001 神解明篇

神の栄枯、一流と一流以下の神の栄枯、人と生れた神生れぬ神、主神と太陽の人体化

“神様でも出世したり落ちたりする。今迄日本で一番高かった神様は落ちた。下にいた神が上った。神でも落ちぶれたのがあり、浪人がある。それは二流三流の神で、一流の神は全然ない事はないが滅多にない。有為転変は免れぬ。

神には人間に生れた神と生れぬ神がある。天之御中主大御神は人間に生れぬ。表現として人間に生れたものはある。その点決められぬ理屈がある。

太陽は人間の姿として表はれる。太陽は人間でもあり、人間といってもいい。どっちとも決められぬ。(S22・11・14)

太霊無極の生誕、高級霊・八百万神・低級霊の再転生

“高級霊より低級霊の方が転生の率が多いでせうか。八百万の神は肉体を持って現世に出られる事があるでせうか。

“低級霊の方が多い。高級霊は少ない。霊界に長くいる。ズーッと高級霊になると生れ替る執着はない。生れ替って来ても、何千年に一遍位生れるようになる。低級霊は執着が強い。執着がとれると高級霊になる。浄化不足のまま生れるから欠陥が種種ある。

高級霊は殆んど生れない。肉体の姿で霊界にいる。極く中心の太霊無極は未だ生れぬ。表現は生れた。八百万神は全部人間には生れている。

神様最初の御姿

“神様が人体化される前は龍体で御座いましたのでせうか。

“最初から人体とか龍体である。東洋は龍体から造られた。外人は別に造られた。この二通りある。大抵の神は、幾度か人間に生れた。それで人体として表現される事もある。神であり、人間でありといふ事になる。(S24・11・2)

神々の御姿

“神代の神々は現代の人間と同じ様な肉体を御持ちになって居られたもので御座居ませうか。又神々の外に人間が住んで居たもので御座居ませうか。

“人間の姿と同じであった。ただ今の人より大きい。一番大きい時は一丈八尺あった。よほど小さくなって一丈から八、九尺位である。然し、再び大きくなる。今よりはズーッと大きくなる。一番の原因は薬を飲んだ為である。大先生の御子様は年頃になられるとズーッと大きくなられる。人間の中に神代、上中下があり、例えば日本人でも、上は土着の日本人だし、中間帯は渡来した人間で、多くは朝鮮人、支那人である。下は土人で川上梟、長髄彦とか、熊襲等である。之は北方から来た。コーカサス、蒙古あたりのもので、要するに匪賊で、この残りがアイヌである。肉体の凡ては神と人間と少しも違はぬ。(S24・1・29)

神の愛

“神の愛に就いて御教へ下さい。

“限定された愛、忠君愛国主義――国家愛、 天皇を重んずるは――。 神の愛は世界人類全部を幸福にさす無限の愛である。神にもいろいろあり、日本の神は小さい神、第三、五流位の神は限られた愛である。大先生の仕事は人類愛で、無限に大きい。之が本当のものである。利己愛を次にする。自分は天国に救はれたいといふのが利己愛で、人を天国へ救はなければならぬ、之が神の愛である。すると自己が救はれる。利他愛でなくてはならぬ。(S23・12・18)

神愛と人愛

“神の愛と人間の愛とは違うでしょうか。

“愛は同じであるが、神の愛は大きく、人間は小さい。世界人類を愛するのが神で、人間の愛は小さい局限的で、自分達の仲間とか、小さいのは親子兄弟などのみを愛する。自分の一家さえよければよい、他を顧みぬ――これが人間愛である。

神といえば全部大きい訳でもない。大きい神様は世界的大きい愛であるが、神様によっては小さい。一国のみを良くしようとする。日本の侵略戦争などそうである。人間でも、世界人類を愛する気持なら神の心になる。(S24・10・23)

不在中の神床、(懐しく慕はし)、神は感情に支配されぬ

“開拓に出て居る間の仏壇の屏風観音様及び先祖の位牌は如何したらいいでせうか。 留守宅には誰も居なくて、お参りする者がありません。

“留守になるからとおことわりすればよい。神様は感情に支配されぬ。神様は怖いものではない。懐しい、慕わしいのが本当である。人間は、感情の為理窟を無視するものである。(S24・11・18)

神々化仏とならるる事情、神の怒り

“夜の世界に於いては神としての救いは出来ない。神様は仏となって救はれた。神の中には仏にならぬ方もあったのは、神格によるのもあり、その神の御意志によるものもある。八大龍王の如く、自分は仏になるのも嫌だから龍神にならうといふ神もあった。そんな風でなく、救いの為にはどうしても仏にならうといふ神もあり、種々で、神様によって各々任意に処されたのである。

神様といっても人間の心持と同じ事であって、感情もあり理性もある。神の御性質も種々違っており、怒りっぽい神や穏やかな神もある。怒りっぽいといっても、神の場合は多くの人を救う意味で怒られるので、人間の怒るのとは違ふ。四魂の中でも荒魂があり、怒りを多分に含んでいる。怒りも大乗的に怒るのは差支えない所か必要である。兎角家庭内や個人の事で怒るからいけないのである。

善い事であっても、世界的にいって善い事でなくては本当でない。忠君愛国といっても世界的のそれならいいが、日本的にのみ善い思想はいけない。(S23・8・4)

神のお喜び

“観音様に上げるお花は何処に御参拝しても人の方に向けて活けてありますが、観音様の方に向けて活けた方がよろしいのではないでしょうか。又生花、盛花、投入れ等のうち孰れの活け方が良いのでしょうか。

“人間が喜ぶ事を神様はお喜びになる。皆わが子であるから、神を拝む人が多くなれば、悪い事をする人はないから、そういふ状態をお喜びになる。(S24・6・7)

神に二言なし(天理教脅迫)

“近所の天理教布教師の方が私の再縁の妻に対し、あなたの夫は妻に絶対服従しなければならない。そして、天理教を信じないで居ると、夫である私の目がつぶれてしまいますとか、顔を見ただけでその家族の過去の事を言い当てられるので、半信半疑、恐ろしがっています。どうしたらよいでしょう。お教え下さい。

“絶対に斯んな事はない。脅迫信仰は皆邪神で、恐るるに足らぬ。斯の如くに脅かすのは本人が寧ろ同様な目に遇ふ。神は二言ない。一言しか仰有らぬものである。高級なほどそうである。しつっこいのは皆本当のものでない。

神智と妙智

“神智は男性的、妙智は女性的という意味――

“男の智は厳しく、女の智は穏やかである。又、観音力は男であり、妙智力は女である。
男は秋であり、女は春である。

神と願言

“神様といふものは、お願ひする事の正しい事は必ずお聞き届けにならねばならない事になっている。

御の字奉唱する大神様

“御浄化を軽く済ませていただくよう御軸に祝詞を奏上する場合の最後は、日月地大御神か幽世大御神かどちらが本当でありますか。又、幽世大神と幽世大御神とはいずれを申し上げるべきでしょうか。右御教示御願ひ申し上げます。

“五六七大御神が本当である。ただ病人で憑霊の為と思はれるような場合は幽世の大神を称ふる。大御神でなくていい。御軸に向っては五六七大御神と唱ふ。御の字は尊称であるから御の字を入れた方がよい。御の字を入れるのは、五六七大御神、天照大御神御二人でよい。(S23・8・28)

御神名と御働き、大光明如来と幽世大神

“大光明如来様と称えた場合と幽世之大御神様と称えた場合の御働きの違いについて御説明下さい。

“お名前の通り働かる。名前は非常に重大なもので、その職名の業務のみを扱うようなもので、神名通りの働きをせられる。一つ神で、いろいろな御名になるが、その時の働きをなさる。(S24・10・23)

神のお働きと御名と想念(稲荷の産土神)、本教の高さ

“氏神様なら例え稲荷明神でも天神様でもお参りすべきでしょうか。又其等でも産土神としての守護があるもので御座いましょうか。

“稲荷でも天神様でも、産土神となるとそれだけの地位と働きをされるから、同じに考えてよい。宜しく人間で区別せず、産土神とすべきである。稲荷でも立派な稲荷がいる。

神仏でも御名前が非常に肝腎である。観世音様は御本体は日月地大神様でも、観音では素晴しいお働きは出来ぬ。人間でも会社の社長となれば社長だけの事をし、他へ手は出せぬ。神仏も御名によりお働きに区別が出来る。であるから、名によって解釈すれば判る。

人間が悪魔と思って言ふと悪魔の働きになる。或物に対し、仏と思えばそうなるが、拝むのをやめると段々力が鈍って元のものになる。観音様でも人間が崇めないと力が薄くなるし、お働きも減る。皆拝む事によって違ってくる。お守様でもいい加減にすると光が弱くなる。人間の想念でいろいろになる。

成金なども皆が羨しがるその想念が悪魔になり、黒いものになり、その人を落とそうと狙う。その人に徳がなかったり、徳を積まなかったりすると落ちる。社会的に貢献し、徳を積むと、感謝の気持は光となり、神仏の形などになって助けるから安全でいられる。斯ういう人は大抵益々罪を作る人が多いから、好い運勢にならぬ。特権階級などはよく間違った事をし、徳を施さぬから、曇りが取巻いて落ちなくてはならぬ事になる。三菱重工業などは一番多い時は職工二十万といったが、その職工の怨みによって落ちた。三井、岩崎もそうである。

明治天皇のお隠れになった時は、(私も)二重橋前で祈念した。全国でも祈願した。日本人の大部分が祈ったにも係はらず死んだ。之は日清、日露の大戦で、残虐行為を受けた支那人、朝鮮人などが非常に怨み、それが日本の中心の天皇へ行っている。何十年も怨んでいるのが多い。それで祈念時間と人数より怨みのそれが多いから駄目だった。日韓併合なども大変な怨みである。それが大正天皇にまで及んだ。そのため脳が悪く、天皇の勤めが出来なかったのも、怨みが続いたそのためと思うのである。日本はその罪滅ぼしをしなくてはよくならない。それで戦いに負け、朝鮮、台湾、樺太等領有したものを返し、それでどれだけ罪滅ぼししたか判らぬ。それでよほど罪が消えた。

如何なる国でも神は公平で、神国の方がお尤めはひどい。高級な身魂ほどお尤めはひどい。知ってやった行為は罪が重いといふのと同じである。日本が神国なればなるほど酷い。希望通り神風は吹いた。人間は、自分の都合のいい解釈をしたがる。神風の吹くよう祈ったのも、泥棒して捕まらぬよう祈ったと同じ事である。鰯の頭も信心から、という事は間違っている。鰯の頭は頭で、それだけのものである。

本教の信仰は上へ行くほどよく判るからどんな人と理論をしても負けない。ピラミッドの形になっており、今迄は下の方しか判らなかった。釈迦の説いた見真実はそれより上である。今迄は、夜の世であったから、それ以上の事は知らされなかった。世界の謎、秘密、神秘等も、これから判る。

神位と神衣の色(祖霊の夢)

“私の父は入信させていただいておりますが、不熱心であります。或る時、私は仏壇に向って御先祖に、私のなす事に間違いがありましたら御聞かせ下さい、と一心に御願い致しました。其の夜はろくろく眠れず、朝に炊事をして火をたきつけていて、うとうと眠ってしまいました。眼の前に高い階段があり、その階段を昇り上るとお堂があって畳が一枚敷いてありました。奥から二人、白装束で白い頭巾を被って神様の様な人が、一人は立ち、一人は座り、「ほめてつかわす。褒美を取らす」と言って、御書体位の包を下さったのです。 目が醒めました。此の神様とはどういう神様でしょうか、御伺い致します。

“先祖で、霊界で神格を得、下位の神になった人である。信仰を熱心にするのを喜んで賞められた訳である。白装束は浄衣であり、白が一番下の位である事は、霊界でも、現界でもそうである。最高級の神は紫に赤袴である。それに金の刺繍などがしてある。

御浄霊中信者のみ大音を聞く(御神格と音の大きさ)

“浄霊中の時等附近(其の床下、天井、屋外等)にびっくりする程大きな音が「ドカン」として、調べて見ても何もなく、この音は信者以外のものや、信者でも熱心でないものには聞こえないと言う報告が時時寄せられますが、この音は何の音で、如何なる場合に起る音で御座いましょうか。

“神様(産土位の神)が来られる時にその様な音をさす事がある。 ドシーンとかミリミリとか、お宮などで音がする事がある。神様が来たお知らせで、大きい一流の神は凄い、ゴーッという音である。ローソクがヒラヒラするのは霊が喜びを知らす。

高級神霊の神懸の場合

“霊界叢談中に、広吉の霊のところで、大先生が御研究中、M夫人に国常立尊がおかかりになったり、広吉の様な地獄の霊が憑ったりしたところが御座いますが、同じ霊媒に此の様な現象は普通ではあり得ない事と存ぜられますが、如何なるもので御座居ましょうか。

“通常でない。私の場合、特別の使命があるためである。普通はお憑りにならぬ。重要な事はお頼みする。(S24・9・9)

御本体と御分霊御力の差、拝者の多少と御扱方による相違

“同一の神仏を各地に御祀りしてある場合、その御分霊の御力には差があるものでしょうか。右御教示御願い申し上げます。

“差がある。人間次第で差がつく。拝む人が多い宮と少ない宮と違う。拝む人数が多い程、崇める程神威――光が違う。人間の扱い方次第で変る。又立派なお宮にすれば神の神格が違う。人間と同じ事である。崇める程威光が出る。仏壇なども立派なのはいいが、家に相応しなくてはいけない。お筆先に「今の人民、神の住居を粗末にして神を蔑ろにする」とある。身分も家に相応するのがいい。以前平塚の百姓で、大光明如来様を祭ってあったのが雨で汚れた。身分と相応しなかったので変えてやった。

鰯の頭も信心からというが、人間の想念によって形が出来る。拝むとそのものの形が霊的に出来る。観音様と思うと観音様が形造られる。反対に悪魔も作る。怨みの想念が塊ると一種の悪霊になって、人間を使って禍いをする事がある。三越の専務の如き、それである。怨みの祟りを 打消すだけの善い事をしていなくてはいけない。神の御守護がないとやられる。浜口内閣の井上準之助は恨みの想念でやられた。よく人間でなく病気で死ぬ。今、税務署長など恨みでやられる。明治天皇など支那やソ連の怨みでやられた。怨みを受けるのはいけない。

霊界の夜昼と神の光と想念、行り方

“霊界には夜昼はない。神様の光は一定している。人間の行り方で強くなったり弱くなったりする。人間の想い方で違う。神様の方は人間界とはよほど違う事がある。人間界の常識では分らぬ。何かを神と想って拝むと神の形になる。それは拝まぬと元の物になる。所謂「鰯の頭も信心」である。(S23・11・14)

神と仏の関係

“神と仏との御関係を御説明下さい。

“カは火、ミは水。神とは火と水、または火(日)の身という事であるから、昼間は神の代で、仏が元の神に戻らるるのである。観音様の周りには化仏が取巻いている。化仏とは神の化身されたものである。 観世音は光明如来と化現される――と祝詞にある。つまり同じものである。

分霊と化身、仏滅と化身、観音と御名、(神社祭神分霊の真相)

“分霊と化身に就て――

“分霊とはわけみたまといい、人間にはないが神様はいくつにも霊を分けられる。然し神社で同じ神様を方々で祭る場合、神の分霊というが、本当をいうと家来の直系とか傍系などのもある。然し独一真神とか高皇産霊、神皇産霊神とかはそうではないが、伊邪諾尊、伊邪冊尊、天照大神などは人体をもって現われ給うた神であるから、爪や頭髪を分けて祭られたのである。

化身で一番大きい事は、仏は全部神の化身であって、夜の世界の間は仏の世であるから神々は全部仏に化身された。天照大神が大日如来、月読の尊が阿弥陀如来、若姫君尊が釈迦如来というようにである。随而、仏滅という事は、仏が皆元の神にかえる事である。

善言讃詞に、観世音菩薩光明如来と現じ応身弥勒と化し、とあるが、観音は伊都能売の神であり、ミロクの神の化身である。従而、いづれは観音という御名もなくなる時が来る。霊界では既に殆どなくなっている。

分霊と化身(化仏、入信者は菩薩)

“分霊と化身に就いて――

“分霊とは分け身魂といい、人間にはないが神様はいくつにも霊を分けられる。神社で同じ神様を方々で祭る場合神の分霊というが、本当言うと直系とか傍系などという神様が祭られている。然し、独一真神とか高御産霊とか神御産霊とかはそうではないが、伊邪諾尊、伊邪冊尊、天照大神などは人体を持って表われ給うた神であるから、 人間として個性を持っておられるから、それはやはり傍系の神などが代りに祭られる事となろう。

化身で一番大きい事は、仏は全部神の化身である事である。夜の世界の間は仏になっていたので、神々は全部仏に化身された。天照大神が大日如来になられた如くである。又化仏という字が観音経に沢山見られるが、化とは化ける事――即ち化身する事である。諸子とても化仏であって、信仰に入った人は仏教でいう菩薩に相応するのである。

仏滅という事は、仏が皆元の神に遷る事である。善言讃詞に観世音菩薩光明如来と現じ応身弥勒と化し、とあるが、観音は伊都能売の神であり、弥勒の神の化身である。従而、何れは観音という御名もなくなる時が来る。霊界では既に殆んどなくなっている。神界は、これから、新しい構成をする。(S23・9・21)

大宇宙の無限と中間子

“この大宇宙は限りなく実在しているものでしょうか。

“大宇宙は無限大である。想像もつかぬ。宇宙以外はない。至小至大、中間子など、よほど大きいものである。いづれはもっと判る。日月星辰は地球のためにある。(S24・1・23)

大宇宙の無限、無始無終

“大宇宙は有限であるでしょうか、無限でしょうか。 御教え願います。

“学者は有限だなどと唱えるが、宇宙は無限である。大空の果なき如きものである。無限絶対無始無終である。

地球の存在は無窮

“地球は永遠に存在するものでしょうか。

“永遠に存在する。無始無終である。宇宙に壁のないようなものである。地球の年齢は永遠無窮である。考える事もない。(S23・11・22)

宇宙は無限か

“宇宙は有限でございましょうか、無限でございましょうか。御教えを御願い申し上げます。

“無限である。無始無終である。大空の限りなき如くである。(S24・9・11)

宇宙の起源と構造

“宇宙の起源及び構造に就て御教示下さい。

“宇宙の起源は正確の所は不明である。また判る要もない。構造は御覧の通りで、原素は火水土の三原素である。霊妙で話は出来ない。(S24・1・18)

艮金神様御身長、太古の人間生活と穴居跡

“人間の一番大きい時は一丈八尺もあった。艮の金神様は一丈八尺あった。それから人間が段々小さくなった。人間が大きかったから獣と戦った。今ない動物も沢山いた。大とかげ、恐龍などもこの種のものである。

その頃は獣との戦いが仕事だった。その為に人間の智慧が進んだ。人間は穴を掘っていつも火を焚いていた。吉見の百穴などそれである。あの辺に猛獣が沢山いたのである。松島の瑞巌寺のそれなどよく出来ている。吉見より穴居が進歩しており、吉見より後に出来たものである。

敵は原始時代から続いている。一番恐かったのは蟒(ウワバミ)で、その時弓を発明したが、それでよほど被害が少かった。目を狙って矢をうった。それで蛇の目というのである。

それがすんで、人間同志が戦ったのである。(S23・10?)

神を創造せるものは

“神が宇宙を創造されたものなれば、神は誰が創造し給うたのでありますか。神とはそれ自体が神ならず、神とは一口にして一切のものではございませんでしょうか。右御伺い致します。

“はっきりいえば判らない。穿鑿(センサク)する要もなく、しても何にもならぬ。之は諦める。 (S25・2・28)

日本人の創造

“地球上人類創造の神の、日本と外国と異りますか。

“同じである。ただ造った年限は違う。日本人は一番後である。(S23・11・27)

人間は人種別に造られたか

“神が人間をお生みになった時、始めから各地に人種別に数種お作りになったのでしょうか。それとも或一ケ処にお生みになって、それが各地へ移動して異民族となったのでしょうか。

“人種別に造られた。後から別れたものではない。
日 日本
月 朝鮮
地 支那(S24・5・23)

創成記、天地剖判、日月星辰、動物発生、恐龍――ヒマラヤに生現すという、金龍神御二柱の御姿、人類発生の年代

“恐龍は満洲の奥や蒙古等から骨は出る。八千万年というのは研究の根拠がない。 神典にあるが、宇宙は水蒸気の凝まりのようなもので、軽きものは天となり、重いものは地となったという。多分そうであろう。出来たては軟かく、大地は段々固まる。天理教でいう泥海時代という。空には日月星辰が出来た。

ドロドロの時代に動物が出来た。 最初は黴菌のようなものから、虫のようなものだった。進化論では人間はトカゲだという。次に猿から、類人猿になるという。之は想像説である。神が造った――と、 神世まで言った――之ははっきりしない。然し、確実性はある。その時代に進化したとすれば、今でもその進化の道程がなくてはならぬ。

泥海は光と熱に遇って、涸いて、ある程度いってから仕上げする。それで、大トカゲ、マンモス、龍――これ等が踏み固めた。それで大地が固まり、凸凹がなくなった。それを大象が出てふみ固めた。川や谷は大龍が這って造られた――という説があるが、之は嘘だと思う。固まる時は、部分的に固まるもので、病毒の如きも所々から固まる。大地とても同様で、所々から固まり、亀裂を生じたのがつまり谷か川である。 故に、固まると同時(様)に、種々の生物が出来た。生物に(生棲)――適する如く、大地もそうなった。固める時に働いたものが残っている。之が恐龍である。ノタウツ龍と歩く龍とある。歩くのが恐龍である。角のある龍は確かにある。

九頭龍は九柱の頭梁で、八大龍王の親分である。霊は久須志神社、体は琵琶湖におられる。金龍は、無角獣であるが、奥方は角ある龍である。右の如き働きをした最後の龍である。年代は八千万年よりもっと少い。人類の発生は、学者の言うより少いと思う。七千万年前は生物はなかった。

淡島、蛭子

“蛭子、淡洲に就て御説明下さい。

“淡島様は方々にある。折鶴を上げるが、淡洲は天地創造の時最初に造られた島である。泡のように固まった島という事。泡が固まった島というので、そう言ったのであろう。蛭子は、天照大神の長男で、釣をして遊んでいた。骨がないといわれるが、そうでなく気骨がない事である。(S23・12・22)

日本生成、海底、暖化

“五大洲の型を採って日本が出来たものである。地球の収縮により海は深くなる。氷河が溶けたり、海面が低く洗われる。熱が平均して来た。それで暑い所は涼しく、寒冷地も暖くなる。今に南極、北極へも住むようになる。陥没運動の継続(日本海)――。和歌山、土佐湾――。(S23・7・1)

龍神・天狗の発祥と泥海時代、九州と球州、人間と龍神

“龍神や天狗は地球上に生存した事があるでしょうか。

“龍神は最も古く生れ、大地を構成した時、即ち地球の元からあった。即ち天理教の泥海時代である。天狗は新しい。

宇宙は(初め水蒸気の塊のようなものだという)兎に角柔かい泥海のようなものだったに違いない。そして(日月星辰が出来)固まったがドロドロで、生物が棲むには固めなくてはならぬ。それを龍神がこねた。そして(生物が住 (*))霊界へ行って活動した。ある程度固まった時マンモス時代となった。象が駈け廻って固めた。その両者の間に大トカゲ時代があり、それがまたこねた。恐龍とはトカゲである。

その前にも龍神があった事になっている。それは非常に大きいものである。故に国常立尊は日本の国土の大きさの龍神だと大本教では言っているが、これは嘘でもないらしい。国常立尊も豊雲野尊も龍神であった。日本は龍形である。九州は元、球州と言ったらしい。球は玉で龍神が呑もうとする玉である。新発田は肛門で、東京湾は陰部、北海道は尾、伊豆半島は男、陽、などと言っているが、満更コヂツケではないらしい。房州の日本寺では、天照大神がお生れになった。

人間が龍神に、龍神が人間になる事も沢山ある。龍神は慥かにある。(固めた龍神とは違う)天狗界はあるが、新しいもので、極く古い時代にはなかったものである。人類が段々進化するにつれ、生物や地球なども変化してくる。霊界なども、まだまだ変ってくる。(S23・11・3)

蝿・蝮・百足虫の必要性、(日本国土の形)

“マムシ及びムカデは人間の為に如何なる必要有りや無きや御教え下さい。

“世の中にあるものは何でも必要である。必要がなければ自然に滅ぶ。地球でも、最初大きい龍がいて泥海を固めた。少し固まってから大とかげが出た。そして、地均しするのにマンモス時代となった。それでマンモスはなくなった。恐龍(大トカゲ)――。

国常立尊様も龍神になられた。鼻ヅラが山口県、顎が四国、眼が丹波・丹後、鼻が出雲、之は素盞嗚尊がいて統治した。それで素盞嗚尊が鼻になっている。富士は臍。東京湾は陰部、伊豆半島が男根、越後が臀部、北海道は尾になる。

蝿も必要で、黴菌を伝播運搬して人間を綺麗にする。人間の血がきれいになると、蝿は減ってゆく。黴菌や蝿が殖えるのは人間が汚いからである。皆人間が血を濁らして、作ってる訳である。自然淘汰――。(S24・11・26)

大海の陥没、大地と山の構成、(岩塩、地霊と味)

“地震とは関係ない。太平洋の陥没は先で、日本海の陥没は新しい。その為に日本海沿岸には今も地震が多い。元地球は海が多く陸が少なかった。満洲など皆海だった。支那で岩塩が出る。之は無論元海だったものである。岩塩は非常に美味である。長く地の霊気を受けているからである。地霊は非常に味を付けるもので、無肥料栽培は、地霊を充分受けるから味が好いのである。

地球の出来た頃には山はなかったものである。何となれば、硬化作用は凡て局部的に集まり、固まるもので、段々固まるにつれて山が出来たものである。浄霊をしていると、毒は散って、段々所々へ集まっては固まって小さくなるを知る。斯の如く、凡ゆるものの収縮する場合は、必ず所々に固まっては収縮するものである。

太初、火と水蒸気によって固まって重きものとなり、大地となった。そして一所へ固まっては山となった。大昔はもっともっと大きい地震があった。段々固まるにつれて、地震は小さくなった。瀬戸内海、東京湾等も陥没によって出来たものである。

島生み、国生み

“富士山に立ち、潮干の業を行なはれ、瓊矛で大洪水の水をまぜられたら、水が引いて島や国が表はれたといふ。

ムー大陸

“大平洋中に没したと伝へられるムー大陸に就いて御説明下さい。

“確かにあった。人口五千万位で、その時分文化が一番発達していたが、海底陥没によってなくなった。地殻の収縮でなくなったのである。富士山などはもっとずっと高かった。日本海の陥没により、日本などは骨ばかりになった。日本は今の三倍もあったので、残った日本の中心は固い所だけとなった。日本アルプスなどは岩の塊りで、土佐もそうで、瀬戸内海も出来たものである。ムー大陸は約十万年前の事で、天から見た状態は壮観を極めたもので、私は神様から知らされた。

伊邪諾、伊邪冊尊が天の浮橋に立たれ、潮干の業を行なはれ、島生み、国生みをなさったといふが、之は大洪水の事で、水が干いたので島や国が表はれたので、之はノアの洪水の時の事である。当時地球の海底は浅かった。大雨などが降るとすぐに洪水になった。ノアのそれは、百日降ったといふ説と四十日といふ説があるが、兎に角すぐに氾濫した。水――地球の収縮によってよほど納まった。大陥没の度に海は深くなる。そして海面は低くなりつつあり、河川も浅くなっている。玉川など、宝山荘の下まで以前河川があったに違いないが、随分浅くなっている。地球は変化する。

人口も今に段々ふえて、南極北極へ拡がる。人間は熱を運ぶもので、シベリヤなども今日人が住むようになった。北海道など、昔うんと寒かった。何千年、何万年も経つと、北極、南極なども人が住み、米が収れるようになる。 (S24・1・6)

富士の神秘性、(日本国土の地形)

“富士霊峰の神秘性に就て御解示下さい。

“富士山は非常に神秘性がある。名前の起りから話すが、昔噴火していた。火を噴いていたから、フヒと言った。之が富士の名の起りである。いろいろ説はあるが、之が確実性がある。二つなきで不二もよい。(富士)は宛字である。芙蓉の峰ともいふ。富士は日本の須弥仙山などともいふ。位置では日本の臍になっている。

日本は龍神の形になっている。之は確実な理がある。龍が口を開いている形で、大本教では、国常立尊といふ神様が開いたと言っており、その龍神の御姿といふ。そして九州を呑もうとしている。之は本当である。鼻面が山口県になる。口が瀬戸内海、四国が顎になっている。出雲大社は鼻になる。素盞嗚尊は鼻になるといふ。出雲は素盞嗚尊が朝鮮から渡って来て開いた。眼が丹波、丹後となる。丹波の元伊勢といふ。琵琶湖――。三重あたりは喉になる。越後辺から越中、越前は腰になる。越の国などといふ。尾は北海道、東京湾は女の陰部、伊豆半島は男根になる。房州といふが、閨房など――、安房の日本寺は神秘がある。 (S24・12・27)

富士山生成の年代、(太古の人寿)

“富士山の出来ましたのは何時頃で御座居ませうか。又木花咲爺姫のお鎮りになったのは何時頃で御座居ませうか。

“富士山の出来たのはよほど古い。以前三ケ月神憑りになった時聞かされたが、之を根拠とすると迷信臭くなる。十万年位前に出来たのは確かで、創成記によれば新しい。歴史からは古い。天津教に神武以前七十二代中に木花咲爺姫がある。最初は中腹に祭られ、後頂上に祭られた。各天皇の寿命は、五、六百才が随分ある。実際長生きしたのか、二代三代、或は同名で続いたのかも知れない。支那の仙人で八百才といふのがある。宿弥は三○六才、査べてみれば確からしい。(S23・12・9)

日本は世界の縮図か

“日本は世界の縮図といふ。そういふ風に聞けば思えるが、確実にはどうかと思ふ。 大本の説でも、日本は龍体だ、龍形だ、それで北陸は越の国といふ。すると臀部になる。新発田が肛門になる。これは確実性があると思ふ。房州日本寺へ行って分った。東京湾は女の陰部になった事を知った。伊豆半島は男、東京湾は女になり、両性になる。観音の国であるから両方ある。

大本によると、北海道は北米、九州はアフリカ、四国はオーストラリヤ、本州がアジア大陸といっている。よく似てはいるが、そう確実ではない。(S23)

神秘の開示

“霊的知識を知ると面白いが、時期がちょっと早い。暴露すると気の毒でもあり、怨まれもする。実に秘密がある。神秘の扉に大体発表する。(S23)

宗教の神秘性なくす

“宗教と科学は一致すると申されましたが、宗教で示された事実(或は奇蹟)が、やがて科学によって理論づけられる時が来ると致しますれば、そうした場合神の神秘性が失われ、人は唯物的になる許りと存じますが、御教導をお願い申し上げます。

“今、科学的説明をしても、神の神秘性を失はれてもいい。失はれた方がよい。 大先生の今やっておられる事は、神秘をなくしておられる。科学も宗教も同じものである。或はこっちが科学で、科学の方が神秘かもしれぬ。(S24・5・23)

二度目の岩戸開き、(観山亭建築)

“物は大抵二度目になる。第二の岩戸開きである。ズーッと太古に岩戸開きがあり、今度が本当の岩戸開きである。凡ゆる事が二度目になる。聖書にも「真の救世主の出る前に偽救世主が出る」とあり。大変苛めたものが、有用な役に立たす事がある。例えば観山亭などは、宝山荘でお建てにならうとしたが、五島が止めた。その材料が丁度間に合った訳である。(S23・6・25)

明石潟

“明石潟の意味――

“九州、明石潟には、一寸神秘がある。

五月十八日と観音様

“五月十八日と言う日はお観音様に何か深い関係のある日でせうか。

“相当関係はある。五―霊、月―体、十―結ぶ、八―開く、重要な日となる。 (S23・12・22)

真如と八月十五日の神秘

“真如の意味について御説明下さい。

“真如は間に合せで、真にあらず。大千は昼、三千は夜の世界。

月の働きは体で、 終戦の八月十五日などは大いに意味がある。十五は盈(ミチ)数になる。盈ちれば虧くるで、一旦破壊される。物的に盈ちた訳である。三月十五日などそうである。本来は旧が満月であるが、今は陰暦を使はぬ。八月十五日は一年の中で一番月が盈ちた訳で、日本の最後の日といふ事。古いものはあの日までといふ事である。 (S23・9・2)

十二月八日

“釈尊成道は十二月八日と伝えられ、又、出口王仁三郎氏が捕えられたのも、大東亜戦争が始まったのも同月同日ですが、十二月八日といふ日に何か因縁がありませうか。

“十二月八日、慣例はある。釈迦の成道といっても、成道した仏は滅した。仏滅の世が来るといい、釈迦と仏滅、大東亜戦争第一段は仏滅的である。出口師は月で、素盞嗚尊で、物質の本で、これは大いに関係がある。大本は世界の型といふ。(S25・2・3)

国祖御隠退と八大龍王、(鬼内福外)綾部の地、朝鮮支那陸続き、国祖大神の現在、天照大神御逃避

“国常立尊様は綾部の地に皇居を営ませ給ふた。(天津教文書に国常立天皇の御名がみえる)神々の輿論によってついに御隠退、芦別山へお出でになったといふ。綾部地方では、鬼は内福は外といふから、根拠のない事ではあるまい。之は大本教のお筆先による解釈である。

その時正神界の神々は、邪神の世になって身に危険がある為に仏になられた。(その総帥)中には仏になる事を肯んぜぬ神があった。中に八柱の神は釈迦から、貴神は龍神になっている要ありといって、それぞれ名をつけ、懇請した。之を封ぜられたといふ。八大龍王は佐渡と越後の境、東京湾、九州、或は十和田湖等に龍神となって身を潜め、時期到来して現在は昇天し、人体となって活躍している。人間それ自身は無論その事実は意識してない。

邪神の総大将は天若彦である。之は天邪鬼といふのが本当である。その頃は朝鮮、支那等は陸続きであった。故に上野の松阪屋で掘る時マンモスの骨が出た事があり、九州でもそういふ事があった。

国常立尊は霊は閻魔大王となられ、御肉体は、観世音菩薩となられた。又何遍も此世にお生れになったのである。正神の中には、邪神に負けたり、邪神についたりしたものもある。国祖の家臣で一緒に落ちたものは少数である。それ等は今度世に出られる。国祖は霊界ではすでにお出ましになっておられる。

夜の世では、邪神の支配になる防止策として仏教を造られたのである。天照大神は、素盞嗚尊が天の誓約を破ったので、大神は転々として天の真奈井、元伊勢等を移動せられ、水上山へ逃げられ、草庵を営まれ、戸隠山で生涯を終えられた御模様である。その御跡を偲ぶ所でお祭りした。即ち伊勢神宮等それである。これはずーっと国祖時代よりは新しい事である。(S23)

綾部附近の謂れ(本宮山)

“京都府下(綾部、舞鶴間)に弥仙山と称する山あり、祭神木の花姫観音様のお像お祀りあり、山の中腹に水分神社、麓に八幡神社あり、場所、祭神、神社等、何等かの謂れがありませうか、お教へ下さい。

“弥仙山といふのは仏教でいふ須弥仙山で、最高の山の事であって、日本では富士山である。綾部の本宮山は天照大神がお祭りしてあった。あの辺は神様の因縁がある。丹波、丹後、但馬等で、昔、天之橋立から神様が天へ行き帰りされたといふ。大本教が綾部を大本にしたのは訳がある。

木の花姫命は神の名で、仏界へ行って観音になられる。水分神社は、雨の神であるから大して意味はない。八幡様は応神天皇と彦火々出見命と両方あるが、彦火々出見命を祭ったのは古い。大抵は応神天皇である。応神天皇は観音信仰した等で、崩御したのを祭った。応神天皇は観音様と因縁がある。観音様がお生れになったといっていい。(S23)

大神御隠退と八大龍王御隠退の地

“釈迦が八大龍王を封じたと伺って居りますが、八大龍王は印度に居られたので御座いませうか。又釈迦にはそれ丈の力があったもので御座いませうか。又八大龍王の名は日本語と印度語とありますが、如何なる関係で御座いませうか、御伺い申し上げます。

“八大龍王は日本の龍神である。釈迦が封じたといふ伝説であるが、之は信はおける。神様が御隠退の時、神の世は仏の世になった事になっている。すると神の働きが出来ぬ。仏になるか、又は時を待つ事となるかである。八大龍王は、日本の近海へ入って時を待っていた。殆んど人間に生れたり、憑ったりしている。東京湾とか十和田湖にいた。インド語もあるが、日本語では神名である。

神の総領は伊都能売大神である。天照大神というより、本当は、伊都能売大神が御隠退になった。琵琶湖と富士山に御隠退になった。(S24・11・2)

五男三女神の父母神(玉と剣、五男神の系統)伊邪諾尊の御子、素尊と乙姫、稚姫君、天若彦

“五男三女神の父母神様の御神名を御伺ひ申し上げます。

“五男三女が、玉や劔から生れたといふ事は実際的でなく寓意である。例へ話のやうなものになっている。神話はとりとめのないもので、理屈にのらぬものである。 諾冊二神が大洪水の起った時、天の瓊矛(ヌボコ)の劔でシホロコホロとかきなして島が出来たといふが、之も馬鹿々々しいものである。

只斯ういふ事はいへる。劔は月であり、月の系統を意味し、玉は太陽で、日の系統といふ事になる。それで、素盞嗚尊と乙姫の間に三女神の子が生れ、天照大神とその夫神の間にも数人子があり、そのうち五男神生れたと人間的に解してもいいと思ふ。

五人の男の御子様の系統は日本人中に沢山ある。天の児屋根命は藤原家の大先祖である。藤はその本家で、伊藤―伊賀の国へ別れたもの、近藤―近江の国へ別れたもの、加藤―加賀の国へ別れたもの。このようにあちこちに分れたのである。苗字にはいろいろの訳がある。

伊邪諾尊には五柱位御子様があったらしい。 天照大神  素盞嗚尊  稚姫君(之は大本開祖に生れた)  初稚姫―天理教の教祖と生れたと聞いている。而ももう一人あるらしいのである。

素盞嗚尊は本妻の乙姫を朝鮮へおいて来た。そして立派な邸をおいて生活した。それが龍宮城で、之はたしかに朝鮮の建築である。素盞嗚尊は非常に素行悪く、稚姫君尊と姦通した。二号、三号、四号も作ったらしい。一方乙姫は夫の留守中、男性に飢えていた。そこへ浦島太郎が漂着して、非常に歓待を受けた。素盞嗚尊と稚姫君との間に関係がついて、日本に長くおれなくなり、朝鮮へ帰った。稚姫尊は恋しさに堪えられず、烏となって行って、それで之を祭ったのが丹波元伊勢の近くにある於加良洲明神といふ伝説があるが、之は根拠のない事ではない。

天若彦は洵に良くない。国常立尊が支配なされた時厳正至直の神なりし為、窮屈でやり切れぬといふので、天若彦は輿論をつくり、相談して御隠退を願った。尊は東北(芦別山といふ)へ隠退なされた。その後天若彦は我儘な政治をした。皮肉な性質で、人が右といへば左といふ、所謂天の邪鬼で、よく恐い顔した神にふまれてる彫刻がある。天若彦は邪神となって天の邪鬼となった。アマンジャクである。この系統は日本人中にも非常に沢山ある。日本人中には随分皮肉の性質のものがある。アメリカ人にはこの系統はない。日本以外の国にはあまりないようである。

神代に於る生神(同殿同床)

“天神五代、地神七代の神様の御名前及びその御経綸を御垂示御願ひ申し上げます。

“神武以前、斯ういふ事があった。其時には生神が天皇になった。同殿同床といって、床の間へ神様は座られ、直接人間と口をきかれず、御簾を下げた。そして簾の外から言上した。そして拝むと利益があった。最後に、そうなる事もあるかもしれない。(S23)

神代の期間

“神代の期間はどの位のものでせう。

“神代の期間は、天津教の記録によれば、神武以前七十二代あり、一代が五百年位になっている。といふのは二代三代の間を同じ名にしたのだと思ふ。初代、豊本――といった。その時代の事を神代といふ。

神代と神世の相違

“神代と神世との相違に就て御垂示お願ひ申し上げます。

“神代は古い、過去である。神世は未来で、これからである。仏の世の間、神は仏になり、今度は又神になる。仏以前と仏以後とは大変違ふ。それを私は説いている。(S24・12・18)

床の間

“私の家では父母が床の間に寝て、主人である自分達三人は、他に寝て居ります。床の間に寝て良いでせうか。現在のままでよろしいでせうか。

“床の間へ寝るのはいけない。昔偉い人は一段高い床の間へ寝たので、その為に床の間といった。神武天皇以前、天神七代地神五代といった時代はそうしたものである。それを今の人間がするのは、神の範囲を犯すものである。

天津金木

“三尺位の棒で、図の如く桧で造ったものである。神武天皇以前の天皇は、毎年正月元日、此金木へ向って祈り吉凶禍福を卜った。 祝詞には「天津金木を本打切り末打断ちて」とあるが、極く古い時代から神武以前まであった。ズーッと以前(天神時代)は板で作り、ここへ天皇が座して、神示を受けた。(これがなくなって桧となった)それが素盞嗚尊に占領された。

金木はその時まで稗田阿礼の家へ代々伝はっていた。又古事記も言い伝えになっていた。そして古事記の事は代々言い伝へになっていた。その頃の人は頭はよかった。薬毒がなかったからである。今の人間は頭が極端に悪くなっている。太安萬侶に命じて探さした処、阿礼は丹波曾我部郡の或村で百姓していたといふ。故に古事記と天津金木とは、非常に関係がある。(S23・3・19)

天津金木と見真実

3尺尺3

六角の木神武以前の天皇は之を安置し元日に拝む。すると、その年のいろんな事が判り、之が出る。

之は時期と魂の磨き方で、神から知らされる。これが即ち見真実で、宇宙の秘された秘密である。

今次これが判れば、予言が出来る。

(良) 天津金木 見真実 今迄の事 (S23・6・13)

経緯結びの後の形

“天津金木の十字は平面になった場合の縦横を示したものでせうか。

“経緯結んでが立つと平面になる。それが立ってから下へ抜ける。単に十字の場合は立体でも平面でもよい。+…立体的 ――(S23・8・4)

前世紀の文化

“此の前の昼の時代にはどの程度文化の発達がありましたでせうか。

“はっきりは分らぬ。諸説がある。飛行機などは発動機を使はずに飛んだといふ。天の鳥船などといふ。天津教の記録には、日本は世界一の国で、皇大神宮は高山に造った。間口が四百間、奥行が五百間もあったといふ。越中の立山などにその遺跡があるといふ。兄花咲爺姫命は富士山に造られたといふ。高山の上には大抵宮殿があった。山の上には神社があるが、その跡であるといふ。世界中から年に一遍日本へ貢物を持って使いが来た。それ等を五色人といふ。その時、鳥船に乗って来たといふ。それ故、文化は発達していたとみらるる。然し之は確定は出来ぬ。又知る要もない。

ただ昼の時代はあったには違いない。ただ大きくいふか小さく考えるかである。三千年とか一万年かであるが、大先生の御神示によれば、何万年である。大先生は五十万年前の歴史から御存じだが、人類の出来たのはその頃で、稲は五六粒しかならなかったとの事である。太古は洪水が多い為、高い所に大きな御殿を建てた。木花姫は皇后様といはれている。之は本当らしい。昼夜の転換は一番短いので三千年である。(S24・1・17)

世界の人種と色、五色人

“現在世界に黄色、白色、黒色等の人種別がありますが、我々の常識として、霊的な方面に就てはどの様に解釈判断すれば宜敷いでしょうか、御伺ひ申し上げます。

“人種は上中下、木火土金水の五つに分れている。神武以前に日本へ各国から来た記録がある。五色人といふ。その頃から五つ色ある訳である。越中富山には、皇居跡がある。(四百間の五百間)その頃は洪水があった。凡ゆる現象は人間になっている。(S24・7・15)

五色人と宮殿

“竹内文献中「五色人」(イツイロビト)其他神々の系譜及び世界創造の順序等は信頼してよいものでありませうか。

“大体合っている。立派なものである。五色人が毎年日本へ来る。その時日本の皇大神宮の御宮は、間口が四百間、奥行は五百間あり、高い所へ建っている。その頃は洪水が多かった。木花咲爺姫皇后は富士に住まわれた。越中立山にも跡がある。そして五色人が渡航して来て、御殿へ詣でた。之は嘘ではない。 (S24・9・18)

日本文化の最初、台湾生蕃の祖、弥生式土器

“一万年前印度から蕃人が日本へ征めて来て、九州へ上陸し山陽道の中程まで来て途中、難破して、その一部は台湾の生蕃となった。これが今のインデアンである。 三千年、二千年前。

文化の最初は薩摩で、凡そ一万年以上前である。

古代、九州へ印度から征めて来た。山陽道の半分位征服したが、帰途大暴風雨にあい、難破し、その一部が台湾に残った。之が生蕃である。琉球、沖縄は支那人である。

弥生式土器は一番最初本郷弥生町から出土した。その為に此名がある。古代の陸地は山手、本郷、上野あたり迄と思ふ。(月氏国)(S24・3・17)

不知火と蜃気楼

“九州の不知火、北陸の蜃気楼の現象に就いて御教へ下さい。

“不知火といふのは火が見える。学者の説と信仰的説とは全然違ふ。真偽は断定出来ぬ。神武天皇の時、それまであった日本の歴史や文献を不知火の海へすてたといふ。それで貴重なものであるから、龍神が守っているのである。であるから、火龍の吐く火である。火龍は水を好む。火龍が守護している――その火が時々みえるといふ事になっている。

その文書の一部を盗み、越中富山へ逃げた。之が天津教の元で、その子孫から竹内氏が生れたといふ。明治になって掘り出したが、皇室に関する事があったので、又埋めたといふ。或軍人がそれを又掘り出した。神代文字の記録で、神代文字の研究家酒井勝軍が翻訳してみると、神武以前七十二代の天皇の系図や記録があったといふ。それには天照天皇といふのがあり、之は皇后様が天照大神らしい。天照大神様は皇后お一人のみとなられ、天照天皇(伊都能売天皇)は日本を逃げ、印度へ行かれ、観音様となられた。桃太郎は皇太子であった。彦火々出見天皇といふのもある。

寿命は非常に長く、五百歳、六百歳位が一番長いと思ふ。それは或は二、三代同名で続いたかもしれない。黒石に神代文字があり、それにモーゼの裏十誡が記録してあるといふ。三種の神器の古い物があり、剣など五尺位ある。竹内巨麿氏方の一部文書は司法省へ押収された。それを出口氏に頼んだ。それを出口氏より皇太后の伯母鶴殿氏の手によって宮内省に献納しようとした。之が本物とすれば今迄のは贋物となるので断った。その為に竹内氏は長く未決に入った。

竹内記録をみると、全部長生きで、最長は三百三十四歳位であった。今迄みた一番最長は八百歳であった。現在の最長はブルガリヤで百五十六歳の男があった。又百二十歳といふ女があった。薬毒なく、年とって菜食にすれば二百歳迄は生きられる。

蜃気楼は龍宮城――朝鮮建築がみえる。水蒸気の壁が出来るからである。

不知火の本体

“熊本県八代市沖に現はる不知火は、科学者必死の研究によるも其正体が解らない様ですが、此真意義を御開示お願ひ致します。

“之は神秘である。一種の説があるが、どの点までの真か、真偽は判らぬ。神武天皇の時古文書を捨てた。神武からの記録で、海へ沈んで障りのないよう、箱か何かに入れたといふ。それを龍神が守っている。之は肯定も否定も出来ぬ。

又科学的にいえば、地球の周り、地表は岩石で、そこに地割れがすると地熱が吹出す。地割れは岩石の固さによって火力とガスが始終出る。海底の地割れからも地熱が発散している。 それが水を通して光が出る――多分はそれであらう。地熱は非常に定期的に出るものである。旧盆の日に限るといふ。(S24・4・10)

蜃気楼、不知火

“蜃気楼について御伺ひ申し上げます。

“よく知らぬが、遠くにあるものが写る。虹の如く水蒸気の層に出ると思ふ。近所にあるものが写る事もある。

神武天皇時代、今迄あった日本の歴史書を焼こうとして、持って逃げたのを、燃した。之が不知火で、その一部を竹内家の先祖が持って逃げ、越中の或場所へ埋めた。これが天津教で、その捨てたものを龍神が守っている。龍火といふのは火龍が放った光で、これが不知火といふ。学説でいふと微生虫といふ。

天津教の記録は、主なるものは当局にとられずにすんだ。七十二代の天皇、モーゼの裏十誡――等神代文字でかいてある。ローマ字と似ているから西洋から来たものと思はれる。 (S24・10・14)

蜃気楼と不知火

“「蜃気楼」と「不知火」、「オーロラ」に就いて御教えを御願い申し上げます。

“蜃気楼は北陸の海岸でよくみた。朝鮮の風景――建築がみえる。虹みたいに霧襖に映る。元はそれである。魚津ではよく見える。

不知火は、(種々説があるが)神武天皇が日本を平定した時、古文書や器物等沢山あった。歴史上重要なものである。それを処分する為不知火の海へ捨てた。その時、その中特に重要なものを盗んで逃げた。そして越前へ逃げて埋めて保存した。その子孫に武内宿弥が生れた。(之は本当で)紀元以前七十五代前の歴史があり、神武天皇は中途から渡来した。そしてその以前の歴史を抹殺した。その捨てたものを龍神が守っている。龍神が上へ浮いた時に光るといふ。神代文字は酒井勝軍が翻訳した事があるが、ヨーロッパから渡ったものである。

オーロラは、北極に見える。北は霊が非常に濃い。そして濃くなったり、淡くなったりする。濃い時に太陽の光線が反射する。(S23・12・21)

不知火と竹内文書

“九州の不知火海の事で御座いますが、毎年旧の正月元日の午前二時から三時頃迄の間に海の沖に一列に火がともるのでありますが、今日迄其の火の原因が不明であります。右の火の原因をお教え願ひ上げます。

“種々神秘がある。神武天皇が天下を平定した時、日本に古い歴史があったのを不知火の海へ捨てて抹殺してしまった。その一部を竹内氏が持って逃げ、越中の地へ埋めた。之が武内宿弥の先祖である。その記録や巻物などを査べて創めたのが天津教で、竹内巨麿といふ人である。 三種の神器の本物があると言い、太刀など六尺もあるといふ。珍らしいのは、モーゼの裏十誡が石に彫りつけてあるといふ。越中立山には宮殿があり、夜光の珠があった。桃太郎も記録にあるといふ。

半分は不知火へ投げたが、それを龍神が守っている。その龍神の身体から光が出るといふが、日が定ってる所をみるとそうかもしれない。火龍の身体からは光が出る。 天文的現象なら不規則の筈である。日が定まらぬ訳である。

神武以前の日本歴史は神秘である。今でも言えない。判ると日本の歴史は大転換する。それで初めて真相が判る。瓊々杵尊は支那から渡来した。(S24・6・8)

黒点と主神と観音会、太陽と地球、黒点の増大と地球の関係、日と地の火、日月星辰と地球の関係、恒星と暗星

“黒点は太陽の中心である。 は統一する形。一人――ス、主神。観音会の事は主の神から流れている。支那では天帝、無極とかいふ。太陽は宇宙の中心になる。

人間は地球だけにある。地球は天体の中心にある。宇宙は地球を日月星辰が取巻いている。恒星と暗星があり、暗星はみえぬ。光らない。然し或時期へ行くと光り出して、見えるようになる。之が星の新発見になる。まだまだ発見される。

太陽は地球と合せ鏡になっている。太陽の黒点は太陽全体を支配している。熱と光の発生地のようになっている。果物の種のようなものである。大きくなったり小さくなったりするのは大して意味ない。地球も太陽も呼吸している。宇宙は生きている。

太陽が呼吸する度に変化があり、十一年目に黒点は大きくなるといふが、つまり十一年目に一呼吸するといふ。黒点が大きくなるのはいくらか影響はあるが、大した意味はない。太陽の火は霊的火であり、地球の火は体的火である。

日月星辰は霊線によって地球に養分を送り、生成化育の力を与えている。これは大体熱の如きものである。これを地球の中心で吸収しているのである。(S23)

太陽の黒点と人間社会への影響

“太陽の黒点について――

“太陽の黒点は凡ゆる物の中心。月は活動してない。(氷塊)太陽は動、生きてる。月は静かで死んでいる。黒点は太陽の中心で、果物なら種で、大きくなったり小さくなったりする。之は太陽が呼吸運動をしている。大体十一年目に大きくなるとしてある。十一年位で一呼吸する訳である。それにより地球の人間社会にも影響がある。 景気とか、戦争や平和等も関係がある。

太陽、月、星、地球の関係

“太陽、月、地球の相互関係――

“抑々、宇宙の中心は地球で、地球はその真中にある。地球の中に生物がある。生物は地球以外の天体には生存しない。一切は地球の為に、否人間の為にある。地球にある人類を育て、進歩発展さすのが神の目的である。その目的に対する種々の物がある。それには火水土の三つの力が加はらなくてはならない。その為に日月地星辰がある。

太陽は火の塊、月は水の塊、即ち水が固形化した氷の塊である。月からは太陽熱の為しじゅう水蒸気が出ている。月夜の晩特に水気が多いのはその為である。

何時の時代でも必ず日月星辰に相応した人間が表はれるものである。天地は合せ鏡になっており、天にあるまま地に写っているのである。

日と月は霊線で牽引し、地球へ全体的に霊気を送っている。日と月が調和して凡ての陽気が出来る。又星からも霊線で地球に栄養を送っている。神の働きは大抵二つになっているもので、神様の事の解釈も二つに考えるとよく合ふのである。

凡ての物には中心がなくてはいけない。太陽の黒点はそれで、(ス)はその象形文字である。果実ならその種のようなものである。月には中心がないが、之は日に従属したものだからで、つまり女の働きである。 男女同権といっても、結局本来男が主である。女の使命は子を産むのが一番大事で、次に夫を助けるにあって、女はどこまでも従属的である。人類社会とても男が作ったもので、女は補助はしたが、実際はやはり男が作った。

星は非常に多く、光星より暗星がズッと多い。暗星が硬化して光り出す、それが新星の発見と称するものである。星は分裂した場合流星となる。星は種々天で神様の仕事をしている。隕石とは流星即ち星のカケラである。星数と人間数は同じで、天地創造の頃の星はもっとズッと少なかった。学者は宇宙線はどんな深い所にもあると言ってるが霊線は地球の心まで通っているのである

土地は人の性格、生活に影響す

“自然と人生とは宿命的に大きな関連があると聞き及んでますが、或土地にて生れる人、住む人、死んでゆく人の性格や生活上にその土地が影響する力に就て――

“土地により非常に影響がある。地霊の濃く放射する所と薄く放射する所がある。土中に岩石の層あり、厚薄が出来る。岩石によって作物の出来るところと出来ぬ所がある。又緯の霊気もある。それを山などがやはり障碍する。山は岩石多く、雲がよりやすい。

緯の霊気は鬼門からのは濃く、東から来る霊気は澄んでいる。西からのは反対である。濁っている。南からのは熱がある。それらによって生れる人なども関係がある。 国からいっても、日本と支那とは霊気がちがふ。白い物は日本が一番汚れるといふ。フランスは汚れぬといふ。日本は霊気強く、金気があるからである。フランスなど銀気が強い。

太陽、月、火と水

“火は水によって燃え、水は火によって流動するといふ。故に箱根へ来る時は必ず雨が降る。熱海は水である。火は水で燃える。水が必要である。太陽が照っているのは月の精気で燃えている。天体は太陽が中心であり、黒点は太陽の中心である。日といふ字は、(ス)をかいたものである。太陽は男、月は女である。陰陽になっている。月の虧けたり盈ちたりするのは、呼吸運動である。(S23)

太陽と月の活動

“太陽は丸い中が清く、青空の様に見え、回転によって縁より金光が見えた時もあります。今日では太陽は曇りのない丸いもの、そして金色の玉が右へものすごく回っている様に見えますが、如何なものでせうか。又、月は静かに淋しい光がボンヤリとしていて、太陽の様に回っては居りません。そして曇りが有る様に見えます。何か意味があるでせうか。

“太陽は大活動しており、月は静かである。素晴しい速度で廻っている。(ス) 太陽の光は曇りがない訳で、黒点だけである。黒点は太陽の中心である。太陽が霊気を吹く時黒点は大きくなる。月は氷の塊。夜は水素が沢山ある。火と水になる。 (S24・2・12)

主神、地熱と太陽熱の熱差

“熱の強いのは太陽だが、人間にとっては地熱が強い。太陽のそれは熱の霊で、地熱は熱の体である。太陽熱は強いが霊であるから、直接体に感じない。

地球の主宰神、主神は、日本でいふ天の御中主大御神。支那では天帝とか無極といふ。西洋ではゴッド、ヂュウス、エホバ等といふ。絶対無限である。(S23)

太陽熱と地熱、宇宙線

“今年は太陽の黒点が最高で、爆発が多く、その為天災、 地変があり、併し豊作だと言はれますが、昼と夜との転換と如何なる関係が御座いますでせうか。尚宇宙線の変化と如何なる関係がございませうか。御伺ひ申し上げます。

“宇宙線は星の霊線であるから、直接関係はない。太陽の光は見えない光である。上等の光は見えないのである。之は光の霊、熱の霊である。月も同様である。地球の地熱は又熱の霊である。太陽は火の霊で、大地は火の体である。霊と体、体と霊になり、天地になり、そのうちにも霊体がある。太陽は霊の熱であり、地熱は熱の体であるから、地熱の方がズーッと暑い。(S28・7・18)

太陽熱と地熱

“太陽熱が低地程強く感じられる理由を御説明下さいませ。

“太陽熱に変化はない。低地程強く感ずるのは地熱である。で、高山に行く程寒いから太陽熱によるようにいふのである。太陽熱は割合い弱い。地熱の方が強い。太陽熱と地熱の関係による。地面の上は太陽熱によって影響する。地熱は熱い。地表から地底まで太陽熱に遠ざかって冷いが、その程度以下へ行くと、今度は非常に熱くなる。 箱根の山水は地下千尺以上の所に川が流れている。凡そ十間か二十間位の湯の川が流れている。普通なら地下水の水の道であるが、これが吹き出して温泉となる。地層には鉱物があり、そこを流れてくる時鉄や硫黄などが、熱の為溶解する。それが混って出る。

温泉をみるには木が一番よい。木が一番青くなり、いくらか茶色になっている。附近の土は硫黄や鉄の分子がある。流れてる水で洗ふ石は鉄のようになっている。そこを掘っても駄目である。之は支流になる温泉の道があって、その濃い所を掘る。水は冷であるから、海水層の下層ほど水は濃い。濃いほど氷に近く冷い。であるから海底は冷い。将来地熱は大いに利用される。

地球を動かす力

“地球は、何の力で動くのでせうか。

“宗教的にいえば神の力徳、科学でいえば自然である。地球は一年に一遍呼吸運動をし、春夏秋冬が出来る。太陽や月は地球を回っているが、自転はしない。潮の満干の如きは月の呼吸運動である。(S24・6・6)

日月地球の運行

“太陽、月、地球の運行について御伺ひ申し上げます。

“私は今の天文学の地動説とは反対である。不動説はキリスト教から出ている。大地は動かないとされていたがコペルニクスが之を破った。それをガリレオが又強く唱えて迫害を受けた。又パスツールは黴菌説を初めて唱えた。それまでは自然発生とされていたが、パスツールは伝染するといった。

大先生は、地球は不動説で、絶対に動かぬ。黴菌は自然発生説である。凡ゆる物は地球の周りを運行している。日月星辰は地球を生育し、生かす為にある。地球は宇宙の中心で、生物は地球だけに生存している。中心は動く訳はない。中心が動いたら地球は破壊される。今の学説は或時期へ行くと破られる。

地球、太陽の回転運動

“地球及び太陽は回転運動をして居りますか。

“廻転しているが、自転と公転とは異ふ。太陽は公転のみである。自転するとすれば、黒点は後になる訳である。地球は自転している。本当は公転していない。

地球の運行

“地球の回転する原理、又太陽が熱を発する原理――

“地球は回らぬ。呼吸しているだけである。 太陽は回っている。日、月、星、凡ゆる天体は地球を中心に回っている。錯覚しているので、コペルニクスやガリレオが地動説を唱え、真理になっているが、今に不動説が出る。回っているようにみえるだけで、はっきりした事が分っていないので、始終かわる。医学と同じだ。(S24・8・16)

四季の根本

“春夏秋冬は地球の呼吸運動であるとの御教へでございますが、これ迄の学問では地球は自転しながら太陽の周りを公転している為だといはれて居りますが、如何なるものでございませうか。御伺ひ申し上げます。

“学説が誤っている。地熱の方が多い。地球は動いていない。実は太陽の方が公転している。宇宙の中心は地球で、一番高級である。太陽や月よりも位が上である。主人は動いてはいけない。であるから、凡ゆる日月星辰は動くのが本当である。 地は、熱の主たるものは地熱である。 (S24・5・2)

下弦と上弦と天候

“月が下弦の月(右側が欠け、左側が残る)の時は雨が多く、その反対の時は晴天が多いと言はれて居りますが、何か意味が御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“こういふ事をよく謂ふ。相場師などが、上弦の時は騰る、下弦の時は下るといふが、之は意味のない事はない。つまり陰陽になる。 手を仰向けたり、下向けたりで違ふようなものである。(S24・4・22)

月と星と海

“或る特定の山の端から月又は特定の星が出始めますと必ず魚が釣れ始める、と福井県の或地方(四ケ浦町)の大部分の漁師が言ひ伝へて居り、又その通りになりますが、如何なる訳でせうか。

“月は海と関係がある。星も海と合せ鏡になっている。塩(シホ)ホシである。 そういふ場合、海が変化するといふ事は、月や星が海へ映って、潮の具合が変化する。海底が冷くなるとか海水が塩辛くなるとかで、非常に魚が寄ってくる事になる。

神と悪魔と戦争(彗星)、彗星と戦争

“十一月中旬、彗星が出ましたが、古老の話では、此の星が出ると戦争があると言ふ事ですが、此の彗星には何か意味があるのでせうか。

“彗星が出るときっと大きな事変が起る。箒星といって、箒の形をしている。或説によると「箒で地球を掃くんで、大きな事が起る」といふ。意味ない事もない。

兎に角、米ソ戦争であらう。近い将来あるとみてよい。欧洲戦争の前、ハレー彗星が出た。今度は地球の最後の大浄化で、最後の破壊で、一番大きい。本当に昼間の世界であるから、ウンとよく綺麗にしなくてはならぬ。悪魔は、人間を不幸にする為、戦争したくて仕様がない。それを、神様は止めているが、手放すと戦が起る。然し限度がある。

木火土金水星と太陽・月、天と地の星

“木星、火星、土星、金星、水星は何か特別の意味のある星で御座居ませうか。御伺ひ申し上げます。

“すべて五行といって、 木火土金水は凡ゆるものの種類である。物質に多い。人間に必要な種類が分けてある。星は天地の合せ鏡になっている。天と地の星は映り合っている。五つの物質の代表的なものが天にもある。それが五星である。この親玉が太陽と月である。故に太陽と月の分れといってもいい。

いくら産児制限しても駄目で、無限に殖えつつある星が人間になるものであるからである。地球の人口は十倍廿倍になっても大丈夫で、今に南極北極でも住めるようになる。 (S24・5・22)

赤道の乾季・雨季、地球不動

“「信仰雑話」に、夏暑いのは地球が熱気を吐くためである、と拝見致しますが、
一、赤道以北と以南とで夏冬が反対になる原因、
二、赤道附近は夏冬の区別なく乾季と雨季に分れている原因、
右、御教示お願ひ申し上げます。

“一、地球から放散する熱気は、或範囲であるから極く低い。それは経であるから、それに近い所は熱く、遠ざかる所は寒い。(南北極)
二、赤道附近は熱の放散する範囲内になっているから区別がない訳である。地球の呼吸運動の為である。気候でなくとも地霊の関係である。地霊が上昇する時は雨は降らぬし、下降する時には雨が降る。山の上に雲が多いのは、山は土の塊で、地霊が山で遮られるから、地霊が薄く、気圧が低いから雲が寄りやすいのである。又山の水蒸気にも因る。冬になると日が射し込む。夏は日射しが長いが、太陽が地球周を回転する時、真中を回転する時は長く、段々地球の端を回ると短い。又、太陽が直行する時は短く、横の方を回る時は日が充分射す。

地球は不動である。不動説はキリストから出ている。それをコペルニクスやガリレオが地動説にした。それをよせといふので拷問された。
暖↑↑↑


↓暖(S23・11・8)

海流に就て

“流の原因――

“海でも土の中でも流れがある。人体でも血管が流れているように。南極、北極の氷が流れ、水となって海へ流れる。又川の流れも海へ注ぐ。それで海流が出来る。

気候の暖かい所は流れが速い。冷たい所は重い。雨量の多少によって動きが変る。 海が段々に深くなるに従い、川の流れが海へ流れるのが早くなるのと、川が浅くなる。川の元の元の雪も溶けてくる。そして海の水は殖える。又、南北極は氷が段々溶けると、今に陸地が顕はれ、家が建つようになる。即ち地球は拡がるから、いくら人が殖えてもいい。

川の浅くなるのは割合い早い。そして地球は段々固まる。いづれは地殻の収縮がなくなる。之が理想である。瀬戸内海や日本海は陥没で出来たもので、日本は固い所だけが残った。日本アルプスなどに行くと一つの岩石層になっている。人類は無限にふえる。但し、切替え淘汰はある。(何千年か何万年かに一回)

潮流発生の原理

“潮流の発生原理と意義に就て――

“潮流の動きは月の引力による。干満は月の呼吸である。人間はよく日は拝むが月は拝まぬ。これは日が霊の素であるからだと思はるる。