報ずる所によれば、我国民特に壮丁の体格が逐年低下しつつあり、又、弱体児童が激増しつつあるといふ事実は洵に意想外であって、国家の前途を惟ふ時寒心すべき大問題である。政府に於ても之が対策として今回一千七百万円の予算を計上した事は万止むを得ない訳である。然乍ら如何に多額の国帑を費すも、又如何なる対策を実施すると雖も、其原因を適確に把握せざる限り真の効果は得られない事である。
然るに、政府も専門家の察て以て原因とするそれが、真原因でなく其傍因であるとしたら、之は看過出来ない事である。
当事者が対策としてる各項目を見る時、それは現代医学の方法によって防し得るとしてゐる事である。其重なる方法として結核の早期診断と隔離と衛生知識の普及等であって、要するに特に下層階級が医療の機会を簡便に普く受け得らるる事が主眼であり、それ等によって或程度の成果を挙げ得らるると信じてゐるやうである。之を詮じ詰めれば、現代医学を非常に進歩せりと思惟し、其進歩した医学を一般化す事によって、解決し得らるると信じてゐる様である。
然るに以上の如き、現代医学が是と信ずる方法が、実は反対に結核や弱体者を増加する結果であるといふ、殆んど信ずべからざる程の一大事実を私は知ったのであって、国家の為到底黙視する能はず、茲に拙文をも顧みず、天下有識の士に愬へんとするのである。
それに就て先づ根本的概念を得べき理論を述べたいのである。
当局が発表せる処の壮丁の体格が、大正十一年には一千人に付二百五十人の兵役不能者が、十五年を経た昨年度は四百人に増加した事実、及び明治廿四、五年の二人であった結核患者が、今日廿四人に増加したといふ其事実は何を物語ってゐるであらふか。大いに考慮の必要があるであらふ。
夫は其当時と今日とを比較して医学の進歩、医療の一般化、衛生の普及等、孰れが優ってゐるであらふ乎。論を俟たないのである。事実、今日の如く益々医学が進歩発達したに係らず、其結果は全く反比例であるといふ事は、全く不可解極る事である。
故に、此理から推せば一層医学が進歩し、医療と衛生が普及するに於て、結核は愈々激増するであらふ事は想像されるのである。此逆説的事実に直面して、猶目覚めないといふ事は、現代医学の外装に幻惑されて了ってゐる阿片中毒者とも言へよふと思ふのである。
右の事実を冷静に批判するに於て、それは何人も透見し得ない一大欠陥が伏在してゐなければならない筈である。当局者が多額の予算を計上したり、結核防止週間を作り乍らも、何等か確信的でない不安の有りげなのは、其真因を把握出来ないのに由るからであらふ。
最近政府の発表せる理由の中に斯ういふ事がある。『医術の進歩医療の普及等は結核に由る死亡率の低下に、或程度の効果を示したが、結核の発生防止に対しては全然無力なる所以を実證した』之によってみても、流石の政府も、結核発生の防止に対して、医学の無力を認識し得た事は一大進歩であると思ふのである。然乍ら、其真因を把握出来ないで、漫然と如何に対策を実施するとも、其結果は推して知るべしである。
之を要するに、問題の帰結は真因の発見其ものであって、其真因に対しての適切なる方策を樹てるより外に何物もないであらふ事は明かである。然らば、其真因は何乎。それを出来る丈詳説したものが、別冊「結核の病原と其治療」なのである。
(昭和十一年)