが判らぬから普通人間は男女二人が人為的に一緒になるのだと考へ勝ちなのである。かく折角神様の思召で結ばれた夫婦が勝手に別れたりするのは神への冒涜で、縁あって一緒になったのにどうこうしようといふのは誤りで寧ろ感謝すべきであり、又之が判って感謝の気持を持つ様になれば、いゝ妻にもなりいゝ夫にもなるのである。

  又子供の死は多くの場合夫の不品行に原因がある。例へば妻以外の女と関係するといふ様なことであって、かゝる罪は正に死に値するのである。この不品行を祖霊は非常に嫌ひ、且立腹するのであるが、罪の重い時は一家断絶といふ事さへある。勿論この罪の償ひはその主人が負ふべきであるが、主人は一家の柱石といふ大事な人間であるので、その身代りとしてその子供を犠牲にするのである。かゝることは世間にその例が多いから読者は必ずや身のまわりに思ひ当ることを見るであらう。夫婦不和の原因は多く妻の嫉妬と経済事情であるが、夫婦は神の御意志で結ばれたものであること、妻以外の女との関係は罪なる事を知れば自然夫婦は円満になるのである。これは決して作り話ではなく確たる事実なのである)

“だから離婚なんかあるべきではない。もっといゝ女を妻に持とうといったって出来るものではないんです。祖霊は男女の不倫を一番嫌ひます。不倫な夫婦の子供は御浄めしても効きませんよ。それですぐ判る。

………………………………………………………………

“神の裁きは如何にあるのでせうか。

“別に難しいことはない。人体に余り汚れが溜ると人間社会の活動に障りが起るから神様は掃除されるのです。丁度家が汚れると掃除するのと同じです。そして人体の掃除も本当は人間がすべきであるが、人間は気が附かないから仕方なしに神様が掃除されるんです。だから人を救ひ世のためにいゝ事をしてゐればゴミはなくなるから従って大きな浄化の必要もないんです。

………………………………………………………………

“再婚とか或は過去に於ける夫又は妻の不倫は許されるものでせうか。

“許されます。妻の不倫といっても之を霊的に言へば、夫も亦同じく不倫なことが多いのです。主人は品行方正にして而も尚妻が不倫といふ場合は自然と別れる事になって了ひます。又改心すれば既往の罪は軽くなります。神様のなさる事も法律の精神と同じで、罪人を作らぬ事が本当で、神様もそういふ風にやって居られるのです。

………………………………………………………………

“主神が悪との戦ひに於いて苦心なさって御出になるのは如何なる訳でせうか。

“苦心してられるのは主神ではない。何故なら主神は善悪の両方を御作りになったのだから。そして人間が未開の時は争ひ事を好む様に作られてゐるんです。今も世間には闘争してゐる者もあるが、之は未だ未開だからです。喧嘩なんかして血を出すのもまだ獣の状態だからで、丁度尻尾があったり、毛が生えてたりするのと同じです。そんな争ひ事がなくなった時初めて文化が発達したことになるんです。以前西洋医学は子供だましだと云ひましたが、こういふと医者は怒るかもしれないが実際神様の眼から見ればそんなものです。今の人は文化が進行したとよく云ひますが、まだまだ「トバ口」にも入ってない。今後何千年何万年先の文化の進歩した時の事が判らないから、今日文化が進歩してゐる様に思ってるのです。正邪の戦で文化を進めてる主神は上から見下して居られる。所が善悪といっても絶対善も絶対悪もない。仏教では正邪一如と云ふがその通りです。日本が大変な戦争をやり、敗けて了ったが、敗けたからこそ民主的になり、安心出来る様になったのです。こうして集ることも昔は出来なくて、十人以上来てはいけないと云ってゐた。大勢集ると警察が煩くて引っぱられることがあったからです。実際あの頃は嫌な気持でした。まるで宗教を共産主義かヤクザと一緒の様に見られてゐたんです。こっちは世のためいゝ事をしてる積りでやってゐたんですがね。こういふ風に悪い事がいゝ事になり、いゝ事が悪い事になるのが運命なんです。だから調子のいゝ時は充分用心すれば大した悪い事もなくそれが続いて行く。有頂天になるとドカッと来る。悪い時が来ても何れはいい時が来るのだから悲観しないでよい。

  陰陽、夜昼の二つの力が作用し合って世の中が進歩して行くんです。以前「神が裁くといふが、神は最初から悪い事をせぬ人間を作ればよいのに、悪い事をする人間を作っておいて然も之を裁いて苦しめるのはどういふ訳か」と云った人があったが、之は尤もなことです。之丈考へたんでは神様は無慈悲です。だから悪も社会の進歩のため必要なんだといふ事が判ればよい。然し私も作られたのだからはっきりしたことは判らない。たゞ想像するだけです。主神の領分を人間が考へるのはよいがそう深く研究する必要はない。それより主神に作られた自分は何をすべきかを考へたらよいのです。

………………………………………………………………

“五年前に死んだ子に講習を受けさせたいと存じますが。

“之はもっと自分に講習した方がよい訳だ。まだ本当に判ってゐない。死んだ人を始終思ふことは霊に対して大変悪い。早く忘れた方が霊は喜ぶのです。赤ン坊で死んだ霊は八衢での修業が出来ないから、その母親が現界で出来るだけ善行をすれば早く天国に行きます。一般に子供は割に早く天国へ行ける、罪が少いから。昔から天使の絵など子供の姿が多いのはそのためです。だから母親が一人でも多くの人を助け神様の御用をすればよい。始終思ってると子供の霊を引っぱってゐることになり子供は浮かばれない。成程子供が死ねばなげくのは人情で之は悪いことではない。人が死ぬと仏教の方では四十九日間その家に霊がゐると云ふ。極善極悪の人はすぐ行く所へ行くが、普通は五十日目に霊界へ行く。霊界へ行ったら早く忘れた方がよい。さう早くは忘れられないが、早く忘れた方がよいと知るだけでもよい。一周忌の様な命日なんかには憶ひ出すのは構ひません。故人の写真も十年を過ぎたら掲けてもよいが、死んで間もない間はいけない。こんな話がある。お釈迦様の時弟子の目連尊者が或時地獄で母が苦しんでゐるのを見た。何とかして救って上げようといろいろやってみたがどうしても母は地獄から上れないでゐる。そこでお釈迦様に、どうしたら救はれませうかと尋ねた所、お釈迦様は忘れゝばよいと言はれた。で、目連は出来るだけ忘れる様にして一年程経った所、母は地獄から救はれてゐた。この時目連は、自分が自分の力で母を救はうとするのは間違ひだ。自分は一切衆生を救ふのが使命である、釈迦が忘れろと云ったのは、母を救ふことも忘れて衆生を救へといふ事だったと初めて悟ったといふことです。

………………………………………………………………

“仏壇の扉は夜は閉めた方がよいでせう。ねづみが入るといけないから。

“故人の写真を掲けるのは仏間なら何処でもよい。私の額が掲ってゐる所は駄目です。唯止むを得ないなら、出来るだけ額から離して掲けてもよい。

“古い以前の御屏風には寺の名が入ってゐるが、あれは当局が煩いからやったまでです。新しいのを御祀りしたければしてもよい。そして古いのは人にやったらいゝでせう。

“船の中へ御屏風を御祀りするのはいかゞでせうか。

“船の中へ祀るのはいけない。船の親方が、御光を頂けば船全体が守られる。田圃なんかでも、それを持ってゐる人(支配権のある人)が御光を頂けばそれから光が田圃の方へ行くから収穫も多い様になります。

………………………………………………………………

“講習をする先生により御光の力は違ふのでせうか。

“えゝそれは違ひますよ。その人の霊の階級で力が違ふ。又信仰の程度、生れつき、それから経験などにもよります。一番力の出るのは神様の御用をする人です。之は重要です。一番大きいことです。たゞあの人はどうといふ風に定めることは出来ない。それは同じ学校を出ても、立派な人間もあれば駄目なのもあるのと同じです。

“先の治療時代の講習と、最近宗教になってからのとは違ふから、再講習をしても宜しい。はっきり筋の通った理由のある場合は再講習してかまわない。

“弟子に対して絶対服従を強ひてはいけない。それでは以前の軍国主義と一緒になって了ふ。

“講習生が判らない時は――

“時を待つのがよい。人間が判らせるのではない。人が人を悟らせるとか、或は裁くとかいふことは僣上の沙汰です。判るように言ふべき事だけ言って、あとはその人の自由に任せたらいいのだ。判らない人は放っておいて時を待つ。そして神様にどうか早くあの人が判るようになりますようにと祈ったらいゝんです。第一、人に判らせようなどとしてゐてもその人自身判っちゃいないんだから。私の弟子は今沢山居るが本当に判ってゐる人は一人もありはしません。私だって判らせたいと思ふことはいろいろあるが、まだ時期でないから黙ってゐるのです。

………………………………………………………………

六月八日(火)

“「霊体の曇りが局所に於て毒素となる」との御教を頂いて居りますが、想念や行為の不道徳がその様な毒素となる場合は三毒以外の毒となるのでせうか。

“毒は夫々皆違ふが大した違はないのです。同じと思ってもよい。想念や行為の不道徳は罪汚れとなるが三毒の中へ入れてもよい。この罪汚れを消す様な行為をすればよいが、さうでないと毒はふえる許りです。

………………………………………………………………

“人が死んで霊界に帰った場合、その人の副守護神は離脱するものか否か、もし離脱すればその霊魂は善のみとなり従って霊界も悪がなく善のみと存じますが。

“普通副霊は霊界へついて来る。霊界でその霊が改心すれば尚相当期間ついてゐるが、改心出来ぬものは却って離れて了ふものです。副霊はついたものですから何れはなれるべきものです。所が中には霊界で副霊にその又副霊がついたりすることもある。そして人間の霊と副霊と一緒になって生きてゐる人間に憑る事がある。以前狐の憑いた女を治療すると霊が出てくる、そこで「あんたは誰だ」と訊ねると「荒井サクだ」と云ってるが、暫くすると狐が出る。「お前には用がない」と叱ると又荒井サクが出て来たりしたことがありました。之は本に書いた事です。執着の霊は半分龍で半分人間です。尻尾が出来てくるのもあります。いろんなのがありますから一概には言へません。或る一寸有名な人が何かの講演で「今の人々は平気で古い木を切って了ふが自分は可哀相で仕方がない。必ず御祀りすべきだ」と云ったがその人の顔は猿に似てゐたさうです。猿だから大きな立木を切られると可哀相なんです。

………………………………………………………………

“一、神様の三方は塗り物でも宜しいでせうか。

  二、法事に坊さんを頼むのは通常何回忌までが宜しいでせうか。

  三、再婚はしても宜しいでせうか。

“一、神様のは白木が本当です。神様は極く古い時代人間の姿で現れ、霊界に行き、人間として生れて来ず、霊界で働いて居られるんだから、その古い時代の生活のやり方をして居られる。従って神代時代の器物を使った方がよい。又その方が神より人間の方で気持がいゝですよ。仏様には塗ったのでよい。塗った三方は大黒様によい。  二、出来るだけ永い方がいゝです。昨日の質問に「霊を供養してもその霊が生れ代って此の世に来て了ってゐる場合は如何でせう」とあったが、そういふ風に霊界に不在の時、その供養は現界に戻って来て或程度その人の霊を高める事に役立つのです。古い仏のもまあ臨機応変にしたらいゝです。古いのは強ひて坊さんを頼まなくてもよい。普通は十七回位までゝす。

  三、再婚は二度までいゝとされてます。一年以上経ってからならいゝ。一年以内に再婚すると亡くなった霊が怒りその障りが来ます。一年以上では霊界の時効にかゝるから障りは来ないのです。

“離婚した場合の再婚は――

“それは気をつける必要がありますが、いろいろです。

“慎重にしたら如何でせう。

“その慎重も形だけでね。離婚は絶対しない事です。夫婦の一方が信仰し一方が反対するのは厄介だがそれは時を待てばよい。正しい信仰を余り邪魔すると神が許さなくてあの世へやられますよ。

“夫が道楽して妻が離婚された場合、その妻の再婚は如何でせう。

“その場合の再婚は差支へありません。

………………………………………………………………

“今度中村市郎と中村操が結婚致す予定で御座いますが式の仕方は――

“普通の方法でいゝでせう。たゞ光明如来様に上げる物をお上げして御許しを頂く事です。「今度縁あって某と某を結婚させたいと思ひますから御許しを御願ひ申上げます。今後共末永く御守護を御願ひ致します」と云ふ。勿論祝詞も上げます。それでいゝです。

………………………………………………………………

“御浄めにより善人と思はれる人が助からぬ場合があるのに、全く悪人としか思へぬ人でさへも助かる場合がありますのは如何なる理由でせうか。

“人間が見て善人とか悪人とか定めるのであって、神様が御覧になると違ふんです。小乗で善人でも大乗で見れば悪人になる事が沢山ありますよ。何故なら本当の善人は少いのです。普通の善人とは意気地なしでせう。世のため神のため大いに働きのあるのは悪人に見られ勝ちです。大善は小悪を伴ひ大悪は小善を伴ふ。その場合小悪の面を見ると悪人に思へるのです。例へば私の此の道が発展すれば医者は私の事を悪人呼りするでせう。之は然し仕方のないことです。悪人から見れば世の中の善人はすべて悪人ですよ。何故なら悪人のすることの邪魔をしてゐる。善人と云ってもいろいろあります。意気地のない善人や、功利的に人の信用を得んとする善人もある。こんな善人には悪への憤激がない。この悪に対する憤激はなければならないものです。が、之があると悪人に見られ勝ちです――善悪といふものは時代で異るのです。今から見れば、忠君愛国なんかは大変な悪といふ事になります。非常な間違ひです。日本が忠君愛国をやり、支那人や朝鮮人も夫々支那や朝鮮のために忠君愛国をやったら大変な事になります。よく云はれた皇道なんかも共産主義より下です。何故ならロシヤへ行って皇道を宣伝しても広まりはしないが日本に共産主義は広まってゐるんですから。忠君愛国や皇道は小乗の善であり、世界的に見れば悪です。一国や一民族がよくなるのでは悪です。世界中の全部の人がよくなるのが真理であり全人類が幸せになる事でなければ駄目です。御浄めで生命が助かるか否かはいろいろと原因があるのですよ。

………………………………………………………………

“心の中に魂がある事は判らせて頂きましたが、その魂は体の何処にあるのでせうか。

“人体は腹の真中と前頭部の奥とで天と地となり相通じ合ってゐるのです。ですから高天原を人体で云へば眉間です。邪神がつくと眉間へ来たがって仕方がない。眉間を占領すればその人を自由にすることが出来るから。そこで眉間へ来れぬ時はその人を怒らせる。怒ると頭の霊細胞が薄くなるから眉間へ来れるのです。その中又気持が平静になり霊細胞が濃くなると邪霊は下の方へ下るのです。ヒステリーなんかは之です。又狐の霊なんか憑くとよく喋るんです。女でよく喋るのは狐です。又威丈高になって相手に物を言はせないのもさうです。

………………………………………………………………

“先月末から御浄め致して居ります四十七歳の女ですが、一ケ月半程前から狐が憑き頭の中でいろいろな言を申します。殊に夜になると「さてぼつぼつ苦しめてやらうか」と云って何だ彼だと喋り続け眠ることが出来ず非常に苦しんで居りましたが、一回御浄め受けた夜はよく眠られ、翌日早速御守りを頂きました。最初雌雄二匹憑ってゐた様子でしたが、三日目に雌の方は弱って死んだ様子でした。講習を受けた時「油断をしてゐたら大変なことになって了った」と云ったさうです。御浄めしてゐる私の手を「カチューシャの様な手だな」等と云ったり「あゝ苦しい苦しい」と苦しがったりして居りました。御浄めの時「何か頭で声がしたら直ぐ口に出してみなさい」と患者に云って御浄め致しますと、こんな風な事を申して居りました。雄の方も一昨日はメメズ位、昨日はシラミ位になって参りました。

“狐が憑くと一度治った様に見えて又邪魔することがあります。気長にやれば治りますよ。

………………………………………………………………

“心臓の右にある人がありますか。

“えゝありますよ。中には最初左にあって、その中に右の方へ動いて移って了ふ人もあります。

………………………………………………………………

“神を押し込めた罪とは個人的にですか、又は人類全体としてでせうか。

“大きな意味ですよ。神は輿論を以て押し込められたのですから。

“主神として天御中主大神が在り、次で高御産神、神御産神が現れ給うた。之で陰陽善悪が出来たのです。以前或人が「何故神は悪をなす人間を作り且その償ひとして苦しみを与へるのか」と訊ねたが「私も作られたのであって想像するだけです。因果の理によって悪い事をすれば悪い目に合ひ、人を幸福にしてやれば自分も幸福になる。それなら人を助けてやればよいではないか」と云ったのです。まア多少打算的でせうがね。然し最深最奥の所は人間には判らないのです。兎も角人間の目的は幸福になることです。だから多くの幸福を人々に与へることです。

………………………………………………………………

“私の近所の池では毎年丑の日に人が死にますが、私が疥癬の最中自分が牛になり講習生の家で飼はれる夢を見たので、よく調べましたら以前牛がその池で死んだらしいのですが。

“月一回牛の好きさうなものを上げてお祀りしたら宜しい。お地蔵様も祀ったらいゝでせう。

………………………………………………………………

六月十八日(金)

“日月地大神と経文の弥勒菩薩とは関係ありませうか。

“弥勒菩薩は釈迦の弟子でこちらとは余り関係はない。まあいくらか因縁はあるでせう。目連とか阿難とかいふ十弟子の中の一人です。

………………………………………………………………

“趣味として釣りをするとか、害虫――蚊や蝿を殺すことは差支へないでせうか。

“差支へありません。魚釣りも余り熱中しなければよい。私も若い頃釣りをやりましたが餌を針につけるので指が紫色になり痛んだので止めて了ひました。時々やるのならいゝですよ。之は殺生よりむしろ懶けの罪が大きいのです。人間は働くのが本当です。五体殊に頭をよく使ふ方がよい。頭をよく使ふ方が永生きします。昔から坊さんや学者に永生きが多いのはそのためです。犬や猫、野蛮人は早死です。

………………………………………………………………

“日連や親鸞が地獄に堕ちて居るやに聞き及んで居りますが、この真相は如何でせう。

“私の弟子で日蓮信者があり、身延へ行って日蓮が住ってゐた建物で拝んでゐたら日蓮が淋しい青い顔で現れたと云ってました。これより前から私には判ってましたが――彼の肝腎な点は法華経を弘通した点ですが、法華経とは法の華です。日蓮以前は南無阿弥陀仏であり之は月の教、陰なのです。川なぞへ飛び込んで自殺する時は「ナムアミダブツ」と云ふように、之は陰気なものです。それに対して日蓮は法華経こそ本当の教であり、釈迦七十二才にして顕真実となり説いたものだといふ事を発見したのです。法華経とは仏教の華を咲かせる事であり、その中の普門品二十五は実の髄なのです。又華は咲いて直ぐ枯れるから昔から一代法華と云って一代限りがよいとされてるのです。日蓮は仏教の陰を陽に変へたのです。だから日蓮宗は威勢がいいのです。それから四ケ格言と云って念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊として他宗を皆排斥したが、あの排他性は不可ない。あの態度は面白くない。法の華が散りその実が育って実相真如になると云はれてゐる。然し之は逆で真如実相が本当です。真如とは月の事で、釈迦は仏法を一言で云へば真如だと云ったが、之は夜の世界の事で、昼の世界は実相世界です。又すべては空に帰すとか仮の物だとか云ったのも夜の世界の事です。実の髄の仕事を私がする訳です。だから私が実相世界を作る訳です。親鸞が地獄だとは私の師匠の出口王仁三郎先生から聞いたのです。あの人は相当霊覚のある人だったが、或時親鸞が乞食坊主の姿をして現れたさうです。弘法大師や法然上人は極楽に住してゐるさうです。釈迦は勿論更に一段高い処にゐてとても普通は行けぬさうです。

“日蓮はあの排他性がいけないのでせうか。

“えゝさうですね。

“自分が上行菩薩であると云った事は――

“それは死ぬ前に誤りだと悟り、あと六百五十年して本当に上行菩薩が世に出ると云ったのです。日蓮のいゝ点は大変自信のあったことゝ、仏教の陰気になり隠遁的になったのを救ったことですね。

“親鸞の罪は何で御座居ませうか、

“親鸞のはあの時代の一種の共産的思想のためです。師匠も弟子もなく、誰でも皆「御同行」と云ったのですが之は間違ひです。よく云へば民主的だったんですが――  日本の民主々義と米国のとは違ふ筈なんです。それは日本の霊界は縦で西洋は横ですから。今迄の日本は縦が強すぎたのです。之は隣人愛がないことです。若し隣人愛があれば支那へ遠征なんかしない筈です。日本は神国であり他国なんかどうなってもいゝといふ考へが悪くて遂に逆の結果になった訳です。

………………………………………………………………

“日月地大神の御働きは国常立命と観世音菩薩との御一体の御働きでせうか。

“国常立命も観音様も日月地の御世出現を助けて居られるのです。が、之をはっきりと説く事は時機が早い。

“天照皇大神と伊都能売大神とは関係ありませうか。

“重大関係がありますが之もまだ云へない。

………………………………………………………………

“神は浄化を与へて御救ひ下さる反面、苦痛をも与へられるのは罪業の許しでせうか、又はその刑罰でせうか。

“苦痛も浄化です――或人に信仰をすゝめても入らず、此の救ひの綱に捉れと云ってもついて来ないのは、その人が綱までまだ距離があって直ぐには来られないのです。そんな場合その人が自力で苦痛をなめると罪が少し消え従って距離が短くなって綱まで来れるのです。いくらいゝ教へを説いても手の届かない人が多いのです。之は時を待つ外ない。苦痛はすべて浄化です。自力の浄化です。所が御浄めの浄化は他力だから楽なんです。然し他力でも罪により苦しみますがね。又死ぬ人もある。が、死ぬ人は多くの場合心から神に縋る事もない人だと見ていい。全生命をすてゝ神に縋ればまア助かります。一度死んでも助かります。周囲の人々が忠告がましく医者にかゝれとか云ふと、信仰のない人は直に迷って了ふが、迷ふ途端神とのつながりが切れて了ふんです。尤も周囲が判らない時徹底して云ふと警察問題にもなるから余り強くも云へない場合がある。それは仕方がない。随分気の毒な人がありますよ。某は此の春疥癬をやった。之で死ぬ人はないのですが、私の所へ相談に来て、周囲が煩いから医者にかゝりたいと云ふので、まアかゝんなさいと云った。信仰のない人は周りの人の邪魔――邪霊が沢山来ますからね――で駄目になって了ふ。この人も入院して死んで了ひました。丁度此の人と同じ様に疥癬をやった人も御浄めで今はすっかり治ってゐる。面白いのは死んだ方は教育がなく治った方は大学出なのです。

“人が一度信仰に入ると神は御恵みを下さらうとするが汚れたものがある場合、それを浄めて下さる。それは幸せになる資格を与へて下さるのです。信仰に入ると必ずいきなり幸せになるとは云へない。先づ汚れを取り除かねばならない。よく教導師になり専門に御浄めをし出すと疥癬にかゝるのは此の理です。それは魂が先づ浄められるから従って肉体も浄められるのです。――前の世で罪汚れをためて霊界へ行き、浄化が不充分で又現界に出て来る時、浄化の続きをせねばならない。善人であって不幸な人といふのは大体これです。

………………………………………………………………

“葬式や法事に善言讃詞や祝詞を上げるのは結構です。結婚式には両方あげる。

………………………………………………………………

“南無といふ言葉は称へても構ひません。何か妙な事から余計な事まで云ふ人がありますね。リンゴだってさうです。私はただ水気の多い果物が好きだと云ふだけで別にリンゴがいけないとは云ひません。

………………………………………………………………

“いろいろと精神的御浄化を頂き有難く御礼申し上げます。

“苦しいでせうがもう暫く我慢しなさい。観音様は一方で奇蹟を与へてくださるんです。結局良くなるための苦しみです。さうなるとむしろ苦しみが楽しみです。その人の使命の大きい程苦しみも大きいのです。私の浄化もかなり苦しかったが寿命は約廿年のびましたね。以前は健康で居てゝもどうも調子が変だった。スーとしなかった。然し近頃はせいせいしてゐます。

………………………………………………………………

“外国人と結婚した場合霊界は主人の方に属します。

………………………………………………………………

“私宅は鰻やで鰻やドゼウを殺しますが、如何に祀ったら宜しいでせうか。

“鰻は龍神の変ったもので普通の魚と違ひます。殊に耳のある鰻は「バン竜」と云って、之を殺して食へば必ず祟ります。少しづつ殺しても長い間には相当怨みが溜るから祀ったらいゝ。何か鰻の霊の憑き易い様なもの、位牌の様なものへ竜神として、あんたの名前は?折原?そんなら「折原明神」として高い所へ上げ、酒・米・水・魚――魚は共喰ひになるからやめた方がいゝですね。まあそんなものを御供へして祝詞を上げればいい。「あなた、ぢゃ変だし、鰻さんかな、御蔭で商売させて頂いて有難う御座います。今度御供養しますからその積りで居て貰ひたい」といふ風な事を言葉で云ってから祝詞を上げなさい。月一度日を定めて祀ったらいゝ。竜神だから必ず水を大きな容器に入れてお供へする。御軸を御祀りしてゐる床の間に祀ってもいいですよ。多少鰻は苦しいかも知れませんがね。

………………………………………………………………

六月二十八日

“人間は神様によって初めに地球上の一地域に作り出され逐次各地に分散したものでせうか、それとも地球上に広範囲に造り出されたものでせうか。

“最初は一組の男女が出来、それから次第に殖えたのです。だから最初は血族結婚だった。「イモセ」といふ古い言葉は妹を妻にした事であり「吾妹子(ワギモコ)」とはこれを云うたものです。

  然し人間を作られた時人種はいろいろと御作りになった。又初めは土から作られたのでせう。土人は黒土から作られ、それから赤土、白土といふ風にね――人間は死ぬと土に還るのはその証拠です。勿論人間だけではなく、物質はすべて土から出来たんです。人間がどういふ風に作られたかは一寸……

………………………………………………………………

“原日本人(天孫民族)は日本の如何なる地に造り出されたのでせうか、或は地球上の何処かに造り出され日本に渡来したものでせうか。

“天孫民族といふのは漢族なのです。瓊々?杵尊の系統で、この尊は漢の英雄です。之はユダヤではないかと思はれます。ユダヤは昔十二種族もありその中一種族だけ東方へ行ったと伝へられてますから、之が支那へ来てこゝで何かやらうとしたが、当時支那は栄えてゐて事を挙げることが出来ず、その上ユダヤは放浪性があり定住することがなかった。その中の一部が九州の高千穂に来て葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)や神武天皇になったのです。山の上から下へ降りたから天孫といふだけで純粋ではないんです。富士山に住んでゐたとの説もあるが本当ではなからう。

“原日本人(天孫民族)創造以前に神様は人間を御造りになられたのでせうか、それとも天孫民族が一番最初に神様によって作られたのでせうか。

“天孫民族は古くない。まあ二千数百年位で一番最初の人間からは何十万何百万年経ってゐるか判らないですよ。

“天孫民族と大和民族とは同一内容のものでせうか。

“大和民族の方は相当古いんです。之は全く戦争を嫌ひ平和愛好民族なのです。所が素盞嗚尊が朝鮮からやって来て直に日本を征服したが、それが又神武天皇に征服されて了った。大和民族は此の二つの民族の下づみになって判らなくなって了った。日本を支配したのは朝鮮、支那の民族であって日本民族はずっと支配されて来た。朝鮮系は素盞嗚尊から三代を経て大国主命になったんですが、今迄の日本の歴史とは朝鮮系と支那系の天下の「とりっこ」であって日本人の行動は出てない。今迄人民の歴史がなく、特権階級の歴史だったのはそのためなのです。これから本当の人民の歴史が出来るんです。之は体的許りでなく霊的にもずっと連ってゐるのです。徳川家康は大国主命の系統であり、天皇は神武天皇系だったのです。神武天皇の次の綏靖天皇の后は大国主命の娘であり、南北朝の南朝は素盞嗚尊、北朝は瓊々杵尊と神武天皇の争ひです。

“その事は大先生のみの御存じの事でせうか。

“いや歴史にありますよ。出雲朝が日本を支配した事もはっきりしてゐて、天皇になった事も出てます。天理教にも「日本の真の柱は唐人だ」とあり、大本の霊界物語にも支那の磐古親王――之は日本の天照皇大神に当るんですが――が日本に来て天皇になったとある。だから之は私のみの意見ではない。私は別の事でも判ってゐた。それは以前「神憑り」によって詳しく知ることが出来た。瓊々杵尊から神武天皇に至る間にも神秘は沢山あります。大和民族には偉人も出てゐるが、多くは芸術家に優れたのが居ます。光明皇后、応神天皇や義経は大和民族です。義経にはいろいろ神秘がある。聖徳太子は代表的な大和民族です。

………………………………………………………………

“血統と霊統の区別並にその関係に就て――

“本当は違ふんです。霊統とは又系統の事です。血統の方は混ってゐる。日本人は殆ど混血ですが霊統の方はずっと続いてます。之はどうしても続くんです。血は混った方が宜しい。以前ナチスが民族の純血を唱へてユダヤ人を追放したがあれは駄目です。今後だって混血した方がよい。何故いゝかと云ふと、他人種の力をとり入れゝばそれだけ力が強くなる。文化だってさうでせう。交通が開けて各国の文化が交流すればする程文化は発展するのです。

………………………………………………………………

“大和民族は古いのでせうか。

“いや大和民族は新しいです。日本自体が新しいのです。之は私の意見ですが、ダイヤとかプラチナなんかはアフリカ等に沢山出て、日本には出ない。鉱物は古くなればなる程硬化する。だからダイヤやプラチナは相当古いものです。之が日本にない。従って日本は新しいといふ事になるのです。

“アメリカは世界で一番新しい。

………………………………………………………………

“外人との結婚はいゝですよ。

………………………………………………………………

“以前天津祝詞は御先達一人で奏上し御神名から一同で奏上致しましたが、今は之を致しませんが如何でせうか。

“今の祝詞は私がやらないからそれでいゝわけです。

………………………………………………………………

“御軸に対しまして合掌してから頭を下げる人と合掌せずに頭を下げる人とありますが何れがよろしいでせうか。

“手を合せてから頭を下げる方がよい。御供へ物は人間の方へ向け人間が見易い様にするのが本当です。神と人間と両方満足する様に。ドイツの哲学者のオイケンは之に就て「人間が満足するために神を祀るのである」と主張してゐました。気持を矢張り神様に上げる事です。神様の御供へには箸は要らない。御先祖には向ふ側(仏様の側)に箸をつける。観音様の御軸に対する御供へは箸を観音様の方においたら宜しい。御供へ物を神様は召上るといふより霊を入れて下さる。祖霊は喰べます。御供へしておく時間は余り長すぎてもいけず直ぐ下げて了ふのもいけない。御供へして祝詞を上げてそれが終ったら下げたらよろしい。

“会員の方々が御供へをした場合は――

“三十分か一時間位御供へしておいたらいゝでせう。余り長くおいてもホコリがたかったり品物が痛んだりしますから。

………………………………………………………………

“幽世大神とは閻魔大王の事でせうか。

“えゝ閻魔様です。幽世大神も観音様の部下なんですが、霊界で係りをやってゐるから御唱へするのです。丁度此の世でも区役所の仕事は内務省の管轄だが、いきなり内務大臣へは行かない。それと同様に夫々係りがあるのです。

………………………………………………………………

“夫婦の先祖の霊を同じ仏壇に御祀りしてもよいでせうか。

“いゝです。そこの夫の先祖の次の位に祀ったらよい。夫婦の霊は片方だけでなく必ず一緒にして祀らなければいけない。妻は妻の先祖を祀ればよいが、主人は先祖の外、亡くなった兄弟等も祀る。位置は左が上座です。

  養子は女の家が主体になる。養子を迎へるのは養子が女になるのです。名前で「三」の字が附いたのは大抵養子になる。「三」とは女の働きなのです。

………………………………………………………………

“大黒様は御軸の正面に祀るのがよいが、止むを得なければ観音様の左、向って右でよい。

“床の間の上は何も掲けないのが本当です。

………………………………………………………………

“天津祝詞の中の神漏岐、神漏美の命様に就て――

“高御産、神御産の神なのです。一番上に、天御中主大神、次に神漏岐、神漏美、次に高御産、神御産、次に伊装冊となるのです。

………………………………………………………………

“「大先生はいろいろの型をなさって御出になる」由ですが、その事の基礎的知識に就て――

“之は神様がやって御出になるのだからね。私は別に何も――。之は今は云へません、時間が来たら話しをしよう。

………………………………………………………………

“山口県長門三隅(萩から約一時間、古戦場)長崎県五島(墓を粗末にしてゐる傾向あり)右二ケ所は極端に霊憑りの患者が多いのですが――

“ほうそうですか。動物霊ですね。それはそこの霊界が曇ってゐるから動物霊が働くのです。やはりその土地の神様の位が低く力が弱いのです。

“御軸や御額を御祀り致したら如何でせう。

“あゝ勿論結構です。以前治療所と云ってゐた時分、額を沢山掲けた所は発展しましたよ。最初から一番沢山かけたのは渋井です。私もその発展ぶりにはびっくりしました。

“御額はたゝんで三方にのせてたって駄目です。ちゃんと展げて掲けねば。

“一寸家の事情、例へば金がなくて表装出来ぬといふ場合は――

“そんな事はないですよ。表具屋へやれば必ず金が入って来ますよ。借金をしてもいゝから表具屋へ持って行く事です。

………………………………………………………………

“家に永く居た蛇が死にましたが如何処置したら宜しいでせうか。

“人の踏まぬ所へ埋めて祝詞を上げてやんなさい。石を刻んで立てればよい。一時的には――明神と木に書いて立てゝもよい。長村明神なんか蛇には丁度合ってますよ。天津祝詞を上げ、最後は「幽世大神」と唱へ「此の次は人間に生れて来ます様御守護を御願ひ申し上げます」と云ってやればよろしい。家に永く居た蛇なんか大抵祖霊ですから。

………………………………………………………………

“御許しなしで御言葉を印刷し弟子に配布致しました――

“構ひませんよ。たゞ判らない人が見て誤解を起す事のない様注意すれば。私もこうして話をするのも出来るだけ常識に合った事を話して誤解のない様にしてゐるのです。

………………………………………………………………

七月八日(木)

“数には神秘が隠されてゐると伺って居りますが例へば一、二……一○、一一、一八、二三、百、千等の数字には如何なる意味があるのでせうか。

“一は始める事であり二は分れる事です。一○は結ぶ即ち完成です。一一は結んだのが始る、統一です。一八は結んで開く、観音様が一八なのは縦横結んで開くことです。二三は応身の働きです。何故なら応身の応は二十と書くでせう、三は身です。百は一○の一○倍で「モモ」でいゝ意味です。又百は一尋ですが、之は又後で話さう。千は「チ」――霊です。名前でも千代なんてのはよくない。千代は霊になり女としては孤独性になるのです。百や千に就ては後で又話しませう。

………………………………………………………………

“「大光明」の御守りと普通の御守りとは御働きがどの様に違ふのでせうか。

“之は字の通りで大とは大きくなる事です。字といふものは不思議なもので、私がこうやって書くと筆を通して神様の霊が入るのです。だから字から光が出る訳です。

………………………………………………………………

“姓名は運命に如何に影響するのでせうか。

“字の働きに就ては今度出す本に詳しく書きますが、姓名の言葉、文字、想念はね、運命に大いに影響しますよ。人が名前を呼んでも言霊が働き、又思っても働きます。それが運命に影響するのです。で、姓名でも文字と言霊の両方から言霊は霊、文字は体となって働くのです。だからいゝ名をつけなければいけません。が、姓名は生れ乍ら運命通りつくのです。之は産土(ウブスナ)の神が人間の手を通してつけられるのです。普通の人は名前は人間が勝手につける様に考へてゐるが、実際はそうなのです。だからその人の御魂相応につけられるのです。私の名前は私が生れた時、沢山いろいろの名前を書いて神様に御願ひしてから赤坊の私に取らせた、その時茂吉といふのをとったのだそうです。

“姓名学なんかでやって貰ふのは如何でせう。

“之は上手下手があり改名して却って悪くなるのもある。又悪いからよくしようとしても神様が許さなくては駄目です。以前坂井に名前を頼まれたが、五、六年経っても出来なかった。それは私が書かうとすると嫌になって了ふ。之にも時期があり、やたらにつけられない。姓名学の方でもこんな事があるらしく、大阪のその道の大家の人も以前そう云ってました。此の人は「或人の名前を見ればその人が何才の時に改名するかといふ事も判る」と云ってました。私の名前を見て、私の姓名は表面へ立ってはいけない、つまり裏に居て人を使へば旨く行くと云ってゐました。私も始終思ってるんですが、金のかけ合いなんかも私が行くと駄目なんです。私にはそういふ運命があるらしいですね。「大先生は表面へ出られたら――」とはよく聞くのですが、之は駄目なんです。

“今後生れた子供にはどんな名前をつけるべきでせうか。

“ですからね、予め基本だけは教へて上げますよ。

………………………………………………………………

“潮の干満が人間の生死に関係するのは如何なる訳でせうか。

“潮の干満は月の引力でそれは月の呼吸によるのです。森羅万象すべて呼吸してゐるのです。地球も一年に一度宛呼吸する。息を吐く時が春から夏で、吸ふのは秋から冬にかけてです。だから春からは上に昇り、秋からは下へ降り凋落する。地球は火の塊りで、それが息を吐くんだから暖かい訳です。月のは地球より早く一日一回宛やってゐる。人間の肉体は月の精であり、人間の霊は太陽の精です。肉体に関係ある字――例へば腕とか腹とか脳とかが月扁なのはこのためです。所が心臓の心は月扁がない。之は「火」が「心」に移ったからです。これは皆神様が作らせた訳なのです。こんな風に月の霊線が肉体に連ってゐる。だから月の満欠が肉体に関係するのです。死も同じです。

………………………………………………………………

“守護神を祀る宗教がありますが、御祀りする方がよいのでせうか。

“守護神を祀るのはいゝんですが、いゝけど祀らなくてもいい。それ程の事はない。守護神は祀って貰ふよりその人間がいい事をしてくれた方がよい。先祖の中救はれた霊が守護神となり、始終ついてゐて指図や神様への御取次をするのです。竜神や狐も或る場合にはつきます。狐が憑いて口をきくのも守護神に頼まれる事がある――人霊より狐霊の方が便利な事あるから――狐だからって馬鹿にはならない。

………………………………………………………………

“家の中に祀ってある稲荷を庭に祀り変へる方法は如何に致したら宜しいでせうか。

“やたらに祀りかへてはいけない、怒りますよ。祖先には大祖先と中途のとありますが、大祖先からの稲荷だったら室の中でもよい。そこらの稲荷――王子とか伏見とか穴守とかのなら御供物を供へ、御礼を云って天津祝詞を上げて帰って貰ったらよい。光明如来様を御祀りしてあれば庭へも祀る必要はありません。

………………………………………………………………

“日本系民族は天照皇大神の系統でせうか又瓊々杵尊はどうなりませうか。

“大和民族は天照皇大神の系統です。瓊々杵尊に就いては今は云へない。之は神秘中の神秘です。血統が違っても霊統は連るもので、丁度宿命と運命の様なものです。大和民族は絶対戦争をしない民族なのですが、この日本へ他から好戦人種がやって来て、それがいつの間にか日本の歴史を作って了った。結局今迄の歴史は権力の奪ひ合ひだったのです。然し日本民族だけでは今の様な文化が出来ず、朝鮮人、支那人、印度人等が入って来たので文化が発展したのです。入って来てよかったのです。数で云へば日本は五、朝鮮は六、支那は七であって、この三つで「ミロク」になるのです。

………………………………………………………………

“弟子が先生を、又普通の御守りの人が「大光明」の御守りの人を御浄めしても宜しいでせうか。

“差支へありません。される方が霊的に変って了ふ。御浄めする方が御守護が上になるのです。それから如何なる場合でも御守りを外してはいけませんよ。

………………………………………………………………

“重病人が臨終に近づいて然も死相等が判らない場合、之を判断する基準は――

“いろいろなしるしがありますね。死相とは目のふちが黒くなり小鼻が落ちる。一番よく判るのは顔が死んだ様になるのです。足の甲にむくみが来たらもう殆ど駄目です。十中八、九は駄目です。脚の上の方からむくむのならいゝが甲だけのはどうもいけない。その他唾が出ないとか、唇が乾いたり又目に力がなくなる。トンチンカンな事を云ふ様になったら全く駄目です。もうあゝなれば霊が抜けて了ってゐるんです。副守護神だけが残ってゐる。

………………………………………………………………

“主人が教導師で御浄めさせて頂いて居る場合、夫婦共に浄化させて頂くには妻は如何致したら宜しいでせうか。

“之は人為的にはどうすることも出来ない。自然にしておくより他にない。――夫婦が別に反対もせず揃っていゝ場合と、反対していゝ場合とある。反対があるのはいゝ事で、それに依って信仰が進むのです。といふのはね、教導師になっても大抵罪がある。で、神様は出来るだけ早く之を除いてやらうとなさる。罪を取るには人間が苦しむか又善行を積めばよいのだが、人間は苦しむ程汚いものが出てくる。所が信仰によって汚れをとるのは楽なのです。妻が反対なんかすれば、主人もいろいろ苦しみ、それにより汚れがとれる。そうすると妻も判ってくるんです。主人の方が高まるにつれて妻もそれについてくるか或はあんまり離れすぎてしまうと霊界へ行って出直すことになる。神様に御任せしておくのが一番いゝのです。

………………………………………………………………

“運命と宿命に就て御解説を御願ひ申上げます。又病人を一生懸命御浄めしても死んで了った場合、それは寿命で死んだのか或はそうでないかを判断する基準を――

“宿命といふのは定ってるのです。丁度「ワク」の様なもので之の外へは行けない。運命とは「ワク」の中ではあるが或程度自由なのです。だからその「ワク」の中でも上の方へ行けばより自由であり幸福なんです。然し生れ乍らの宿命の一番上までは行けるがそれ以上は駄目なんです。それ以上の宿命の人は又それだけ大きい訳です。  寿命は定ってゐて然も変へる事が出来るのです。以前こんな話を聞いたことがあります。或人が田舎道を夜おそく家に帰ることになったが途中の産土の社で泊めて貰った。すると社前に一人の人間が来て「申し上げます」と云ふと社の奥で「云って宜しい」といふ返事がする。「今日何時頃何処そこで某が生れました」「それは寿命は廿五才で死因はアブサシだ」。所がその某といふ人は社に泊った人の隣の人であった。それから廿五年経った所その人は正しく死んで了った。その時の死因はアブに刺されて死んだのださうです。そんなこともあるんですよ。

  私の方へ入る人も危険を救はれて入る人が多いのですが、その場合それ以後の生命は寿命をつぎたした事になるのです。つぎたされた生命を勝手に使ったり、金をもうける事許りしてゐては駄目なのです。神様は運命を変へる事が出来る。その人の生き方次第では永生きもするのです。

………………………………………………………………

“伊東の町は漁師が大半を占め色々な信仰をして居りますが、此の御道は中々信じません。如何致したら宜しいでせうか。

“之は神様に御任せしたら宜しい。或時期が来れば開けて来ますよ。

………………………………………………………………

“漁師は魚類の供養を如何したら宜しいでせうか。

“一年一度位は供養した方がよい。漁村には眼の悪い人が多いが之は魚の怨みですよ。よく波を見るから眼が悪くなると云ふがそんなものではない。供養の方法は供養する積りでやれば供養になる。観音様の御祀りの時魚霊と書いて観音様の前に置き祝詞を上げれば宜しい。

………………………………………………………………

“血統は混っても霊は混らないとの御言葉で御座いましたが父母の中何れが主となるので御座いませうか。

“普通は父の方の霊統が主です。養子もその系統が主となる。養子なんかは祖霊が結びつけるんです。先祖も一夫一婦ならよいが、大抵あちこちに種まきしてゐる。その子孫が結びつくのです。又子供の中、男は育たず女の子のみ育つ家があるが、之は母系であり、女が全権を握ってゐるのです。竜宮系又は竜女系と云って特殊なものです。

………………………………………………………………

七月十八日(日)

“仏壇に「善言讃詞」を奏上する場合、御屏風の観音様に対して「幽世大神」と申し上げるのは如何なる訳でありませうか。

“観音様には一切の御働きがあり、幽世大神にもなるのです。幽世大神は閻魔大王ですから観音様は間接的に閻魔大王にもなるんです。――観音様は現幽神の三界を司るのです。

“さう致しますと裁きも司られるのでせうか。

“観音様には裁きの御働きはない。御救ひの御働きだけです。一切を無差別に救はれるのです。――観音様と閻魔大王とは裏表になってるのです。神様にはいろいろと御役目があり、一つの神様もいろいろ役目を兼ねて居られる。閻魔大王は今は現界を司って居られる。以前は外の仏様にさせてゐられたのですが、それは丁度人間界でも運輸大臣をやった人も内閣が変ったりすれば文部大臣にもなる様なものです。幽世大神は観音様の御働きと解してよい。観音様を通して幽世大神に行くのです。

………………………………………………………………

“御浄めの際手を振りますのは如何なる訳でありますか、振らないと霊光が少いのでせうか、又振り方は縦横何れでも宜しいでせうか。

“手を振ると光が強くなるのです。或十二才になる子供で光の見えるのがあり、振ると光が強まると云ってました。実際振ると深くも行き的中するのです。私はもう振らずにじっとしてやるのだが、あんた方は振らなければいけない。熟練した人は余り振らなくてもよいが、初歩の人は振る様に教へた方がよい。又振り方は細い方がよい。縦はいけない、振りにくいでせう。――横がいゝですね。

………………………………………………………………

“観音様に毎朝食事を供へます場合大黒様にもお供へすべきでせうか。

“大黒様にも御供へしたらよい。然し観音様より簡略にせねばいけない。

“最近は御飯、味噌汁に「おしんこ」位しかお上げ出来ませんが――

“朝はそれで結構です。その場合大黒様は御飯と「おしんこ」だけにするとかして一段格を下げる事です。観音様と一緒だと大黒様は喰べられないのです。仏壇の御供へも観音様のより皿の数を減らすか又は量を少くする。入れ物を小さくするのは結構です。仏壇は「マゝゴト」の様な小さな入れ物でも差支へありません。御屏風の御観音様にお上げする積りでお供へすれば祖霊はお余りを頂くのです。

“観音様の御余りを仏壇へお供へするのは――

“観音様のお余りは人間が頂く可きです。

“よそから果物なんか頂いて両方にお上げ出来ぬ時は――

“そんな場合は切って大きいのは観音様へ、小さいのは仏壇へ上げればよい。

………………………………………………………………

“日本は特に天変地異の災害が多い様ですが如何なる訳でせうか。

“災害はそれ程多くはありませんがね。地震が多いのは昔、今の本州の周りにあった陸地が陥没したのですが、それが(サンブンノニ)位で、今残ってゐるのは(サンブンノイチ)位です。その運動が未だに続いてゐて、殊に日本海側に多く残って居りそのために地震が多いのです。現に日本海側は年に数フィートづつ沈下するのもそのためで、新潟なんか百年経つと海中へ入って了ふと云はれてますね。今でも地殻が収縮してゐるので太平洋の海底はだんだん沈下してゐます。だから潮流を研究すれば地震の予知も少しは出来るでせう。この様に原因は海にあるのに学者は陸許り研究してゐるので判らないのですよ。地震の時よく津波が起るが、之は海底が沈下しそこへ潮流が流れ込むが、やがて溢れて今度は逆に四方へ流れ戻る、それが津波で大震災の直後起るのはこのためです。東京の本所も関東の大震災の時沈下した。然し東京湾の方も沈下したから水浸しにはならないのです。

………………………………………………………………

“神話やお伽噺話にはいろいろな意味があるとの事ですが、

イ、黄津比良坂坂本の桃子の神話、

ロ、桃太郎の鬼征伐、

ハ、須佐之男尊の八岐の大蛇退治、に就て――

“(イ)之は現にあったんです。ヨモツとは世を持つで時の帝王の事であり、比良坂とは平な坂で明治神宮の参道が平坂になってます。あの横丁に九鬼隆二子爵がゐた。そこへ私は二、三度行きましたが、こゝで戦争があり、私の家へ子爵夫妻を呼んだ時宮中から下賜の菊の紋の盃を持って来ました。それで戦は終ったのです。又後に宝山荘時代五島某――之も邪神の働きをした人ですが、之と戦った時、九分九厘こっちが敗けた所で六万円の金が手に入りそれを叩きつけて勝ったのですが、黄泉比良坂の戦は伊弉諾尊から桃の実を貰って敵を討ったといふ伝説ですが、桃とは百(モモ)で、百円札の事だったのです。

  (ロ)之は私がやってゐる事です。昭和八年五月五日――この五月五日の日は大抵何かあるのですが、この日もよそから呼ばれて行ったが、一番先は代議士の小山完造、第二が新山といふ宮中顧問官、この小山と新山で「おに」となり、第三が東山某、之の「ヒ」は消えて之で「オニガシマ」となったのです。鬼が島征伐は今もやってます。今迄乙姫がもってゐた素晴らしい宝物がその中私の手に入るのですが、今は一寸発表出来ない。

  (ハ)之は事実と思ふのです。須佐之男尊には三人あり、之は初代――といふと一寸変ですが、それでせう。この尊が大蛇を殺し「いけにへ」にされさうだった櫛名田姫(クシナダヒメ)を妻にし家を建てた。その時立派に出来た家を見て「あな清々(スガスガ)し」と云った事から清宮と名づけ、又その時詠んだのが「八雲立つ出雲八重垣妻籠(ツマゴメ)に八重垣つくるその八重垣を」であり、和歌の初めと云はれてます。櫛名田姫は言霊から言ふと日本になる、大きく云へば土匪といふ大蛇を征伐して日本を領有した事でせう。

………………………………………………………………

“私の叔父、三年前より地獄の印といふ一銭銅貨位の紫茶色のしみが沢山出ました――

“血の中に毒が混って出てくるのと、又怨みの霊のためとある。腰から下なら霊的ですね。

………………………………………………………………

“今年は太陽の黒点が最高で爆発が多く、そのため天災があり又豊作と云はれますが夜昼の転換と如何なる関係がありますか。

“宇宙線は星の霊線で夜昼の転換とは直接関係はない。太陽の光でも見えるのは物質の光で、高級になると霊になり眼に見えない。熱から云ふと太陽熱は霊であり、地球の地熱は体になる。従って地熱は普通の火です。――天地はそのまゝ霊と体であり、天にも霊と体があり、その先にもあり三段になってゐるのです。

“夏暑いのはやはり地熱のためでせうか。

“地熱の方が太陽熱よりずっと暑いのです。高い山が寒いのは太陽には近くても地熱に遠くなるからです。今富士山頂は二度位ださうですね。――学者は判らない事は皆太陽の黒点のせいにして了ふが之は滑稽ですよ――原子爆弾の事も、原子核が破壊されると云ひますが、原理はほかにあるんです。今度の本に書きます。太陽の黒点は中心であって夜昼の転換とは関係ありません。

………………………………………………………………

“霊返(タマガエ)しの方法と言霊の意味について――

“霊返しとは沢山の言葉を一つにつめる事です。オザワをつめるとアになり、ショウイチはシになる。「野沢正一」を一つにするとニになる。言霊ではアは天、オは地、イは天に近く、ウは真中で、エは地に近い。ア行は根本で、カ行サ行等は枝になる。で、ア行は霊的な働きが多く、又裏の働きになる。私の岡田といふのもアとなるので私は裏に住って人を使ふ様になるのです。――「カキクケコ」の音の人は几帳面で区切りがよく、「マミムメモ」は男なら女性的で、「サシスセソ」は我が強い。言霊の事は馴れぬと一寸判りにくいが、なれゝば簡単です。本に詳しく書きます。

………………………………………………………………

“御浄めの時一心になって手を振るのは極くいけない。人間がやるのではないから一生懸命になればなる程御力が妨げられる。軽い気持でやったらよい。又手を振ってゐれば、同時にみつめてもゐるから勿論額からも御光は出てゐますよ。――

………………………………………………………………

七月二十八日(水)

“一人の患者を一度に大勢で御浄めする人がありますが之は如何でせうか。

“一度に大勢でする事は差支へない。が、患者が相当重病の場合は効果がない。唯体を浄めるだけの「御浄め」の場合は宜しい。精神病なんかは大勢ではいけない。原則は一人が一人をすることだが、場合によっては臨機応変にやって宜しい。

………………………………………………………………

“御浄めを頂く者が合掌致します事は――

“結構です。敬虔な態度を表すからいゝです。然し最初だけ合掌すればよい。余り永くやってるとくたびれるから。

………………………………………………………………

“霊的な病人に祝詞と共に天数歌(アメノカズウタ)を唱へる事は如何でせうか。

“やっても宜しい。普通は祝詞だけでいゝが、特に重病の場合とか精神病、「てんかん」等には唱へてもよい。(天数歌――一二三四五六七八九十百千万(ヒトフタミヨイツムナヤココノタリモモチヨロズ))

………………………………………………………………

“憑霊を知るための霊査法をすることは――

“自然にしてゐれば必要の場合は神様が知らせて下さる。最初から判った方がいゝ場合もあり又悪い場合もある。――それから狐などが浮いて来て騙さうとしたら騙された方がいゝ。その方が狐は自分から暴露する。却って狐をあがめてやる位にした方がいゝです。

………………………………………………………………

“或る家の子供、急に食事が喰べられなくなり十日間水許り飲んで居りましたが、いろいろ訊ねましたら、神様を戸棚へ入れ汚れたものを上にのせてゐたゝめで、早速御詫びしました所忽ち食欲が出て元気になりました。

  霊的な病人などはすっかり治ってから講習を頂いた方が宜しいでせうか。

“えゝ治ってからが本当です。然し神経衰弱等の如き元気のない人は受けた方がよい。

………………………………………………………………

“御道に入るのは結構な事だから入んなさいと云ってすすめる事は如何でせうか。

“厳格にして道に入れようとするのはいけない。門構へは小さくして入り易い様にしてやるのが宜しい。又講習のため教導所に坐ってゐる日数はその時に応じてすればよい。最初からやかましい事を云ってはいけない。――治ってから受講した方がいいといふのはね、若し万一の事があると「あの人は講習まで受けたのに駄目だった」といふ事もあり、又治ってからの方が本当に有難いといふ気持になってから頂く、之が本当なんです。

  治り切る前でも患者が希望した場合は講習して宜しい。事情により融通をきかせればよい。

………………………………………………………………

“河童といふものはよく聞きますが、その霊は存在してゐるのでせうか。

“河童の霊はあります。あれは角力が好きでいくら投げられても立上っては組みついて来ます。その代りこっちでよく面倒みてやると向ふもなついていろいろ世話をしてくれます。

………………………………………………………………

“藁人形を釘で打って人を呪ふ方法がありますが実際効果がありませうか。

“或程度効果があるが、御道に入って居ればそんな怨みなんか来ません。

………………………………………………………………

“御指導を仰ぐ先生が代られた時御守りを頂き直す事は――?

“事情によっては御守りも変へてよい。然し今度出てゐるのは変へてはいけない。以前のは治療として書いたが、今度のは宗教的に書いてゐるから、前のはしまっておくか表装して額にしたらよい。

………………………………………………………………

“教導師が死亡した場合御軸等をそのまま他の教導師が頂く事は如何でせうか。

“結構です。

………………………………………………………………

“蛔虫等の寄生虫と毒素との関係は如何でせうか。

“虫なんかわくのは体内に毒素があるからで、虫はその毒素を喰って生きてゐるのです。虫がゐるからって心配はありませんよ、御浄めすれば早く出ます。

“虫が体内の毒を食へばそれ丈毒は減る事と思はれますが。

“蛔虫は然し毒をそんなにたんとは喰べないから駄目です。普通蛔虫は二匹ゐる。五匹も六匹も居ると病気として扱ふのです。そしてその二匹は大抵夫婦です。だから一匹出ると必ず又一匹出てくる。

………………………………………………………………

“夢と寝言と眠ってゐて瞼を開いてゐる事との霊的関聯に就て――

“瞼の開いてゐるのは別に差支へないです。霊的――さあどうですか、別にないでせう。秀吉みたいに片方は開いて片方は閉ぢてゐるのもありますからね。

………………………………………………………………

“素盞嗚尊に三代あると伺ひましたが、それは何と申し上げ又御働きは何でございませうか。

“初代はカン素盞嗚尊、二代がハヤ素盞嗚尊三代がタケハヤ素盞嗚尊で、之は私の解釈ですが、初代は朝鮮から渡って来て日本を統治――といふよりまあ占領した。それから大蛇を殺したのは二代目です。これの奥さんが櫛名田姫ですが、初代の奥さんは乙姫です。三代目は大国主命です。この三代目が父子の関係になってゐるのです。西洋へ行ったのは初代です。そして矢張りその素盞嗚尊が大日如来になってゐます。ですからそう古い事ではない。大六天の魔王は一寸違ふ。之は大自在天といって印度の神様です。日蓮の御曼陀羅の中に大自在天は入ってますね。

………………………………………………………………

“若い女性の御弟子も大分御道に入らせて頂いて居りますが、一般に婚期がおくれ勝ちの様に見られます。又映画等殆ど見る事のない人もありますが、少しはその方に時間を割いても宜しいでせうか。

“婚期のおくれる事、之は仕方ないですね。といふのは、そういふ人には竜神が多いのです。竜神が人間に再生した場合、一代の間は結婚しない方がいいのです。だから結婚の話があると病気になったり嫌になったりしてまとまらなくなるのです。竜神といふのは元は矢張り執着の罪ですから、時日が経って了へば罪は消え許される。さうしたら結婚したらよい。

  映画なんか見なくてもいい――どういふ意味ですか。

“御道に熱心なる余り映画等に時間を割くのが勿体ないといふ気持で見ない人が――

“私が見てゐるのだから許しますよ。私が見てゐるのに人には許さないなんて不人情の事はしません。矢張りいいですよ。尤も近頃のはエログロが多いが、まあその位いいでせう。

………………………………………………………………

“天の誓約(ウケヒ)に就て御教を御願ひ致します。

“琵琶湖のそばに八州(ヤス)といふ所があるが、その川原で約束した事と思ふ。天照皇大神が日本を統治して居られた所へ素盞嗚尊が来て武力を振廻して領土を迫るので、それぢゃあといふ訳でそこから西を素盞嗚尊、東を天照皇大神が治められたが、暫くすると素盞嗚尊がみんな呉れといって脅迫したので、大神は信州へ御逃げになったのです。――国常立命の事はずっと以前の事であり、又単に国常立命と云っても新旧いろいろあり国武彦尊といふのもある。今度出す「神秘の扉」といふ本の中に書きます。

………………………………………………………………

“御誓約で八大竜王が御生れになる経路や伊弉諾尊が禊をされて神々が御生れになったと云ふ事はよく判りませんが――

“国生み、島生みといふのは大洪水で――ノアの洪水の事でせう。――日本が水に浸された時「潮干(シオヒ)の技(ワザ)」をやって島や国が又現れて来たといふ事でせう。天瓊矛でこんろこんろとかき廻したと書いてあるが、そんな、こんな事をして国を作るなんて馬鹿な事はない。誓約といふのは他の事を寓意的に作った事でせう。

………………………………………………………………

“大化改新と壬申戦争との霊的関係に就て――

“日本のすべての戦争は神武系と大国主命系との奪ひ合ひです。天皇の系統は神武系で、別な面から云へば朝鮮系と支那系で天下の「取りっこ」をしてゐた訳です。

“名前なんかでも判りませうか。

“名前でもいろんな事が判る。然し私達には関係ない。私達は征服された方だ――観音会に入る人は違ひますよ。大体大和民族です。勿論外の系統も沢山入って居り、そういふ口も大いに働いてます。「法滅尽経」と「弥勒出現成就経」とは釈迦が最後に説いたものです。現存してゐるでせう。

………………………………………………………………

“墓相学に就て――

“よく墓相学といふが、之は一つの学問と云っては変なものだ。が、或程度は当ります。自然石を墓石に使ふのは悪いとされてゐる。それは悪い筈で、自然石は庭石などに使ふものだから。墓はやはり墓の形をすべきで、霊によっては自然石を嫌ふのもあるのです。仏も墓の形を気にするし、又霊が墓に来た時墓石が法に合ってゐた方がよい。

“生きてゐる中に墓石に戒名を彫っておくのは一寸手廻しがよすぎますね。

………………………………………………………………

“寄せ位牌をするのはうそです。面識のある人の位牌は一体とし、面識のない人の分は先祖代々の中に入れてもよい。

“再婚したら先妻や先夫は適当に祀ったらいいでせう。余り叮嚀にすると嫉妬されるから。

………………………………………………………………

“寺に金を納めて戒名の位階を貰ふ事は如何でせう。

“格を上げるのはいいですよ。金で買ってもよい。結局それだけ豊かな証拠だ。

………………………………………………………………

“氏神が稲荷の場合御詣りしても宜しいでせうか。

“御詣りしてもよい。氏神として守護してくれるのだから御礼を云ったらよい。

“最高の神様を拝んでゐるのだからそれは拝む必要ないと思はれますが。

“いやいやそんな事はない。普段氏子の面倒をいろいろ見てくれてるのだから。

“氏神に御詣りした時祝詞を奏上する事はよいが、最後の所は「産土大神守り給へ幸倍へ給へ」といへばよい。

………………………………………………………………

八月八日(日)(新道場早雲寮にて初の御面会)

“新道場が御立派に出来ました事を御喜び申し上げます。

“えゝ――この用材は終戦当時買っておいたので割に安く出来ました。今だったらとても大変ですよ。――箱根といふ所は昔から東西の関門になってゐる。東西は又陰と陽であり、観音様は陰陽の真中だから東西の間といふ事になります。従って強羅が真中なのです。本当は「神山」が中心ですが、神山の上にはこんなものは建てられませんからね。以前の宝山荘は多摩川のそばにありましたが、やはり多摩川が東西の分れ目だったのです。川を越せば神奈川ですから。強羅の「ゴウ」は火の事であり「ラ」は廻る、螺旋状の事で火が中心となって渦を巻き、その渦が広まって行く意味がある。所が熱海の方は「ア」が天、「タ」が真中 (マルジュウ)で表します。 (ス)の「丶」は太陽の黒点を表しますが、黒点の大きい時は活気のある時で息を吐いてゐるのです。息を吐いた時は火素は強力になる。世間では黒点が大きいとか小さいとか言って気を揉んでゐるが、何本当はそういふものなんです。生物は何でも呼吸してますが、この地球も生物であり呼吸しているのです。――で、熱海の「ミ」は水であり天の真中の月の国の意味になる。この箱根の建物は日本建築でなければいけないが、熱海は西洋風でなければいけない。今度作るのは約三万六千坪で「水」だから建物も大きいことが必要なのです。それから小田原ですが、箱根、熱海、小田原で五・六・七となり火・水・土となる。即ち之で三位一体となり「日月地」が完成されるのです。国で云へば日本、西洋、支那となります。それで小田原には朝鮮風の家を作らうと思って居ます。小田原の「小」は小さい型、「田」は真中、「原」は広い事を意味します。之が出来上って外国まあ東洋にこの道が広まるのです。アメリカは割に早く開けます、アメリカは横ですから。今盛んに民主々義を唱へてゐるのは、日本古来の忠君愛国的な縦の関係に横棒を入れてゐる事です。

………………………………………………………………

“生れた子供に名前をつける時注意すべき基礎的事項に就て――

“名前ですか、これは何れ本に書く積りですがね。一番肝腎なのは苗字と名前で、天地、陰陽になる事です。姓は天で名は地か水がよい。天は「ア行」で「岡田」は「ア」になる。又「茂吉」は「ミ」になる。「大沼」はア行ですから、従って名前はオ行がいゝです。姓と名が共にア行のはいけない。オ行でなければマ行がよい。字画の偶数奇数といふ事も多少影響する。姓名を合せて字画が偶数の方がよい。母と子が育つにも名前が合はねばならない。又姓名にはサ行音を二つつけてはいけない。二つあると性質が強情になる。字にもいろいろ意味があるが、之は一寸簡単には言へない。――今言霊の判る人は私一人位でせう。以前は出口王仁三郎が判ってゐたが、その先生に当る人は長沢といふ名古屋の方の人であり、更にその前は本居宣長です。宣長の部屋には鈴が七十五下げてあって「鈴の屋」と言ったのですが、之は言霊には二十五母音五十声あり全部で七十五声になる、それから出てゐるのです。

………………………………………………………………

“夢と寝言とは霊的にどんな関係がありませうか。

“之はね、睡ってる時は霊は抜け出て霊界に行って居り肉体とは霊線で連ってる丈です。つまり留守になるのです。するとふだん思ってゐる事で抑へられてゐる事を喋るんです。で、寝言はいゝものでもなく本当でもないのです。之は大体副守護神の働きです。昔から「寝言を訊くな」と云はれてるのは此の意味です。勿論毒の多い人程副霊の働きも強い。

………………………………………………………………

“近頃大分流行して居ります日本脳炎の原因は何でございませうか。

“日本脳炎は何でもないのです。蚊が媒介するなんて出鱈目です。夏炎天下に頭をさらすからです。まあ之も今月一杯ですね。世間では濾過性の黴菌といふが、黴菌なんかない。濾過性といふのは黴菌のない事です。大体毒素が後頭部に集まり、それが小脳に入るので眠くなる。小脳に入らぬ時は脊椎脳炎で之の方が治りが悪い。日本脳炎の時は三十分毎に一日十回でも十五回でもやった方がよい。暫くすると目と鼻から血膿が出る。早くて三日まあ四、五日で治ります。一寸でも御浄めして目ヤニや鼻汁が出ればもう恢復期です。

………………………………………………………………

“若い男女がその若さの故に一度過ちを犯して了った場合、精神的には御互に理解し合うことが出来なくても矢張り結婚すべきでせうか。

“過ちを犯す前によく考えたらいゝ。将来結婚するのか或は一時的な慰みなのかをよく考へればよい。考へもせずに過ちを犯したのなら男の方が悪い。自分の事を云ふのも変だが私も宗教に入る前、女を疵物にすることを非常に怖ろしいと思った。人妻の場合でも、若しその主人がその事を知ればいかに嘆き悲しむかを考へると、そういふ事は怖ろしい罪だと思った。――だから最初に「この人を果して自分は幸福にしてやれるか否か」をよく考へる事です。

“一時的にも気の合った時は――

“離れて別々の道を歩んだらいゝ。執着があってはいけない。執着をとる事です。事が難しい時は神様に御委せしたら宜しい。

“妊娠して了った場合は――

“妊娠しても神様に御委せしたら宜しい。然し御委せするにしても自分に都合のよい事許りしてゝはいけない。先づ心から改心して御願ひする事です。神様は既往をおとがめにならない。たゞ汚したための掃除はしなければならない。

………………………………………………………………

“夫婦間に於てその一方が病質や不具のため性的満足の得られぬ場合は如何に致したら宜しいでせうか。又その場合の離婚は差支へないでせうか。

“それは主人に罪がある。慎しんで罪の消えるまで待つ事です。それは丁度懲役に行った様なものです。刑務所に入って了へばそういふ事は出来ないでせう。――然し許される事を余り期待してはいけない。之を徹底して話も出来るがこゝではどうも――議会でも秘密会がある様に何時か小人数の時に話しませう。

………………………………………………………………

“祝詞と善言讃詞とを奏上する時間的区別は御座いませうか。

“別に時間的区別はない。神は朝、仏は夜で日本は朝の国です。朝廷とは、政治の相談を朝した事から出た言葉です。画でも日本画は朝日を画くが、西洋画では夕日が主です。

“昼間遠方から到着した場合にはどちらを御上げ致しませうか。

“その場合はそれ程叮嚀にしなくても宜しい。

………………………………………………………………

“天数歌は如何に御唱へすべきでせうか。

“祝詞のあとで云へばよい。その場合病人は合掌したらよい。普通は祝詞だけでよいが、天数歌を唱へれば一層強くなり効が出る。――それから霊は御讃歌を非常に喜ぶのです。重病人や霊的の病人の場合にも御讃歌を上げたら宜しい。御軸に対しては御讃歌は朝夕でよく、病人には適当な歌を選んで必要の時に上げればよい。

………………………………………………………………

“御浄めの力の強い人を御道に達した人と判断しても宜しいでせうか。又、講習生を多く出してゐる人も同じく御道に達した人と見て宜しいでせうか。

“それはこの通りです。幾ら一生懸命でも結果が出なければ仕方がない。神様の御意志は一人でも多くの人を救ふ事ですから一人でも多く救った方が宜しい。救へばそれ丈の褒美即ち徳を頂くのです。

“肺結核患者を御浄めしても治らぬ人の多いのは私の「御力」がまだ弱いからであり、よく治らぬ間は私の信仰心が薄いと判断しても宜しいでせうか。

“結核患者はとも角薬毒が多い。所で医学の方は固める方法ですが、こちらは溶かすのであってそこに大変な違がある。従って医学の方で治しても暫くすると浄化を起して再発する。御浄めの方は溶かして出すんだからやってる中に咳や痰が出る。で衰弱を増すことになる。これが非常に難しいのです。一番いい方法は、極く徐々にすることです。一週一回か二回する位がよい。所が早く治さうとして余計すると早く溶けすぎて、その結果食欲が減り病気がよくなっても、体が参って了ふ事が多い。又極く衰弱したのは引きうけない事です。それ程衰弱してゐない病人なら御浄めは余りしないで、信仰に重点をおいて信仰に入る様にする事です。但し之は肺病の場合だけであって、他の病気はそうではない。肺病以外の病気は出来るだけ御浄めした方がよい。

………………………………………………………………

“教導師の中には御浄めしてゐる患者の悪い部分と同じ場所に痛み等を感ずる人がありますのはどんな訳でせうか。又患部を御浄めすると教導師の手にひゞくのは何故でせうか。

“人間には日の系統と月の系統と二つあるのです。そして月の系統の者は先方の病気を引きうけるのです。丁度洗濯すれば水が汚れる様に、水の汚れだけ引うけるのです。之は仕方がありません。「人の道」の教祖御木徳一も水の系統の人で、御振替といって病人の苦しみを引うける、が、段々自分が苦しくなって来るので毎月二十五日に御祀りをして神様に御振替を願うのです。しまひには準教祖といふのを一○名位作ってゐた。観音様の御守りを頂いても月の系統の人は引うける事が多いが効目は同じです。日の系統の人でも大勢御浄めすれば引うける事もあります。それから感じ方にはいろいろありますが効果には関係ありません。又今迄あったいろいろの信仰療法は水の系統です。

………………………………………………………………

“十干や十二支は如何に考へたら宜しいでせうか。

“之はね今度出す本に詳しく書きますからそれを見なさい。

………………………………………………………………

“「神風」や「神竜」の御額を掲けさせて頂いても宜しいでせうか。

“えゝ差支へありません。

………………………………………………………………

“長崎五島の方では「二十三夜様」と称して千手観音様によく似た御姿の神を祀りますが、之は何の神でせうか。

“之は月読尊です。月読経という宗教もあります。勿論光明如来様を御祀りすれば、もうそれは祀る必要はない。二十三夜とは月の事です。月の照った時は月読尊、全く暗闇の時は素盞嗚尊の御働きです。月読とは月が夜を見る事であり月のいい面の働きです。素盞嗚尊は闇の働きです。

………………………………………………………………

“不動明王の御働きは何でせうか。

“霊界の警視総監の役目ですね、縄と剣を持ってますから。然し不動でも力が足りず邪神に負けて了ふと、自分の天職使命を完了する事が出来ず、金やら何やらの御利益を与へる様になるのです。之はニセ不動で狐狸の類です。成田の不動も同じです。

………………………………………………………………

“御軸の前に御簾を備へつけて朝は上げ夜は下しても宜しいでせうか。

“結構ですが夜の礼拝や月例祭には御簾を上げるべきです。

………………………………………………………………

“御地蔵様はどんな神でせうか。

“地蔵は菩薩で阿弥陀系の仏です。

………………………………………………………………

“姓名の字劃は夫婦が偶数と奇数になってゐる方がよい。その場合どちらが奇数でも偶数でも宜しい。

………………………………………………………………

八月十八日(水)(新道場早雲寮仮落成式)

“今日の仮落成式はどういふ訳かと言ふと、普通落成式は出来上ってからするのが本当だが、態々未だ工事中に落成式をするのは神様は非常に順序をやかましく重んじられる。ここが出来れば熱海の方も出来易くなる。箱根が未だなら熱海も着手出来ない。そこで箱根は出来上ったといふ意味で仮落成式をやった訳です。熱海に新しく作るための一つの段階です。熱海の方を先にしようとして去年あたりからいろいろとやって見たがどうしても旨く行かない。何かと故障がある。そこで之は箱根を先にしなければ不可いといふ事が判ったためです。で、仮落成式を急いだんです。本当の落成式は来年になるでせう。

………………………………………………………………

“観音様は仏であり光明如来も仏であるのにそれに神主の服をつけ祝詞を上げたりするのは一寸変かも知れないが、観音様は菩薩から出世するのではなく、一時菩薩の位に衆生済度のため下げられたから、元の上の位に御戻りになるのであって、一段上の位が光明如来それから五六七大神になられる。今は仏と神との中途です。善言讃詞は観音経を縮めたものです。この経はもと印度の言葉である梵語(ボンゴ)で書かれ、二千数百年前の印度人の生活に合ってゐた。所が今日の日本人がこんな長ったらしい御経を上げてゐたんでは会社も遅刻だし「クビ」になって了ひます。現代には現代に適応する方法でなければならない。それで善言讃詞を作ったのです。所で日本の祭典は古来神の形式をとってゐた。千三百年前仏教が入って来たが、その前まではすべて神の形式であり、本来は祝詞であった。仏教のよい点を神式にしたのが善言讃詞なのです。

………………………………………………………………

“此の御軸は今日初めて掲けた。昭和七年、今から十六年前に画いたのですが、ずっとしまっておいたのです。白髪の観音様は之だけです。上下のは四天王であり、周りの薄墨は夜の世界を表してゐます。此の御軸を今日こゝにお掲けするとは思ひませんでした。神様のする事は深遠です。この建物の用材も終戦頃秋田の神社の神木であったのを買ったのです。運賃共で石三百円余り――四百円まで行かなかったんです。今だったらとても大変です。――今度は熱海に二、三千人入れる洋館を建てるんです。箱根は日本的、熱海は水で外国風にし大きくする。小田原には和風洋風をとり入れた綜合的なもので、それで五六七となるのです。この敷地も六百坪ですが、以前交渉して売ってくれと云った時は全然応じなかったが、今度の財産税で手放すことになり、向ふから持ち込んで来たのです。今後分会や支部の家を見つけるのも無理をしないで時をまつのがよい。果報は寝て待てとはいゝ言葉です。果報はねって(練って)待てといふ人もあるがさうではない。つまり寝て待てとは忘れる事、執着をなくしてゐる事です。徳川家康の「鳴くまで待たうほとゝぎす」、あれがいゝのです。信仰してゐる人は神に御任せする考へになるから悠々としてゐる。種を蒔き時を待つのが本当です。神様の事を人に教へても最初は信ぜず、やがて向ふから求めてくる事がある。之は蒔いた種が魂の中で育つんです。「あんな人に話をしても無駄だ」等といふ事はない。種をまいて時を待つ事です。すべて人間は今迄「時」といふ事に関心がなかった。「時」位絶対力のものはない。之に逆うから失敗したり苦しんだりするのです。先づ時に従ふ事、あとは我と執着をとる事です。この三つを守れば常にうまく行くんです。

………………………………………………………………

“天地惟神の大道といふが、天地とは大自然であり、惟神とは神の御心のまにまにといふ意味です。私が以前病気治しをやってゐた頃「先生は誰からそれを習ったのか」と尋ねられると「大自然から習った」と答へたものです。この手の光も火と水で光になり、やはり火水土です。浄化も大自然は火水土で行われてゐるのです。私の先生は第一は大自然ですが、次の先生は病人です。実際病人を治していろいろ習った訳です。――惟神の大道とは自然の道です。だから大森に居た頃、何かの事が起き、それに対してよい考へのない時は「惟神にしておけ」とよく云ったものです。これが判らぬ人は飽迄自分の力でやらうとして苦しんでゐるがそれは駄目です。人間の力の弱い事を知る事が肝腎です。ナポレオンは自分の辞書には不可能といふ字はないといったが之は人間の弱さを知らなかったのです。だから最後はセント・ヘレナの孤島に流されて了った。ヒットラーとか東条なんかもそういふ方だったんです。又自然を征服する等とよく言ふがこれ位間違った事はない。自然に従ひ自然と調和する事が本当です。山を征服するなんて言ふと山の天狗が怒って難に遭ったりするのです。昔は六根清浄と言って山の神の守護を願ったから事故も少なかった。山には山の神、海には海の神、すべて神が支配し守護するんですが、今時こんな事を言ふと原始的未開的と言はれるが、そんな事を言ふ人が却って原始的未開的以上に原始的なんです。

………………………………………………………………

“よく雨が降りますね。箱根へ私が来る時は必ず雨が降りますが、それも本に書いた様に「火は水で燃え、水は火によって流動する」といふ意味があるのです。太陽は月の水気で燃え、月は太陽の光で輝くのです。今度の本にも書いたが、太陽の黒点はその呼吸であり十一年目毎に大きくなってゐるのです。太陽は又男であり月は女になる。これはいろいろ実例を上げればよく判るが、公開の席上ではよしておきませう。西洋は麦であり東洋は米を主とするが、之も陰陽になって居り、月が満ちたり欠けたりするのも呼吸です。黒点が大きくなるのは息を盛んに吐くのだからすべてのものが育ち、又太陽の精気が強くなるから浄化も強くなり、いろいろな事が起るのです。

………………………………………………………………

“来月「信仰雑話」を出版するが信仰のない人でも判る様に書いてある。在来の宗教は宗教一点張りで外の事は説かなかったが、私のは千手観音式でいろんなものに手を出すのです。今度の本も学問、政治、文化、科学等を宗教を通して批判するのです。之でも判らぬ人は救はれない人と思ふのです。之はまあ小学読本です。次は「霊界叢談」で、現界と霊界との関係や神仏の存在等に就てゞ中学読本に当り、次の「神秘の扉」は大学程度です。

………………………………………………………………

  この教団に若い人が多いのは、観音教が現代に合ひ現代を指導する宗教だからです。既成宗教は何千年か前の方法で現代に追ひつこうとしてゐるからインテリには判らない。インテリに判らなければ現代を指導する訳には行きません。まあ自動車で行く者に「牛車は風流だ」とか、籠も乙だとか言ったって誰も笑うだけです。私の方は自動車より早い方法――まあ落ちない飛行機ですね。

………………………………………………………………

八月二十八日

“御浄化を軽く済ませて頂くため、御軸に祝詞を奏上する場合「五六七大御神」と「幽世大御神」と何れを申し上げるべきでせうか。

“御軸には「五六七大御神」が本当です。唯憑霊の病人の場合だけ「幽世大神」です。

  御軸には何時も「五六七大御神」です。幽世大神は今は他の神がやって居られますから。

“幽世大御神と幽世大神とどちらが宜しうございませうか。

“御は尊称ですから大神でも大御神でも同じですが、幽世大神でいゝです。「五六七」の時は御を入れ大御神がよい。御を入れるのは五六七大御神と天照大御神の御二人だけで宜しい。

………………………………………………………………

“弟子の御浄めしてゐる重病人の住所姓名病状等を毎朝定時に御観音様に言霊で奏上し、御守護を御願ひしても宜しいでせうか。

“之は勿論で一種の遠隔的意味になる。その場合余りくどくどしく言はずにあっさり云ふ方がよい。すべて三度までよいのです。大体神様はくどい事が嫌ひで、くどい事が好きなのは邪神です。だから祝詞も三度でよい。若し三度以上あげるのなら間をおいてからがよい。

………………………………………………………………

“竜神系の婦人は結婚せぬ方が宜しいとの御言葉でしたが、竜神系か否かはどういふ点で判断致したら宜しいでせうか。

“結婚の話が出て順調に進めば竜神ではない。竜神なら一方が病気になったり、男が死んだりする。又結婚しても女の方が男を嫌ふんです。一寸見た所では判りませんね。故障が起ったら無理をしてはいけません。ろくな結果は起きません。竜神の婦人はどっちかと言ふと美人に多いのです。だからごく美人でなければ安心な訳です。竜女は一般に妊娠しにくいですね。

“憑依してゐる竜神が浮ぶ事はありませうか。

“少いです。まれですね。よく浮いて来て喋るのは狐です。男の人が竜神系か否かは判ります。こうやって皆を見てゐてもよく判ります。それから水を非常に飲みたがるのです。

“日の系統の者に竜神になったものはありませうか。

“それはないでせう。

“御道に関し我の強いのは竜神系でせうか。

“えゝ、竜神、天狗は我が強いです。今度本にも書いたのですが苦しみといふのは我と執着があるからであって、之は本当ではない。我とは主観の事で、自分の思ってゐる事が正しいと思ふ事です。だからつまり主観をすてゝ客観的に、自分を離れて自分を見る事が大切です。理屈をつけるのは我です。――自分で自分の間違いが判らないのは、それは智慧がないからです。だから智慧を磨かねばいけない。――信仰の標準は智慧と誠です。自分のしてゐる事がいゝか悪いかも判らなくては駄目です。仏教でも智慧正覚と云ひ、キリスト教でも智慧の木の実といふ。智慧のない人は無駄をやっては失敗するんです。

“智慧は神様から教へて頂けるものと考へて宜しいでせうか。

“そうです。所が自分の我があるとそれをふさいで了って頂けないのです。ですから素直になる事です。世間には自分より偉い人の言葉はよく聞くが、下の人の言ふ事は聞かないといふ人が多いがそれが我なんです。下の人の言ふことを聞く事が雅量です。私でも部下の人の言ふ通りにしてやる。傍で見ると「大先生は何故あんな事を聞いてやるのだらう」と思はれる程ですが、それだから人々は喜んで働くのです。きっと失敗する様な事を「どうでせうか?」と言って来ると、私は「よい」と答へる。そうするとその人は失敗する。所が失敗して初めてその人は悟るんです。智慧と誠とあとは常識です。で、本当の事は常識に合って居り合理的です。

………………………………………………………………

“「果報は寝て待て」との有難い御言葉を頂いて居りますが、難関に打突った時如何に考えたらよいでせうか。(イ)最善の努力が払はれなかったか。(ロ)神様が止め給ふたのか。(ハ)邪神が邪魔してゐるのか。(ニ)時期でないのか。

“「果報は寝て待て」とは寝て待つ程にゆったりする事です。果報を追かけてはいけない、来るのを待つといふ事です。この(イ)から(ニ)までは皆合ってますが、最善の努力とはどの程度か分らない。之は智慧です。だから智慧の足らなかった事が多いのです。

“例へば弟子の教導所が不振であるといふ風な事は――

“私だって昔はさうだったんです。いくら待ってもお客さんが来ない。いろいろ考へたが一番は時機が来ない事、それから誠、智慧が足らない事などいろいろあります。之は自分で悟ることです。私は人に余り言はず放っておく。それでその人は本当に悟るんです。――邪神の邪魔は始終あります。それは隙があるから邪神が打込んでくるんです。その他或は何か原因――罪があるからです。人に騙されたとよく言ふがそれはその人に騙されるだけの資格があるからです。だから人を怨まず自分の事をよく考へ反省することです。今世の中には強盗や不良が多いが、それは人民全部が腐ってゐるからです。物が腐ればウジが湧くのと同様です。皆が正しい心になれば悪い気分が起らなくなる。一切は相応の理であって、すべて相応するのです。今迄は一方許り見て批判してゐた。共産主義者は自分が怠けてゐて喰へないくせに社会が悪いから喰へない等といふ。一生懸命やって、喰へないとか困る事なんかはないんです。何時の世でも中には他人が成功するとその頭を抑へる事許りする人もあります。

………………………………………………………………

“腐った世のため正しい人まで苦しんでゐるのは何故でせうか。

“いやそれは正しくないのです。本当に正しい人は苦しむことなどないのです。本にも書いた様に、悪人が改心して死ぬ時、二度と悪い事はすまいとの想念のため、悪い事をしない人間に生れかはる。世の中の正しい人にはこういふ人が多いのです。若し或人が本当に誠の人であるなら御守護によりそう困るものではないのです。私もそうだが、古くから此の道をやってゐる人は物資なんか余る位です。

………………………………………………………………

“一人で同時に二人の異性を想ふ事は許される事でせうか。行為には表さないで――

“想ふ事は仕方がない。むしろ之は多く思ふ程よい、愛が多い証拠だから。私だって百人やそこらゐますよ。想ふだけなら想ってもいゝですよ。行為に現さねば罪にはならない。私だって美人を見れば一寸変な気にもなりますよ。

“念の働きは罪にならないでせうか。

“念とは祈念する事であり美人を想ふといふ想ふ事とは違ふのです。念と想ひは違ひます。念とは人間が神様に向って念願し祈念することであり、人間が人間に対して念願や祈念する事なんかない。よく念を入れて考へた方がよい。――

………………………………………………………………

“愛し得ない夫婦が今後共生活を続ける事は大変な苦痛ですが、この苦しみを除ける様神様の御許しを頂けませうか。

“大変な苦痛ですが、どうして之を解決するかといふ事は人間には出来ない、神様に御任せしたらよい。そういふ所は神様は実に気が利いてますよ。唯ね、夫婦は産土神が結合せられたのであって、人為的にやったのではないといふ事だけは信じなければいけない。無理に人間が結合したのは離れさせられるのです。夫婦の中一方が反対する場合があるが、それはその反対により身魂(ミタマ)が磨かれるのです。そして一方がいよいよ信仰を強め、霊的に高まる程他の一方はやがてそれについて来るか、或は離れて了ふか何れかになります。離れた場合、信仰のある方は霊的な高さが大体同じ位の人と又結ばれたりするんです。国の場合も、周囲に敵があるとその国は発展するのです。ヨーロッパの文化が発達したのも原因はそれです。東洋にはそんな事がなく御互に遠く離れてゐたりしたので、ノンキにして居られた。従って文化の発展も遅れたのです。

………………………………………………………………

“神代時代は男女間の愛情の表現は自由であり、又一人で幾人もの異性を愛する事も出来た様ですが、民主々義の今日この様な事は許されないことでせうか。

“之は少し虫がよすぎる。人間の愛情はそんな簡単なものではない。愛し合へない者は気の毒だが、然し之も神様が結んだのだから――何事も神様に御任せして霊的に向上する事が幸福の原因なのです。

………………………………………………………………

“流産の子は何月位から祀ったら宜しいでせう。又石鹸や歯ぶらしは世間並に朝夕使っても宜しいでせうか。

“胎児は五ケ月から人間の部に入る。だから祀らねばならないが、その方法は大人の様な葬式は要りません。よく胎児をアルコール漬にするが、霊は之を非常に嫌ふものです。よく死んだ赤坊の霊が来て母の肩へとまる事がありますが、さうすると急に肩が重くなったりします。石鹸なんか大いに使って宜しい。歯刷子は朝だけでいゝでせう。又歯刷子のため歯が悪くなる事はない。皆薬のためです。歯を磨く時、歯よりむしろ肉を磨いた方が宜しい。歯ぐきから血が出たりすると歯がしまって来ます。劇しい歯痛は膿が骨に孔をあけるからで、その時の膿は殆ど薬です。外の場合でも劇痛は薬毒と思って差支へない。私の子供は生れた時から薬をのませないので痛みなんか殆どないですね。鬼歯といふのは膿の固り――毒結があるため歯が曲って成長するのです。治ります。歯磨粉も薬の強いのはいけない。以前坂井の方で作ってゐたでせう、あれがいゝですよ。

………………………………………………………………

“肺結核の空洞とはどんな原因で出来るのでせうか、又死霊憑依の肺結核の治癒過程は――

“空洞といふが私は合点が行かない。私は医者ではないし解剖してみたくもないからはっきりした事は言へないが、恐らく毒の固りだと見てゐる。肺病で死んだ体を解剖する時、毒素が収縮して固まり空洞になるのでせう。――肺結核の場合体中何処からでも痰や咳が出る。殊に頭と股です。以前股だけやって肺病が治った事があります。これは体のあらゆる部分の毒は溶けると一旦肺に入り痰になって外へ出るからで、肺は丁度「ゴミダメ」の様なものです。医者はこんな事が判らないのです。肺結核なんか皆医者が製造するのです。だから大病院の近くは死亡率が高いですね。何だって物が停滞してゐてそこに湿気と温度があれば黴菌は湧くんです。だから肺病は全く自家発生です。死霊が憑いて間もないのはすぐ出ます。先に私の奥さんに肺病の霊が憑き、突然肺病三期の症状を呈した。で、早速調べたら一年前に死んだ鈴木某で「祀ってやるから離れろ」と云った所、すぐけろりと治って了った事がありました。肺病が重くなり衰弱すると憑くので、兄弟の霊も憑き易いです。それは何故かといふと重病で血が薄くなるとそれだけ霊も薄くなるので死霊なんかゞ憑き易くなるのです。死霊だと判ったら「今訊ねるから首で返事をしろ」と云って、「あんたは死んだ人ですか」「男ですか」「年は若いか(老人か)」「肺病で死んだか」等そうして調べたらよい。その場合患者は正座させておく。予め観音様に「只今から調べますから御守護を御願ひ致します」と御願ひし、患者に祝詞を上げてから調べるのです。又供養するにしても仏を唯祀るだけではだめで、女中に仏壇へ食物を上げさせても仏は食べられない。やはり当事者が心をこめて祀る事です。

………………………………………………………………

“リュウマチスは霊的でせうか、又十一年来の慢性固結性リュウマチは如何でせうか。

“両方ありますが割に霊的のが多い。霊的のは蛇が喰ひつくのです。「竜魔口(リユウマチ)」の事です。痛んでゐるのならよく治りますが、医者だと板をあてゝ固めて了ふから棒の様になる。それを又マッサーヂなんかするのです。手術して筋を切ったり膿を出したりするが、そんな手術をしてないのならひどいのも治ります。かなり固まったのは長くかゝるから辛抱強くする事です。

………………………………………………………………

九月八日(水)

“先月二十八日○○○○子を御浄め致しました所、先祖の霊が三人現れ「お前達は信仰が足らない」「誰が一番足らないか?」「殆ど全部足らない、皆を呼べ」と申し「お前達は神を信じない。頭を下げても心では信じてゐない」とて一家の信仰のない事を述べて居りました。狐霊を使って話をしてゐるらしく、この信仰により救はれたい様子に思はれました。

“えゝそれはその通りです。救って貰いたいのです。

“翌日同人が私の教導所へ参りましたので御浄め致しますと泣き出しましたが、直に治り私と一緒に御軸に善言讃詞を御上げし「夜叉竜神も……」の所へ来ますと男の声になり「国と国との……仁慈の御胸に抱かれん」の所は物凄く大きな声になり「大光明如来守り給へ……」の所も大きくなりました。そして気持よくなり便所へ行くと言って二三歩踏み出したら倒れて霊が出まして「私はこゝの家へ度々来る○○といふものだ。先生もよく知ってゐる筈だ」「自分はこの人を連れて行かねば仕事に差支へる。もともとこの人が好きだった」そこで「悪い事だから止める様に」と申しますと「悪い事は百も承知だ」「それでは自分は之を連れて死ぬ」と云ふので「それはいけない」と申しますと「僕の負けか」と云って足の方から出て行きました。此の○○といふ男は生きてゐるかどうかと思ひ、それとなく下宿を調べますと元気で学校へ通って居りました。

“ほー生霊がついたんですね。――信仰の線に入るといふ事は神に御任せする事です。人間的な考へもいゝが、それも或程度までです。一般に神に任せるといふ気になる人が少い。心配事などあると私は「神様に御任せしろ」と云ふのです。神に御任せする気になれば信仰の門に入った証拠であり、それで安心立命を得られるのです。又御任せすれば旨く行くのです。神様としても「俺をそんなに信頼するのならよくしてやらう」と思はれる。昔から「仏の心は凡夫の心、凡夫の心は仏の心」と言はれる様に、神様だって或程度は人間と同じです。形だけの信仰はいけない。つまりさ、一人でも多くの人を救へばいゝんです。いよいよ最後の時に来てゐる。出来るだけ人を救はなければいけない。

………………………………………………………………

“御浄霊の時自然心の中で念じたくなりますが何と念じたら宜しいでせうか。

“憑霊の場合は「幽世大神守り給へ幸倍給へ」であり、その他の場合は念じたくなったら抑へた方がよい。相手の霊が非常に強い時は「国常立大(御)神守り給へ幸倍給へ」と念じ絶体絶命の時は「大先生御守護を御願ひ申し上げます」と言へばよい。そういふ時は私が神の代理になるのです。いろいろ心配事のある時は「大光明如来守り給へ幸倍給へ」でよい。憑霊の場合も人霊は「幽世大神」動物霊なら動物は光を怖れるから「大光明如来」に分ければ尚よい。

………………………………………………………………

“富士山麓で無肥料栽培をする方法はどうすれば宜しいでせうか。

“之はね特別に方法を変へなくてもいゝんです。関東は殆ど全部富士の火山灰地です。作物には火山灰中の硫黄が悪いが、古くなると硫黄は抜けて了ふから構はない。灰だと土が固まらないから尚更いゝです。この火山灰の固まったのが凝灰岩です。無肥料は特に土を固まらせない事です。無肥料でやればとてもよく出来る。増産になります。或人が無肥料でやったら親爺は怒り村民も嘲笑してゐた。で、本人一生懸命御願した所他の人のは腐ったり虫がついたりしたが、その人のだけ助かったといって礼に来てました。

………………………………………………………………

“山形の一地方では胡瓜、茄子等を栽培すると不幸が起るのですが――

“そんな事はない。まあ全然出鱈目ではないが、これからは大丈夫です。霊界が昼になると違ってくる。――肥料をやると駄目になるのもその為です。そこに気がつかないから相変らず肥料をやってゐるのです。

“やはり最初は減収でせうか。

“種子や土も肥料を食ってゐるから二、三年駄目です。最初の年は収穫が (サンブンノニ)、次の年は (サンブンノイチ)、次も (サンブンノイチ)、次あたりからよくなる。無肥料でやる

と米なんか重いのです。一俵で二、三升は重くピカピカ光ってゐます。そして炊いても「コワメシ」の様です。――一番いけないのは硫安とか窒素とかの化学肥料が米から人間の体内に入る、これがどれ位人体に害を与へてゐるか判らないのです。野菜もさうです。家庭菜園で素人がクソなんかまくが、却って結果が悪い。肥料をやると花おちがし実にならず、又虫がつき易い。私の所の枝豆は虫のつくのなんか一粒もない。軟らかくて香りがよく美味いですよ。倍位出来ますよ。鎌倉の私の親戚のが胡瓜を無肥料でやった所一本から百幾つと出来、喰べられなくて困ったさうです。

………………………………………………………………

“山形地方では普通の様に米を炊いても赤飯が出来て了ふ事があり、そういふ時は不幸な事が起りますが如何なる訳でせうか。

“之は難問題だね。不幸が起るとは迷信でせう。とも角今迄の人は始終悪い事が起ってますからね。御飯が赤くなるのは肥料の関係でせう。

………………………………………………………………

“宮中賢所に昔からあるものゝ裏にヘブライ語で「我は有て在るもの也」と書かれてあるさうですが、何かこの裏には偉大な歴史が秘められてゐるのでせうか。

“ほー面白いですね、初めて聞きました。偉大なといふ程でもないが、或る事が秘められてゐるでせう。大体皇室の先祖はユダヤに関係がある、が、余りはっきり言はない方がいゝでせう。皇室は十六の菊の紋ですが、ユダヤの都の四つの門の中の「開かずの門」の上にはやはり十六の菊の紋が刻まれてあり、その門はキリストの再臨まで開けてはならぬと伝へられてます。

………………………………………………………………

“大本の霊界物語に「国常立命はヨハネ也」とありますが――

“国常立命がヨハネではなくヨハネの働きをするのです。「靴の紐を解くにも値せず」と言ってキリストもヨハネも謙遜し合ってゐる。ヨハネは霊的には火でキリストは水です。

“ヨハネが水の洗礼を致しましたのは何故でせうか。

“ヨハネもキリストも水ですが霊的には火です。言霊ではヨは横、水で、ハは火、ネは根本、大体は水で水の中の火です。――聖書は旧新約共に本当の事は書かれてない。或程度までは本当だがその先は未だ発表の時ではない。

  仏教でもそうですが、遠慮なく仏教を批判したら問題にならない。旧約のモーゼも偉いが逃げる時海を干して渡ったとあるのなんか嘘です。

“キリストは本当は日本へ逃げて来たとの説もありますが。

“えゝ青森の方へ逃げて来たといふのですが一学者が唱へただけです。

………………………………………………………………

“時所位とはどういふ関係でせうか。

“この三つがその人の値打にぴったり合ふ事が本当だが今までは間違ってゐた。大本の御筆先に「世は逆さまになりたるから……」とある。最近特権階級がおっこちたが、おっこちて初めて所を得たのです。これからは身魂(ミタマ)相応になる。又今迄は尊敬すべき人が下に居り、軽蔑すべき人が上であって、之は霊的に時所位を得てゐなかったのです。霊位の低い人はこの道に入れない。話しても判らないのはそういふ人で、之はあきらめた方がいゝ。

………………………………………………………………

“家の敷地、庭の一部が昔墓地であった所は如何に祀ったら宜しいでせうか。

“古いのなら構はないが、新しい墓地だと迷ってゐるのもある。然し光明如来様を御祀りすればよい。昔は墓地の跡はよく盛り場にしたものです。

“横浜で戦災で焼けた氏神の跡を盛り場にした所火事がよく起きます。

“神社の場合はいけません。

………………………………………………………………

“よく「金神の障り」と申しますが金神とはどんな神でせうか。

“之は動物霊で「艮の金神」はその最高です。金は火、銀は水です。

“千葉の方に「ロクサン様」といふのがありますが――

“あれは少しは理もあるが問題にならない。光明如来様を祀ればそんなのは屁にもならない。障られたら産土神に御詣りしたらよい。

………………………………………………………………

“アイヌ族は何故滅亡状態になったのでせうか、又霊統は何でせうか、御道をすゝめたいと存じますが如何でございませうか。

“この道をすゝめるのは結構です。アイヌ人はコーカサス人で北方から日本に入って来たのです。その他南方(出雲地方、越前越後)からは朝鮮系、九州からは天孫民族即ち支那系が入ったが、これら朝鮮系、支那系に圧迫されたため、アイヌは滅びてゐるのです。だから日本を征服されたのも日本人ではない。これからは時所位が変り日本人が勃興するのです。日本民族は戦争を絶対嫌ふ人種です。

………………………………………………………………

“川魚、兎、鶏等を殺して生業にして居りますが、之らを如何に祀るべきでせうか。

“年一回盆なんかに白木の長方形のものを作り「諸魚鳥之霊」と書き祭壇に祀り(宮にすれば尚よいが)彼らの「エサ」食物を上げ言葉で「あんた方は人間のためいゝ事をしてくれた」と礼を述べ「今日は御祀りをしてあんた方を慰めるから」といって祝詞(幽世大神)を上げたらよい。御盆は地獄の霊を慰める日だから御盆がいゝ。殊に御盆の最后の日に祀ってやればいゝでせう。

………………………………………………………………

“生れつき拇指の皮膚がつれて拇指が充分伸びない子供(生後半才)が居りますが如何でせうか。

“それは畜生道へ堕ちた霊です。御浄めで治るかどうか一寸判りませんね。霊が人間化すれば治る筈です。兎唇(ミツクチ)は幼児の間なら治ります。

………………………………………………………………

“自分が御取次した講習生との霊線の関係は如何でせうか。

“太くなったり細くなったりしてます。手足ですら自分ではどうにもならない事があるのだから。――時には弟子の方が身魂が高い事もあり、先生から離れた方がよい事もある。親子の関係で云へば弟子を生んだ事になる。だから何時までも親の所に居たのでは大きくならない。渋井は中島の弟子だったが、渋井が独立する時いろいろ心配する人があったが「心配する必要はない。何か意味があるのだから」と私は云ったのですが、現在はあんなになった。勿論一度は師弟の因縁で結ばれたのです。以前大阪でやってる先生とその弟子の仲が悪くなり遂に別になって独立した。その時私に「自分は先生に背いた事を悪いと思ふ」と云ふので「いや支部が一つふえたのだから結局いゝのだ」と云った。そして別れる時「これからはもう喧嘩せずに仲よくしろ」と云ったんですが、その人は離れてからも喧嘩してゐた。後にその先生が来たので訊くと「あれは大先生が喧嘩してもよいと仰言ったから」と云ったさうですが、私は喧嘩しろとは言はない。――喧嘩が悪いとも云へないし又何時も喧嘩していゝとも言へない。もう分れたんだからこれからは先生は弟子をほめ、弟子は先生を賞めお互に「ほめっこ」する様に――と話したのです。「ワサビ」や「カラシ」がいゝからってあれ許り喰っちゃ居られない。そういふものは場合によって僅かに利用すればよいのです。喧嘩だって之と同じ事です。

………………………………………………………………

九月十八日(土)

“朝鮮、支那の人は食物として「ニンニク」をよく喰べますが、私の体験では御浄霊の効果が少い様です。之は「ニンニク」のためでせうか。

“無論さうですが、本当は日本人より霊が低いからよく効く筈です。

“「ニンニク」も固めでせうか。

“さうですね、やっぱり固めますね。

………………………………………………………………

“猿田彦尊は何の罪により天狗になったのでせうか。

“天狗は高慢、己惚れで現世でそういふ人々は天狗界へ行きます。職業的には弁護士、学者、神官、僧侶等です。天狗になる事は悪いとかいゝとかではない。天狗界は中有界の少しいゝ所で第三天国の下に当り山の守護を任として居ります。従って之は地獄、極楽とも異り別世界です。現界でもよく天狗の人がゐるが、之は一寸始末が悪い。猿田彦尊は罪により天狗になったのではなく、必要があったからです。天照大神を御案内したことになってゐるが之は又手力男命にもなるのです。天狗で肉体を持ってゐるのも時には山に住んでゐるのもあるがそんなのは何百年と生きてゐて一寸仙人に似てゐます。

………………………………………………………………

“素盞嗚尊の夜の経綸と西洋医学、フリーメイソン、共産主義の関係に就て――

“大いに関係があるんですけど――素盞嗚尊が邪神の霊に乗っかったといふ意味です。之は「明日の医術」に一寸書いた。然し素盞嗚尊はもう判って何したんだから――

………………………………………………………………

“御讃歌中に「凡人の眼には善しとし映る事も神の御旨に適はぬ事あり」と拝見致しますが、御道の者としてどんな点に注意すべきでせうか。

“人間の眼では異る。共産主義だって人間には正しいと思はれても神様はさうは思はれない。――所が神様にもいろいろあり第一等の神だと共産主義も要るし、第二等の神だと共産主義はいかんといふ事になる。普通の事でも人間が見て善いと思はれる事でも神様から見ていけない事が沢山ある。今戦犯として裁かれてゐる人々も戦争中は皆「自分はいい事をしてゐるのだ」と思ってゐた。だから何時だか罪の有無に対して皆揃って「無罪」を主張してゐたのです。「自分は罪を犯したのだ」とは考へない。――神と人との分れ目は大乗と小乗です。例へば日本だけよくなって、他の国々はどうなってもよいとの考へ方は小乗であり悪です。人類全体が幸せになる事でなければ悪です。私は戦争中「忠君愛国」なんか一度も云った事はない。何故なら日本人が「忠君愛国」でその相手の朝鮮人、支那人も「忠君愛国」だったら大変な事になる、幸ひ彼等がそれ程忠君愛国ではなかったからまだよかったのです。――勿論時と場合により大乗より小乗の方が必要な時もある。が、そういふ時でも大乗を本として小乗を考へたらいゝのであり、常識を基準にして判断したらいいのです。ここに大乗と小乗の融合が出来るのです。小乗は縦であり大乗は横ですから、縦横合一が出来上るのです。先日ミズリー艦上調印記念日のマッカーサー元帥の書簡の中に「東西文化の融合する所が日本である」とあったがその通りです。皆が附けてゐるバッヂの真中の赤は日本を表しそこで縦と横が合一してゐる形を表してゐるのです。――箱根といふ所は東西の分れ目であり箱根の中心は神山です。だからこの早雲寮も神山の上に建てるべきであるが、さうも行かないからこゝへ建てたのです。で、これにも縦横合一の意味があるのです。又以前の玉川上野毛も東京(縦)と横浜(横に開ける)の中央だった。――今度は熱海に家を作り次に小田原に作るがその次は別府に作らうと思ってます。あれから先は外国になりますから。又、今度東山荘の中に洋館を建てそこで私は洋風の生活をしようと思ってます。

………………………………………………………………

“北海道札幌等は言霊でどんな意味でせうか。

“札幌はアイヌ語ですね。アイヌ語だから日本語とは違ひます。字だって当字ですからね。アイヌ語なんか解釈する必要はないでせう。――外国語にも言霊はありますよ。アメリカ、ワシントン、リンカーン等にもあります。が、之は別の学問になる。日本語だけ知ってゐればいゝのです。言霊は日本語によく現れてゐる。日本語は七十五声であり英語なんかは五○以下で然も半音が多い。言霊から言っても日本は勝れてゐるんですが、まあお国自慢は差控へておきませう。

………………………………………………………………

“地名により御道の開け易い所を選んで伝道するのは如何でせう――

“之は反対です。むしろ地名の悪い方を選んだ方がよい。悪い所汚れた所に伝道してそこを浄めて行くのが本当です。

“悪い地名の方が骨が折れると存じますが――

“さうとも限らない。むしろ悪い方を却って邪神が閑却することもあるんです。東京といふのは言霊はいゝのですが一番濁って居り邪神の巣窟です。又地名を選ぶと云っても、選ぶといふ事は神様が選んで人間にさせるのであって、人間が勝手にするのではないのです。又或る土地を開く可き時が来ればその人がそこへ行くべき必要が起る。神様が何か必要の事を起してその人をその土地へ行かせる様になるのです。

“出雲といふ土地は開けにくいと伺って居りますが――

“出雲は素盞嗚尊の本元で月の神様だから昼を嫌ふのです。人間も出雲族で素盞嗚尊の系統、朝鮮系の人が多いのです。

“今度一高生が大分開きました。

“えゝもう去年辺りから時機が来てますからね。大本教は出雲を開いたのです。出口王仁三郎は素盞嗚尊の顕現ですからね。

………………………………………………………………

“今迄の霊的治療は固めでせうか又は洗ふのでせうか。

“之は両方の力です。つまり水系の人は先方の病気を背負うのです。私の方は火で焼くのです。御木徳一の徳光教なんかは全く背負う方です。だから月一回御振替といって神様に背負って貰ってゐたのです。

  結局水の系統の方法は本当に溶かすのより御振替をするのです。曇をとってやるのです。然し毒素は曇だから或意味では毒素を溶かすとも言へる。

“キリストのは何でせうか。

“あれは霊で以てついてる邪霊をとってやったのです。だから中風なんかも非常に早く治ったのです。御木徳一の先生の金田徳光といふ人は非常に偉い人でしたが当時の官憲から大変な圧迫をうけたのです。今でも大阪の方に徳光教が相当ある様です。信仰療法で他人の病気を引うけるのは今迄いろいろなのが沢山ありましたが、段々霊界が昼になると出来なくなるのです。天理教もさうです。人の病気を引うける方の一番の親玉はキリストで、とも角全人類の罪を贖うといふ訳ですからね。

“大先生は罪を御許しになると考へさせて頂いて宜しいでせうか。

“本当はさうなんですがね。今迄そんな事がその筋に知れたら大変だったのです。

………………………………………………………………

“山形の方で霊友会の人が「昭和二十五年に観音様が世に出られるからそれ迄に会員を作って了へ」と云って居ります。

“昭和二十五年は大浄化の年ですからね――。

………………………………………………………………

“御光を頂いて居り乍ら御道に背いてゐる人でも治病の効果がある様に見える事がありますのはどういふ訳でせうか。

“之は一口で言へば惰力です。一時はよくても何れ駄目になりますよ。勿論邪神が働いてゐるんですね。

………………………………………………………………

“観音様の御力が御守りから紐を伝り体に入りそして手から出ると考へても宜しいでせうか。

“さうではない。御守り自体へ霊線を通って光が行き、それが御守りに入り、それから手から出るのです。紐は金属でもいゝのですよ。むしろ首にかける事に意味があるので、戦争中軍隊などでは首にかけていると裸になった時取上げられるので腹巻に入れる様にしてゐたが、之は止むを得ない事情があるからで、事情がないのに勝手にやってはいけない。夏は裸になるから斜めに腋下にかけてもよい。

………………………………………………………………

“電気、磁気等は「素」から見ると如何に考へるべきでせうか。

“電子と磁気とははっきりしないんですね。昔十八世紀にフランスに磁気療法といふのが起り、人間の体から磁気が出るとしてドイツにも渡り大いに一時発展したものです。この道も以前の治療時代には、手から磁気が出るのだと説いてゐる人もありました。人体電気といふ人もある。磁気はまア電気の一つとみていゝですね。学者は判らない事を磁気といってます。磁気嵐なんかさうですね。今度の本に電子、原子、霊子に就て説明します。

………………………………………………………………

“先日の新聞に身延山の日蓮宗管長に面会するには一分間三千円と出て居りました。

“面会時間でいくらいくらと定めるのは宗教家らしくない、芸人ですね。今仏教は収入がないので大変です。二、三日前でも鶴見の総持寺の僧侶が (サンブンノニ)位減ったさうで、何故かと言へば食へないので自分で追放――還俗するのが出てゐるのです。

“それに比べますと大先生様からこうして御面会頂けるのが勿体ない事と存じます。

“さうですね、少し安すぎますかね。まあいいでせう。今はまだ宣伝中ですから。

………………………………………………………………

九月二十八日(火)

“霊は個性を持ってゐるのに、再生した場合前世の事を記憶してゐないのは何故でせうか。

“判らない方がいゝんですね。判ってはいけない。以前俺は何何だったと判ると障りになる。丁度寿命が判ってはいけないのと同じです。つまり何時までも生きてると思ふから働けるのであり、あと何年何月で終りと判ったら働けない。前世の事は魂そのものにも判らないのです。若し判れば「あいつは前世で俺の家来だった」といふ事になって了ふ。唯或る霊覚を持って来ると判る事があります。私も歴史上これは自分だと思はれる人人が相当あります。私は天皇にもなった事がある。それは応神天皇で、最初麹町で治療所を作った時「応神堂」と称した。又尾形光琳、義経もさうです。度々生れてますよ。光琳なんか好きで好きで仕方なく、美術をやってゐた時は何の気なしに光琳堂と称してました。尾形は岡田と通じてます。

“人間の個性と霊の個性の関係に就て――

“之は連りがある。人間の個性は霊の個性が表れるんだから。唯見た目には違ふ様に感じる。それは両親やその人の動物霊によって違ふのです。二重人格はそれです。“向合って話をしてゐる間にも違った半面の表れる人がありますが――

“正守護神と副守護神が出たり引込んだりするのです。迷ひとはそれです。今の人は殆ど皆魂が曇って居るので副守護神の方が表へ出て了ふ。そこで間違ひをするのです。そして失敗したり後悔したりするのです。だから私は「人生は後悔の連続だ」と云ふのですが、曇りがとれるに従って魂が輝き判断が正確になるのです。人間はよく出来てゐて失敗したり苦しんだりして行く間に段々曇りがとれるのです。

………………………………………………………………

“メシヤの言霊に就て御伺ひ申し上げます。

“メシヤといふのはヘブライ語ですから一寸日本語には解し難い。意味は救世主、救ひ主といふ事です。キリスト教の人はキリストが救ひ主だと信じてゐるが、本当は贖罪主であって救世主とは大変違ふのです。万民の罪を贖った人、罪の代表になり生命を「ギセイ」にして初めて許された人ですが、救世主の方は許されるのではなく許す方です。まあ時機の進むにつれて話しますよ。

………………………………………………………………

“幽界は大国主命、現界は国常立尊が主宰されてゐる由ですが、神界はどなたが主宰されて御出でせうか。

“国常立尊は主宰はされてない。尊が大浄化されてゐるのですが、その先はまだ云へません。幽界は大国主命です。神界の主宰神はこれから定るのです。

“主神とは之をくるめたものでせうか。

“えゝさう、天御中主大神です。之は変らない。が、個性を持つ神の主宰はまだ出来てないのです。だから宗教でも今まで世界を支配したのはない。

………………………………………………………………

“善悪不二と申しますが、善主悪従と考へて宜しいでせうか。

“えゝ今はさう思ってゐればよい。

………………………………………………………………

“道を求めるに就て低いものは高い者を経て初めて高くなれると存じますが――

“えゝまあさうです。

“道を悟るため自分でいろいろやってみても頼りないのですが――

“それは主観だから判らない。この場合は神が客観する。そこで自分は最善を尽して時を待つのがいゝ。向上を期するのはいいが、短時日にしようとすると焦りになり、焦っては高まるよりむしろ地獄、修羅道へ近くなる。

“自分を指導する者がなければ自分が救はれないと考へますが。

“指導は他力であり、自分で向上を励むのは自力であり、この両方で行く可きです。他力だけでも救はれるが自力も必要、日蓮宗は自力のみだが、これは一種の信仰地獄へおちる事になる。だから最善をつくして時を待つのが一番いゝ。

………………………………………………………………

“豊雲野尊は水の系統でせうか。

“さうです。国常立尊と一緒になって日月になる。国常立尊が経で豊雲野尊は緯です。豊雲野尊は素盞嗚尊に顕現――まア子孫だな。

………………………………………………………………

“イスラム教の霊統とその唯一神アラーに就て――

“イスラムはマホメット教の事で印度ではイスラム教といふ。イスラエルの事で根本はキリスト教と一つです。アラーは最高神でキリスト教ならエホバ、日本では天之御中主大神になる。――神は土地によって神格を落す事があります。アラーはアラビヤ地方で称へる名だが、あの辺は文化が低いから低い神格で救をされたと云へる。“片手にコーラン片手に剣を持った事は――

“今までは時機でなかったので神様も充分な力を発揮出来なかった。夜の世界では月の光だけだから、そこで仕方なく剣をとって神の名の下に四方を征服したのです。

“神が格を落されたため邪神に乗ぜられたといふ風に考へる事は――

“えゝさう考へてもよい。

………………………………………………………………

“クレチン病(一寸法師)の霊的解釈――

“之は霊的ではなく、人間の成長に必要な機能が欠けてゐて伸びないのです。然しそれから先は霊的になります。前世で頭を打ったりして死んだ者が、霊界での浄化が足らずに再生した場合、頭の成長機能が劣るのです。又子供の発育しない原因は、赤坊で死んだ霊が憑依した時、竜神が憑依した時――之は主として足が発育しない――と、それから生後沢山注射した場合の大体三つがあります。

………………………………………………………………

“天数歌の言葉の意義について御教示を御願ひ申し上げます。

“之は天地が出来た時の順序で、大体七が完成で、七は「ナリ」「ナル」です。殖えて発展する事が八です。一は独立神であり、それが陰陽に別れる(二)、そこへ子が生れ(三)、そして四方へ発展し(四)、火が燃え(五)、水が出来(六)、それで完成(七)です。キリスト教は七で出来たから日曜を安息として居ます。九は「つくし」と言って極点であり、今は九の世の中です。十で結び、十一で始る。天の数歌は天地創造の順序を数で表したもので、之を唱へれば霊界で順序――活動力となる。つまり神の力徳が順序の言霊で力を発揮するのです。気持よくゆっくり上げたらよい。

………………………………………………………………

“旧約聖書はどの様な意義をもつのでせうか。

“大体宗教は新旧二つになってゐる。新約は経で旧約は緯です。旧約聖書は予言書で寓意的に書いてあるのです。だから旧約は解釈することが出来ない。旧約の時代はあれでよかったのです。もう今はそれ程の価値はない。之によって救はれる事は難しいですね。――既成宗教は段々時代と遠ざかってゐる。現代生活や思想とかけはなれすぎてゐる。現代を指導する程に進歩したものはこの教団だと私は思ってゐるのですがね。だから若い人が多く入ってゐるのです。

………………………………………………………………

“観音様はマリヤだとも言はれますが――

“マリヤ観音といってマリヤを観音に擬へるが、之は全然出鱈目でなくても本当とも言へない。――然しまあマリヤ観音と言ってもいゝでせう。

………………………………………………………………

“観音教団に入らぬ人でも大浄化を越す事は出来ませうか。

“それは沢山ありますよ。誠の人なら誰でも救はれますよ。教団に入ってても間違ってゐれば救はれない。宗教はいろいろあるがその宗教の形式によらず魂に依るのです。神様は公平だから。――この教団ではいろんな事が判り正しい人になる可能性が多い。そういふ意味に考へたらよい。

“誠の人が大浄化に際会した時は如何でせうか。

“キリスト教や仏教の人にも偉い人がありますからね、そういふ人は助かりますよ。まあこの教団の人は八十%、他の宗教の人なら六十%位でせうかね。

………………………………………………………………

“人体には玄米と白米と何れが宜しいでせうか。

“七分搗がいゝですね。玄米はまづいし人間が慣れてなく、又胃腸の準備も出来てない。白米では成分がとられすぎてゐるから七分搗がよい。勿論白米だって差支へないが、唯脚気になり易い。――そんな事より化学肥料の害の方がずっと大きいのです。栄養も非常な違です。

………………………………………………………………

“「印相」といふ事を申しますが、印鑑の相は運命に関係ありませうか。

“ありますよ。墓相もそうですが、印鑑でも相当関係があります。印はその人の信用、取引の約束等人間の生活上の働きの或部分を代表するものですから、その字や形が運命に影響するのは当然です。人間の働きの霊界方面は非常に微妙です。――所が相の事でも信仰に入ると違ってくる。面白いのは人相見などに見て貰っても、信仰に入ると結果が逆になる。私も「赤竜子」にみて貰った事があるが、反対にするとよく当ったのです。之は今迄の「相」が体的に許り研究されたためです。姓名判断なんかもさうです。信仰に入ると体的ではなく霊的に支配されるから反対に当る訳です。よく引越の方位を気にする人がありますが、之はありません。婚礼の吉日はあります。数といふのはなかなか神秘ですから。結婚は陰陽結ぶんだから、結ぶ日七、十、十一はごくいゝ、二十一は「二人が結んで始る」といふ意味で非常によい。始める時は八がよく五は「いづ」で出る事でいゝです。伊豆は「いづ」で伊豆半島は重要です。

………………………………………………………………

“蛇を殺した場合祟る事はありませうか。

“無論あります。仇討をします。――私は蛇を見つけたら殺させて人の踏まぬ所へ埋め、祝詞を上げて「次は人間に生れて来る様に」と言ってやるのです。殺してやると喜ぶのです。だから祀ってやった後私自身気持がよい。これは何故かと言ふと、蛇は自分を醜いと思ひ早くその一生を終りたいのです。執着のため人間から蛇になったのも沢山あり、之を殺すと祟ります。よく古い家にゐる青大将は殺してはいけません、祖霊ですから。――青大将以外ならあんた方が殺して祀ってやったらよい。その外ヒキ蛙にもよく霊が憑ってますね。

………………………………………………………………

十月八日(金)(熱海別院にて)

“無肥料栽培の二年目で獲れた米でございます。(現物を御覧に入れる)一升につき二十匁、一俵で二、三升重い様です。

“四年目位から増収になります。無肥料でやれば第一花おちがしない。背丈は少し低いが茎は太い。肥料をやると弱くなり茎も風に折れたりする。見た所は立派ですがね。――段々無肥料にして行かねば駄目になりますよ。最近虫害の多いのも肥料のためです。無肥料なら実際手間が要らない。消毒薬を使へば虫は死ぬが一緒に土も死んで了ひます。まさか土にかゝらぬ様に薬を使ふ訳にはゆきませんからね――。

“果実は如何でせうか。

“いゝですとも、何でも――何しろ薬を使ふと弱くなって了ふのです。人間も薬をのむととても弱くなるのです。然も化学肥料を使へば米が之を吸ひ、そして人間が喰べるので体が非常に弱くなるのです。――果実なんかも同じだが根の周りの土を固めてはいけない。冬の間に根の周りを掘って土を柔らかくしておくといゝ。春になると細い根から養分を吸って大きくなるのですから。――堆肥は使ってもいゝですよ。掘った所へ入れたらよい。堆肥は草の葉の方がいゝ。木の葉は繊維が固いから畑なら土の下へ一尺位の厚さに草の葉を入れ、更にその下に一尺位木の葉を入れたらいゝ。堆肥は熱を出し暖めるからいゝのです。魚の腐ったのや鶏の「フン」も極いけない。木の葉や草ならば自然でせう。そこらにもあるのですから、その自然がいゝのですよ。雑草はよく伸びるでせう。あれは無肥料だからですよ。――田圃へやる水をあたゝめるのは結構です。池へ溜めておくのはいけない。却って冷えて了ふから。「日なた」を余計流してから田へ入れる様にしたらいゝのです。木やわらの灰もやらぬ方がいゝ、天から灰なんか降って来ないでせう。肥料に使ってゐる石灰だって灰ですよ、木と石の違ひだけです。――無論無肥料でやるからって改良は必要ですよ。稲なんかも神様が最初作られた時は一穂に五粒位だったんですが今では大体三百粒位でせう。人口の増加と平均して米粒の出来るのも殖えるのです。今日本は食ふだけの米がとれないが本当はとれるべきで、とれないといふのは、とれない様な事、間違った事をしてゐるからです。

“人口に比例致しますならば大浄化で人間が減れば米も減産でせうか。

“さうですね――米は減りませんね。田地を他に使ふとか、米を別な方に使ふとか少い国に輸出する様になるでせう。祝詞にある様に「五穀稔りて倉に満ち……」といふ風になるのです。

………………………………………………………………

“伊勢の内宮及び外宮併祀の由来及びその意義について御伺ひ致します。

“内宮は天照大神、外宮は豊受明神を祀ってますが、天照大神は主食につき非常に関心を持たれ豊受明神に命じて全国に稲を配らせた。この時明神は狐を使って配らせた。稲を荷ぐと書いて稲荷(イナリ)と云ふのはその為で、その時の功により祀られたのです。だから稲荷は百姓が拝むべきで、今芸者や女郎などが拝むのは狐が堕落したのです。勿論普通の稲荷神社も豊受明神の御分霊が祀られたのですが、狐の方が強くて御分霊の力が弱くなり統制がつかなくなった。而も夜の世界で天照大神は御引退になって居られたので余計狐が強くなったのです。豊川稲荷なんか途中からダキニ天神を祀ったが、之は金毛九尾の狐ですよ。

………………………………………………………………

“考へる自己は、本、副守護霊の何れに属するのでせうか。

“考への根本は本霊ですが、副霊も考へを混ぜるんですね。その時本霊に力があればいゝ事をし、副霊に力があれば悪い事をするのです。平沢なんかは凶行の時は副霊だけになって了ふのです。――堀崎捜査課長は今年の三月、御守りを頂いたが、今度平沢の頭を御浄めしたらポロポロ涙を流しそれから間もなく自白したんです。それは副霊が少し減り、それ丈人間らしくなる、いはゞ仏心が出るのです。良心が閃くんです。ですから帝銀事件は私が解決したのです。その中に堀崎課長や藤田部長らが私の所へ礼に来るさうです。――人間は始終迷ってゐるのですが、之は本副両方の働きです。だから両方の中間が人間の考へとなるのです。勿論いかなる時も本霊が勝たなければいけない。――綺麗な細君を見れば、あんな美人と結婚した人はいゝなと思ひ、美しい娘をみれば結婚したいと思ふ、「思ふ」事は差支へなく、又誰でも「思ふ」ものです。之が副霊の働きです。が、之を抑へて行動にまで行かせないのが本霊です。思ふ事、想念は自由でいゝ。キリスト教ではそういふ風に「思ふ事」を罪だといふが、それでは余り固すぎます。然し始終思ってゐると思ひが移ります、そうなると執着になるからいけない。

………………………………………………………………

“イエス、阿弥陀が贖罪をなした因縁について――

“イエスも阿弥陀も月の系統ですが、阿弥陀は贖罪はしてない。阿弥陀は月読命、イエスは素盞嗚尊です。月の照った時は阿弥陀の働き、素盞嗚尊は闇の世界です。素盞嗚尊は立派な神様ですが、邪神に負けて悪をして了ったのです。尊は日本で乱暴をしたために、伊弉諾尊に追放せられ外国へ行った。それがユダヤであり、そこに住んで十二人の子供を生んだが、その中からキリストが出て、日本で犯した先祖の罪の贖ひをしたのです。

………………………………………………………………

“既成宗教の信者が御道に入った場合、何かと今迄の信仰が障りになりますが如何に致したら宜しいでせうか。

“之は打ちゃっておけばいゝのです。丁度染物見たいなものでよく染ると色抜きに手間がかゝる様なものです。矢張り宗教は想念、魂の問題だから改めるのには相当の時間が必要なんですよ。まあ他人の色抜きの心配より御自分の色抜き――反省の必要があるんですよ。

………………………………………………………………

“目下全国的に松が枯れていますが、どんな意味があるのでせうか。

“松の枯れる事には意味がある。六、七年前私は自動車で大磯藤沢の海岸をドライヴした所随分松が枯れてゐた。で、「之は日本に不吉がある、天皇に事がある前兆だらう」と話した事がある。松の字は木扁に公(キミ)と書き「木の王」で皇室に関係がある。天皇が今度低い所へ堕ちたから或程度枯れる訳です。一番先は琵琶湖の辺りの唐崎の松が枯れたので「何かあるな」と気がついたのです。家の中でも木が枯れると何かありますよ。松ならそこの主人、他の木ならそこの眷族に関係がある。

………………………………………………………………

“鬼門の方に便所がある場合は作り直すべきだが、そんな所へ住むのはその人の霊が低いからです。作り直すことが出来なければ自分の霊を高くする事に努めるべきで、高くなれば自然と他のもっとよい所へ移って行ける様になるのです。頼りない様だが之が絶対の方法です。

………………………………………………………………

“教導師同志で恋愛関係になった場合は――

“独り者なら結婚してもよい。親が反対の時は約束だけして時機を待てばよい。その中に神様がちゃんとやってくれるから。

“子女が御道の者同志の結婚を希望するのに対して親が反対の場合と、心中もしかねまじき程に恋愛が熱烈の場合は――

“ははあ出ましたね。無理に一緒になっても親の怨み等の想ひが来ると難しい。だから時機を待つ事です。神様が親を判らせて下さるから。――恋愛は副霊同士の関係です。で、その最中は幸福でも、やがてそれが苦しみの動機になります。だからその恋愛が正当なものか否かを常に充分に自己批判する事で、それをせずにそんな関係を続けては却って罪になります。自己批判をしても正当であると思へたなら結婚に入るべきです。が、その場合親が反対したら我慢して時をまつ事です。

………………………………………………………………

“二階に御軸を御祀り出来ない時階下に御祀りしても宜しいでせうか。

“階下の床の間と二階の床の間が上下に重なって居れば宜しいが、さうでなく二階を人間が使ってゐるのなら却って失礼になる。之もさっきの鬼門の便所と同様そんな所へ住むのはその人の霊が低いからです。

………………………………………………………………

“御軸でも「光明如来」の方は御神体だが、以前書いた「光明」といふのは光だけで御神体ではないから御挨拶はしなくても宜しい。

………………………………………………………………

十月十八日(月)

“「天国の福音」中に肺病で死んだ娘の霊が天人になって兄に忠告に来たと拝見致しますが、病死した霊も天人になれませうか。又之は大先生が御祀り下さったためでせうか。

“病死した霊でも子供や処女は非常に天人になり易い、汚れが少いから。特に私が祀ったのは天国で直に救はれる。普通の人ではさうは行かないが、然しこの道の信者が祀ってやれば、外の宗教の人が祀るよりずっと早く救はれます。又病死しても霊界ではずっと治り易い。

“此の世で悪事をした人は如何でせうか。

“御浄めで救はれる。が、罪が重ければ地獄へ行き、軽ければ八衢で済む。中には地獄へ行っても改心しないものもありますからね。そんなのは最低地獄です。平沢は極寒地獄ですね。

………………………………………………………………

“地獄の霊と天国のとでは再生はどちらが早いでせうか。

“此の世に執着の多い方が早く生れる。――あの世を喜ぶ人があるが、喜ぶより何も考へないのが一番いゝ。あの世を喜ぶとあの世への執着になるから。まア行ってみるんですね 

………………………………………………………………

“三日程前牛と犬が焼け死にましたが、一晩で或人が気が狂ひ「俺は焼け死んだ牛だ」とか「焼け死んだ犬だ」などと申します。牛と犬のためでせうか。

“無論両方憑いてゐる。浄霊すれば急には治らぬが段々に治ります。こんなのは人間が畜生道へ堕ち、牛や犬になったのです。焼け死んだので苦しんでるのです。

“その場合御浄霊で救はれるのは憑かれてゐる人が浄まるためでせうか。

“その牛も犬も救って貰ひ度いのです。焼傷(ヤケド)して苦しんでるから。で、浄霊で苦しみが除ければ牛、犬の霊はその人から離れて行きます。祝詞(幽世大神)を上げてやればよい。

………………………………………………………………

“鎌鼬(イタチ)の原因及び昔盛んに間引をやった土地を救ふ方法に就て――

“鎌鼬といふのはないのです。唯皮膚が亀裂するのです。脂肪や血液が足りぬ時、そこが自然に切れるのです。――間引の霊は一人一人の名前は分らないから三界万霊とすればよい。こんなのは土地の万霊の位牌を作り、仏壇の一番下座に安置したらよい。分った人だけが祀ればよく、土地全体としてやる必要はないでせう、義理でやったのでは誠が通じないから。

………………………………………………………………

“救と裁きの関係につき御教示を御願ひ申し上げます。

“之は密接な関係があります。裁きがあり善悪があるから、救はれるのと救はれないのが決るのです。普段だって神様は裁いて居られるが、普段の裁きと最後の審判とは意味が違ふのです。最後の審判に於ては人類全体が裁かれるのです。然し誰でも裁かれない中に悔い改める事が救はれる事なのです。――そこで一番困るのは、人間が人間を裁く事です。之が一番間違ってゐる。あの人はいゝ人だとか何とか言って人を裁くのは、その裁く人自身が裁かれてゐるのです。人を裁く前に先づ自分を裁く事です、反省する事です。他の人をいゝ人だとか悪い人だとか言ふことは大変な間違ひです。又救といふ事にしても、人間が人間を救ふ事は出来ない。救ひをなさるのは神様であり、人間は唯その道具にすぎないのです。然しその道具に使はれる事が有難いのです。

………………………………………………………………

“薯、牛蒡等を喰べると「ガス」の出る訳は――又「ガス」は毒の気化でせうか。

“ガスはね、腐敗から出るのです。で、薯、牛蒡は腐敗し易い、消化が遅いんです。まあ喰ひすぎるんですね。適当に喰へばいゝんですよ。――以前或る病人で口の辺へ火をもって行くとパッと燃える人があったが、之は本当のメタンガスです。之はそんなガスの出る毒が体内に在るのです。

………………………………………………………………

“七福神の因縁に就て――

“印度、支那、日本の特殊の人から取ったのです。

一、恵比須は伊弉諾尊の子の蛭子で「蛭子の御堂」とも言はれる。又骨なしとも言は  れるのですが、之は気骨のない人の意味でせう。まあ始終ぶらぶらして釣許りして  ゐたんでせうね。

二、大黒は印度の神で、吾国の大国主命と一緒にするが之は誤りです。

三、福禄寿、支那の人で、支那では大抵福とか禄とかついてます。縁起をかつぐんで  す。

四、布袋、之も支那で恐らく大きな風呂敷を背負って歩いたのでせう。まあ乞食坊主  みたいなものでせう。

五、毘沙門は印度の武将です。

六、弁天、之はおかしいのです。素盞嗚尊の三女臣の一人の市杵島姫尊(イチキシマヒメノミコ  ト)と云はれるのですが「天」がついてゐる。(註、天は  印度の神)弁天は財宝の  神にも芸術の神にもなってゐる。だか  ら芸人はよく祀りますね。確かに弁天は芸  能が好きですね。  弁天の使の蛇も芸術が好きです。

“何か弁天に御詣りすると夫婦別れをすると聞きますが――

“蛇は嫉妬深いから巳の年巳の日生れの人は嫉妬深く、又物質を集める力を持ってます。先に名古屋の有名な旅館の女将から聞いたのですが、そこには蛇が沢山ゐて繁昌してゐた。所が後に火事になり旅館も焼け、蛇も皆焼け死んで了った。そこで新しく建てたが今度は全然はやらず遂に旅館を止めてしまったさうです。――又芸術に就ては大阪に木市セイゴといふ謡をやる人があったが、舞台で謡をやる時よく皆がする様に舞台の下に水ガメを置き、中へ水を入れておいた。之は声がよく響くからです。そうしたら大きな蛇が来て水につかり乍ら謡を聞いてゐた。之はその母親にお知らせがあり、その蛇は弁天といふ事が判った。又こんな事もあった、「御宮に綿を入れてくれ」との御知らせなので入れた所、やがて白蛇が沢山生れた。綿はお産に必要だったのです。手を出すと白蛇が手にのったりして終ひには五六匹袂へ入れて舞台に出る。が、謡を始めると蛇が袂から出て踊り出したさうです。――印度の蛇も笛に合せて踊るさうですね。

七、寿老人、支那の長生きした老人でせう。これらは日本で昔の人が集めて作ったも  のですよ。

………………………………………………………………

“結核菌が毒の多い人の体に入っても感染しないでせうか、又小児結核は――

“絶対感染しません。前に私は菌をなめてみた事があったが大丈夫でした。湧くんですよ、痰が古くなるとね。だから結核患者とキスしても大丈夫ですよ。結核菌は空気伝染する位だから弱いんです。又之には掃除の役目はないのです。之はパスツールが伝染の理論を発表してから自然発生の説がすたれたのですが、パスツールの方が間違ひです。コペルニクスの地動説だってさうで、昔キリスト教時代の天動説の方が合ってゐるのです。小児結核も一医者が云ふだけで医者が作ったのです。結核なんて病気はないのですよ。

………………………………………………………………

“小児麻痺は憑依霊が物質化し毒結となって腕、脚の成長を妨げるのでせうか。

“之は脳溢血で死んだ霊が憑くんです。霊が物質化するのは脊椎カリエス等です。小児麻痺は霊のためだけで発育不良になるので別に物質化するのではないのです。

………………………………………………………………

“自殺とか帝銀事件の如く殺されたりする場合、その人の守護霊はどの程度に守護するのでせうか。

“正守護神は災を防ぐがその人に曇りが多いとそれが判らない。所が副守護神の方はもうこんな肉体から出たいと思ふと殺させます。一方本守護神は神だからどこまでも救はうとなさるが、その人に曇りが多い時は霊界で修業させるため死ぬ様にする事もあります。助けるのは正守護神だけです。だから助け方にも、肉体を保って助ける事もあり、肉体をなくして霊界で助ける事もあります。帝銀事件でも守護神は大いに助けようとするが、今の人々は信仰心がないから霊が曇り放題曇ってゐるので気がつかない。正守護神が怒鳴っても聞えず、見せても盲で見えないといふ訳です。平沢なんかは特に邪霊が憑いて兇行をやらせたといふより、頭が副霊だけになって了ったのです。狐でせうね。平沢の懺悔録に普賢菩薩が現れたとあるが、之は普賢菩薩と平沢家と何か縁があるのでせう。普賢菩薩は象にのり、文珠菩薩は獅子に乗ってます。

………………………………………………………………

“双子や時には三ッ子四ッ子等の生れるのは何故でせうか。

“前世にね、動物だった霊が人間に生れたのです。犬や鼠です。だから余り名誉な事ではないのです。もっとひどいのは葡萄状鬼胎でこれなんかは蛙かなんかだったのでせう。その場合生れる子は普通なのですが、親が前世で動物だったのです。

………………………………………………………………

“言霊学上ア行以下各行の働き、意味につき御教示を御願ひ致します。

“ア行は天、火、霊の働きで、オ行は地の働きです。ウ行は中間。

  ア行、基礎音、上の働き、例へばアタマ等。

  カ行、物を区切る働き、カ行音の人は几帳面です。

  サ行、天狗の音、サ行音の人は天狗で、云ひ出したら聞かない。

サ行音が二つの人は特にさうです。

  タ行、物を強める働き。

  ナ行、地の音、七の働き。

  ハ行、開く、又火の働き、八。

  マ行、女性音、オミナ等。

  ヤ行、速度の働き。

  ラ行、竜神の働き。

  ワ行、和、輪、柔らげる働きです。

………………………………………………………………

十月二十八日(木)

“大浄化は来年辺りから急激に来るのでせうか、又は三、四年経ってから急激に来るのでせうか。

“大浄化はもう余程前から来つゝあるんです。今もさうです。終戦後特権階級の没落とか、皇族の生活難とかはさうです。今政界がゴタゴタしてゐるのも大浄化です。そして大浄化は急激には来ません。段々に来る。如何なる事でも急激に来る事はないんです。

“会員の疥癬が最近見られない様ですが――

“疥癬は段々来なくなります。浄化が強くなるから、疥癬ではなくもっとひどい浄化をする。まあそうなったら大抵生命がないでせうね。つまり疥癬が天然痘の形になる。それ丈ではなく、天然痘の外に他の病気も加はりますから。

“その時は急激でせうか。

“えゝ急激です。――今は外の浄化が来てる訳だが、まあ神様が旨くやってられるんでせう。

………………………………………………………………

“現在世界状勢は非常に険悪になり、第三次大戦の危険も見られますが――

“支那の戦線も大変な浄化ですね。日本のは没落といふ風な浄化だが、支那のは大変ですね。朝鮮の浄化も大変です。――然し私はいろんな予言はしませんよ。どうも問題になって困る。私の言った通りならいゝが「おまけ」がつくから。――「今に大審判が来て観音教団の人だけが助かる」なんて言ふので地方の新聞なんか煩いんです。新しい宗教の予言は世界が煩くて仕方ない。キリスト教で言ふ「世の終り」といふ事なんかは誰も何とも言はないが、とかく新しい店といふのは何ですよ、評判がうるさいですよ。

………………………………………………………………

“御浄霊により肉体的に救はれても精神的に更生される方の少いのは何故でせうか。

“精神的に更生出来ないといふ訳は?

“例へば何時までも夫婦喧嘩を続け一向更生した様に見えない事がありますが。

“所がなかなかさう変りませんよ。夫婦喧嘩しなくなる迄二、三十年はかゝりますよ。急激にぼんぼん変れば大したものですよ――それよりも人ではない自分です。自分がそう簡単に治るかどうかを考へたらよい。五年かそこらで自分の心を治せたら大したものですよ。それから時機といふ事もありますしね。順序や段階がある。以前私が大本教に入ってゐた頃いゝ宗教だと思ってゐたが、一寸面白くない事があり五年位止めた事がありました。所が或人からもう一度研究してみる様にと言はれたので又やり直したら、やゝ判り、それから熱心になった。結局は私は大本教とは別れたが、その間は随分熱心にやりました。その時得る所が多く今でも感謝してゐます。こういふ風だから唯表面から見て、いゝとか悪いとかは言へないんですよ。初め熱心でそれから不熱心になる人もあり又その逆の人もある。働きのありそうな人でも結果の出ない人もあり千差万別です。又時機によってその人の本当の働きになったりするのです。だから私は大抵の事は何も言はずにやらせると旨く行くのです。間違った事をすれば何れ行き詰り、自分でビックリして改心する事もあります。人間は執着をとる事も必要なんだから放っておいた方がよい。行きづまる所まで行かせた方がよい。坂を転り落ちる石を途中で止めようとしても無理で、落ちる所まで落して了ったらよい。その時に話をしてやる事が効果があるのですよ。

………………………………………………………………

“大先生様の御生誕遊ばされた十二月二十三日に今の皇太子殿下も御生れですが何か御因縁がおありの様に拝察致しますが如何でせうか。

“私も不思議な因縁があると思ってます。十二月二十二日は冬至で二十三日から春分になる。本当はそうです。それがどうした訳か忘れましたが一週間延びて元旦になったのです。私の歌の名は明麿だがあれは皇太子殿下の明仁といふ御名前を頂いてつけたのです。最初治療所を開業したのは昭和九年五月一日ですが、一週間前の四月二十三日にそこへ越した。その時新聞やが来て新聞を買ってくれといったが断った所、皇太子様の御写真だけおいて行った。で、その新聞をとる事にしたが、御誕生四ケ月目の御写真を頂いて不思議に思ひました。近所の古道具やで額を買って来たらピタリと合った。之が今宝山荘にありますよ。何か御因縁がある様ですが今に具体的に表れる事と思ひますがね。

………………………………………………………………

“天人の御話で処女は罪が少いと伺ひましたが、既婚の婦人は罪が深いのでせうか。

“罪ではなく汚れが少いのです。女性は生れて結婚するのは常道だからおかしいですがね。――とも角霊界で処女はいゝ所へ行くんですよ。子供の霊は天国の花苑の仕事をしてゐます。女は一人前になると執着が起る、それはありますね。恋愛だって一つの執着ですからね。

………………………………………………………………

“「ガ行」「ザ行」等の濁音、「パ行」等の半濁音の働きに就て――

“ガ・ザ等の濁音は濁りでいゝ働きではない。「タメ」といへばいゝ、「人の為」といふ風に。然し「ダメ」では悪いでせう。然し濁りも必要ですからね。「イスヾガワ」なんかの「スズ」も、スが上でズが下だからいゝです。ユダヤはジューでありズですから、ズには唯物的な働きがあります。大本時代、出口王仁三郎の言霊を考へると、デはズ、グチは……(この所不明)……オニは鬼、三郎は女で月の意味になり、言霊の事が判る様になった時之はユダヤだなと思はれた。大本を脱ける原因の一つになったのです。濁りを打つのは矢張り濁りですね。

“幾らか唯物的な働きがあります。――ハヒフヘホは強める意味です。

“名前に濁りがあってはいけませんでせうか。

“いゝですよ。人間も濁りが多少なければ、さうキレイ許りではいけない。例へば水清くして魚住まずと言はれる様に、多少の濁りがあり、それがいゝ案配に調和されなければいけない。――言霊の事は今に本に書きますがね。憶えてゐていゝですね。 

………………………………………………………………

“八大竜王に就て、(一)特に竜神になられ日本近海に封じられた御因縁(二)現在の御働き、(三)「八人男(ヤタリオ)と女(メ)唯一柱の神御霊(カムミタマ)とならせ此土に伊都能売神」との御讃歌の意味、(四)鳴戸海峡にもどなたか御鎮りだったのでせうか。

“八大竜王は日本の神ですから、日本の近海に鎮まってゐて時を待った。この時仏にならうとして印度へ行ったが仏の働きは具合が悪いので、仏滅まで待てといふ訳で日本に帰って来て鎮まった。之は本当ですよ。外の事でも立証出来ます。現在は人間として働いてます。殆ど皆観音教団に入って居ますよ。「八人男と女」は本当は九柱で九大竜王です。その中の一柱が伊都能売大神です。この神は私と深い因縁があり常に私を守護してくれてます。昔之が私にかゝりいろいろな事を知らせてくれた。金竜は琵琶湖に潜んで居り又富士山頂久須志神社の神です。九頭竜といっても九つの頭ではなく九体の竜です。やはり霊にも、霊と体があり、霊は富士山の木花咲耶姫尊で体は琵琶湖に居り明治四十四年四月二十一日にこゝを出て天に昇ったが、その時は大暴風雨で漁夫が四十七人死んださうで、之は当時の新聞に出た事です。殊に鳴戸に鎮まった神はない。海の神は「コトヒラワケノ尊」と云って海を守護して居られる、之が金平(コンピラ)様です。

………………………………………………………………

“木花と兄花との違ひは――

“花でいへば木花は桜で兄花は梅です。どちらも観音様ですが木花は仏界の観音様で、兄花は神界の観音様です。梅は春一番先に花が咲くでせう。だから兄です。普通花といへば桜を意味しますね。

………………………………………………………………

“アダムとイブが禁断の木の実を食って人類の原罪が出来た意味――

“之は私ははっきり判りません。私としてのこじつけですが、禁断の木の実は薬の事だと思ってます。薬として考へればピッタリ合ふんです。

………………………………………………………………

“兇党界は神漏岐神漏美命が現れ給うて善悪が出来てから出来たのでせうか。又主神の御目から見た存在の意義は何でせうか。更に「五六七の御代」になった場合には正神に服するのでせうか。

“之は違ふんですよ。神様を霊と体に分ければ、善悪によれば霊が善、体が悪、男女では霊が男、体が女です。女は体だから悪だなどと云へば女の人は怒りますよ。――主神の御目から見て兇党界が必要ないなら、主神の万能の力で潰して了ふのは訳ない事です。神でも対照的で絶対善の神があるから、それに対して絶対悪がなければならないのです。それがなければ進化しないのです。必要悪ですね。以前よく訊かれた事だが「大審判で神が人間を苦しみに合はせる位なら最初から悪人を作らねばよいのに――」といふのです。之は一応尤もですが私はこう言ふのです。――私が作ったのなら私は理由を云ふが、私も作られたものであり、神様がすべてを作ったのだから、こうだらうと考へるだけです。然し悪因悪果、善因善果だから、いゝ事をして幸福になれば、それでいゝではないか、と云ふのです。兇党界だって神様の御都合で作られたのでせう。「五六七の御代」には悪は限定されます。兇党界は獣の働きですから人間に獣の働きが少くなり向上するのです。今の人は法律といふ「オリ」の中に生きてゐるのですから――。

………………………………………………………………

“国常立尊御引退後火の系統の者は罪穢なしで過して来たでせうか。

“国常立尊とか何とかは言はぬ事にします。連合軍が日本の神道を非常に注目してゐますから、国常立尊とか天照皇大神とかは言はぬ方がいゝですね。そんな事を言っても今日の生活になんら関係がない。連合軍は日本が再び戦争しない様に、日本人をキリスト教化しようとしてます。今迄の神道は天照皇大神から天皇を結びつけ戦争に協力して来ましたからアメリカは之を嫌ふのです。何々の尊といふ事は余り好きでない。今迄の神国思想は間違ひです。日本だけが神国と思ってはいけない。神様は人類を公平に御救ひになり、決して日本だけを救はれる事はないのです。――此の道でも外国で同じ様なのが出てゐるかも知れません。――だから、日月地大御神はエホバでありメシヤであり天帝と同じものと考へたらいゝのです。支那の至聖先天老祖なんか大したものですからね。

………………………………………………………………

“末期の水と石に水をかける事に就て――

“末期の水といっても、本人よりはたの人がのませるのです。病気によっては喉が渇く事もあるからのむのでせう。墓石に水をかけるのは何故か判りませんね。――御供へする水は大切です、綺麗なのを上げねばいけない。

………………………………………………………………

十一月八日(月)

“現在の世界状勢を見ますと第三次大戦の危険も多分にあり、又共産主義の天下になるやうにも存ぜられますが、之に対し何らかの心構へを持ちたいと存じますが――

“矢張り神様がやって居られるんだから別に何も要りません。その人その人の立場により常識的に、神様に御委せする考への下にやってゐればよいのです。

“今迄は祖国愛といふ風な名の下に気の向かない場合にも協力的な態度を取らねばなりませんでしたが――

“然し今後は日本は戦争しない事になった。そういふ風に米国がしてくれたんだから、もうそんな心配は要らないでせう。唯ね、軍隊時代の将校は使はずに兵隊だった人を「弾丸除(タマヨ)け」に使ふかも知れませんね。そういふ前例がありますから、戦争になった場合、その状態によってはそれ位の事はやるかもしれません。――共産主義の天下になる様子も見えますね。朝鮮もそうです。ソ聯も日本を狙ってますからね。然し大丈夫ですよ、九分九厘まで行けば引繰り返る。結局ソヴィエトは崩壊するでせう、何しろ根本が悪なんだから。米ソが戦へば却って日本はよくなるでせう。

“戦争などの場合、共産主義者により内乱等も考へられますが――

“大丈夫ですよ。――ソヴィエトは北海道を占領するでせうね。アメリカも今盛んに戦争準備をして居り、飛行場なんかB9729のため拡張してゐる様ですね――然し共産主義は全然根本から違ってゐるんだから成功する筈がない。ドイツのヒットラーと同様で一寸外面が違ってゐる丈で、従って或程度まで成功はするでせうが、それ以後は自己滅亡です。又ソ聯がどうしたってアメリカには勝てない。原子爆弾だって最近の新聞にも出てましたが失敗した様ですね。原子爆弾の装置なんか実に複雑で、二、三年位で出来る筈はありませんよ。スターリンは馬鹿ですよ。第二のヒットラーですからね。

………………………………………………………………

“夢をみてゐる時霊は脱けてゐると伺ひましたが、眠ってゐる間の御浄霊は或程度効果が少いのでせうか。

“そんな事はありません。霊と霊体は違ふんですから。霊体の方は夢をみてゐたって同じ状態です。抜けて出て了ふのは大体副霊です。

………………………………………………………………

“御浄霊の時「此の病人が一日も早く治りますように――」と観音様に御願ひする気持になりますが、矢張り之も抑へた方が宜しいのでせうか。

“抑へなくて結構ですよ。抑へた方がよいと言ったですか?それは何か間違ったのでせう。観音様に御祈りするといふ気持が本当です。特に危急の場合は「大先生御守護を御願ひ致します」と云ったらよろしい。私がその時は神様の代理になりますから。然し普段何でもないのにやられてはこっちは困りますがね。――

………………………………………………………………

“御地蔵様を今迄祀ってゐた人が、それをそのまゝにして引越したあとへ移り住む場合、如何処分したら宜しいでせうか。

“矢張り祀って上げた方がよい。大変な功徳です。祀るといっても御花を絶やさぬ様に上げ、又時には御飯を上げる位で宜しい。移り住む人が嫌ったらあなたの所へ持って来て祀ったらいいぢゃありませんか。その家の人が納得すれば勿論その家の方が宜しいです。

“よく頭が落ちたりしてゐるのも見うけますが。

“えゝ、余りひどくいたんでゐるのなら治したらいゝですね。無理に鼻を削ったりしたら罰があたるかも知れませんが治すのは結構です。矢張り今迄祀られてゐたのなら祀るべきであって、祀らないと何か祀って貰ひたいための知らせをするかも知れません。祀る位置は多少違っても構ひません。

………………………………………………………………

“前々回「救と裁き」に就て有難い御言葉を頂きましたが重ねて御伺ひ申し上げます。私共は日常屡々他人を批判批評致しますが之も僣越でせうか。他人の批判により向上を期し得るとも考へますが此点如何で御座いませうか。

“批判したって構はない。そんなに固苦しく考へなくてもいいのです。けれどもね、あの人はいゝとか悪いとか決める事はいけないのです。いゝとか悪いとかいふ事は人間には判らない事だから。殊にこっちが明るい気持でいふのならいゝが、悪意を以てあの人はいゝとか悪いとかいふのはいけないのです。憎悪の心を以ていふのは罪になります。それから自分が悪口をいはれてそれを気にかける様ではまだ駄目です。自分は天地に俯仰して愧ぢざる行動をとってゐればそれでよい。他の人からよく思はれたいとか、感謝されたいと思ふのは間違ひです。人の気に入ったり愛されたりするよりも、神様の気に入り神様から愛されたいとの気持でするのが本当です。そうする場合他の人々には悪くとられるかも知れません。然しそれは気にする必要ない。私も以前は散々人から悪口をいはれたものです。大本時代にも人々を信者にして大本の本部の亀岡へ送るとそれっきり何ともいってこない。で、よく調べたら亀岡へ行くと「岡田は邪神だから近寄ってはいけない」と云はれるので皆離れて了ったのです。こんな理屈に合はぬ事はない――向ふはこっちが邪神だと思ったかも知れないが、こっちは向ふが邪神だと判ったので大本を離れたのです。人から悪口を言はれるのは霊的には、こっちの罪をその人がとってくれるのです。だからむしろ有難いのです。その代り悪口を言ふ方は罪を着るんです。

………………………………………………………………

“御弟子方が、あゝなればよいとか、こうなればよいのだが――といふ風に考へ勝ちですが之も執着でせうか。

“それは信仰がないからだ。神様を信用してないからです。すべて神様がやって居られるんですからね。――

  神様に御任せするといふ気持になるのには余程修業が要るんですね。どうも人々は人間的に考へては苦しんでゐるですよ。私は問題に面して適当な案がない時は神様に御任せするのです。――又他の人がしたいといふ事は間違ってゐてもやらせて了ふのです。それはやりたいと思ってゐる時注意してもなかなか悟れない。行き詰って初めて気がつくのです。車でも坂を下りる時、坂の途中で止めようとしても止まらない。下まで行ってから止めれば直に止まるのと同じです。

“その坂の途中に在るのか下まで行きついたのかはどうして判断致すべきでせうか。

“それは直判りますよ。下まで行った時気がついて自分で苦しみますから。神様の方だって「俺にそんなに任せるんならちゃんとしてやらう」といふ事になるのです。 

………………………………………………………………

“よくどっちをとってよいか選択に迷ふ事がありますが、或所では何か「こより」の様なものを観音様へ御供へしそれを丁度「クジ」を引く様に頑是ない子供にとらせて迷ってゐる事を決めてゐるとの事ですが実に旨く行くと聞いて居ります。

“えゝそれはいゝですよ。

………………………………………………………………

“「信仰雑話」の中に夏暑いのは地球が息を吐くからだと拝見致しますが、

  一、赤道の南北で夏冬が反対になる事、

  二、赤道地帯が常に暑い事、に就て御伺ひ申し上げます。

“反対になるのは上下になるからで、地球の息即ち地霊は縦に上下するからで、従ってそれから遠い南北の極は寒いのです。

“普通南北の極を結んで地軸と申しますが――

“それは考へ方の違ひですが、南北の極は両横と考へ霊気は赤道の面を上下してゐると考へたらいゝ。――地霊が出る時は晴で吸ふ時は雨です。之は気象上は、出る時が高気圧、吸ふ時は低気圧だといってるのです。――日が長い短いといふ事は、太陽が地球の中心に沿って廻る時日が長く、端になると短くなるのです。――今は地動説を学者は唱へてますが、之は嘘で不動説が本当です。天動説はキリスト教から出てゐるのですが、初めてガリレオが地動説を唱へた時異端として獄に投ぜられ拷問にかけられようとしたが、もう七十歳つの年なのでそれは免れたのです。この頃は封建的だったのですね。

“不動説といふ事は、大先生様のみ御存じの事でせうか。

“えゝまあ一人だけでせうね。

………………………………………………………………

“聖書の中には七の数字がよく出て参りますがどんな意味でせうか。“七は完成の意味です。言霊でもナナ、ナリ、ナルなど出来上る事です。大体聖書に限らず一は初め独一真神、二は陰陽、子が生れて三、四は四方へ広がる、そこへ熱、火が出来る五、火によって氷がとけ水になる六、こんどは土が出来て完成するのです。だからキリスト教では七日目に創生されたといふ訳から七日目を安息日としてゐるのです。之は本当です。それから八は開ける、九は「つくし」極点です。十は緯経結ぶ事で之が本当の完成です。今は九の世で、これから緯経即ち東西文化の融合をするのが観音教団の仕事なのです。十一は結んで始る。二十一世紀といふのは緯経が結んで始る世紀になる訳です。二十で王となりその上に最高の神様が御乗りになって世界を御経綸になるのです。又七は土が本当で片仮名の「ナ」も土になるのです。

“ア行以下カサ……ラワの各行と、数字一、二……九、一○との関係に就て――

“ア行は基音であり又霊になるのです。物質的な働きはないが音としては最高です。例へばタカアマハラ、アタマ等です。以下は前の答で判るでせう。

………………………………………………………………

“片仮名、平仮名、漢字の起原とその働き及び最近小学校で片仮名を教へず、又漢字制限をしてゐる理由に就て御伺ひ申し上げます。

“漢字は一番古く、次は片仮名、一番新しいのは平仮名です。又漢字は体で仮名が霊です。だから全然漢字をなくして仮名文にして了ふのはいけない。言霊を表すのは仮名ですから姓名判断でも今迄のは言霊の音は研究されてない。字を見た感じとか画数、陰陽又は五行で判断するが、先生によってもいろいろ違ひ、例へば大森の熊崎ケイゴといふ人は六を六画、五を五画としてゐました。絵なんかでは墨絵は霊で彩色は体であり、又書は霊で絵は体になります。漢字制限はいゝですよ。必要のない字まで憶える事はいりません。然し片仮名はいりますね。英語なんか書くのは矢張り片仮名でなければ「とるーまん」では感じが出ませんね。片仮名は霊であり、男、火、直ですが、平仮名は体であり、女、水、曲です。平仮名の画は「い」は二画、「ろ」は一画です。

………………………………………………………………

“御軸を初めて拝んだ途端一丈程落ちた感じがし、頭を上げたら元へ上った感じがしたといふ信者がありましたが何故でせうか。

“少し頭が悪いのでせう。一種の軽い脳貧血ですよ。後頭部に毒がありますね。

………………………………………………………………

“以前の治療時代髭を生やさぬ様にと聞きましたが、教導師の方は生やす事は如何でせうか。

“髭は男には威厳が必要だから神様が下さったのです。生やしたって差支へありませんよ。頭の毛は伸ばした方がいゝですね、頭を短くするのは坊主の型ですから。又外国では懲役人だし、軍国主義的にも見えますからね。国際的になって来た今日、矢張り伸ばした方がいゝですね。

………………………………………………………………

十一月十八日(木)

“政治家の資金獲得のための不正が次々暴露されて居りますが、現段階に於ては夫程責められない事と存じますが如何でせうか。

“それはね、今日二合五勺の配給だがどうしても五勺は足らない。足らない分はヤミで買はねばならない。だからヤミの売手もなければならないんです。若し配給通りに守ってては腹が減って仕事は出来ませんよ。之が今の政治の実際です。之と同じに、代議士になるのだって十万や二十万の金では駄目で、どうしても百万、二百万なければ当選は出来ない。従って自己の信ずる経綸を行ふ訳には行かない。所がそんな大金を持ってゐる人はたんとない。金持ちから出して貰ふとしてもこのセチ辛い世の中に唯で金をくれる人なんかありはしない。そこで必ず何らかの権利が伴ふのです。従って検察庁で上げられる、故にいいとか悪いとかは云へませんね。

“大乗小乗の立場から見たら如何でせうか。

“当てはまりませんね。普通の大小乗ではなく別の方ですね。だから神様に許されるも何もない。法律が許しませんよ。今は間違ひが間違ひを生む世の中です。だから神様が正しい世にすべく御仕事を始められてゐるのです。――いゝか悪いかと訊かれても私としても自己を偽らねばいゝ悪いは言へません。――以前軍隊では兵隊がいくら空腹で卒倒しさうでも命令がなければたとへ食糧を持ってゐても喰べられなかった。之は変な話で腹が空いたら喰べたらいゝのですよ。――ヤミはいかんとの規則を出してゐる人もヤミの物を食ってゐる世の中だからどういふ風に批評していゝかわかりませんね。それが現実なんだから、そういふ風になってゐるんだから。――今度出す本にも書いてゐるのですが、代議士の選挙資金は一万円もあれば沢山です。選挙も中選挙区にすればよいが、そうすればポスターも演説会も要らない。唯政見を印刷すればよい。普通の新聞なら一面十七段として六十八名分の政見がのせられる。それ丈でいゝんです。有権者はその中の気に入った人に投票すればいゝ。アメリカでは比例代表制ですが、その方が本当ですね。第一その方が金がかゝらない。代議士が選挙民に黙って他の党に入ったりするのも変ですが、まあ大抵は金で動くんでせうね。内幕は権利、金だと私は見てます。――一番いけないのは今の機構が悪いんです。今のでは正しい人は代議士にはなれない。――今は皆ヤミですね。だからヤミで上げられるのはふしあはせか、やり方が下手なんですね。まあ実際大変な世の中ですよ。その点アメリカなんか旨く行ってる様ですね。今盛んに大臣級の人が引っぱられるのは進駐軍の指令ですね。

………………………………………………………………

“現在の職業でその人の霊的高下が判りませうか。

“之は判らないですよ。神様には勿論判るが人間には職業だけでは判断出来ない。まあ常識的にその人の言行で判断するのなら大差ないでせうね。他方世間には功利的善人もよく見られますから注意が必要です。

………………………………………………………………

“生命保険は如何でせうか。

“この教団に入り或程度判ったら生命保険はいりません。早死しないから、大体九○才までは生きますからね。だから八○才を過ぎてから保険をつければまあ少しは得でせうがね。然し保険やの方で受けつけないでせうね。――

“火災保険の方は?

“うちのはね家までは引うけませんよ。正しい金で作った家なら大浄化が来ても大丈夫だが汚れた金で建てたのは浄められます。何しろ金には霊がよく憑きますからね。私が建てた家だって燃えて了ふ事がありますよ。

“そのために花柳界なんかよく焼けるのでせうか。

“えゝ、然し花柳界にはもっと他にいろんな汚れがありますからね。

………………………………………………………………

“病人に栄養食を与へる事は如何でせうか。

“先づ栄養食とはどういふものかといふ事ですね。医学では完成した食物といふ意味ですね。所が人間の肉体は完成品が入っては働かないのです。未完成品を完成品にするのが臓器の働きです。だから栄養食を喰へば弱ります。

“衰弱してる人に牛乳や卵なんかは――

“それは栄養食ではないですね。衰へると完成品にする働きが鈍りますから、或程度完成したものがいゝですね。一番いゝのは病人の欲しがるものを与へることです。リンゴなんかをおろしてやるのもいゝですが、果物はリンゴより汁の多い方がいい。医学は外国人を基にしてゐるから、日本在来のもの、例へばアンコの様なものは病人に与へることを禁じますが、アンコなんかは材料は小豆で砂糖も入って居り非常に栄養はいゝのですがね。之は西洋にはアンコなんかないからで、医者の本にも書いてないから禁じるのですね。栄養とは私は食物殊に野菜の中の霊気の強いものをいふのです。野菜でも西洋のは霊気が薄い。日本の土地の方が霊気が強いから作物も強くなるのです。馬鈴薯なんか私は余りたべません。松茸なんか非常に強いのです。だから香りも強いのです。香りの強いものは霊気が強いと思ってよい。果物は香りがあり汁気の多いものが霊気が強い。柑橘類はいゝですよ。胃潰瘍なんかの場合は「おかゆ」がいゝです、胃壁がたゞれてゐるのだから。出血するなら流動食、出血が止んだらおかゆ、それで調子がよかったらごはんにしたら宜しい。チブスなんかも同じで、腸出血のために死ぬ事があります。私は下痢の時、水の様に下る時はおもゆの薄いのを食べ、便が固まるにつれて食物も固いのをたべる様にしてゐます。

………………………………………………………………

“人と対談する場合目の位置はどこにおくべきでせうか。

“之はどこでもいゝですね。場合によっても違ひますしね。美人と対談する時は余り他処は見ないでせうし、変な顔付の人と話をする時はそうその人の顔許り見ても居られません。――要するに之は自然がいゝのです。気持よくして上げる様にする事です。それから社交的には三、四人の人と話をする場合、その中の一人だけと話をしてはいけない。皆が気持悪くしない様に話をもって行く事です。――話をしてるのに目を余りそらすのも失礼ですが、かといって円太郎馬車の馬みたいになってもどうも――何事も程度ですよ。御辞儀をするのも余り叮嚀でも、又余りぞんざいでも困る。相手と場合により異るべきです。だから交際の上手なのもその人の信仰が向上した証拠です、物事を程よくやる事ですから。――又話をしてゐてもこっちの顔を見ない人がありますが、そんな時私は此の人は何か心にあるな――と見てます。それは顔を見ないのではなく見られないのです。

“よく睨む様な目の人もありますが――

“それは目附が悪いんでせう。本当に悪い事をする人は目つきが柔いですよ。平沢なんかそうです。之は御婦人にだが、いゝ男でやさしいのは気をつける事ですね。又しゃべる事が旨い人も気をつけた方がいゝ。話の旨い人はつい人を騙す事が多い。話が下手なのは言葉でゆかず実行に表すから確かです。

………………………………………………………………

“日月地大神と弥勒菩薩(法華経)とは如何なる関係でせうか。

“弥勒菩薩は釈迦の弟子です。日月地大神はこれから世に現れるのです。釈迦が五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が出現すると予定したのは日月地大神の事です。

………………………………………………………………

“神前結婚式の祝詞は天津祝詞でせうか善言讃詞でせうか。

“之は善言讃詞が本当です。天津祝詞は浄めであり、善言讃詞は浄められた後にいゝ世界が出来るといふ事ですから。勿論両方でもいゝですよ。献饌、玉串奉奠してから祝詞を奏上したらいゝ。玉串は榊か松ですが、松がいゝでせう。玉串は左手に幹、右手に葉を持ち神様には幹の方を向ふにして差上げます。左に幹が来て一になるのです。

………………………………………………………………

“教導所新築の場合の地鎮祭について――

“大工が知ってますから大工に委せたらいゝです。

………………………………………………………………

“うどんげの花と胎教に就て――

“優曇華は印度の伝説で大きな花が咲き、中から転輪菩薩が現れて世を救ふと伝へられてます。日本では虫の卵の事で之も矢張り意味がある様で、之が出ると何か変った事がありますが、悪い事が多い様ですね。胎教とは、いゝ事を聞くと胎児がいゝ子になり、顔のきれいな子を生みたいと思ったら美人の写真を見たりするんですが、之は確かに働きがありますね。胎教に信仰雑話を読むのなんか非常にいゝです。偉い人の書画を見るのもいゝです。観音様の御姿なんかいゝ。見る事により霊気をうけるから。

………………………………………………………………

“昨年十一月七日女児誕生十日死亡、背に紫紺色の斑点あり、本年十一月四日男児誕生七日死亡、体の半面に紫紺色の斑点あり、二回共産後母乳は一回飲んだだけで御産も軽く、両親共受講、今後丈夫な子を授りますには如何致したら宜しいでせうか。

“之はなんですね、親に毒血が余程多いんですね。それでその子が育っても駄目だから早く――然し毒血は段々減りますからね。次に生れる子はいゝでせう。――両方七日ですね。之は霊的な訳がありますよ。屹度七日に死んだ霊ですね。又他人なら怨みの霊、怨んで死んだ霊であり、又先祖なら七日に死んだ祖霊で、非常に罪を重ねたので子孫にその罪を分担して貰ふんです。ですから結局人助けをして善徳を積んで行く事ですね。

………………………………………………………………

“アザ、イボ、ホクロ等は何故出来るのでせうか。

“アザには黒と赤の二種類ありますが、黒は怨みの霊でそれが霊に染みついて、霊界での浄化でも取り切れない中に生れた場合です。例へば肩を切られて死んだ場合、その怨みが向ふの肩へ行くんです。赤のアザの方は自分が斬られたり槍で突かれたりしたが、やはり霊界で不浄化のまゝ再生したのですよ。ほくろは運命のしるしです。口のはたのほくろは食ひぼくろと言って食ふに困らない。私は二つありますよ。首すじのは着ぼくろといって着物に困らず、目の縁のは泣きぼくろといひますね。それから鼻にほくろがあれば必ず陰部にもほくろがあります。こういふと大先生はどうしてそれを調べたかときかれるかも知れませんがね。いぼもとれるのととれないのとあります。やはりその人の運命のしるしですね。

………………………………………………………………

十一月二十八日

“注射により死亡する事が大分世間にありますが、之は注射薬の中に所謂毒素があるためでせうか。

“然しね、薬の中に毒のある訳はないでせう。毒なんか入ってゐれば当局でも許さぬでせうしね。今度の京都のヂフテリヤ事件だって、大阪の日赤で作ったのだから毒なんかある訳はない、平沢なんかゐないでせうから。――そこなんですよ。大体薬といふものは、私もよく言ふ通りないんですよ。若しあるとすれば米が薬です。米がなければ生きられないから。杉田玄白は「薬とは毒を以て毒を制するのである」と云ってますが之は至言です。毒で体を弱らして浄化を抑えるのが薬の効能です。――霊界の浄化力が強くなったので、注射液が体の一ケ所へ寄って来るのです。そのためにいろいろ障害が起きる。肝臓出血などはそれです。だから毒血が局部的に寄ってくると熱が出て苦しみが起るのです。浄化が弱い時代は注射薬なんかは体全体に廻りそれから局所へ寄ったのだが、今はそれが全体に廻らない中に寄って了ふのです。

“注射直後体が硬直する事がよくございますが――

“あれは注射を血管等へ打つ場合、その打つ場所が悪いのです。その結果異物が心臓へ行くから死ぬんです。

………………………………………………………………

“個人的又は団体的悪宣伝に対し私共は宗教人として、よい宣伝を以て之に報ゆるべきでせうか。

“間違った事に対する説明はいゝですが、打棄っておいた方がいゝです。それに災されて萎縮する様では駄目ですよ。悪口を言はれるのは結構です。悪口は浄化で、それでこっちの罪が消えるんです。

“悪い宣伝の結果悪い支障が次々起って来る心配がありますが――

“起って結構です。之は今迄言はれてゐた事と反対です。――大森時代私は人から悪口を言はれると笑ったものです。大本の御筆先に「悪く言はれてよくなる仕組」とありますが、いゝ事をいってます。いろいろな宗教がありますが初めからよく言はれた宗教はありません。世界的に広まってゐるキリスト教だって初めは十一人しか弟子がなかったし、然もキリストが死んで十年位経ってから心覚えを書いた、それが今の聖書なんです。それから段々に広まって来たんです。釈迦だけは違ふがあれは印度の皇太子だったからです。天理教の中山みきだって二十何回留置場に入れられ四回検事局送りになったのです。とも角最初は悪く言はれるものです。尤も今でも天理教を悪く言ふ人はありますが。

“悪宣伝に対していゝ訳をする事は如何でせうか。

“いけないいけない。言ひ訳を言ふ様では野暮ですよ。悪口を笑って通せれば一段出来た証拠です。何か勝負事の様な事でも負けた方がよい。勝った場合には「あいつは負けたんで俺を怨んでやしないか」等と思ふが、負ければこんな事はない。だから結局人間は怨みの霊の来ない様に、感謝の霊の来る様にする事が肝腎です。決して人の怨みを買ってはいけない。之位霊的に損をする事はないんです。

………………………………………………………………

“「恒産なき者は恒心なし」との格言がありますが、現在の世相に於ても当てはまるものでございませうか。

“之は当てはまります。どうしても人間貧苦すると碌な考へがなくつい胡麻化したりする。だから生活の心配のない所まで行かねばいけない。宗教を信じるならそこまで行かねばならない。今迄の宗教は体を救へなかったのです。例へば病気で苦しんでゐて感謝なんか出る筈はないんです。あれは自己を偽ってゐるのです。――今迄の宗教でいふ「さとり」とは「悟」の字を使ひ諦めですが、私のは「覚」であり、知るさとりです。

………………………………………………………………

“神国思想は余り口に出さぬ様にとの御言葉でございましたが、大先生様の御神格に就て会員にはどの様に御話ししたら宜しいでせうか。

“神国思想はいけません。――私の事は思った通りを話したらいゝですよ。

“日本は神国だから大先生様が御生れになられたといふ事は――

“そんな事はありません。神国思想と私とは関係ありません。――之は難しい所で、大切なのは私の仕事を考へる事です。例へば今迄は人間の生命はどうにも出来なかった。私はそれを延ばす事が出来るのです。だからその「事実」ですよ。今迄にもキリストの再臨なんて云ふのが時々出たが本当の「事実」がない。三十年程前にも印度にサンダーシングといふ三○才位の男が水の上を渡ったりしたので、キリストの再臨とまで称されたが若死して了ひました。しかし水を渡ったりしたって人間に何の益もない。単なる興行師にすぎない。つまり病気が治ったり、貧苦が解決したり等実際の効果がなければ駄目です。私はいふのですが、釈迦や基督も偉いが人の病気を治せなかった。キリスト自身は多少治したりしたが弟子にはその力がなかった。釈迦の死だって行き倒れです。釈迦がなくなられた時獣が集まって来て泣いた等といふのはあとからの附け足しです。

………………………………………………………………

“患者を御浄霊する場合、霊的動作を表す事がございますが、その先生によりその土地により相違があります様ですが之は何故でせうか。

“之は無論ありますよ。憑いてゐる霊がその先生より上の場合と下の場合があり、上の場合には「お前さんには言へない」といふし、下の場合には「お前さんは偉いから話をする」といふ。狐なんか殊にそうです。結局それは光の多い人に頭を下げる訳です。――霊が浮くといふのは苦しいから浮いてくる場合と、又霊によっては憑いてから未だ短時日だと浮き易いといふ事もあります。土地といふ事には余り関係ないが、土地により霊懸りの多いのと少いのとはあります。狐の親玉なんかが居ればその子分もその辺に沢山居ますから。

“よくその先生に力があるからだとか或はその先生にそんな霊が憑いてゐるから同じ様なのが集るのだとも聞きますが――

“先生による事はあります。が、その人により霊が集るといふ事はないですね。

………………………………………………………………

“教導所で治り難い患者が幾人も来る事がありますが、之はその教導師が何か自己反省すべき点があるためでせうか。或は何か他に神様の思召があるのでせうか。

“神様の思召といふ事はない。すべてを救はれるのが神様の思召であって、思召で治さぬなんて事はない。

  昨日も話した事なんですが「軍神」なんて事はないのです。今度の戦犯の判決なんか未だ軽すぎます。戦犯の犯した罪に比べれば平沢なんかは蚤のくそみたいなものです。マッカーサ元帥が「之を機会に戦争をなくして了ひたい」と言ってるのは本当です。こういふ点の判断が日本人はどうもいけない。同情して了って罪を軽くしようとする。――で、軍神といふ風に人を殺す事を手伝ふ神なんか正しい神ではない。  治りにくいといふのは教導師の頭の働きが悪いのです。急所を当てれば治りが早いのです。外れてゐては治らない。中には体全体やればどれか当るだらうといった調子で機関銃式にする人があるが、それでは駄目です。ほんの小さな毒結のため全身的に発熱する事があるが、その時その毒結をやれば忽ち全身的に下熱する。

“着物を着たまゝでも急所は判りませうか。

“着たまゝでも判りますよ。どの病気はどこをやるかその基準を知る事も大切です。例へば腹の悪い人は背中からやるだけで治って了ふ。

“御守護を頂くには混り気があったら駄目です。

………………………………………………………………

“今迄神道だった人が御道に入られた場合、御先祖はどの様に御祀りすべきでせうか。

“御祀りはそのまゝで宜しい。先祖の代から神道ならいゝが途中から仏立講みたいに過去帳にすると先祖は怒りますよ。あれは非常に間違ってゐる。霊友会では他人の先祖をよく祀るがあれはいゝですね。そういふ設備もあった方がよい。私の所でも他人の仏を大分祀ってます。

………………………………………………………………

“土蔵の白蛇を殺しましたが之は人間より上でせうか。又、祀り方は如何致すべきでせうか。又、何年位祀ってやるべきでせうか。

“あのね、蛇はどんなのでも人間より下です。同様にどんな立派な稲荷でも人間より下です。或人が稲荷を祀る時「正二位」と書いたので狐が怒ったことがあります。大した手間ではないから正一位と書いてやる事ですね。竜神なんかは余り祀らぬ方がいゝ、面倒だから。此の場合はその家か土地の名前をつけて○○明神とし、言葉で「焼け死んだ竜神の方に、御一緒に御祀り致します故、こゝに御鎮り下さい」と言ったらよい。御供へ物は月に一度好きさうなものを上げればよい。すべてあゝいふものゝ御祀りは月に一回するんです。御宮は、はすっかいになってもいゝから光明如来の祀ってある方へ向けた方がよい。で、三年も祀ってやればいゝでせう。そうすると竜神は昇天して行きます。昇天の際はよく夢なんかで知らせがあります。

………………………………………………………………

“山間を開墾中無縁仏を掘り出した場合と自分の田畑から変死体が出た場合の処置――

“無縁仏はそこへ小さくは三尺四方、普通は六尺四方の平な所へ立てゝやって時々花や供物を上げれば大変功徳です。――田畑の変死体は自分の菩提寺に祀ってやればよい。その位牌は諸霊位としてやればよい。

………………………………………………………………

“霊界とは宇宙の何処に存在するものでせうか。

“人間が住んでゐる所に霊界はあります。又地球上或る高さまでは霊界はあるのです。北極や南極の様に人の住まぬ所には神界も仏界もない。普通は人間の住む所にあると思へばよい。又霊は何にでもあります。

………………………………………………………………

“某教導師の兄(17)弟(12)が九ケ月の間をおいて死亡、約八十間程離れた所に稲荷があり、その祭の日に兄は死んだ。之は何か関係がありませうか。

“何か祀って貰ひたいのかも知れませんね。月一回位御詣りしたらいゝでせう。憑依霊でも大抵ははなれられない。はなれずに副霊になってゐる。然し執着のないものは離れます。狐霊が憑依するとよく肋膜を起す事がありますよ。行者等が狐霊を追出したって又ついて了ふ。霊界には住宅難の霊が沢山ありますからね。

………………………………………………………………

十二月八日(水)

“「御浄霊は急所をやれ」との御言葉でございましたが、急所といふ様な体的な面と、信仰の面とは何れに重点をおくべきでございませうか。

“之は体的に重点をおく可きです。といふのは、霊的に曇りの多い箇所と体的に毒の多い箇所とは同じだから、つまり霊が曇ってゐる処へ邪霊がつくんです。だから体的にみた方が判りいいのです。――毒のある所に霊がつくといふことは御浄霊により霊が逃げることがあるが、その場合必ず毒のある所へ行くからよく判ります。

“昨年宗教になりましてから着物も脱がず又手も触れませんので急所の発見が難しく殊に最近は以前の様な講習も致しませんので会員にも急所といふことが徹底出来ませんのですが――

“そう、そういふ点は非常にあります。だから首の周りや肩などには触っても構ひません。このさわるといふことは熱の有無を見るのであって、急所も大体上半身が主です。で、第一の急所は耳下腺、頭部淋巴腺、第二は後頭部です。患者の額に触って熱い時はその原因は額の奥か後頭部か耳下腺にあるとみていい。だからまづ額を御浄霊してみる。そして暫くして一寸でも熱が下ってゐれば額の奥に原因があるとみていゝ。それでも下熱しなければ耳下腺をやってみる。それでも駄目なら後頭部、未だ下らなければ肩をやる。この順序にやってみれば熱性病は十中八、九いゝです。こういふ箇所に熱が出るため、咳や痰が出たり、頭がぼーっとして憂鬱になったりするのです。――又手の病気も肩が大切です。中風で手の利かないのも、しもやけも肩をすることです。しもやけなんかは手の局部丈やったのでは一時よくなっても又始ります。

“膚(ハダ)を脱がすのは如何でございますか。

“最初から「はだ」を脱がせては変だが馴染になったらいゝでせう。そこは臨機応変にやったらいゝです。――それからもう一つ肝腎な事は腎臓から背中にかけてで、肩胛骨の間から脊骨の両側に土手の様になってゐる奴が曲物で憂鬱症、胃の悪い人はそこに原因がある。勿論この源は腎臓であり、又腰や腹の痛い人は腎盂が原因であり之は腎臓の少し下で横から圧すと大抵の人は痛むが、こゝに熱が出易いのです。腰、腹が痛んで転る様に苦しんでゐる人でもこゝをやればぢきに治ります。

“盲腸炎や肝臓の悪い場合は?

“無論うしろです。背中からやれば治ります。下腹の痛む人は腰骨のちょっと上の凹んだ所です。胃痙攣なんかは肩胛骨の所です。

“患者を寝かせて御浄霊しても宜しいでせうか。

“えゝ構ひません。病気によっては寝かしてやったらよい。寝かした場合でも手は五寸から一尺位離したらよい。

“手を離す距離はそれ程気にしなくても宜しいでせうか。

“それは気にかけなくてよい。――背中の方が悪い人で然も寝返りのうてない人をする時はその患部に手をつっこんで直にあててやればよい。然し直につけてやるのは宗教的でなく、又効果も離してやった方がよい。

“喘息なんかは如何でせうか。

“喘息なんかはやると苦痛が軽くなるから判ります、そこが急所です。

“観音様や大先生に御すがりするといふ事は――

“急所に当てる方が治り易い。観音様や大先生に縋る事は悪くはないが、余りしつっこくなると自力になって了ふ。要は自分は観音様の道具だといふ想念で御浄霊をすればよいのです。霊にも体にも余り片寄らない事が大切であり、治病の一般原則は霊を患者の体に深く入れてやる事です。例へば胸をやる場合は背中を狙ってやる気持で御浄霊すればよい。もう病人に治病力があるのだからそれを利用したらよいのです。

………………………………………………………………

………………………………………………………………

“世間ではよく弁財天や稲荷等を自分の守護神とする人がありますが、之は信頼出来ませうか。又、これらの守護神は、本、副並に正守護神とどの様な関係にあるのでございませうか。

“之は信頼出来ます。そしてその守護神に御願ひすれば御利益を授けない訳にゆかないのです。御利益を授けないと本分を尽さぬ事になるのです。然し大体力はないから負けて了ひます。これは正副守護神とは別であって、正守護神に力を増してくれたり、副守護神に命令を下したりはしてくれます。だから守護神といっても間接的守護神です。豊川稲荷では守護神を頂くといふ事がありますが、之は矢張り御守りですが、結局狐の眷族がつくのです。眷族なんかは何万、何十万あるか判りませんからそれがいふ事をきいてくれるのです。然し例へば芸者がその旦那に会へる様にといった低級な願ひを叶へてくれるのです。正神系の神様は決してくだらない願事は叶へません。これらの守護神は体についてゐます、まア居候ですね。

………………………………………………………………

“礼節と順序を重んじる事が此の御道の精神と存じますが、会員、資格者が簡単にその所属を変へて了ふことは如何致すべきでせうか。

“所属は今度はっきりしますが、あの先生は自分の気に入ったからつくとか、あの人は気に入らないから入らないとかいふ事は大変な間違ひで、神様から見れば怪しからぬ事です。私は今迄そういふ事を言ってくる人には黙って許してゐましたが――で、今度は地域的に所属を決める事にしました。之は本部=分所が三ケ所あり、分所に分会が所属し、分会には支部が所属するのです。支部長は教導師であり、教導師は信者を一○○人以上作った人か、三万円以上献金した人か、又は支部長の推薦によることゝし、教導所を一○以上有するものを分会とし、分会を一○以上を分所とする事にしました。やはり功労のある人が上に行くのが本当ですから。

………………………………………………………………

“混血児の御霊はどちらの国籍でせうか。

“之は父方です。

“男女同権と申しますが――

“まあ女は畑、男は種と云ひますが、男女同権といっても男は霊であり女は体ですから、矢張り男の方が上です。

………………………………………………………………

“葬儀の際帰幽した御霊(ミタマ)に上げる祝詞は天津祝詞でせうか、或は善言讃詞でせうか、又は両方上げるべきでございませうか。

“之は両方が本当です、が、神道には別にその祝詞があるからそれを上げればよい。普通は式が神式なら式のあとで天津祝詞を、仏式なら御経のあとで善言讃詞を上げればよろしい。この道の信者が集った時は皆で上げるのが本当です。

“それは神様に上げるのでせうか、亡くなった御霊に上げるのでせうか。

“亡くなった霊に上げる。その霊だけで宜しい。

………………………………………………………………

“歴史によりますと聖徳太子の御代の仏教芸術や元禄時代の庶民文化の様に今日でも及ばぬ程のすばらしい芸術、文化が発達致しましたが、何か特殊な意味のあることでございませうか。

“之は私も始終不思議に思ってゐるのですよ。実に今の人よりも余りに巧みなのです。今のものなんか見られた態ではない。絵なんかも今の人は美術工芸家であって、描くのではなく色を塗るんです。いはゞ「ぬり絵」です。あゝいふのは輸出には向くでせう。私の子供は川合玉堂先生に絵を習ってゐたが、自分で描いて先生に見せると直される、直されたのでは会に出品しても選には入れない。で、仕方がないので今は安田靭彦先生についてゐるのです。――西洋の油絵も又飛んでもない横道です。印象派なんかも後期まではよいが、それからの「絵かき」は主観だけを描いて客観をまるっきり無視してしまってゐる。だからまるで通用しない貨幣です。芸術の目的は美によって人の心を高め品位を向上させる事だが、あれでは却って人の心を堕落させて了ふ。あんなのは美ではなく醜です。人間を描いたって人間には見えず化物です。去年読売新聞がやった西洋の美術展覧会の絵の複写を見ましたが、全く西洋にも「絵」はなくなりましたね。――私が最近手に入れた人形は慶長時代の作ですが、今の人なんか足元へもよれないです。昔の仁清の陶器なんか感覚が新しい。今の物の方が却って古くさいですね。――(右の御人形を拝見す)

“この「マゲ」は慶長時代の「結ひ方」で、之は猿楽師の姿です。顔なんかも品があって柔いし、体つき、手足の姿勢もいゝです。――又支那の周時代は銅器が発達したが、今から四、五千年前のでも実によく出来てます。今の銅器は「イタイハ」(?)は名人であれなら私は買ひますが、之は周の真似をしてゐるのです。又「古代ぎれ」(織物の事)は今は「((*1))タツムラリュウヘイ」が名人だが、之はいゝな――と思ふのは正倉院の模倣です。堂本印象のものは見られないですね、拙くて。――いゝ「きれ」と言へば古代ぎれです。その時代の表装なんかも実にいゝですね。進んでゐるのですよ、技術も。金襴の「きれ」から織り出した具  合なんか今は出来ません。(仁清)の八角の花瓶を持ってますが、上が八角で下が円くなってゐますがその曲線が直線に変る事も今は出来ないのです。――音楽だってさうです。どうも近代のにはいゝのがない。ベートーヴェンやバッハなんかも百年以上も前のです。今名曲と言はれるのは殆ど百年位前のですね。ドビッシイなんかどうも興味が持てませんね。長唄でも新曲は聞けません。越後獅子、勧進帳なんかにしても殆ど明治初年迄ですね。こういふ点が全く不思議なんですよ。この原因としては、唯之丈は言へるでせう。種痘のため体が弱り根気がなくなった事です。従って昔の人程に根気がなく中途で諦めて了ふのです。昔の俳優の修行なんかも今の人は真似も出来ない。師匠が唯教へるだけではなく、自分で工夫させるのです。今の時代にこんなことをしたら弟子は皆逃げて了ふでせう。忠臣蔵の定九郎も、((*2))或る役者が――名前は忘れましたが――いろいろ苦心してゐた或日飯屋に入ってゐると、俄に夕立が降って来た、と、そこへ一人の浪人がかけこんで来た。それを見てゐた役者が「之だ (ニジュウカンタンフ)」と判り、早速そのかけこむ姿を舞台でやった所大変うけたさうです。――今の人にはこんな根気がない。実際種痘が出来てから名人が出ないです。それから又生活のためにそれぞれの道に苦心するだけのいとまのない事もありますね。

  ((*1))  龍村平蔵

  ((*2))  中村仲蔵

………………………………………………………………

“夫婦、親子等の間で或人が他の人の犠牲になる事がよくありますが、この様な「人間関係の犠牲」はどの様に判断致すべきでせうか。

“一寸抽象的で判りにくいが、――

“生活能力のない夫に七年間仕へて来た妻が遂に愛想をつかして離れて了ったといふ事に打突ったのですが――

“それはね、その妻にその犠牲になるだけの罪があるのです。だから或時期まで待つべきです。我慢して待ってゐれば自然神様が主人と別れる様にしてくれるのです。その場合信仰心があるとその間の苦しみも軽いしその時期も早く来るのです。

………………………………………………………………

“或大学生、健康で身体は別に異状がないのですが、つい無意識に人の物を盗み、注意されて初めて気がつきます。病院で診断を受けた所脳に大きな腫物があるとの事ですが此の御道で救はせて頂けますか。

“之は訳なく治りますよ。医者にかゝっては大変です。頭に「おでき」の出来ることはよくあります。が、外から御浄霊をすれば目脂や鼻汁になって出ます。

“霊的な関係はございませうか。

“霊が憑いて毒が集まることもありますが、然し普通は唯毒が寄るのです。

………………………………………………………………

“今迄の偉大な古典西洋音楽などでは、中に偉大な「悲哀」を持ってゐてそれが人々を感動させるものですが、地上天国になると大きな悲哀はなくなります故芸術も明るく朗らかなものばかりになるのでせうか。

“之はこの通りで、あくどい刺戟はなくなって明朗な脚本になります。悲劇なんかは地獄を描いてゐるのですが、こっちも地獄へおちてゐるものだから、それで慰められるのです。今迄が封建的な生活だったので圧迫される筋のものを好むのです。之はロシヤの文学なんか殊にひどい。国民性がよく出てゐます。その点アメリカが一番明朗です。あの「ヴォルガの船歌」には、ロシヤの帝政時代の希望のない生活がリズムによく出てゐます。ベートーヴェンも殆ど悲痛です。耳が悪くなってから名曲が出来たと云はれる通りです。ベートーヴェンにはいゝ所もあるが、私はアメリカのものゝ方が好きですね。

“さびなどは如何でせうか。

“さびは悲哀とは又別です。之は日本人だけのものです。建築でも木膚(キハダ)を鑑賞するのは日本人だけです。支那でも西洋でも皆色を塗って了ふ。然し最近はアメリカなんかで一部分判りかけて来ましたね。さびは「茶の湯」から出たものです。

………………………………………………………………

“麻邇の玉、如意の宝珠と、胎臓界、金剛界について御伺ひ申し上げます。

“神道では麻邇の玉、仏教では如意の宝珠と云ふので、玉とは魂の事で絶対力の意味です。今まで世に出た事がなかった。で、本当の事を云ふとおかしいが、之は私の腹の中に在るのです。だからいろんな事が出来るのです。人を治す事も、キリストは僅かに十二弟子だけしかその力を授けられず、釈迦とても往来で急病で死んだのは自分の体すら治すだけの力がなかったからです。私はキリストと違って何万人でも人を治しうる人を作ることが出来る。この働きが麻邇の玉です。

  胎臓界は日月地胎臓といって「日月地」が未だ出現しない時代の仏教で夜の世界の事です。金剛界は昼の世界で、金は太陽の光の事で、日月地下生後が金剛界になるのです。

………………………………………………………………

“右きゝ左きゝについて御伺ひ申し上げます。

“左は霊で右は体です。で、体を使ふから右であり、右きゝが当然です。だから釈迦が右手を上に上げてゐるのは反対です。左きゝには霊が裏がえしになってゐるのがあります。

“左きゝの方が細工等器用だと申しますが。

“あれは左甚五郎が出たのでそう云ふのですよ。

………………………………………………………………

十二月十八日(日)

“時節柄政治、戦争、大浄化等について、大先生様より御言葉は頂けないことゝ存じますが、更に御指導を頂くには適当な時期及び場所を得て御伺ひ申し上ぐべきでせうか。或は平常此の席で承ってゐる程度を承知させて頂けば宜しいでせうか。

“こゝで云った事だけでいゝです。第一他の時に特別な人だけに話をすると不公平になります。「あの人に話して俺には知らせてくれない」なんて云はれますから。それに神様には秘密がない。神様は誰の前でも、いかなる人でも話の出来るべきですから。――智慧正覚の進んだ人なら私の言葉の奥も判る筈です。そこまで行ってない人は言葉通りしか判らず、ボンクラは言葉の半分位、もっと「ボンクラ」なら三分の一や五分の一位しか判らない。だから言葉の奥まで判る様になる事が必要なんです。大浄化が来て浄められゝば綺麗になるのです。それは体の浄化――と同じ事です。段々転換して昼の世界になるにつれて、徹底した大浄化が来て、政治なんかもよくなり、「善の政治」になります。「善の政治」とは何かといふ事は智慧正覚があれば判るでせう。――

………………………………………………………………

”或る教導師が誠意を以て御浄霊致しましても患者が死亡して了った場合、それは寿命か、不自然死か、又不自然死ならばその患者の罪か又は教導師の無経験乃至不徳のためかはどの様に判断致すべきでせうか。

“之は患者に責任があります。救はるべき資格がないのです。教導師が頭がよければ急所も発見出来るが、患者に罪があるとこっちの頭も働かず、急所の発見も出来なくて死んで了ふのです。――人から騙されるといふ事も、騙す方が悪いといふのは半分です。騙された方も騙されるだけのくもりがあるのです。そして寧ろ騙される事によりくもりが除かれるのです。――治り難いといふ事だって同じです。――又、誠意だけでも駄目です。矢張り智慧正覚が必要です。両方なければ駄目ですね。

………………………………………………………………

“阿弥陀如来は現身を以て現れた事と存じますが、文献等残ってゐない様に思はれますが何故でございませうか。

“之は残ってますよ。阿弥陀様は法蔵菩薩といって釈迦の弟子――直弟子ではないが、何ですね、釈迦の後輩ですね。そして「自分は西方へ浄土をつくるから仏になったものを寄越してくれ」と約束して、浄土を作ってから、阿弥陀如来になったのです。だからその時に現世に浄土を作ったのかも知れませんね。そこで本願寺の信者達は死ぬと浄土で阿弥陀様のそばへ行けるといふので、私はよく「では死んだら印度へ行くんですね」といったものです。日本にも阿弥陀様の分身、出張所がありますから、先年私が善光寺に詣った所、阿弥陀様がゐました。で、「もうぢき帰るから、日本にゐる間は余り悪くいはないでくれ」と云はれたので、それから私も余り悪く云はない様にしました。

“観音様の文献は――?

“ありますよ。印度の補陀羅迦(フダラカ)山上に金剛宝座をしつらへ、観自在菩薩が結跏趺坐して、二十八部衆を従へて説教するとあります。

………………………………………………………………

“観音様と天理王尊との御関係について御伺ひ申し上げます。

“天理王尊は観音様です。印度の伝説では、三千年目に西王母の国に桃の実が一つなり、その実は転輪菩薩で、それが世を救ふと伝へられてますが、その転輪菩薩が観音様であって、天理王は十柱の神を総称してゐますが、それは観音様のいろいろの御働きの表徴です。

………………………………………………………………

“忌中の家庭では正月の御祝はどの様に致すべきでせうか。

“神道では五十日経てば構ひません。五十日間は霊はその家にゐますから。

“教導所の御祀りは?

“一週間も経ったら教導所へ行くことは差支へないでせう。

………………………………………………………………

“御大黒様の御詣りには何と申し上げるべきでせうか。

“唯御辞儀するだけで宜しい。

“願事は如何でせうか。

“していゝですよ、うんと金が入る様にと願ったら宜しい。――金が入るのは結構だが、大事なのはその使ひ道ですよ。神様の事等いゝ事に使ふことです。

“毎日の御供へは?

“御供へは毎日しなくても宜しい。一月に一度観音様の御祀りの時したらよい。

“山形では「きのえね」(甲子)に御祀り致しますが――

“それは甲子(キノエネ)大黒といって甲子に大黒様を祀るので意味がある事です。

………………………………………………………………

“御姿と御書体の御軸を両方御祀りする場合どの様にすべきでせうか。

“これは一つ床の間へ両方ですか。

“はい。

“それはいけない。本当は字が霊だから上です。だから御神体としては書です。絵は次の部屋が本当です。

“二階へ御姿、下へ御書体を御祀りして居りますが。

“それは反対だ、菩薩より如来の方が上なんだから。――掲ける場所がない時はしまっておいたらよい。

………………………………………………………………

“肺結核と肺壊疽(エソ)との相違、結核は霊的と伺ってますが、壊疽は霊的でせうか薬毒のためでせうか。

“肺壊疽は肺に「おでき」が出来るのです。だから治りいゝのです。その代り痰に血膿が出ます。結核は出すべき痰を出さぬためです。壊疽の原因は大体背中が多く、発熱し圧すと痛みがあります。「おでき」の出来る位置は大体肺の外部が多いのです。之は薬毒のためです。

………………………………………………………………

“特殊料理屋で御軸を頂いて御祀り致しました所、接待婦が次々逃げて了ひます。如何致すべきでせうか。

“おっかないね、こいつは弱るな。――観音様の絵か、外の意味の書をかけたらいゝでせう。

“そこの娘がどこかよそへ御祀りし直して教導所にしたいと申します。

“それがいゝでせう。

………………………………………………………………

“生後半年の嬰児、右手のみ小児麻痺にかかり、約二ケ月御浄霊を続けました所、顔色等すっかりよくなり、手の握力も大分出ましたが、腕を上下するだけの力が未だ出ません。如何なものでせうか。

“治ります。首や肩にかたまりがあります。触ればそこに熱があるから判ります。そこをよくやってやる事です。

“耳の所に凝りがありますが――

“えゝ耳の所のも関係してます。気永にやることですね。

………………………………………………………………

“二十才の男子、三年位前から何の原因もなく足首が充分動かなくなり、三月程前から御浄霊させて頂いて居りますが余り変化がありません、如何でせうか。

“之は軽い中風状態です。もっと重くなると下へ下ったきりになります。急所を外れてゐるんではないですか。三月もやったら治る筈です。股をよくやらねば駄目です。鼠蹊部と腎臓と膝のうらをよくやれば治ります。それから内外のくるぶしを圧してみれば必ず痛い所があります。――的(マト)外れにやってると悪い所が余計悪くなることがありますから。

………………………………………………………………

“他宗教に熱心なもの、又は他宗教に入らんとしてゐる者は、それが白紙になる迄御教修をうけさせぬ方が宜しいでせうか。

“他宗教をはなれてこの道に入るといふ様にはっきりしたものでもない。両方信じてゐる中にこっちへ傾く事もありますから決めぬ方がいゝですね。

………………………………………………………………

“神の愛について――

“神の愛は絶対愛です。人間の愛は小さいが神の愛は大きい。人間の愛の中で自分だけよければよいといふのは利己愛であり、一番小さいものです。それから少し大きくなって夫婦、子供等家族愛になり、もう少し大きくなると一族一党に対する愛になるが、普通いゝ人といふのはこの程度で、更にもう少し広くなると他人の為を考へ、次は自分の階級だけを考へる。共産主義者が下層階級だけよくしようとして、中、上層階級を攻撃するは之であり、矢張り限定された愛です。次は一国の愛で戦争犯罪者はそれです。彼らは日本だけよくなれば支那人、朝鮮人はどうなってもいゝと考へるもので、戦争中の忠君も同様に限定された愛です。神の愛は人類全部、人類だけでなく、獣や虫けらまでよくしてやらうとする。従って私のは人類愛だから無限に大きい。だから目安をそこへおいてみれば、あとの事は小さくなってしまふのです。それには利己愛を次にする。自分が天国に救はれ度いといふ様な事は後廻しにすることです。他の人々を救はんとすれば、却って自分が救はれるのです。そこが難しい所で、普通は自分のは大きな愛だと思ってゐる間に小さくなって了ってゐるのです。

………………………………………………………………

“降霊会の時暗くするのは何故でせうか。

“明るくては霊の活動が出来ないのです。――明るくて活動出来ないのは邪神です。――邪神とまで言へなくても、正神でも邪神でもないのも沢山あるのです。

“死后百日位の霊の顔が表れ「之は霊が向上し浄化してゐるからだ」と申しますが反対ではないでせうか。

“之は反対で、浄化してないから顔が表れるのです。霊の正邪を見分けるのは審神者がしっかりしてないと危い。人間に霊が憑き易い。こういふのは外道です。降霊会は英国で頗る盛んです。あれは大いにやった方がいゝですね。

“先日ラヂオで大分非難して居りましたが――

“あれはあんな風に霊の事を鼻であしらふ事を以て文化人らしく見えるといふ迷信にとらはれてゐるのであって、問題になりません。英国の会で、新聞経営者のノースクリフの霊が出てメガホンを通していろいろと話をした。で、編輯長が会ってみた所、どこにどういふ原稿があるとか、何はどうしろとか指図をした。果してその言はれた通りに原稿などもあり、愈々新聞社が旨く行ったのでノースクリフは死んでから新聞経営をやったと云はれるんです。

“霊を呼び出しますと、霊の霊界での修業の邪魔になることは?

“それは別にありません。普通出る霊は八衢程度で、地獄の霊も天国の霊も出ませんから。

“よく何千年前の霊とか神が出るとか申しますが――

“あれはマユツバものですよ。

………………………………………………………………

“夜昼の転換期に、大先生様が御出現になった事と同時に原子爆弾が発見された事は何か関係がありませうか。

“之はそうではないのですよ。が、全然そうではないとは云ひ切れないがはっきりしてない。私は夜昼の転換期に生れて人類を救ふことが使命だが、原子力はその時に発明が出現したのです。原子力は特に私がもって来たものでもないが、唯霊界に火素が多くなるから原子破壊が出来るのです。若し科学者の云ふ様に原子核の破壊なら、その破壊する力は何か、今の学説では結果の説明だけしか出来ない。私は原子力は物質と神霊の中間のものから、水素を取り除くので爆発すると云ふのです。更にその力の奥は神様です。原子力が発明されたり私が生れたりする事は時期です。

………………………………………………………………

“聖書に、イエスが一片のパンを以て何千人に食はせたとありますが之は如何でせうか。

“之は嘘です、拵へ事です。水を葡萄酒にしたなんて事も嘘です。こういふ事は開祖をよくするために後世つけ加へた事です。――キリストは偉い人には違ひないが、力がなかった。彼の力は私の力の何分の一、何十分の一です。「ハリツケ」になる事も判らなかった。若し事前に判れば逃げたでせうから。然しキリストの教と予言は大したものです。若しキリストが出なかったら、西洋は今よりずっと野蛮国だったでせう。キリスト教が西洋文化の発展に寄与した力は大したものです。釈迦も往来で倒れ非常に苦しみ――急性腸カタルと云はれますが――をしたが、その教である仏教により東洋人が如何に大きな恩恵をうけたかは判らない。諦めにより気持を安らかにし得た事は大変なものです。

………………………………………………………………

“近年山形地方では雪が少くなって来てますが何故でせうか。

“気候は段々平均してくるのです。近来シベリヤなんかも暖かくなって来た。之はいろいろな原因により気候が平均してくるのです。ラヂオの発達も之に影響してるし、人間が多く住むと暖かくなる。強羅も以前よりは暖かくなって来た。之は強羅に住む人が多くなって来たからです。山なんかも霧が多いものだが人が住むにつれて減ってくるのです。とも角人間は熱の固りですからね。

………………………………………………………………

十二月二十八日(火)

“大先生様に御伺ひ申し上げる場合、

1、最后迄黙して拝聴すべきでせうか、

2、言葉を御添へせねば充分表現出来ぬ場合は如何致すべきでせうか、

3、再三御尋ね申さねば理解致しかねる場合は如何致すべきでせうか。

“1臨機応変でいゝです。簡単な事ならその時でも質問してもいゝし、余り永くなる  のだったらあとまで待ってする事です、外の質問に影響しますから。

2それは言葉で云ったらいゝですよ。

3幾度質問してもいゝです、理解する迄。然し特に頭の悪い人は困りますがね。

………………………………………………………………

“日本観音教の名称と五六七教との関係及び仏教、基督教と対比した場合の名称に就て――

“観音教の教といふのはウソです。御説教といふ意味になるから。然し普通は金光教とか大本教とかいふ様に、外にいゝのがないので教としてゐるのです。私は昭和九年大日本観音会といふのを作ったが、後弾圧されたので一時止め、今度復活した訳です。今度は大日本とはいへないので、日本観音教といふ事にしたのです。――五六七教は渋井が五六七会長としてやっているが、観音教団の中でやっては活動しにくい、といふのはあの人が一○の中六、七の成績を上げてゐる。他の会は全部寄せても三位でケタが違ひすぎる。従って観音教団の中で何かやると他の分会との相談や何かでいろいろ掣肘をうけるため仕事が出来ない、之は理屈に合はぬ、思ふ通りにやりたいといふので一応尤もと思って別にしたんです。

“別派と考えて宜しうございませうか。

“えゝ別派です。が「五六七」も観音も元は一つです。キリスト教にだってカトリックもあればプロテスタントもあるんですから、之と同じです。――観音様が縦なら五六七は横と思へばよい。結べば一つなんですから。もう少し先には又分派が出来るかも知れないし、又その先には一つになるかも知れない。名称だってさうですよ。又他の関係もあるんです。例へば拍手を打って神道と見られるが、神道だと調査を要すといふ規定が進駐軍にある。調査なんかされるのは面倒です。されない方がいゝです。だから時勢に応じていろいろに変るんです。

………………………………………………………………

“氏神様に御詣りする時には何と申したら宜しいでせうか。

“「産土大神守り給へ幸倍給へ」でいゝです。御礼と御守護を願ったらいゝです。之も別にそんなに大きな声を出さなくてもいゝ。小さい声でいゝんです。拍手も打たぬ方がいゝです。拍手も大きく叩く人があるが、あれはその人の心の表れで大きい方がいゝとは限らない。神様は耳が遠い訳はないから。祝詞だって普通の声でいゝ。別に大きな声を出したからどうなるといふ事もないんです。

“御道の信者が氏神様に御守護を願ふといふ事は差支へないでせうか。

“それは構ひません。氏神は氏子を守護するのが役目なんだから。

………………………………………………………………

“透視術は信用出来ませうか。

“之は信用出来ます。予言なんかは信用出来ませんが――第一信用出来ますかと聞くのがおかしい。

“或会員が私に高尾山の天狗がついてると申しましたが――

“それは透視ではなく霊視です。透視といふのはこの煙草の箱の中に何本煙草が入ってるかを中を見ないであてる事です。或は「あなたは昨日私の家から帰る時にどこを通り、どこを曲って帰ったでせう」といふ風な事をあてるのが透視です。人に何の霊がついてるかといふ事をあてるのは術ではなく霊視です。之は確実に当る事もあるし当らぬ事もある、が、全然出鱈目ではないんです。透視は習ふと誰でも出来ますよ。十二、三才頃から仕込むと青年になる頃はかなり能力が出来ます。

………………………………………………………………

“すぐれた芸術家の中には不遇な人が多いのは何故でせうか、又人格的にどうかと思はれる人がありますが之は如何でせうか。

“之は一時的にはありますが、永い間にはないでせう。若しあればその芸術がすぐれてないか、又は悪いくせがあるためです。すぐれてゐれば必ず世に出るべきものです。私のだって価値のないものなら、いくら宣伝しても一時的ですが、本当に価値があるから発展するのです。以前上野毛へ移った時も「こんな辺鄙(ヘンピ)な所へ移って了っては――」といふ人もあったが、私は「本当のものなら何処へ出たってよい」と云った事がありました。――芸術が世に認められてゝも運が悪いといふ事ですか?――そういふのは西洋に多いですね。之は芸術家には不道徳の人が多い。こんなのは神様の方から云へば本当の芸術家とは違って悪魔的です。人を愛することや人の迷惑といふ事を考えることが少い。唯自分の芸術のみ尊重して社会生活に寄与することが少い。それが不幸の原因です。西洋の音楽家や文学者にはこれが多いですね。所がヨハン・シュトラウスは銀行家だったがクビになり、やがてその音楽が皇帝に認められたんですが、それは皇帝もシュトラウスと同じ境遇だったからです。ベートーヴェンなんかはひどいですね。耳は聞えず、恋愛は失敗するし、シューベルトだってさうでした。ベートーヴェンのリズムは悲痛から生れたもので聞いてゝも快感はなく暗い感じになります。たゞこっちも暗い気分なら共感はあるでせうが――彼の「運命」なんかはいゝんですが悲痛が出てますね。

“レオナルド・ダ・ビンチは如何でせうか。

“偉いですね。あの人は一寸違ひますね。日本で云へば聖徳太子ですね。然しあの人はそれ程不幸ではないでせう。大変な宗教家であり、芸術家、予言家、発明家ですね。私はあれに似てゐる所がある様に時々思ひます。絵だって立派なもので「最後の晩餐」や「マリヤ」は実によく描けてますね。飛行機の原型や潜水艦なんかもあの人が発明してますが、とも角すばらしい天才ですね。ダビンチをアメリカで云へばエヂソンみたいな人ですね。――芸術家はなかなか複雑でその性格なんかこうとはっきりは云へません。北斎は貧乏してゐたし、尾形光琳は金持の息子でその作品にも豪奢な風が現れてますからね。

  芸術家は人格的にどうかと思はれる事はありますよ。雲右衛門は浪花節を今日の様にした人ですが、所があれ位不道徳な人はない。あれの師匠は浪花亭重(シゲ)吉といったが、雲右衛門は重吉の細君と関係して二人で逃げたのだが、之は不道徳極りないことです。弟子が師匠の細君をとって了ふんですから。で、東京に居られずに大阪へ行き、それから九州へ行って、琵琶をとり入れて雲右衛門節といふのを作ったのですが、重吉が死んだのでそれから東京へ帰って来たのです。だから人格と芸術とは伴はない事があります。雲右衛門の節はうまいが私は大嫌ひです。面白いことは外の浪花節は私は大好きです。といふのは人格が芸術を通して皆に働きかけるからで、雲右衛門を好む人は人格が堕落します。それは声により霊線が皆に働くからです。下村カンザンから聞いた事ですが「絵は人格を筆と絵具で表すものである」と言ってましたがその通りです。今迄は本当に人格を通して芸術を皆に伝へる事がなかった。これから人格者が出る訳です。観音教団からすぐれた芸術家が出るでせう。――然し何ですね、人格者といふと普通は道学者流に一夫一婦で酒を飲まぬ人といふ風に考へ勝ちですが、この考へは小乗であり、大乗的には、ダラシのない様な人でも人格者は居ます。武者小路実篤は妻があり乍ら、地方から出て来た娘に恋をして(遂に一緒になり)妻を不遇にした人です。又島村抱月も人格者ですが、唯単に表面だけ見ると不道徳者です。抱月の妻は私も知ってますが、オカミさん型で芸術や文学なんかには全く理解なく、主人がきちんきちんと月給でも貰ってくる様な平凡な生活を喜ぶ人なんです。だから抱月とは丸っきり合っこない。二人一緒では両方共に不幸です。そこへたまたま松井須磨子が現れて二人が共鳴するのも止むをえない事です。真実一路の映画を見ましたが、あれにもそんなのが出てますね。一番いけないのは、女さへ見れば手を出して享楽の道具にする事です。之が非常にいけないのです。が、抱月や実篤の場合はそうは云へない。之は大乗です。

“そういふ場合罪になることは?

“須磨子は罪が軽いですね、主人もないのだから。その代り抱月は罪になりますが、然しそれを償ふ事をすればいゝ。――政治でもさうです。小菅へ行ってる代議士でも大臣になるには金も使はねばならない。清廉潔白では絶対当選はしないですよ。今本当に道徳的に罪を作らぬ様な生活をするためには山奥へ行って木の実か草の根でも喰ってなければなりません。今の世の中はそうなんです。汚れきってる。だから私がやって綺麗にする。そのために宗教が必要なんです。世の中がよくなったら宗教もいらない。

………………………………………………………………

“自分の恋人と他の人との間に縁談や恋愛が起り、自分にもその縁がまとまった方が恋人のために幸福だと思はれる場合は身を引くべきでせうか。

“之は身を引いた方がいゝですね。自分の恋人だったら余計その人を幸福にしてあげるべきです。

“身を引いては淋しいと思はれますが?

“えゝ、それは淋しいですよ。然し代りのを見つけるんですね。女なんか世の中に沢山あるから、むしろそれ以上の人が見つかるかもしれませんよ。

………………………………………………………………

“慈悲は正義の裏づけが必要と存じますが左の項目に於て慈悲と正義との関聯につき御指示を御願ひ致します。

(イ)、キリストの「人若し汝の右の頬を打たば左をも向けよ」との無抵抗主義。

“ほー慈悲の解剖ですか、――之はいゝでせう、これ位の心持なら間違ひはない。これがいゝんだがなかなか出来ないんですよ。大本教祖の出口ナホ刀自は、人が金をかしてくれと云へばすぐ貸してやる。先方がいゝ人か悪い人か、すぐ返すか返さぬかなんかには頓着せず貸してやった事も忘れて了ふのです。之はいゝが現実問題としては無理です。殊に個人ならいゝが国家の間では成立たない。国土を半分とられて、ではこっちも――といふ訳にはゆきませんから。だからキリストの言った様な心持でゐればいゝのです。そして臨機応変にやってゆけば宜しい。戦時中滅私奉公とよく云はれたが、之はウソで、私を滅して了ってはオヂャンです。滅するのではなく犠牲にするのならいゝですが。

“(ロ)利己主義者が悪宣伝、悪行為をなした場合、それを見逃してやっては、その人に対し無慈悲でもあり、又他面、社会的には悪の風習を助長することにもなると存じますが、その場合慈悲又は正義は如何に行使すべきでせうか。

“之は信仰のない人が考へることです。神様が人を使って悪宣伝をするのかも知れないのです。今度の税金の問題も私は邪神かと思って神様に訊いてみたら、そうではなくて神様がやって居られることが判りました。だからあれにより却っていゝ影響があっちこっちで来てるんです。今迄迷ってゐた人もどんどん入って来てゐる。だから信仰のある人なら、之(御伺ひ事項)と反対になっていゝ筈です。悪を助長すると云っても人間が抑へたりする事は出来ないんです。それよりも自分の悪、自分の間違ひを訂正する事です。人の悪なんか訂正する事は出来ない。人をどうしたいといふ希望はいゝが、行為によってどうするといふ事は出来ないのです。――物事にはその物と事と大小等によって、やるべき事とやってはいけない事とあるのです。やれといふとやりすぎるし、やってはいけないといふと全然やらない。味でもそうで、砂糖が少いといへば甘すぎて了ひ、甘すぎるといへば今度は辛すぎて了ふ。丁度よいといふのは難しいのです。だからその程度をよく考へる事です。それが智慧です。神様に御任せするといっても、御任せする事にも程度があるのです。人事を尽して天命を待つといふ事があるが、之はいゝ事です。人間としてすべき事、出来る事をやって、その先は神様に御任せすべきです。だからそれは時所位に応じて変ってくるものです。矢張り実篤の言葉に「神の如く強く神の如く弱し」といふ言葉がありますが、いゝ言葉ですね。神様も強い場合もあり弱い場合もある。観音様でも馬頭観世音は火焔を吹いて目はランランと輝いてます、が、之は畜生道を救ふ御働きを表はしてゐるのです。いろいろな事を旨く使ふ所に智慧があるんです。一番効果のある方法がいゝのであって、之をみつけるのが智慧です。

“ソクラテスが獄中で自ら毒杯を仰いで死に就いたことも不正に対する抗議の表れと存じますが。

“之はさあ――賞めていゝかけなしていゝか判りません。いかなる時でも自殺はいけない、之は神様への反逆になるから。彼は教育者であって宗教家ではないんですからこういふ事は知らなかったのでせう。

“ガンヂーの断食に見られる心情、態度も「不義への抗議」と見られますが――

“あれは無抵抗の抵抗といふので、印度では仕方がないでせうね。あの場合あれより外に仕方がない。然しこの前ピストルで打たれて死んだのは御守護がないんですね。御守護があればあんな事にならずに難を避けられたでせう。観音教の信者になってたらよかったのですよ。――バラモンの行者は断食は平気ですよ。

“キリストが十字架に上る迄の行動、心情は矢張り不義への抗議と見られますが――

“キリストは宗教家ですから不義への抗議といふ事は当らないですね。キリストはピラト王の命令で殺されたのですが、王は臆病で、偉い人が出て王位を奪はれる事を怖れて偉い人間を殺させたのです。で、キリストは殺される前の日にあれを知ったのでせう、若し以前に知れば逃げて了ってゐた筈です。聖書には前から知ってゐた様に書いてありますが、あれは教祖を立派にするために後からつけ加へたものです。

“孔子の正義を貫く行動の弱さがその生涯の不遇を招き支那民族を弱くしたのではないでせうか。

“孔子のため支那民族が弱くなったとは云へないでせう。孔子の道徳で支那は救はれたんですよ。今でも論語の影響は大したものです。日本でも西洋文化が入る前迄は論語によってどれ位裨益されたかは判りません。孔子なんかは決して弱者ではない、強者ですよ。思想の力といふものは強いものです。その点から云へばマルクスも強いですね、共産主義を今日程に発展させたのだから。――共産主義にもいゝ所があります。若し共産主義がなかったら資本家や地主はどれ位他の人々を苦しめ悪い事をしたか判りません。唯共産主義が天下をとっては困りますが――

  四、五年前までは楠正成や吉田松陰なんかはすばらしい正義だったのですが、今ではそれは戦犯の如く悪なのです。だから正義とか悪とかは時代によって違ってくるのです。従って時代によっても変らない孔子やキリストの教へは大したものです。

“釈迦の正義に対する弱さが印度民族をあの様に弱くし、且つ仏教の偉大な教へを以てしても人類が現在の程度にしか救済出来なかったのではないでせうか。

“之はそうです。釈迦は――釈迦だけでなく、今迄の大宗教家は力がなかったのです。それは根本は勿論時期が来なかったのです。力の根本は霊と体と両方結んだものが力になるのです。力といふ字を見ても縦横が結んでそれが働きを起した事を表してゐるのです。それがこれからの時代なのです。東西、縦横が結んで力になるのです。 といふのがそれですが、今迄の観音様も仏教も卍であり、之は右進左退です。ナチスは黒にはすっかいに で左進右退でした。所がこの黒色やはすっかいは悪魔の働きを表してゐるのです。私も金 会といふのをやらうと思ったのですが、今つけてはナチスと何か関係ありさうに思はれるといけないのでやめたのです。これからは左進右退の になるのです。

“(ト)日本観音教団に於きましても不正に対する正義感が根強い程幾多の犠牲に耐へ忍び、正しい理性を培ひ喜び勇んで地上天国建設の美しい御手伝が出来るのではないでせうか。

“この不正に対する正義感といふのを見ると正義が不正であり、不正が正義になることがよくあるんです。

“例へば医学の不正に対する正義感といふ事は――

“それは小乗です。何故なら私の道が発展するのは誰のためですか?お医者のためですよ。医者が病人をよく治さぬからこっちが光るのです。だから大乗と小乗の見方によって違ってくるのです。又、こいつは悪い奴だと思ふのが、時期が来てすばらしく働く事もあるんです。強羅の観山亭なんか上野毛に家を建てるのを五島慶太が妨害してくれたので出来たのです。あの時は一時私も非常に癪に触りましたが、後になってみれば却って有難い位です。

………………………………………………………………

“労働時間について論議されますが、健康と労働に就て――

“労働時間は今に一日四時間でよくなります。そういふ方法を段々に発表しますよ。農業だって無肥料でやれば一日四時間働けばよい。この間も白菜に堆肥を二回やったゞけで一貫五百匁のがとれたのです。だから万事そういふ風になって来れば、朝から晩まで働かなくてもよくなるのです。

………………………………………………………………

“死産、流産には何か特殊な霊的な意味がありませうか。

“之はありますね。普通は体的な原因が多い。一番多い原因はおなかに固りがある事です。腹の皮が厚いと産めぬと云はれるけれど、之は腹膜に尿毒が溜ってゐて横に広がらないで力が下へ加はる、それで流産するのです。だから子宮が充分広がれば絶対流産はしません。流産は力が下へ加はるに対し、上に上るのが悪阻(ツワリ)です。だから、つはりの時は臍と水落(ミズオチ)の中間をやればよい。子宮前屈や後屈も毒の塊りのためです。おなかの皮によって健康、不健康を判断するのは相当熟練を要しますね。――死産は霊的には生霊がついて、その女に対する怨みの霊が来て産ませまいとする事もあります。又体的には大抵薬毒です。薬毒がそこへよるので胎児が発育しない様になるのです。だから田舎には少いです。

………………………………………………………………

“出生又は水死の際男は下向、女は上向だと申しますが何故でせうか。

“さあ、女はお尻が重いし、男はあれの重いためでせうね。

………………………………………………………………

“一姫二太郎がよいと申しますが意味のあることでせうか。

“之は女の児の方が育ていゝんですよ。男の子の方が本来間違ひが多く、女の子の方が健康なんです。もっとつっこんで云へるが、女の人に悪いからそれ位にしておきませう。病気にも男の方がかゝり易いですね。

………………………………………………………………

“御浄霊では肉体の毒は浄められると伺ひますが、他の霊医術ではどの様になるのでせうか。

“之は固めるんです。

“引うけるといふのは?

“それは霊医術ではなく、人の道等の宗教です。

………………………………………………………………

“イエスが自分はキリストだと信じたのは神様から態と思はせられたのでせうか。

“えゝそうです。あんたは誰から之を聞きましたか。

“岡庭先生から伺ひました。

“そうでせう。外に知ってゐる人はない筈ですから。

“マリヤは処女受胎してイエスを生んだと申しますが――

“之は嘘ですよ。若しあるとしたら世界は破裂しますよ。