一家心中と医療

近頃、流行といふ言葉はちと変ではあるが、一家心中といふ悲惨事が非常に多い事である。昔から心中と言へば、男女の恋愛が動機であったのが、一家心中のそれは生活苦であるといふ事は考えざるを得ない事である。

一家心中をしなければならないといふ事は、生活苦所ではない、生存苦である。併も、最愛な吾子までの生命を断つといふ事は、勿論、親のない孤児としての苦悩を避けしめやうとする事と、此娑婆に於て自分と同じやうになるかも知れないといふ、苦悩を免れしめよふとする考慮からであらうが、何としても為政者は勿論の事、一般世人に於ても軽々に済ませない問題である。

然らば、此原因はその根本がいづれにあるのであるかといふに、その殆んどが病苦が因をなしてゐる事である。稼ぎ人である親の病気、又は家族の誰かの長の病気、又は死亡等に由る経済的逼迫が抑々の原因になって、それから他のいろいろな附随的事情が纒綿(テンメン)して、畢に絶望状態にまで進むのであるといふのが、その経路の大体である。

此故に、根本的に之を救はふとするには、病気が迅速に治る、それ以外にあり様がない。成程近来、方面委員も相当に活動はしてゐるが、それは何分の一にも当らない救ひであって、その大部分は漏れてゐるばかりか、方面委員の制度さへ知らないものが、大多数である。又仮(ヨシ)んば方面委員の手で大部分が救はれるとしても、そういふ不幸者が、無限に発生する現在の社会として、それに飽迄応ずる事は事実不可能であると共に、国力の損失の甚大さは堪へ得るものではないであらふ。

以上の如く、その徹底的解決策としての治病の迅速といふ事は、現代医学の程度では、その可能の望みは絶対ない事である。然らば、他にありやといへば、勿論、それは観音力療病術である。如何なる病気と雖も、発病後直ちに来るものは、その殆んどが数回で全治して了ふから、実に理想的である。此療法が一般化するに於て、一家心中などの忌はしい問題は、絶対有り得ない社会になるであらふ。

噫、一日も早く本療法を一般化したいものである。

(昭和十一年六月十七日)