箆棒療法 (昭和十一年)

世には種々の療法があるが、誰も気が付かないで好い気になってやってゐる療法の中から、滑稽だと思ふのを書いてみよふ。

一、虫下し。よく虫下しだといってセメンを服ませるが、チト変だ。腹の中へ建築する事か、 道路でも拵えるなら兎も角、病を治すといふのは滑稽至極だ。いっそアスファルト を服んだ方が今一そう効果的であらふ。

二、よく芥子を患部へ貼りつけるが、之も可笑しな話である。一体芥子は何である か。納豆、おでん、ビフテキなどにつけて食ふのは至極結構なものであるが、人間 の病気をそれで治さうなどとは滑稽にも程がある。

三、よく病人によっては、海草が好いと云って、昆布や若布(ワカメ)を荐りに食ふが、 之も変な話である。人間は陸生動物であって魚ではないから、海の草なんか沢山食 はなくとも可いので、陸で出来たものを多く食ふのが本当である。偶に海草を食へ ば可いのである。

四、よく赤色のものを服むと血が殖えると思って、葡萄酒や動物の生血を呑むが、之 も可笑しな話である。赤いもので血が殖えるなら、臙脂(エンシ)をといて呑むのが一 番いい訳で、飯なども白いのでなく、年中赤の御飯か強飯ばかり食って、おかずは トマトに人参、刺身に蛸ばかり食ったら可いだらふと思ふ。

五、冷水浴や日光浴なども滑稽至極なものである。蛙ならイザ知らず、人間は水を浴 びるべきものではない。空気丈で立派に生きていけるものだ。又、陽向で甲羅を乾 すのは亀の子で、居睡りをするのは猫と相場が決ったものだ。何も人間がそんな動 物の真似をしなくとも立派に健康でゐられるものだ。

六、眼の悪い人がよく硼酸や何かで目を洗ふが、之もおかしな話だ。猿股や襦袢なら 時々洗濯もいいが、人間の眼は水などで洗ふべきものではない。その為にちゃんと 涙といふ結構な水が絶えず出て瞼の裏といふ結構な、柔いもので擦るやうに出来て ゐるのである。

七、よく子宮掻爬や、胃腸や鼻孔の洗滌などをやるが、之等も馬鹿々々しい話であ る。洗ふ側から直ぐに元通りに汚れるもので、糞のたしにもなりはしないので、苦 しむ丈損で馬鹿々々しい骨頂である。

八、含漱を矢釜しく言ふが成程食後の含漱は結構である。歯の間へ附着したものを除 るからである。然し外出から帰宅後などは滑稽である。何となれば唾液には非常に 殺菌力があるので、含漱をすればそれがなくなる。故に、含漱は歯の掃除以外は反 って不可である事を知らなくてはならない。扁桃腺などは含漱する方が反って治癒 を後らせるのである。

九、よく酸素吸入をやるが、之は大いに不可である。最近フランスのスポーツ医学の 大家ボー氏の発表によれば、競技後、疲労恢復の目的で行ふ酸素吸入が、反って恢 復を後らせるといふ結果を発表してゐる。元来空気は、酸素、水素、窒素など最も 理想的に調和されたものである。それを態々酸素丈を吸はせよふとするに至って は、その愚や及ぶべからずである。之を食物の味に例へてみる。納豆、醤油、味 醂、鰹節等五味の調和によって美味であるのに、砂糖とか醤油とか一方であると、 食物にならないのと同じ道理である。

十、咳嗽を治すのに吸入をするが之も何等の効果はないのである。口を開いて涎を垂 らし乍ら、一生懸命やってゐる姿は洵に滑稽なものである。子供などにあっては泣 き喚くのを制へてやってゐるが、之は罷めたいものである。

十一、よく病人に入浴を禁ずるが、之も可笑しな話である。垢と病気と如何なる関係 があるのであらふか。垢が溜って不潔である程病気に好いといふのは訳が分らな い。病者も健康者も皮膚は清潔であればある程よくはなからふか。

其他種々あるが、要するに余りに馬鹿々々しい療法を気が付かないで行ってゐる事が頗る多いのである。人体は大抵の病気は、自然に治る様に、巧妙に出来てゐるのであるから、反って余計な療法の為に治癒を遅らせたり、悪化させたりする場合が多いので、大いに注意すべきである。

(昭和十一年)