御 教 え 集 第三十三号

昭和二十九年四月御教え

四月五日

この間のキリストが憑った婦人に、三月十三日から数回神憑りがあったのですが、これはなかなか面白いことと、割合正確なので、殆んど違ったところはないのです。それを読ませます。

(御報告)

この中にある、マホメットの言った“火の地獄”とは、原子爆弾の事です。この後に出た各地の龍神ですが、殆んどヨーロッパ方面が多いのです。其処の大きな湖水とか海とか、そういう所の龍神ですが、これはなかなか面白いです。それはこの次に読ませます。

それで、キリストが言われたその言い方が、バイブルによく似てます。非常にくどいような、敬語などの表わし方とかです。キリストの一つの特長です。それからもう一つ面白いのは、“神ならぬ神”という言葉が入ってますが、これは実にうまく言っているのです。実際今まで神様と言って拝んでいたのは、本当は神様でなかったのです。よい意味で言えば代理であるし、悪い意味で言えば誤まっていたのです。間違えられたのです。そこでキリストが自分を神と言われるのは苦しいと言ってますが、これは本当にそうなのです。つまり、よく神様と言っていろいろ崇められても、実際の値打よりも過ぎた待遇を受けると、かえって苦しいのです。これは人はあんまり知らない事です。しかし霊界は順序が正しいのですから、順序がちょっと違うとかえって苦しいのです。順序どおり、順序相当のお粗末にしてもらった方が楽でよいわけです。ですから祖霊さんなども、あんまり分不相応な祀り方をすると、かえって苦しいので、そのためにお気付があるのです。ですから稲荷様とか天狗とかを立派にお祀りすると霊は苦しいので、かえって、気を付かせるために災いがあるのです。一生懸命に信仰して崇めているのに災いがあるという事は、霊の方で苦しいのです。こういう事は今まであんまり気が付かないのですが、やはり実際の価値と相応しないとそういう事があるのだから、やっぱりその点注意する必要があります。だから今キリストが言った、歌もあんまり自分を讃えすぎる歌は苦しいために、こういう歌詞で歌ってくれと、その歌詞も言いました。歌詞もなかなか良く出来てます。これはいずれはキリスト教信者が歌うべきものになるでしょう。

それからこの中で面白いのはエジプトの神ですが、これは少なくとも五千年以上前の神様です。こういう神様達も救世教に対して分ったわけです。それで私があっちへ行ったら是非寄ってもらいたいと言うのですが、まだずっと先でしょう。それで、霊界は時間空間を超越しているから、今霊界中が残らず分ったのです。あっちの龍神なども非常によく分っているのです。それでこれから大いに働きたいと言うのです。面白いのは、この次に読みますが、龍神の中に壊す役があるのです。龍が、これから大いに壊す役をさせていただきますというのがあります。戦争や何かで破壊したりするのは、みんな龍神がやっているのです。焼いたりいろいろするのもそうです。日本に対する広島、長崎に原子爆弾をやったのも龍神がやっているのです。

それで最近盛んに水素爆弾とか、今度は窒素爆弾という頗(スコ)ぶる恐ろしいのが出て来ましたが、これはいよいよこれから世界の切替について、神様の方で深い考えがあるのです。あれはみんな神様が作ったのです。よくみんな悪魔が作ったように言ったり思ったりしてますが、悪魔にはそんな力はないので、神様が作ったのです。つまり悪魔に作らせたのですが、その悪魔が本当に世の中を浄める働きをするのだから、形は悪魔でも、根本はやはり正義、善なのです。ただ、人間の判断はごく薄ッペラな判断だからそう思うのです。人間の解釈というのは深い所が分らないのだから、救世教信者たるものはその点をずっと深い根本へ気が付かなければいけないのです。

それで、原子爆弾が日本にとっては大変な結構な発見なのです。原子爆弾に大いに感謝しなければならないのです。というのは、若し原子爆弾がないとすると、あの戦争というものはもっと続いたわけです。なにしろあのとおり、日本人の戦争に対する執着が強いのですから……。有名な話ですが、あの時の阿南陸相が天皇陛下に呼ばれて、“お前、この戦争は勝つ見込があるか”と言われて、“見込がありません”“それでは止したらよいではないか”と言われて、“止すわけにはゆきません”と答えたのですが、それがあの当時の軍人の心裏(シンリ)でしょう。勝つ見込がなければ止せばよいのですが、“止せません”というのですから、実に、アチャコの言う“無茶苦茶でござりまするわ”です。それですから、終戦が分った夜中に腹を切って死んでしまったのですが、それは全く陛下に対してあまりに申訳なくて、生きては居られないからでしょう。そういうわけですから、若し原子爆弾で広島、長崎をやらなかったら、日本の各都市殆んどが壊され焼かれてしまって、日本に都市というものは無くなってしまったかもしれません。それが原子爆弾のために食止められたのですから、日本人は原子爆弾に大いに感謝しなければならないのです。大変なものです。又そのために人間の死ぬのが大変です。ですから原子爆弾のために広島、長崎だけは甚だ気の毒ですが、そのために日本人の何百万の生命を救ったかも分りません。それで日本人は原子爆弾を忘れられないほど怨んでますが、もう一層考えれば怨むどころではないので、大いに感謝してもよいのです。そういうような事が沢山あります。

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それからハワイ通信ですが、今度の栄光に出ますが、中にちょっと面白い事があります。これはアメリカ人で新しく信者になった人の事ですが、その肝腎なところだけを読ませます。

(ハワイ通信  十八)【註  栄光二五七号】

この時は英語教修なのです。約四十名の聴講者があって、外人は十名ぐらいだそうですが、その中の一人なのです。それから四、五日前に、例のグリリ夫妻が、駐留軍の機関紙で「星条旗紙」というのがありますが、その主筆の米国人を連れて来たのです。なかなか頭の良い人です。その時は美術の話よりも宗教の話の方が多いくらいでしたが、実によく分るのです。

その際グリリ氏の話ですが、(箱根美術館はその日に見て来たのですが)あれだけの美術品を集めるには普通は五十年かかると言うのです。それで“どのくらいかかって集めたか”と言うから、“終戦後ボツボツ集めたが、本当に集まったのは正味三年ぐらいだ”と言うと、“どうしても信じられない、どういう訳だか聞かせてもらいたい”と言うから、私は“訳はないのだ、奇蹟で集まったのだ”と言ったところが、どうも分らないのです。それで“理窟はとに角、分らなくても驚いた”と言うのです。“実にあり得べからざる事だ”と言って驚歎してました。それで私が“終戦後三年ぐらいだが、最初から言えば七、八年はかかっている。その集める最初の時というのは金は殆んど無かった。それから金が集まったのだ”という、それが不思議でしようがないのです。それで私は説明してやったのです。金が集まったという事は病気が治るためだ。医者から見放されたり、命がないというのが助かったその感謝のために金を献(ア)げる、そういう金が集まって美術品を買えたという話をしたのです。

そうしたら阿部さんが側に居て、なにしろ病気を治すと言ったところで、つまり治す力を信者になった人に与えた、兎に角治す人を作った。キリストがやったように一人対一人ではない、幾人にでもそういう力を与えられると言ったので、この事も驚いたのです。なにしろジャーナリストですから、偉い人や又昔からの偉い事績をいろいろ知っているが、そういう人達はみんな、自分はキリストや釈迦というような意味で、自分の資格とか、そういう事を話したり、知らされたりしたけれども、教祖はキリストや何かより上だ。キリストや釈迦をずっと下に見ている人は、まだ一人も会った事はないし聞いた事はない、という事は実に驚いたという事を言ってました。今度、駐留軍の司令官の夫人を連れて来るから、会ってもらいたいというような事を言ってましたから、いずれ来るでしょう。そういうようで、まだいろいろ話がありますが、兎に角米国の方に早く分りそうな工合です。ですからこれは逆輸入で、かえって面白いと思います。それについて少し書いてみました。

御論文〔⇒迷信非迷信

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四月六日

昨日面白い事がありました。この間の春季大祭の時に“今まで五六七のミロクだったのが、今度は三六九になる”と言いました。ところが昨日の参拝者が三六九名なのです。春季大祭の後は昨日が初めてですから、そこにそういう数字が出たという事は、実に神様は自由自在という事が分るのです。神様はよくこういう事をやられるのですが、これは神様の茶目です。つまり“神様の力はこんなものだ、どんな事でも訳なくやる”という事をば御見せになるわけです。だから、あなた方が参拝するのも、神様の方で、今日は誰、今度は誰、という事はチャンと決まっているのです。それからこの間ちょっと話した、若い婦人でキリストが憑ったという話をしましたが、今までの事を書いて来いと言ったものですから書いて来たので、それを読ませます。

(御報告)

これは別に何かのいたずらなどは入ってないので、本当です。この中にいろいろな意味がありますが、私が一番感じたのは、キリストの言う事がおそろしくくどく、丁度バイブル的に言われているのが面白いです。バイブルは弟子が書いたのですが、キリストの不断のお説教や何かが、こういったような言い方だとみえるのです。それで一番面白いのは“神ならぬ神”と言ってますが、これは非常に面白い言い方と思います。実際、今まで神様と言っていたのは、本当は神様ではなかったのです。神様の代理とか弟子とか、そういう意味だったのです。ですから、キリストも“自分は神だ”とは言わなかったのです。“神の子だ”と言ったのです。そこであの時代に一部の者はキリストを救世主と言ったのです。いよいよ待望の救世主が現われたと言ったのです。ところが実は救世主ではないのです。そこでかえってそれを誤まるといけないから十字架にかかったという意味もあるのです。そこでこれは人間でも神様でもそうですが、特に神様は厳正ですから、その位にピッタリしないと苦しいのです。

そこで今読んだように、自分をあまりに讃えた歌は苦しい、だから歌う歌を自分が作って、そうして言わせたのです。なかなかよく出来てます。これを今度のメシヤ会館に使おうと思ってます。曲はヘンデルの「救世主(メシヤ)」ですが、歌詞はこれにしようかと思っているのです。ここにやっぱり大変な意味があるのです。私が作ってみんなが歌うという事は嘘なのです。つまり私についている神様自身が作って自分を讃えるという事は理窟に外れているのです。そこで歌う人の一番偉い人が作って、そうしてみんなが歌うという事が本当です。それが合理的です。キリストがこういうふうに歌ってくれと歌詞を作ったわけです。なかなか良く出来てます。神様を讃える気持が実によく出てます。これを歌詞にしようと思ってます。まあ、私の方で助かったわけです。御讃歌などもそうですが、あれはみんな私が作ったけれども、お蔭をいただいて有難いというような事を私が作るという事は本当ではないのです。まあ、信者さんの代りになって作ったようなものですが、ああするよりしようがないからああ書いたのですが、本当から言うと、今言ったとおりが本当なのです。それから右に関することは、この間京都の或る婦人が、やはりキリストやその他いろいろな人のことについて出たのと、同じようなのです。それが東京と京都と、こんなに離れて、別に話しあった事もない知らない人が、同じようにチャンと合うのですから、これらも面白いと思います。

それからその後まだいろんな霊が出ました。なかなか面白いのです。ヨーロッパ方面、アフリカ方面の各湖水、池、海というような所に居る龍神が、それぞれ御詫びやら、大いに働かしてもらいたいという願いやら、いろいろありました。神様でも仏様でも全体の霊が、一番に光を欲しがるのです。ですから今も読んだとおり、マホメットなども非常に光に憧がれているのです。又その後出た龍神やいろいろな神仏も、少しでも光に浴したい希望です。というのは、今までの人間で神様の光というものを持った人はなかったのです。そこでヨハネなどが二千七百五十年間地獄に居られたわけです。それからキリストでさえも、そういった人でも、つまり救われなかったのです。というのは光なのです。光に浴する事ができなかったのです。ところが私が出て、霊界が明かるくなり、それから又光に浴する事ができたために救われたわけです。

だから理窟は簡単なのです。つまり罪穢れにより……しかしああいう神様が罪穢れというのはおかしいですが、大体キリストが十字架にかかったというのも、前の世に非常に大きな罪をしたその犠牲になっての贖罪です。そこで十字架にかかったわけなのです。それだけではすっかり救われないのです。そこで長い間苦しんでいたのが、光に会うとその罪である曇りが溶け、消えるのです。それで救われるのです。だからとても光を憧がれているのです。それともう一つは、今度罪を消されないと永遠に残るのです。それは軽い罪は昼間になると消えますが、しかし軽い罪の人は殆んどないので、みんな重い罪の人です。丁度あなた方が浄霊して、幾らでも毒があるようなもので、チットやソットのものではないのです。重い罪の人は永遠に消えないのです。今の内に早く光に浴して助からなければならないというので、あせって急いでいるわけです。というのは、霊界がドンドン昼間になりつつあるからです。だからそれを知った人はよいが、知らない人は実に可哀想なものです。

それで面白いのは、この次に読ませますが、いろいろな龍神の中で“自分は破壊の役だからして、それを一生懸命やる”というのです。これは破壊と言ったところで、悪ではないのです。つまり掃除です。掃除というのが破壊なのです。悪いものはブチ壊して片づけてしまうというわけです。大掃除の時に壊れかかった物や役に立たない物はブチ壊してハキダメに捨ててしまう、という役の龍神があるのです。自分は破壊の役の龍神だから、それを一生懸命にやるという事がありますが、そうしてみると、大いに破壊の時も来るわけです。どういうふうにして破壊するかという事は神秘です。今大問題になっているのは水素爆弾ですが、これらにしても大変な役をするのだろうと思います。あれくらいの物が出来なければ、地球の掃除はできないでしょうから……。

とに角その大掃除に助かるには、光をいただいて、そうして穢れを無くさなければならないというわけですから、とに角救世教信者になった人は、その幸福たるや、とても大変なものなのです。それもだんだん分って来ます。だからキリストやマホメットなども救われたという事は、先に述べた婦人を浄霊している内にキリストや何かが助かってしまったわけです。だからとに角浄霊という事が如何に偉大なものであるかという事は、霊がみんな証明しているわけです。

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それから今度来たハワイ通信の中にちょっと面白い一齣がありますから、読ませます。

(ハワイ通信  十八)【註  栄光二五七号】

これは英語教修の時のことです。四十人ばかり英語教修をしたのですが、その中に十人ばかりアメリカ人がいて、その中の一人で、将来非常に働く人らしいです。  その人の曰く“明主様が八人目の聖者に当られる”というのです。この“八人目の聖者”という事は古くから伝説にあるのです。八人目というのは仏教の方では釈尊だという事を言ってますが、釈尊は七人目というわけです。それは仏教の方でお釈迦さんに値打をつけるために言ったのだろうと思いますが、この人の言う事が合っているわけです。

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それから四、五日前に例のグリリ夫妻が、駐留軍の機関紙の星条旗(英語で言うとスターズ・アンド・ストライプス)の主筆で、陸軍大尉相当官を案内して来ました。私はちょっと合うつもりだったのですが、話が面白くなって、大分長く、一時間以上になりました。その際大いに共鳴して、今度は司令官の夫人を連れて来ると言ってました。それからグリリ夫妻もだんだん熱心になって来て、今度は大いに救世教のために働かれるというわけで、それには日本語が出来なければいけないと言って、最近日本語を始めたのです。この人は今に非常に大きな働きをすると思ってます。いずれロックフェラー氏とかカーネギー氏を、日本に来たついでに寄るというのでは面白くないから、態々(ワザワザ)救世教の地上天国を見るべく呼ぶというような事を言っているそうです。そういうような工合で、なかなか面白いと思ってます。アメリカ人の間では相当有力な人のようです。なかなか信用もあるようです。そういったアメリカ人がだんだん増えてますから、いずれアメリカの方が先に、救世教と私の事が分るのではないかと思ってます。それについて書いてみました。

御論文〔⇒迷信非迷信

尚その時のいろいろな話の中に“美術館のあれだけの品物を集めるにはまず五十年はかかるだろう”と言ってました。“実際にはどのくらいかかったか”と言うから、私は“戦後ボツボツ集め始めて、本当に集まった期間はまず三年だろう”と言ったところが、喫驚して“とても信じられない。それはどういう訳だ”と言うから、“どういう訳と言えば、奇蹟と言うよりしようがない。つまり神様がそうされたという事より他に言いようがない”というように言ったのです。でも、はっきりは分らないのです。そこで私が言ったのは“兎に角集まるという事は、やっぱり金が集まらなければ品物は集まらないのだ。それで金はどうして集まったかというと、医者に見放された病気や死ぬような病気が治る結果、そこで感謝のあまり金を献げるというために金が集まって、これだけの美術品が買えたのだ”と言ったのです。

それで側から阿部さんが“なにしろ今までと違って、一人対一人ではなくて、明主様のお書きになったものを懐に入れると、誰でもそれで病気が治るという、そういうように信者がキリストと同じような事ができるのだから”と言ったので、これも驚いたのです。“自分は今まで世界の偉人の事を聞いたり、会ったり、歴史によっても、キリストや釈迦と同じだとか、或いはそれに近いとか、そういうような事を言ったという人の事を聞いているが、キリスト以上だというような、そういう大きな事を言う人はなかった、明主様が初めてだ。これは実に驚いた”と言うのです。だからそう言う方(カタ)に対して批評はできないと言うのです。何故なれば“若し明主様のような人を批評するとしたら、自分が同格かそれ以上でなければ批評はできない。しかし人間の方は下なのだから、ただ事実を認める以外、批評は不可能だ。批評するのは間違っている”と言ったのは、さすがに米国のジャーナリストだと思いました。実に有りのままを正直に表現する事が、日本人はあんまりそういうふうには言わないのです。だから実によいと思うのです。

どうも日本人はそういう場合にも、何か色をつけたがるのです。日本のジャーナリストの色たるや、すごい色をつけます。自分よりも下のように言うのです。茶化すのです。“岡田茂吉ナンテなんだ、救世教ナンテなんだ。あれは時局に便乗してうまく儲けた”というような、軽蔑したように見るのです。だから米国のジャーナリストと日本のジャーナリストとの見方は天と地の違いさです。一方は“それほどの人は批評はできない”と言い、一方は、批評どころではないので“オレより下だ、あれに瞞される奴はヨッポド間抜だ”と言っている、そのエラがり方との違いさは大変なものです。だからそうなると、失礼ながら日本のジャーナリストは、やっぱり豚に真珠としか思われないです。日本の文化程度の低さというものは実に困ったものです。汚職問題が起こったり、いろいろな変な、社会がゴタゴタして、テンヤワンヤなのは当り前だと思います。

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この間の二重橋事件で目が見えなくなった子供の事はこの前話しましたが、あれは内出血が眼の裏に固まっただけのものですから、ウッチャラかしておけば治るのですが、浄霊すれば何んでもない事です。最近、十三年間底翳(ソコヒ)だったのが手術によって見えるようになったというので、新聞に出てましたが、あれも何んでもないのです。それに見えたと言っても一時的のもので、又見えなくなります。これも眼の裏に固まっていたのですが(という事は医者が固めていたのです。即ち薬をつけたりして裏を固めて見えなくしていたのです)これもウッチャラかしておけばだんだん見えるようになるのです。底翳というのは放ッタラかしておけば、大抵治るのです。浄霊なら簡単に治ります。それを世界的の大問題にしていますが、丁度子供がオモチャを拵えて親に自慢しているようなものです。私が言っている“医学は子供瞞し”というのは本当なのです。一事が万事で、今の米国人の話と日本人とを比べてみてもそのくらいなのです。けれども医学だけは米人はやっぱり子供瞞しの組ですが、これも今にだんだん分らせようと思ってます。

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四月七日

大祭の時に“今までのミロクは五六七で、これからは三六九になる”という事を言いましたが、五日の参拝者が三六九名なのです。神様は“ヘン、ドンナモンジャイ”というところをお見せになったのだろうと思います。神様は自由自在ですから、時々そういう面白いような奇蹟をやられます。これが一人々々集めても、そうきっちりと数がゆくものではないのですが、それが、まるっきり偶然のように数が揃うという事をみても……。神様は霊に言いつけて一人々々引張って来るのですから、そうすると“明日は行かないはずだったが、とても行きたくて堪らない。我慢ができない”又多い場合には“お前は今日はちょっと止せ”となって、丁度よい数だけを集めるのですが、実に神様の力と言いますか、腕前と言いますか、どんな事でもできるという事が思われるのです。

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今大騒ぎをやっている水爆という事なども、少しも恐れる事はないのです。あんなものは神様の方では訳ないのです。水爆を止(ト)めようとする事も、破裂させようとする事も、神様の方では指一本もかからないのです。しかしあれも神様の方での深い仕組があるのです。あれは神様がやっているので、悪魔がやっているのではないのです。仮に悪魔がやっているとしても、悪魔が神様に使われてやっているのですから、元は神様です。ですからいずれ“アレが良かった、有難かった”という事になるのです。

その点、日本人として一番分りやすいのは、広島、長崎の原爆を、日本人は大いに感謝しなければならないのです。アメリカにお礼を言ってよいのです。というのは、若しかあの時に原爆がなかったらどうなるかという事を考えてみれば分ります。あれまでは、各都市を順繰りに爆弾で爆破して来たのですが、若しあの時に原子爆弾が出なかったら、日本はなかなか降伏しませんから、結局日本の主な都市は全部やられます。ところが、ただ広島、長崎の二つを犠牲にしただけで、あれで止める事ができたのですから、“原爆日本を救う”というわけです。あと復興するにしても、あれ以上もっと壊されて、それと共に人間が何十何百万死ぬか分らないですから、そうなってからの復興では大変なのですから、あの程度で止めてくれたという事は、日本を救った第一の功労者は原子爆弾です。あの当時は、とんでもない恐ろしい物を持って来やがったと言って憤慨もし、いろいろ愚痴もこぼしましたが、それを大局から考えてみると今言ったとおりですから、今の水素爆弾が将来どんなに大きな働きをするか分らないです。なにしろ神様は、もう時期が近寄って来たので、予想外の事をやります。だから救世教信者なら大体分るが、そうでない人だったらテンデ分るはずがないです。

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そういうわけで、最近いろんな霊的の事柄で出て来たのです。この間は、キリストやいろいろな偉い開祖、教祖などの神憑りの事を言ったけれども、あれは京都の方の若い女性ですが、今度は熱海に居る若い女の人が、やはり霊憑りでいろいろそういう事を言われたのですが、それが京都の人とよく合っているのです。新しい点もありますから今読ませます。

(御報告)

これをみると、キリストはキリストらしい、バイブルの書き方みたいな事を言われているので、面白いと思います。バイブルのいやにくどい所などがよく似てます。そういうわけで、今までは光を持った人間が現われなかったのです。つまりヨハネが二千七百五十年地下に苦しんだという事は、光というものがなかったからです。それで、光を受けなければ救われないのです。神仏も、つまりこの光をいただきたがって、今霊界では大変なのです。それで今度奈良に行くについて、あっちの各海、湖水、池などの龍神が次々と京都の人に憑って、その報告が来ました。そういうようなわけで、まあ、光を憧がれているわけです。それで、今読んだ中に“神ならぬ神”という事を言ってますが、これは非常に面白いと思います。実際今まで神と言って拝んでいたのは、実は本当は神ではなかったのです。ですから神ならぬ神というのは、うまく言いまわしたものです。そういうわけで、「聖夜」と言って、キリストの聖歌でしょうが、これはあまりにキリストを讃えたので、かえってキリストとしては苦しんでいるのです。そこで歌詞を教えたのですが、これで非常に面白いと思うのは、私は、メシヤ会館が出来たら、前から言っているとおり、ヘンデルの作った「救世主(メシヤ)」という歌を御祭や何かの時には歌って、オーケストラもやるつもりで、舞台の下の所にオーケストラボックスを拵えましたが、歌うその歌詞は、ヘンデルのような外国語では工合が悪いですから、どうしても日本の言葉でなければならないのです。私が作ろうと思っていたのですが、ところが私が作るという事は嘘なのです。私は歌うのでなくて、歌われる方なのですから……。だから讃えるという事が、自分が自分を讃えるような事になってしまうから、どうしても何か然るべき歌詞が欲しいなと思っていたのです。そうかと言って、適当に作れる人はないのです。ところがキリストが作ってくれたのですから、実に結構なのです。そこで私も一安心したわけです。この歌詞もなかなか良くできてます。簡単で実に讃える心持、気持がよく表われてます。ですからこれを採用するつもりです。そういうようなわけで、これからは、ああいう神ならぬ神達が大いに活動始めますから、どんな事があるか分らないです。いよいよ本舞台になったわけです。今年から表になるという事の最初の一つの現われです。

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もう一つ面白い、ちょっとした何があるのですが、この間ハワイで英語教修をした時に、聞き手が四十人ばかりあって、その時に外人は十人ばかりだそうですが、その中で最近信者になった、アメリカの人で、ちょっと面白い事を言ったのを書いてありますから、読ませます。樋口さんの報告の中にある一節です。

(ハワイ通信  十八)【註  栄光二五七号】

今の“世界を救う聖者が八人目に出る”という事は、伝説にあるのです。仏教の方では釈迦が八人目だという事になっているのですが、それは仏教に都合のよいように作ったものです。釈迦は「八」という事はないのです。釈迦は「七」で、七人目なのです。というのは五六七のミロクとして、釈迦が七のミロクになるのです。釈迦は何処までも「七」の数字で支配される人です。だからつまり「地」は「七」ですからして、地のミロクです。私は伊都能売ですから「八」になるのです。伊都能売というのは、数で言うと「五」「三」ですから「八」になるのです。そして「八」という数字は富士山になるわけです。ですから「八」という数字を書くと、富士山の形になります。それで私は大和民族の宗家になるのですが、大和民族というのは、今の駿河の附近が発祥地なのです(本当は富士山の上なのですが)富士山の麓なのです。だから昔は富士山が本当の神様の山として、あそこの上に今でも木の花咲爺姫が祀ってありますが、そういった意味で、私は富士山と非常に因縁があるのです。それで静岡の裁判であっちの留置所に入った時に大きな神秘な事があったという事も、そういう因縁なのです。そうしてあの時も話したとおり、夢で、私が富士山に乗っかって景色を見るという話もしましたが、その時が私が生まれた、第二の誕生です。そこで、出てから「散花結実」という事を言いましたが、花が散って実を結ぶで、散花結実という事は種が宿ったという事です。それから私の力とかいろんな、そういう事が違ってしまったわけです。それからが本当に開けたわけです。ですからあの時に救世教というものはすっかり壊れてしまったわけです。もうこれで駄目だというくらいに見えたのですが、それが花が散るという形です。それはその当時よく話しましたが、そういうようなわけで、今の八人目という事も合っているのです。

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それから一週間ばかり前に例のアメリカのグリリ夫妻が、駐留軍の星条旗(スターズ・アンド・ストライプス)の主筆の人を連れて来て、いろいろ話し合ったのです。私は五分か十分ぐらい会うつもりだったのですが、話をすると、話がばかに面白くなって一時間以上話をしました。私は近頃時々アメリカの人と話をしますが、話が実によく分るのです。間に通訳が入っていながら、日本人と話をするよりもよく合うのです。丁度私の考えとアメリカの人の考えが一致しているのです。だから両方でうなづき合ってます。ところがどうも日本の新聞記者と話をしていると、先方で分ったのか分らないのかという事がよくありますが、アメリカの人はイエス、ノーでやって来るからはっきりしてます。又先方でも、一、二回会うと非常に共鳴して、信者でなくても、私に対する一つのファンみたいになってしまうのです。

その時もいろんな話がありましたが、その話の中で印象に残っているのは、グリリ夫妻が言った事で“美術館の品物を集めるにはまず五十年はかかるだろう”という事から、“どのくらいかかったか”と言うからして、“戦後ボツボツ集め始めて、本当に集まったのはまる三年ぐらいなものだ”と言ったところが、驚いて“どうしても分らない。その理由を聞かしてくれ”と言うので、“理由と言うよりか、奇蹟で集まったのだ”と言ったのですが、それが分らないのです。しかし、霊界における作者やそういう人達が骨折って、救世教に、御用をさせてもらったというように説くと、これは信者でないとちょっと分り難いですから、一番分りやすく言おうと思って“つまり集まるのも、集まったという事はつまり金の力だ。その金が集まったという事は、医者から見放された病人や、死ぬばかりになっていたのが助かるというような事で、その感謝の気持でみんなが金を献げた、それが集まって買う事が出来た”というように説明したのです。

そこで阿部さんが、“というのは、弟子や信者が病気を治す事ができるという、これが非常に大きなものだ。一人対一人ではないので、治す人を作るという事が、今まで例がなかった”という話をしたので、又非常に驚いて、“自分は今まで世界でのいろんな偉い人を見たり聞いたりした事は随分あったが、みんな、つまり一人対一人か、或いはただ教えというようなわけで、釈迦、キリスト以上という人の話は聞いた事がない。ところがキリストぐらいの奇蹟をやる弟子を多く作るという事は、おそらく見た事も聞いた事もない。そういう点において実に驚いた”というような事を言ってました。

そこでやっぱりアメリカの人らしい事を言います。“明主様をどうこうと批評はできない。若し相手を批評するとしたら、相手と同程度かそれ以上の人でなければ批評はできない。ところが明主様は人間よりずっと上としたら、ただそれを有りのまま感じるだけの事で、批評という事はできない”という事を言ってましたが、これは非常に正直な言い方です。日本人はあんまりそういうふうには言わないのです。言わないどころではない、テンデ考え方が違ってしまっているのです。日本の新聞記者とすれば、まず“救世教という、岡田という奴はなかなかだ。戦後の混乱状態に便乗して、うまく大勢を瞞しやがって、金を儲けて、こんなものを造るナンテ、これは怪物だ、腕のある奴だ”というように思うでしょう。下から上を見上げるような言い方は決してしないです。新聞雑誌を見ても分るとおり、茶化したような、愚弄したような見方をします。それは丁度新聞記者自身の方が“救世教の岡田という奴より上だ、だからオレの筆の先でいい加減に書くだけの人間だ”というように見ているわけです。だからアメリカの人との違いさというものは大変なものだと思います。その事を書いてみました。

御論文〔⇒迷信非迷信

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原爆と水爆についても話をするつもりだったのですが、この次に話をするとして、今日はこれだけにしておきます。これは一番知りたい事です。ところで神様の方から見たアレについて、相当知っておく必要がありますから、それはこの次にします。

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四月十一日(名古屋市金山体育会館において)

今日はいろいろお話したい事がありますが、時間が非常に少ないので、ごく要領だけをお話しようと思います。まず、今世界中の人間が最も関心を持っているのは、知られるとおり水素爆弾の出現です。原子爆弾の時も随分驚きましたが、原子爆弾の方はまだ何かと免かれる工夫がありそうなものだという考えが誰にでもありますが、今度の水素爆弾に至っては、逃れる事ができないと、今でさえ広島に落したあの原爆の百倍とも言うし三百倍とも言うし、六百倍とも二千倍とも言われているので、正確な数字は分らないのです。とに角、少なくとも何百倍という事は、大体見当はつくのです。そうすると、一体世界はどうなるかという事です。しかもそれで止まったのではない、まだ進んでいるのですから、或いは一万倍にもなるか分らないです。そうしたら、一体この世界はどうなるか、人類はどうすればよいかという、つまり底知れない不安な気持が誰でもするのです。おそらく人類始まって以来、これ程な恐怖と、これ程深刻な問題はないわけであります。

ところが、では“一体どうしてこういう気味の悪い恐ろしいものが出来たか”“一体この世の中に神様が有るのか無いのか。神様があるとしたら、どうしてこんな恐ろしい物を作ったのだろう”“何のためにこんな物を作らなければならないのだろう”という問題は、特に信仰のある人は一番にそういう観念が起こらなければならないわけであります。つい最近もアメリカの(日本で英字雑誌を発行している)シーンという雑誌社の人と、ラジオ東京の係の人達が私に面会を求めて来たのです。というのは、私の「アメリカを救う」という本を読み、それから「原爆恐るるに足らず」という論文を何時か書きましたが、それを読んで、アメリカの人から是非調査をしてもらいたいという、表面は別に何んとも言いませんが(結局アメリカの相当有力な筋だろうと思いますが)それから調査を依頼されたという意味で会いたいと言って来たのです。私は十四日に帰りますから、十五日に面会するつもりです。

それについて気がついたのですが、この事については信者の人も知っておく必要があると思うのです。というのは、この水素爆弾というものは、考えようによっては良い方と悪い方と両方にとれるのです。この間アイゼンハウアー大統領が、確か今月の一日頃と思いますが宣言をしました。それは“水素爆弾というものは確かに恐ろしい。しかしこれは使う人の目的によって恐ろしい物にもなれば、又さ程恐れる必要はない”という事を世界に向って宣言しました。あれは全くそのとおりです。つまり武器として使ったら、それこそさっき言ったとおり一大恐怖です。どのくらい人類に、被害……どころではない、もう殆んど人類の絶滅と言われる程の恐ろしいものです。けれども、そういった戦争のような武器という意味で使わなければ良いのです。では、戦争の道具に使うという事は、善悪とすれば結局悪に使うから人類に災害を与えるのです。これを善に使えば良いのです。今のところ善に使うという工夫は出来ていませんが、これは研究すれば大して難かしい事はないのです。いずれにせよ、結局火力ですから、つまり強い、言わば太陽です。“太陽を取られた”と言われてますが、太陽の熱のごく集中されたものです。熱の一つの大きな固まりを作るわけです。それを善い方に使えば大変な良い働きをするわけです。勿論それは動力です。これが発達すれば、僅かな手数と費用でどんな大きな動力でも出来る事になると、それこそ今一番多く使うのは電気ですが、その電力などもアレによって非常に簡単に出来るわけです。ですから結局悪に使わないようにするという事なのです。

そこで悪に使わないとすれば、悪の思想、観念を人間から抜けばよいのです。しかし全然抜くという事はできませんが、悪より善の方が勝っていればよいのです。何時も言うとおり、悪が四で善が六ならよいのです。悪の制禦です。その制禦の力がないから恐ろしいのです。即ち水素爆弾が恐ろしいというよりか、人間の悪を制禦する事ができないという方が恐ろしいのです。悪を善にする力はどうすればよいかというと、そこにつまり宗教の価値、生命があるわけです。だから悪を淘汰するというよりか悪を弱らせる力が必要です。それが宗教の役目です。然してそれだけの力ある宗教は出なかったのです。出なかったからこそ悪の方が淘汰されないで、思いきってやるとそこに水素爆弾が出来たからして、いよいよ危ないという事になったのです。悪を弱らせる力がないとすれば、ここに宗教家の役目というのが一番重大な問題になって来るわけです。

そう見て来ますと、その力のある宗教はあるかというと、私はあると言う。一つあるのです。それは、口はばったい事を言うようですが、それが救世教です。悪の力を抜く宗教、悪を制禦する宗教、悪を弱らせる宗教、それは救世教より他にないのであります。では、一体救世教というものはどういう方法でそういう事が出来るかというと、それが光です。つまり光のある宗教、光のある教祖なり宗教家というものは、今まで地球上に出なかったのです。その出なかったという事は、何によって分るかというと、これも甚だ大きな話ですが、ちょっと信じられない話です。けれども、本当の事ですから言わなければならないわけです。救世教の人達は分りますが、そうでない人が聞いたら“ああいう大きな事を言うのは、あいつは山師か、頭がどうかしている”と言うでしょうが、これは本当です。それは何かというと、最近キリスト、釈迦、マホメットという偉い人達がみんな私に救ってくれと言って来ているのです。

その一例をあげますと、最近キリストが或る若い婦人に憑って来て、この間私は浄霊をしてやったのですが、浄霊するかしない内に、涙を潸然(サンゼン)と流して、実に感謝に堪えない態度です。長い間霊界で非常に苦しんだのです。しかし“今度はお救いいただいて有難い、嬉しくて嬉しくてしようがない”と言ってシャクリあげて泣くのです。暫らく話ができないので、その間待っていたのです。そういう事が二度ありましたが、聞いてみますと、キリストが憑った時には、やはり磔の苦しみがあって、そうしてよくキリストの磔の像で、こういうように首を曲げて居りますが、やっぱり首を曲げるのだそうです。どうも首を何かで押えられたような、非常に苦しいそうです。それは、つまり磔に遭ったから苦しいのです。つまりその苦しみがすっかり取れないのです。取れないという事は何故かというと、光がないからです。それで、この婦人は去年頭がおかしくなって私が治してやったのです。それでまだ固まりがあるので時々来いという事で、時々やってやったのです。すると何時の間にかキリストがそれに憑って、何時の間にか良くなったというのです。

それからマリヤですが、マリヤは、自分の息子が救っていただいたというので二、三度出て来ましたが、非常に感謝してました。それから順々に出て来るのです。ヨハネも出て来ましたが、ヨハネは二千七百五十年霊界で苦しんでいたが救われたと言って、非常に感謝してました。最近はキリストの弟子でなかなか偉い人でヤコブというのが憑って来ました。そういうわけで、マホメット、孔子、お釈迦さん、日本では弘法だとか親鸞などが憑りました。続々憑って来るのです。そして何が欲しいかというと光が欲しいのです。私がちょっと浄霊をしてやると、光を受けますから救われます。だから光を求めて世界中からやって来ているみたいです。光を受ける事によって悪を制禦する事ができるのです。そういうわけで、今のような偉い、人達……でもないですが、神達……でもない、そういう聖者達が救世教のために大いに働くというのです。今までも働かしていただきたかったけれども、穢れがあるので、曇りがあるので働けなかったが、今度曇りを取っていただいたから大いに働けるというので、みんな勇んでいるのです。ですからそういう、つまり八百万の神様と言いますか、束になって活動しますから、如何に世界中に大きな発展ができるかという事がよく分るのです。

そこで今話した悪ですが、水素爆弾を恐れるという根本を言うと、つまり、作ったのはアメリカですが、アメリカが何のために作ったかというと、ソ連に対する脅威で、これを恐れているのです。知っているとおり、世界はアメリカとソ連との戦いみたいです。そのために水素爆弾というものが出来たのです。ソ連が恐ろしいという事は、ソ連の世界制覇とか世界を共産化するという、そういう考えを抜けばよいのです。けれどもこれもおかしな話ですが、そういった死んだ霊ばかりでなく、生きている霊、生霊が霊界でみんな一々呼ばれて、私の代理の神様が呼んで一々説得したわけです。ところが霊の方は知っているのです。もう自分は考え直さなければいけないという事で、マレンコフ等はつまり改心したのです。これから心を入れ変えて、救世教の目的の、人類の救いのために大いに働くからという事を宣言してます。その他世界の偉い人達、アイゼンハウアーとか、東洋特にインドのネール首相等が呼ばれました。その他いろいろと沢山出て来ましたが、これは順次「地上天国」に出ます。

そういうわけで、死んだ霊、生きた霊両方とも、救世教の神様と言うとおかしいですが、これはキリスト教のエホバです。それから「東方の光」と言う人もありますが、それによってみんなきれいに掃除をされて、そうして清浄で働くわけです。これは余程偉い人はみんな知っていまして、キリストの「天国」とか、いろいろと予言されたのを待っているのです。いよいよ待っていた本当に世界を天国にするという事業が始まったというので、我勝ちにやらしてもらいたいとて集まりつつあるのが今です。だからして不思議なような事で不思議はないのです。当然来たるべき事が来、時節が来たというだけの話なのです。それがためにあなた方が光を分け与えられて、確かに人を救うという確信を得られるという、こういう今までにないような事も、それがためだという事が納得ができるわけです。そういう事を知ってこれからやると、又いろいろな説明や何かの場合に、先方を分らせ納得させるというのに、大変な大きな力になります。

丁度、前にも言ったとおり、中京という所は神様の方でも非常に重要な所です。西と東の真中で中京と言ったのですが、私のやっている事は、伊都能売の働きですから、東と西の働きです。その真中の働きです。救世教のバッチが十文字で、真中が赤いのは日本です。昼間の世界です。中の黄色いのは、本当は金です。救世教になるわけです。それで、十の、緯は体的文化で、経は霊的文化であり、その経と緯とを結ぶというわけです。アメリカと日本を結ぶという事が根本です。近頃アメリカの新聞記者とか、そういう人がだんだん増えて来るのです。そして話がよく分るのです。だから信者でなくても私の仕事に働かしていただきたいという、そういう人がアメリカの知識階級の中にも増えつつあるのです。それもやはり今言った事の一つの現われです。

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四月十二日(奈良県公会堂において)

時間がないため言いたい事を全部話すのは無理なような感じがするので、ごく要点だけをお話しましょう。今世界中で一番問題にされているのは、みんな知っているとおり水素爆弾です。水素爆弾というものも、無論神様がやられているのですが、一体どういう訳でああいう恐ろしい気味の悪いものを拵えられたかという事について、ザットお話したいと思います。宗教のお話は、科学の最も先端の事をお話するのですから、随分矛盾(ムジユン)した話ですが、そういうふうに思うのは、如何に世の中が科学一点張かという事が分るのです。本当を言えば、神様のやられる事が最先端なので、科学の方が後を付いてゆくというのが本当なのです。先端を神様が言っているという事を知らせる人も、お話する人もないから、今まで分らなかったというわけです。

それについて気のついたのは、最近アメリカの方で、私の著書を大分調べて、その中で、無論「アメリカを救う」なども調べているそうですが、それから私の書いたものの中に「原爆恐るるに足らず」というのがありましたが、それに注目して、アメリカの人から“大変な事を言っている、救世教の実体を一度調査するように”との依頼を、日本に支社のある英字雑誌で「シーン」というのがあります。そこにアメリカの本社から通知があって、是非私に合っていろいろ聞きたいと言うので、十五日にシーンの記者と面会する事になりました。それで私は気がついたのですが、一番知りたいと思う事は水素爆弾の事です。というのは、あれほど恐ろしいものはないです。あれが出たのは神様の御意志、というよりも人類に対する働きです。それはどういう意味かという事なのです。私が書いたのは「原爆恐るるに足らず」ですが、その時は水素爆弾は出てなかったのです。現に原子爆弾の時には、信者さんでそれに遭ってお蔭をいただいた人があるのですから、その実際の報告によって充分証明が出来るから出したのです。ところが水素爆弾は大変な違いです。水素爆弾は原爆の何倍とか、いろいろな発表がありました。何十倍、何百倍とか、二千倍というのもありましたが、本当はまだ分らないようです。この間のビキニでの水爆実験の結果、学者も意外だと言うくらいですから、科学者が予想以上だと言うのですから、正確なところはまだ分ってないのです。けれども、とに角恐ろしい、大きな、想像もつかないくらいの威力を発揮するという事は確認されたのです。

すると一体人類はどうしたらよいだろうという事を考えてみると、それに対し、四月一日にアイゼンハウアーは“水素爆弾は恐るるに足らない、ただその使用目的の如何によって恐ろしいか恐ろしくないかが決まる”と言ってましたが、全くそのとおりです。つまり水素爆弾そのものは、人類を殺す目的とか、凡ゆるものを破壊する目的というように、戦争のために使うと恐ろしいものですが、そうでなければ何んでもないのです。むしろ人類の幸福のために使うと、これは大変結構なものになるのです。そうすると、使用者の意志如何によるのです。使用者の意志で、水素爆弾を破壊のために用いるというのは戦争ですが、その根本を一口に言うと悪です。人間を殺しても、破壊しても、自分達の目的、欲望を達成すればよいという目的ですから悪です。人間からそういう悪を全部無くする事はできませんが、つまりそういう悪を或る程度に制限するという事が根本問題です。水素爆弾のために世界中が今しきりに唱えている“強国同志が共同管理する”とか“条約を締結する”とか言っているが、あれは膏薬張です。結局、うまく成功したところで、或る時期の問題とか、或る程度という、一つの限度がありますから、本当に解決したのでなくて、安心する事は絶対にできないのです。それより絶対安心できるというのは人間の心の問題です。魂の問題です。

そうすると、根本である魂をどう解決するかというと、宗教より他にないのです。だから水素爆弾が重要になればなるほど、宗教というものが人類から要求されなければならない事になるのです。しかしそれに考えを起こさないのです。宗教ナンテものは駄目だと、これは科学の産物であるからして、相談より他にしようがないという事になっているのです。ところがそう思われるという事は、今までの宗教に悪を制禦する力のある宗教はなかったのです。本当を言うと宗教ではなかったのです。いや、宗教はそれだけの力がなかったのです。そこで他の新しいものが出なければ駄目だとなると、つまり宗教以上のものです。超宗教というと、それは一体何かと言うと、皆さんが知っているとおり救世教です。救世教より他にないのです。そこで神様は人間の魂の改造、その仕事を遂行させるというのが救世教であり、それを世界中の全人類に分らせるのが、あなた方信者の役目になるわけです。水素爆弾と聞くと、自分達は縁のないように思われますが、ところが今言ったようなわけで、大いに必要なので、これからです。

その事を十五日に来た人に話をするつもりです。それはアメリカの政府に通じますから、無論あっちの何かの機関に、それを通じて少なくとも政府首脳部に伝達されるには違いないのです。結局において、思う事を言えば、まずアメリカの首脳部が救世教信者になるという事が根本問題です。そうなります。時の問題です。それより他に世界が救われ、人類が安心するところまでゆきません。若しそうでなかったら、結局原子爆弾戦争になりますから。なにしろアメリカではドンドン生産を増やすというのです。つい最近の外電では、アイゼンハウアーの声明によって、水素爆弾の生産をドシドシ増やすという事が出てました。そうすると結局ソ連の方も負けずにやってますから、どっちかが諦らめるよりないです。ところが、アメリカの方は防禦的目的であり、ソ連の方は積極的世界制覇の目的ですから、根本はソ連にあるのです。共産党の首脳部が“そんな事はいけない、止そう”と、つまり自己の利益のためには何物も犠牲にするという悪を思い止どまる、無くするとも言えないから押える、押えるだけの善の力が湧けばよいのです。ですから、この水素爆弾の大問題も、結局一握りの共産党首脳者の解散にあるのです。

それは神様の方もチャンと知ってます。知っていると言うよりか、水素爆弾を作ったのはやはり神様です。神様の方に科学の係があるのです。係というとおかしいですが、そういう神様です。それで水素爆弾というものは必要なのです。ミロクの世にするにはどうしても一つの重要な道具です。結局において善い方に使うに違いないのですが、それまでにやっぱり、今言う、人間の魂の改造上必要なのです。そういうふうに見ますと、少なくとも救世教信者としては聊かも驚くに足らないのです。結局において非常に結構だ、それがあるために世界がこんなに良くなったという事になります。

これを例えて言うと、日本の広島と長崎に原子爆弾が放たれて、一ぺんに日本が降伏して平和になったのですが、若しあの原子爆弾が無かったら、まだ戦争が続いたに違いないです。日本は、降伏ナンテとんでもないと何処までも戦ったでしょう。今は笑い話ですが、知っているとおり、竹ヤリの稽古までやったのですから。しかしあまりに原爆の威力が恐ろしいので、これは駄目だという事になったのです。あの時に天皇陛下が阿南陸相を呼んで、“お前、勝つ見込があるか”と言うと“ありません”“それでは止したらよいではないか”と言うと“止す事もできません”と言ったのです。その時の軍部の情勢を正直に表わした言葉です。その結果翌日いよいよ降伏という事が決まった時に、阿南陸相は腹を切って死にました。その言責から生きては居られなかったのです。それで日本人は今もって広島、長崎の原子爆弾を怨んでますが、実は広島、長崎の原子爆弾で日本の都市はみんな助かったのです。そうでないと、みんな潰されてしまいます。

ですから水素爆弾も、放たれた後は、それがためにこんなに良くなったという事になるのは必ず間違いないです。さっき私が言ったように、近頃アメリカのジャーナリスト、知識階級が大分救世教を問題にするようになって、私の所に訪ねて来るのがだんだん増えて来たのです。美術研究家とか新聞記者ですが(最初は美術研究のために来たのですが、近頃は宗教の方も増えて来て、大分宗教的の質問もあります)そういうわけで、信者ではないが、ファンというものが増えて来てます。今にあっちの知識階級の注目の焦点になるというように認めて来るのです。そこでいずれは、民間外交と言いますか(政府の厄介にならないで、民間外交というような)一つの機関というようなものになるような形勢があるのです。いや、もう現にいっているのです。何時ものグリリ夫妻などが“外務省などはしようがない、だから、つまり民間でしっかりしてもらって、それを通じていろんな事を話した方がよいように思っている”と言ってます。実現性が難かしいかもしれないですが、相当アメリカの有識者と話し合いが出来る時代が来るという事は確かです。

そうすると、何時も言うとおり、アメリカが緯の文化、日本が経の文化の代表者で、それを結ぶという事がいよいよ実現の段階に入ってゆくわけです。救世教のバッチにあるとおり、経と緯が結んでいると、経が日本で緯がアメリカ、真中の丸い赤は、昼間の世界とも言うし、日の本日本とも言えるわけです。真中が黄色くなってますが、あれは本当は金です。あれが救世教になるわけです。金というものは、そういったような非常に意味があるのです。これはいずれ話しますが、そういう様な工合で、つまり救世教の象徴です。あれがそういう使命を表わしているのです。

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ところで、もう一つ話したい事は、(これは是非お話しなければならないし、非常に面白い事です)信者なら分りますし信じられるが、信者でない人は、おそろしく手前ミソのように思われるのです。何故かというと、今度私が奈良に来るについて、奈良の各山の龍神さん、神社、仏閣の、尊、何の神様、何の如来という、神、仏の霊達と、それから守護の龍神と、龍神になっている神様、そういう方々は非常に喜んで、今日は霊界では歓迎しているのです。これはいずれ「地上天国」にも出ますが、さっき天候でチャンと挨拶したのです。雨が降ってたのが止んで来たのです。丁度奈良に来る時に日が照って来たのです。あれは挨拶です。今日は雨が降るに決まった日ですが、龍神さんの歓迎の意を大いに表明するには天候よりしようがないので、“ああ、やったな”と思ったのです。

近頃あらゆる神、仏が非常に喜んで、キリスト、マホメット、釈迦、ヨハネといろいろな神様が出て来ます。此処に来るちょっと前にも何時もの婦人に、マリヤとキリストが出ましたが、実に喜んで、口から出る言葉のあらゆる讃詞を呈しているのです。実にその喜びの情というものが溢れているのです。他のあらゆる神、仏も、みんなそういうふうです。とに角みんな、私が出るのを何百年何千年前から待っていたのです。だから奈良の各地の龍神が喜んで、私が此処に来る時に御挨拶に伺うと言ってましたが、なにしろ霊ですから始末が悪いのです。私に感じるだけで形がないのですから。けれども間違いないという事は分るのです。そういうわけで、これから救世教は目覚ましいものがあるのです。

そうするとあなた方も忙がしくなりますから、何時も言っているとおり、大いにフンドシをしめなければならないと思ってます。そういうようなわけで、霊界は大体殆んどミロクの世になったのですから、これから現界に写ってゆくわけです。その中で面白いのはマレンコフです。さっきの話に関係があるというより根本ですが、マレンコフ、モロトフというああいう連中も、自分が今まで間違った事が分ったと言って居ます。(これは生霊です。生霊と死霊と両方ありますが、生霊の方は自由に呼ぶ事ができるのです)私が静岡の留置所に居る時に大分呼びました。その時スターリンを呼びましたが、スターリンはどうしても駄目です。他の人は“そうなります”とか“時期を待ちます”とか言ってましたが、スターリンはガンとして駄目でした。スターリンは最底地獄に落ちて何千年も居なければならないのです。結局そこまでゆくと改心しますが、一番遅いでしょう。というのは執着が強いですから。そういうわけで、世界が、悪を制禦するだけの善の力が増えるという、そういう魂の人間が増えますから、そこでさすがのスターリンも“駄目だ”と言って改心するのはしますが、一番ドンジリになります。

いよいよ本当の地上天国、ミロクの世の圏内に入るわけです。これは事実がこれからドンドン現われますから、いよいよ本舞台になったわけです。それからこれは面白い話ですが、「東方の光」という事になってます。結局人を救うには、人ばかりでなく霊にしろ一切を救うには、まず光です。いろんな霊というものは光を求めて来るのです。御光をいただきたいと言って求めて来るのです。光で救われるのです。キリストでさえ今まで随分苦しんだのです。キリストが憑ると首を曲げるのですが、十字架の絵にあるように、首を曲げるのです。それはその時に何かで縛られたか、或いは死んで下に落ちて、その上に何か物がのったとかしたものです。つらいそうです。そして十字架の磔になった時の痛みは殆んど取れたが、まだ首が曲っているのは、少しあるようです。最初は大分痛かったようですが、それも取れて、キリストが非常に有難がっているのです。マリヤとしても、自分の息子ですから、伜が助けられたというので、非常に喜んでいます。

時間がなくなりましたから、このくらいにしておきますが、今お話したのはあんまり大きな話ですから、余程信仰がしっかりしていないと信じられないです。信仰のない人が聞いたら馬鹿々々しくて鼻の先で笑うかもしれませんが、本当なのです。あなた方はそうでもないでしょうが、これからそれが形に現われて来ますから、それを或る程度まででも信じさせるのが大変です。今まで何億という人類が拝んで来たキリスト、釈迦を私が助けたというのですから、“そんな人間が現われる事はない、頭がどうかしている”と言うかもしれません。あなた方は不断から知っているでしょうが、それを“これだ”という所までゆけば、魂がすっかり固まったのですから、そうするとそれによってその人の力が強くなるのです。それこそ私の代理として立派に力をふるい、仕事が出来るわけです。だから今言った事をよく心に入れて大いにやって下さい。

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四月十五日

今度奈良に行った事は、奈良に神様、仏様の霊が一番沢山居るのです。まあ日本では奈良に集中されていると言ってよいくらいな所なのです。それがみんな龍神になっているのです。それで龍神が元の神、仏……と言ったところで、一旦は人間に生まれたもので、それが龍神界に落ちたものですが、それで私の光を受けると罪穢れが取れますから、そこで龍神が人間に出世するわけです。そのために非常に来てもらいたがっているのです。それで行ったわけなのです。ですから天気都合なども神秘的にうまくいったわけです。朝行く時には随分ひどい雨でしたが、奈良に着く三十分ぐらい前から晴れて来て日が当ったくらいです。それが済んでから奈良ホテルに帰って休んでいる内に又降って来たようなわけで、丁度龍神さんが、このとおり一生懸命に御迎えした、働いたという事が分るようにしたわけです。そういうわけで、奈良の公会堂で講演した時に集まったのが三千三百だったのですが、公会堂は二千人ぐらいで一ぱいで、千人ぐらいは庭に一ぱい溢れていたのです。ですから若し雨が降ったら大変な事だったのですが、丁度少し前から晴れたので、庭も乾いて、実にうまくいったわけです。

そういうわけで、奈良の一番の目的の所は、山奥で、室生寺で、十六里ぐらいですが、一番最初其処の龍神が出て来て、今度おいでになるので方々をきれいに掃除をしておく、清めておくというわけだったのですが、それから大きな山火事があり、なんでも何百町歩か焼けて、損害が六億というのですから随分大きなものです。それで何カ所もあったのだそうです。焼かれた人には気の毒ですが、それも一つのお浄めの手段です。室生寺に行った時も、其処の住職の人で、大和の長谷寺なども自分が監督しているというわけで、真言宗の豊山派の方では一番偉い人です。丁度、先方でも是非会いたいというわけで、何処かに出張していたのが、そのために帰って来たという話をしてました。それから龍神を祀ってある所を聞いてみたところ、丁度室生寺の横の方に山があって、其処に祀ってあるのです。「善女龍王」というのです。つまり其処の龍神さんの偉い方です。やっぱり、有名な大きな寺を護っているのは、龍神さんの中でも、やはりそれだけの資格があるわけです。なんでもその龍神さんは雨乞か何かで、室生寺の開祖みたいな者が他の者と雨乞を争って勝ったというのですが、勝ったというのは、その龍神さんが働いたのでしょう。

龍神というのは非常に、つまり厳しいのです。そのために自分に頼む人間とかそういうものが自分よりか位が上でないと言う事をきかないのです。雨乞などで非常に御利益があったというについては、幾ら大勢が拝んでも御利益がない場合がありますが、それは幾ら人間が拝もうと、神格のある人が居ないときかないのです。一人でも自分以上の人が頼めば言う事をきかないわけにはゆかないというわけで、そういう事は階級によって非常にキチンとしてます。特に龍神界はそれが甚だしいのです。

それから今度驚いたのは、一体に信者が増えた事です。京都辺の信者が増えたのは驚くべきものです。帰りには見送りの人達が非常に多くて、この次あたりは制限しないと駅が一ぱいになるそうです。去年あたりの倍ではきかないくらいです。それが当り前です。神様の方の力がだんだん増すに従って発展が速やかになって来るわけです。いろいろな霊の事はだんだんに書きます。旅行の事はこのくらいにしておきます。

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これは某婦人に、この前から引続いて雑多な霊が憑って言うのですが、これほどいろんな霊が喜んでいるという事がよく分るので、今読ませます。

(御報告)

日蓮  日蓮の狐については前に話した事がありますが、あれは狐界に落ちて狐の総頭領になったわけです。それで日蓮宗は狐が多いのです。やっぱり今度、人間に立ち返ったわけです。その御礼に出たわけです。今宮神社  今宮神社というのは熱海の奥の方にあるのです。私は一度行った事がありますが、なかなか立派な大きなお宮があります。それから、事代主命というのは大国主命の長男で、神武天皇の時に降参した神様です。

良寛  最近良寛の掛物を十六幅に、六曲の屏風を一双手に入れました。そういう事も、やっぱり良寛が働いたわけです。働くという事は、他に売れないようにしたのです。だから仕方がないと、こちらに売らなければならない事になったのです。今の良寛の“子らと鳥と風と……”というのは良寛の性格がよく表われてます。年中子供が好きで子供と遊んでいたのですから。

龍神  この中にあるカラタマという事は、「カラ」は体「タマ」は霊という事で、カラタマは霊体という事です。ですからよく歌にカラタマという事を言ってますが、それは今言ったとおり人間というわけです。

金毛九尾  金毛九尾の改心というのは大きなものです。つまりこの金毛九尾の罪というのは、人間を堕落させるそれが一番の罪です。ですから汚職事件なども、この金毛九尾の眷族が大いに働いたわけです。ですから奴の一番の働きは、女を使って男を堕落させるという事なのですが、そういうわけで金毛九尾の親玉が改心すると、そういう方面が余程きれいになります。ですから今政府でやっている私娼問題や何かも余程楽になるわけです。一度にはゆかないが、だんだんそうなるわけです。それから追々家庭も円満になってゆくわけです。

それから龍神というのは日本ばかりのように思われますが、日本ほど多くはないが外国にも沢山居ます。今度方々の龍神の状態がよく出てますから、読ませます。

(御報告)

さっきのは熱海の婦人で、今のは京都の人ですから、ずっと遠いわけですが、しかし今霊界のいろんな霊が、因縁の人に憑って知らせるわけです。

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それから、今度名古屋と奈良で講演しましたが、その事は重要な事なので、今日は聞かない人の方が多いでしょうから少し話をします。例の水素爆弾です。これについて、日本における外国雑誌「シーン」というので、昨夜見ましたが、立派な雑誌です。日本の文化を外国に知らせるというのが目的だそうですが、立派なもので、五万ぐらい出ているそうです。そこの記者が今日此処に来る事になってますが、質問の要旨は、「アメリカを救う」という本を見たためと、私が書いたものの中に「原爆恐るるに足らず」というのがありますが、大体そういう点を聞きたいという事なのです。その連れにラジオ東京の人も来るそうです。それについて大体私の言う事は、原爆恐るるに足らずという事は、これはあなた方も聞かれるでしょうから知っておく必要がありますが、原爆を逃れたり、その被害を受けた人達が浄霊でよく治ったというお蔭話がありますが、そういうようで、原爆は恐るるに足らずなのです。

ところが水素爆弾は違うのです。なにしろ原爆の何百倍という威力なのですから。今盛んに騒いでいる、灰が少しついただけでも大変な騒ぎです。そういうようで水素爆弾は違うのです。水素爆弾は逃れる道はないと言ってもよいのです。とに角大変なものなのです。その元はやはり神様が作ったのですが、では何のために作られたかというと、これは宗教的でなければ分らないのです。というのは、科学で防ぐ方法はないのですから。前の原爆の方は、穴を掘って地下に居るとか、鉛で遮断する事ができるのです。ところが水素爆弾は、地下にもぐろうものなら、地面がまるっきり地震のように破壊されてしまうのですから、水素爆弾の方では山一つ崩すぐらいは訳ないのです。それだけで止まっているのではなくてドンドン進んでいるのですから、まだまだどんな事になるか分らないです。まあ人類滅亡の前夜と言ってもよいです。

ところがこれを防ごうとするにはどうするかというと、私の方では訳ないのです。この間アイゼンハウアーが言ってますが、“水素爆弾そのものはそれほど恐れるべき物ではない、その使用目的が恐るべきものになるのだ”と言ってますが、うまい事を言ってます。その使用目的というのは何かというと、戦争に使う、人間をやっつけるというその使用目的が恐ろしいのです。戦争に使うという事は人間の魂です。今一番はっきりしている事は、ソ連の共産主義者達で、それも何人かです。その何人かが、“これはいかん。止した方がよい”という心になればそれでよいのですから、問題は簡単です。それが根本です。いくら科学者が水素爆弾を逃れるような発明をしようとしても、例え出来たとしても今が今の間に合わないです。何十年先か分らないです。それまでが危ぶないのです。それから又国際条約などをやってますが、これは必要に応ずればアンナものは一日で駄目にしてしまうという事を言われてます。全く、今までの戦争を起こした国はみんな国際条約を蹂躪(ジユウリン)してます。ですから国際条約というのは本当の膏薬張で、根本的でないです。そうしてみると、根本的の問題は人間の魂です。人間の魂という事は、つまり悪が無くなればよいのです。しかし全然無くなるわけにはゆかないからして、ただ悪を制限すべき善の力の方が勝てばよいのです。戦争を起こそうという、或いは戦争によって目的を達しようという、その間違った考え方を教えるだけの力があればよいのです。そうすると水素爆弾を防ぐのは、人間の魂に悪を押えつける力が出来ればよいのです。

そう言うと甚だ簡単ですが、それが大変な難かしい事です。難かしいが、私から言えば簡単です。というのはその魂に光を放射すればよいわけです。浄霊すればよいのですが、浄霊は簡単にはそういう機会がない、問題はそれだけです。神様の方ではチャンとそういう事が立派に出来ているのですから、時さえ来ればよいのですが、ただその時が早いか遅いかだけの問題です。その時を早くするにはどうすればよいかという事は、一番よいのはアメリカの大統領が信者になって御守をかけるのです。そうすると、相手が光に会います。どうして光に会うかというと、これは面白いもので、仮に、今アイゼンハウアーとマレンコフが対峙してますが、その場合マレンコフの方がアイゼンハウアーをやっつけようと始終思っていると、マレンコフの霊がアイゼンハウアーの方に行くのです。そうすると、アイゼンハウアーの方が御守をかけていると、その光に会いますから、それがマレンコフに行く事になって、だんだん変ってゆくのです。この前マレンコフが京都の人に憑って来て“今まで大変悪かった、今後は改心する”という事を言ってますから、自分では気がつかないが、正守護神が良くなっているのですから、これも時の問題です。

そういうわけですから、水素爆弾というものは神様が作って“その難から逃れるには、科学でも国際条約でも理窟でも駄目だ、要するに神様にたよるよりしようがない”という心を起こさせる必要から、こういう恐ろしい物を作ったわけです。出来たわけです。というのは、いよいよミロクの世が近寄った一つの重要な経綸です。だから救世教の方では何も恐れるところはないのです。それについてちょっと書いてみました。

御論文〔⇒恐るべき科学迷信

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四月十六日

今度の奈良行はお天気都合が非常によかったのですが、方々の龍神さんが大いに喜んで出迎えたわけです。それで一生懸命にお天気都合を努力したとみえて、そういう点がよく現われています。それから京都方面の信者が大分増えたとみえて、帰りの見送りはこの前の倍ではきかないと思います。これ以上増えると、京都駅の収容が難かしいのではないかと思われたぐらいです。それは実に多かったです。今霊界では非常に進んで来て、いろいろな霊が御礼やら御頼みやら、いろんな事が出てます。霊界の霊の一番多いのは、救世教の仕事に使ってもらいたいという希望が一番多いです。順に栄光や地上天国に出します。今、出ただけのを読みますが、これは熱海の婦人と、京都の婦人と両方ですが、龍神も日本だけのように思われるけれども、世界全般到る所に居て、今度の救世教についてのいろいろな、まあ働かしてもらいたい事や何かを頼んで出て来てますから、それを読ませます。

(御報告)

それから龍神が喋るという事はなかなか難かしいのです。それで又外国の龍神ですと外国語を使う龍神もあるが、日本語を使う龍神というのは外国の龍神にはないのです。そこでこれは日本の龍神に頼むのです。といっても、龍神の話というのは言葉ではないので、大抵目で話をするのです。それで早いのです。今読んだだけのものなら一分もかからないでしょう。そうすると、日本の龍神でも言葉が出来る龍神があるし、又龍神から人間になったのも沢山ありますから、そういうのに目で話をするのです。そうすると日本語で幾らでもすっかり話ができるわけです。

それからよく狐だか祖先だか分らない事がありますが、あれは、人間に憑って話をする場合に、狐は実にうまいのです。狐は言葉はどんなのでも分るので、人間と同じに話が出来るのです。そこで霊が狐に頼むのです。その場合に、霊が祖霊に話をして祖霊が狐を使うのですが、そういう事が多いのです。ですからよく狐だか人間だか分らない事があるのです。審神していて、狐と思ってしまったり、狐に瞞されるものかと一生懸命に用心しますが、そういう必要はないのです。人間の霊に頼まれて狐が喋る場合には、狐が本性を現わすことがあるので、そこで狐に見えるのです。私は以前そういう霊を扱かった事があります。古い本に出ているかもしれませんが、“さようでございます”“はい”と言って、女なのですが、“オイ、そんな事は知るもんかい”と言うのです。“貴様は狐だな、引込め引込め”と言うと、又人間の言葉になるのです。その内に又狐が出て来るのですが、丁度狐と人間と半々になるのです。

それで龍神が一番人間の言葉が使えないのです。ですから私に一番最初憑った霊が、唸ってばかりいて口がきけなかったのですが、一月ばかりいて人間の言葉が使えるようになったと言って非常に喜びましたが、そういう事がありました。ですから外国の龍神もそういうようなわけです。それから次はいろんな霊が出て来たのですが、これをもってみても如何に霊界では、私に頼んだりいろいろな礼を言ったり、感謝の気持という事がよく分るので、今読ませます。

(御報告)

日蓮  日蓮上人は狐になって、狐の親分になったわけです。それを私が救ってやったのですが、前にちょっと話した事があります。日蓮宗の信者はみんな狐が憑くのです。今でもやはり狐がやっているのです。一時は非常に発展しますが、それは本当の発展ではないから、結局いろんな問題が起こったりするのです。今でも日蓮宗の内部にいろんな派があって、大分いろんな軋轢(アツレキ)があるようですが、そういうわけですから、いずれは狐が……狐と言ったところで、みんな人間が畜生道に落ちて狐になるのですから、再び人間に返るのです。そこで日蓮上人は非常に感謝してますが、これは時々そういう事があるのです。というのは、つまり人間になるという事が一番嬉しい事なのですから。

それから、つまり龍神もみんな人間が龍神になったのです。だから人間の言葉も使えるし、人間の感情、智恵、そういうものがあるわけです。そこでその救いというものは、畜生道に落ちたものを人間に復活させるという事は、畜生道に落ちるべき罪穢れ曇りが溜ってそうなるのだから、光に会うとそれが消えますから、消えると霊的に位が上がるのです。という事は人間の位になるわけです。救世教の救いというものは人間ばかりでなく、霊界が救われるのです。やっぱり霊界が根本だからして、どうしても霊界が救われなければ人間界は救われる事はないのです。しかし今までのいろんな宗教はそういう事が出来なかったのです。人間を救う事さえなかなか出来なかったのです。というのは、霊主体従ですから、霊が救われなければ体は救われないのです。体だけ救われて大いに苦しんでいて、表面だけの救いで、根本ではないから駄目だというわけです。今宮神社  今宮神社というのは熱海のこっちの奥の方ですが、立派なお宮です。事代主命というのは大国主命の長男です。つまり神武天皇に征伐された時に一番早く降参した神様です。この弟が建御名方命といって、これは暴れやで非常に強くて、これが抵抗したために、追かけられて、到頭信州の諏訪に逃げて行って、諏訪湖に飛び込んで龍神になったので、それが今の諏訪神社です。

良寛  これが良寛の面目がよく出てます。あれは始終子供と遊んでいたのですから、“子らと鳥と風と遊ばん”というのは、実に良寛らしい事を言っているわけです。

金毛九尾  金毛九尾の改心という事は重大事なのです。つまり世界の人間を堕落させる一番の親玉なのです。今度の汚職問題にしろ、金毛九尾が一番活躍したでしょう。と言ったところで、みんな眷族ですが、眷族が何億と居るのです。これは、一番の急所を狙って虜にしてしまうのです。そうして金を使わして賄賂をとるようにさせるのです。パンパンというのは金毛九尾のごく下っ端の方です。だから金毛九尾が改心するという事は、つまりそういった面が大いに良くなるわけです。これがやっぱりミロクの世が近付いたために、霊界が明かるくなったためです。光が一番怖いのです。そこで今までの世の中では光というものが無かったからして、夜の世界だったから、いろんな好き放題な事を盛んにやったのですが、いよいよ光が出たので、どんな奴でも改心するよりしようがないのです。今までどおりにやれなくなったのです。

これはまだ読まないが、二、三日前にスターリンが大分改心しかかって来たのです。スターリンの居る所が少し明かるくなったのです。彼は一番最底の地獄に居ますが、そこで“自分は今まで非常に間違った事をしたから、どうか赦してもらいたい。幾らか楽になったが、まだ苦しみがあるから、それを少しも早く赦してもらいたい”という事を言っているのです。もう一息で改心するようになって来たのです。非常によいと思います。そうすると共産主義というものは近き将来ガタガタになってしまいます。この事は私はスターリンが死んだ後に、必ず共産主義はだんだん萎(シナ)びてしまうという事を言っておきましたが、やっぱりそのとおりに、だんだん早くなって来るわけです。

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それから、「シーン」という雑誌がありますが、これは日本の文化をアメリカに紹介するという雑誌です。この間見ましたが、立派な雑誌で、おそらく日本にはないくらい立派な雑誌です。アメリカが本社で日本は支社になっているわけです。そこの記者と、ラジオ東京からも二人来て録音をとって行きました。ラジオ東京に出るかもしれません。その時の目的は、私の「アメリカを救う」という本と「原爆恐るるに足らず」という事について、アメリカの方から問い合わせが、つまり調査の依頼、それはアメリカのどういう方面から来たか分らないですが、聞いてみると読者ではないらしいのです。相当の所から来たのだろうと思います。それでいろいろな話をしてやりましたが、ラジオ東京の若い男は随分熱心で、実によく質問してました。その熱心さには感心しました。いろんな話をしましたが、なにしろ私の言う事は聞いた事もない珍しい話なので……それはそうでしょう、あの人達は私の言うような意味の話は聞いた事はないに違いないです。そこで、できるだけ分るように話してやりましたが、勿論全部は分りはしないが、三分の一や五分の一は分ったと思います。それだけでも結構です。

その時に話した事ですが、水素爆弾については……これはその人に話したために言うのではないので、一度は言うつもりだったのです。つまり原子爆弾は防ぐ事はできるのです。今までのお蔭話にもありましたし、「原爆恐るるに足らず」とも書いたのですが、「水素爆弾恐るるに足らず」という事は書けないのです。これは大変な違いなのです。では神様がどうしてそんな恐ろしい物を作ったのかというと、これは又大変な意味があるのです。というのは、例えば原爆などですと、地下に防空壕式に、何米下に掘って、そうして其処に市街を作ってもよいし、要するに避難する事ができるのです。或いは鉛は原子核で破壊できない、防ぐ事ができるのですから、鉛の家を作れば逃れる事ができるのです。原爆の資料はみんな鉛に包むのです。ところが水爆はそうはゆかないのです。例えば水爆一発放つと、地面が掘れてしまうのです。今のところはそうなのですが、これがまだまだ発達するのです。そうすると、幾ら深い穴を掘っても駄目です。何米何百米下まで掘れるのですから全然駄目です。そうすると逃れる道はないのです。そうなると人類の破滅です。この間のものは広島に落した原爆の六百倍とも言われてますが、それも正確には分らないのですが、しかし百倍としても大変なものです。

そうすると防ぐ道はないのです。そういった人為的の事、科学的の方法も駄目ですし、国際協議とかを今やらんとして、水素爆弾の協定、国際協定をして防ごうとしても、それは全然駄目です。こうなった以上、製造を止める事はできます。しかし自分の方で止めても相手の方で止めなければ何んにもならないから、どうしても両方で作る競走をしなければならないです。この間アイゼンハウアーが“水素爆弾の製造、増産は大いに必要だから、ますます馬力をかけろ”という指令がありました。アメリカでは水素爆弾をドンドン作っているわけです。そうするとソ連の方でも負けずになってやるというわけで、そういった方法では全然駄目です。ですから新聞にも出てましたが、“それは根本的の方法ではない、だからもっと根本的の方法を探さなければならない”という事を言ってましたが、根本的の方法というのは訳ないのです。

これも一日のアイゼンハウアーの水素爆弾についての演説で、“水素爆弾そのものは少しも恐ろしいものではない。つまり使用目的によって恐ろしい恐ろしくないが決まるのだ”と言っているが、全くそのとおりで、つまり人間の心、魂が“そういった破壊や人を殺すという事はいかん、だからそれはやめる”という心になればよいのです。それを平和の方に使おうと、平和に使うべき研究を大いにすればよいのです。そこで心ですが、心というと、今アメリカはあんなに一生懸命に水素爆弾を作っているが、結局世界を破壊するためではなくて、敵が攻めて来た時に負けてはいけないという、根本は防備の精神からで、積極的の手段に作ったのではないのです。若し積極的の手段に出るとするとソ連です。これはどんな事をしても世界を制覇しなければならないという事なのですが、スターリンが立派にお手本を見せているから間違いないです。それでは大変だからそれを防がなければならないというのがアメリカの根本です。そこで一番良いのはソ連の一番の幹部、スターリンの遺髪をついでいる、言わば一握りの人達が改心すればよいのです。“もう、そういう世界制覇の目的は放棄する、そうしてお互いに仲良くする”として、それでソ連が一番に水素爆弾の製造やそういう事は放棄するという事を世界に宣言するのです。それでそういう事の一切を信じられるだけの行動をすればよいのです。

例えてみれば、南北朝鮮ですが、これはソ連が始めたのだから、北鮮の軍備を撤廃させて手を握らせるのです。それから中国も、全部蒋介石に返す事もできないから、半分に区切って、北の方は中共、南の方は蒋介石というようにやるのです。中国は大きいから二つに分けて丁度よいです。朝鮮はアンナ小さい所だから一つにしてよいです。それでソ連も中共も軍備を止してしまって、アメリカと握手するのです。そこまでゆかないと駄目です。そうでなければ、何時なんどき暴れ出すか分らないです。又、鉄のカーテンなども撤廃しなければならないというようになればよいです。それ以外は水素爆弾の製造という事は、破壊の道具としての製造は止めるわけがないのだから、どうしてもソ連がそこまでゆかなければならないのです。そこまで必ずゆくのですが、ただ時の問題です。しかし霊界の動きを見ますと、割合に早そうです。なにしろマレンコフの霊は、とうに改心しているのです。それで、スターリンでさえそういうような工合ですから、とに角霊界に平和が実現するとすれば、現界は無論そのとおりになるのだから、いよいよミロクの世になるわけです。それについて少し書いてみました。

御論文〔⇒恐るべき科学迷信

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四月十七日

あなた方は見られたでしょうが、三越の浮世絵展は予想外の盛況で、大抵一万二、三千から、多い時は一万八千ぐらいです。それでああいった催し物で今度の浮世絵展は三越始まって以来初めてだそうです。とても見られないです。よくもあれだけの良い物があんなに数多く集まったものだという事を一番感心しているのですが、ところがあれだけ集まるのに正味としたら半年でしょう。半年でバタバタと集まって、値段も割合安いのです。版画よりも安いのです。実際面白いものです。というのは、版画の方は世界的に知れ渡っています。ところが肉筆の方はあんまり知らなかったのです。何時も言うとおり、あれは外国から発見されて日本人が真似したという形です。外国が発見したのは、浮世絵というのは版画からです。外人はよく知っているから尊んだわけです。肉筆というのはあんまり世の中に出なかったから、明治時代に外人が来朝しても見る機会がなかった。それで版画が浮世絵と思ってしまったわけです。そこがこっちの狙いどころです。私は、版画より肉筆の方がずっと値打があるのですから、それが安いという事は、とんでもない話だというわけで、できるだけ買えという考えで買ったわけです。この頃は殆んど無くなってしまってます。偶に持って来てもまるで駄目で、買うような物はないのです。肉筆の“これは”と思うような物はみんなこっちに入っているわけです。それだからしてかえって肉筆の方を見ないからして珍しくもあるし、実際値打もあるわけです。そこで余計驚いたわけです。

毎日新聞でも三越でも、非常なもので、期待以上なので驚いているそうです。あれでこっちの一番プラスになる点は“箱根美術館は救世教がやっているのだ。どうもこれだけの事をするところを見ると、なかなか、普通新宗教ナンテ言って馬鹿にできない。とに角これだけの事をするのだから、余程内容がしっかりしたものでなければならない。これは大いに見直す必要がある”というような印象を与えるだろうと思います。その点において、とに角新宗教の中で傑出したものだという信用を高める点においては、大いに効果があると思うのです。あんまり混むので、みんな見られないものですから、有料にした方が見良いという要求が随分あるのです。それは分りきった話ですが、あれはただ、あんな立派な物を沢山見せるという事が、如何に社会のために良い事をしているかという事になりますから、今後はどうか知りませんが、最初は人のやらないような、世の中のために良い事をするというわけで“只でこんな結構な物を見せてくれる、有難い”という、そういう事が社会的に非常に良い影響を与えると思います。

それで、僅かの間にそういった事が出来るという事は、無論神様が自由自在にやっているのですから、人間業ではないのです。第一、人間業とすればアンナ良い物がそう無造作に集まるものではないです。あれはなかなか集まる物ではないのです。それが面白いように集まってしまうのです。あれらは何かというと、無論作者なり持主なりが、つまり救世教の御用をして、御用をしたために自分が救われるというのが根本なのですから、霊界でそういう霊が大いに活動する、そのためにトントン拍子に集まったというわけです。そういうようなわけで、霊界においてもだんだん、救世教というものが霊界の霊に知れて来たのです。だからドンドン集まって来ているのです。

この間も読んだとおり、京都の方の婦人は三十三歳で未亡人だそうです。それから熱海の婦人もそのくらいの人ですが、今は主にこの人達に憑ってます。それから普通霊視は茨木という婦人ですが、これもなかなか面白いです。今度の御祭を霊視したのなにかも、なかなか正確で、信用するにたるものです。今度の栄光に出ます。つまり御祭の時の霊界の模様が実に細かに書いてあります。それから十二になる子供が夢で毎日順序立って知らしてくれるのですが、これも実に素晴しいものです。夢のは世界的で、世界にもそういった霊的状態は、私は今まで記録でも見た事がありませんが、おそらく無いでしょう。あれは実に神秘です。最近の霊界の一部を今日読ませようと思います。これで大体霊界の今の状態が見当がつくわけです。

(御報告)

これは一つ一つ解説すると面白いのですが、主なものだけを言います。狛犬  狛犬というのは、よく神社仏閣の前に両方に主従みたいにありますが、あれは「天犬」「狛犬」と言って、天と地になっているわけです。男、女――陰、陽というわけです。あれは霊界では門番というわけです。それが立派にこういった御用をしているのです。それで自分の状態を知らせたわけです。

日蓮  日蓮は以前も言ったとおり、畜生道に落ちて狐の親玉になったわけです。ですから日蓮宗の信者は全部狐が憑くのです。それを私が日蓮上人を狐から救って人間にしたわけです。それで狐と言ったところでみんな人間なのです。人間が畜生道に落ちて狐になるのです。龍神は執着によって龍神になるし、狐は人を瞞す、嘘をつくという、それを沢山やると狐になるのです。それから又再び人間に還元するのですが、しかしそれは相当の苦しみや信仰上の関係でなかったら、容易には復活しないのです。日蓮上人は私が余程前に箱根で救ってあげました。それから留置所に居る時もやっぱり御礼に来て、それから一層良くなって、今救世教のために働いているわけです。そこで今言っていたとおり“全部狐を救ってもらいたい”という事は人間にしてもらいたいというわけです。これがみんな人間になると、日蓮宗というのは崩れてしまうのです。今まであれまで盛んになったという事は、狐がやったのです。ドコドンドンと叩きますが、ああいう浮かれるような事は狐が大好きなのです。一種の浮かれたようになって太鼓を叩きながら歩いていますが、あれは狐が面白くて嬉しくてしようがないのです。人間の方は狐の入れ物で、やっているのは狐がやっているのです。そう言うと甚だ型無しになってしまうが、もうこうなったら早く分った方がよいわけです。

今宮神社  今宮神社というのは熱海の南西の端の方にある立派なお宮です。事代主命というのは大国主命の長男です。

良寛  これが非常に面白いと思います。これは苦しみがないのです。地獄に落ちてないのです。極楽です。というのは、このくらい、それこそ清浄な罪の無いという人は珍しいです。それで“子らと鳥と風と遊ばん”というこれが、良寛の面目躍如としてます。生きている時がそうで、始終子供と遊んで、他愛なく日を送っているのです。しかしなかなか学問も熱心にやってますし、歌とか詩とか、そういう事もなかなか大したものです。それで書は私は好きですから、よく良寛の書を見るのですが、良寛の書の一番の特色は、実に邪念がないのです。野心も何もなく、本当に有るがままの、その時の自分がそっくり出ているのです。だから見ていて実に微笑(ホホエ)ましいような、気持が良いです。書というのはその人の人格を一番表現しているわけです。書を見ればその人が大体分るわけです。書で一番好きなのは良寛と一休です。一休のは実に、何と言いますか、正直有りのままです。私は一休の書で真偽を確かめるのは、下手なら一休と思えばよい、上手なら偽物と思ってよいと言うのです。一休は上手に書こうと思わないのです。沢庵などは上手に書こうと思うのです。上手に書こうと思わないところに一休の良さがあるのです。これは私でも敵(カナ)わないです。私でも上手に書こうと思うから、それが出てます。一休より私が、上手く書こうと思っているから、それは上手く書けてますが、一休は上手に書こうと思わないから、その点は敵わないです。そういうわけで、今の良寛のそれは実によく出ていると思います。

川崎大師  本当は弘法大師を祀ってあるのですが、こういうのはみんな弘法大師の代理なのです。それで、川崎に長く居ると川崎大師という一つの固定した名前になってしまうわけです。

金毛九尾  金毛九尾は大変なものですから、これが改心したという事は非常な良い事なので、ミロクの世の最も有力な原因になるわけです。有力な働きになるわけです。金毛九尾というのは凡て女に憑っていて、男を堕落させるのが専門です。それで眷族が何億と居るのです。その中にいろいろな階級があって、汚職事件などは金毛九尾の働きなどがなかなかあるのです。あの人達が御馳走になったり賄賂をとったりするが、御馳走と言っても、食うだけでは大した御馳走ではないので、やっぱり芸者を買わしたり、そういうのが最も魅力があるのです。しかしそれも、金毛九尾の狐がただ堕落させるばかりでなく、一方非常に役には立っているわけです。やっぱり神様が使っている、拵えているわけです。というのは、ああいう活動があるために男が働くのです。あれがないと男はあんまり働かないです。ただ食ってゆけばよいというだけのものになります。女の魅力というのは大変なものです。男がみんな夢中で働くのは、みんな女のためです。男の活動力の源泉です。だからなかなか難かしいので、それは活動力の源泉になるし、罪の源泉にもなるのです。そこのところをうまくして、あんまり沢山悪い事をしないようにお灸を据えるのですが、それが今度の汚職事件です。だから凡て善悪共にみんな必要があってあるのだからして、大乗的に見れば「正邪一如」「善悪不二」になるわけです。そのどっちも善悪であり、それから悪はいけないというような、そういういろいろな真理を覚る、それが本当なのです。それで今は大分そういう方面の巨頭が改心しつつありますから、これが今に現界に写って来ると、それは実に結構な事になるのです。

それから、スターリンも最近では改心しかけたのです。悪い事が分って来たのです。というのは、昼間になりますと地獄の暗い所まで光が射して来るのです。そうすると執着とかいろんな悪い面のそういうものが薄くなって来るわけです。そうすると分って来る、救われるという事になるわけです。それが、霊界の救われる状態がよく現われているのです。それから龍神というものは東洋ばかりのように思われますが、これはそうではなくて世界中に居るのです。ただ東洋に一番多いのです。特に支那、日本です。印度とかあっちの方は少ないです。その内で一番多いのは日本で、次が支那、朝鮮となります。ところがこれは西洋の龍神の事が出たので読ませます。

(御報告)

まだいろんな霊が次から次から出て来ます。昔からの著名な霊ですが、順次これから発表します。

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それから今一番問題なのは水素爆弾です。これについて二、三日前に、シーンという雑誌で(アメリカに本社があって東京に支社があるのです)これは日本の文化をアメリカに紹介する、又アメリカの方では日本の文化を研究する、それから両方で文化的知識を交換するというような雑誌で、この間見たがなかなか立派な堂々としたものです。日本ではちょっと見られないくらいの立派さの物です。其処の記者が、アメリカから、私の著書の「アメリカを救う」と「原爆恐るるに足らず」という事について調査の目的で来たのです。それにラジオ東京の記者も二人一緒に来ていろんな質問や話をしました。それについて原子爆弾の質問もあったからして、その答えをしたわけですが、それはこういうわけなのです。

「原爆恐るるに足らず」という事は、あの広島、長崎にやった原子爆弾は、お陰話にいろいろあったとおり、傷でも治る、それから霊的に逃れる事も出来るのです。そこで“恐るるに足らず”と書いたが、今度の水素爆弾は違うのです。これは逃れる道はないのです。前の原子爆弾の方ですと、何米か下に防空壕を作り、或いは鉛の板なら遮断が出来るのですから、鉛の家を作ってその中に居れば原子爆弾の被害を受けないのです。ところが水素爆弾はそうではないのです。なにしろ何百倍というのですから。ビキニ環礁のあれが六百倍とか言われてます。ところが今でさえそうであって、まだ進んでいますから、先々どんな事になるか分らないです。あれだと地面が掘れるわけです。小さな山は吹飛んでしまうわけです。そういう恐ろしい物です。これは科学的方法では絶対に逃れる方法はないのです。

それから又、今国際連合で国際会議で協定をするというような事を頻りにやってますが、これとても、そんな条約というのはいよいよ戦争になったら何んにもならないです。戦争のために作るのが、平和の時だけ間に合って、戦争の時には間に合わないという事になります。結局水素爆弾は今までの人類にあるあらゆる方法をもってしても免がれる事は出来ないという結論に達するわけです。しかしそんな気味の悪い恐ろしい物は、なんとかしなければならない、根本的に防ぐ方法はないかという事です。この間の湯川博士の談話をみても“根本的に逃れる方法はない”という事を言われてますが、そのとおりです。

ところが私から言うとなんでもないです。いとやすいものです。そうすると不思議に思うでしょうが、それは根本的の点です。それは何処にあるかというと、これも今月の一日にアイゼンハウアーが発表しましたが、“水素爆弾そのものは少しも恐るるものではないが、ただその使用目的によって恐るるものになる”という、これはよく言い表わしてます。使用目的が、戦争のために使用するから恐ろしい物になるので、これを平和のために使えば何んでもないのです。ナンデ戦争のために使うかというと、武力をもって世界を己れのものにしようという、つまり自己の欲望です。欲望というのは心、魂です。ですからそれを戦争をしないように、戦争は止すという、そんな欲望を制限するというそれだけでよいのです。ではその欲望を抱いているのは誰だというと、これは知らるるとおりソ連です。共産主義の首謀者です。ソ連の人民ではないので、何人かの者です。一握りの共産主義の采配(サイハイ)をふっている首脳部です。その人達の魂をちょっと引繰返せばよいのです。

しかしその魂を引繰返すという事はちょっと難かしいようですが、これは何んでもないのです。というのは霊がみな、金毛九尾でさえ改心するのですから、神様の光を放射すればよいのです。しかしただその光を放射する段取をつけるのがちょっと困難です。そこで私は記者に言ったのですが、“一番手取早い事は、アメリカの大統領が私の御守をかける、それでよいのだ”と言ったところが、変な顔をしてました。それはどういう訳だというと、今仮にマレンコフとかモロトフという人達がああして活動している目標はアメリカですが、それでアメリカの国としての魂は大統領にあるのですから、彼等は“アイゼンハウアー”“アイゼンハウアー”という事は始終思ってます。そうするとアイゼンハウアーの方でも“マレンコフ”“モロトフ”という事は始終思ってます。これは霊界では両方の霊が霊界で闘かっているのです。そこでアイゼンハウアーが御守をかけると、マレンコフの霊が始終来るのですが、それで御守の光を受けるから、マレンコフの方はだんだん魂の曇りが取れて来ます。そうすると“戦争してもつまらない、オレは今まで考え方が間違っていた”ということになるわけです。ですから間接射撃です。霊的水素爆弾を間接射撃によってやっつけるという理窟になります。これが一番手取早いです。

ところがアイゼンハウアーに御守をかけさせる事がなかなか出来ないのです。しかしそれは神様がそういう順序をつけますから、今直ぐという事にはならないが、いずれはそういう事になるに違いないのです。しかしそれもそう長い事はないのです。というのは、霊界の方がだんだん明かるくなりますし、それとアメリカは非常に分りが早いですから。ですから非常に興味ある問題です。それについてちょっと書いてみました。

御論文〔⇒恐るべき科学迷信〕  

(教三十三号  昭和二十九年五月十五日)