抑々、本療法の創成されたのはどういふ訳であるか。又、如何なる原理によって、驚くべき治病成績を挙げ得つつあるのであるか。之は、何人も知り度い筈である。唯然し此説明に当って、最も困難である事は、所謂科学的でない、といふ事である。否、科学的にも、説明出来得るのであるが、実は今日の科学其ものが本療法を説明するまでに進歩の域に到ってゐない事である。
と言ふて、宗教的でも説明に困難である。何となれば、現代人が有してゐる宗教意識の標準にも載り難い点があるのである。故に、一言にして言えば、科学的でもあり宗教的でもあり、又、科学以上でもあり宗教以上でもある、といふより致し方ないのである。
茲に、も一つ厄介な事がある。それは現代の寧ろインテリ層に属してゐる人達は、如何なる事も科学的に検討出来ないものはないと決めて了ってゐる癖である。従而、現在の科学で説明出来ない、科学より以上のものが出たとしても、それは迷信と片付けて振り向こうとしない事である。丁度それは、恐ろしいものにでも触れるやな心理状態であるかの様である。
根本的錯誤から出発してゐる現代医学は、もし此儘で進むとしたら、それは人間にとっても大なる不幸である。此医学が進めば進む程、人間は不健康にならざるを得ないのは一点疑ない所である。
人間の行為そのものはどこからであるか。それは言ふ迄もなく心である。心が動いて肉体の機関を動かす。それと同じやうに、人間の精霊が曇ってそれが病気を起すのである。故に、治病といふ事は、精霊の曇りを払拭する以外絶対ないのである。然るに、西洋医学は結果である肉体現象を治さうとする、全然錯誤である。此点気が付かない以上如何に努力すると雖もそれは無益の術である。
然し乍ら、凡ゆる病原は霊の曇が原因であるといふ事を知ったとしても、其曇りを払拭する方法がなければ致方ないであらふ。そうして、其方法はどこにもないのである。然るに其曇りを完全に払拭される方法が発成された事である。それは他なし、我観音力による岡田式指圧療法である。
(昭和十一年)