医術とは如何なるものでありや、と言へば、云ふ迄もなく病を治す術でしかない事は明かである。然るに現在はどうであらふ。真に病を治す術はどこにも見当らないではないか。然し言ふであらふ。世間到る処に医師は固よりあらゆる療病者があるではないかと。勿論、治病の専門家は無数にあるが、医としての術を行ひ得るものは、殆んど無いと言ってもいいであらふ。
先づ、最も弘く行はれてゐるのは、勿論、西洋医学であるから、それから検討してみよふ。此医学は其名の示す如く、全く医学であって医術ではないのである。何となれば、術と名付くべき何物も見当らない。それは苦痛緩和法でしかない事である。医とは病を治す事であり、術とはそれの技術である。然るに現代医学に於ては、病を医する術は全然有り得ない。
故に医するといふ言葉は当を得ないのである。医するとは、凡ての病を医して了ふ事である。完全に治癒して了ふ事である。完全とは再発のない、其病気の根治でなければならないのである。然るに現在の医療なるものは、対症療法である病苦緩和にのみ熱中してゐる故に、うまく奏効しても、それは一時的治癒でしかないから多くは再発するのである。
万一再発がなく真に治癒したとすれば、それは自然治癒であって、決して医療の為ではない事を知らねばならない。故に適切に言へば、夫等は医術ではなくて苦痛緩和術である。そうして苦痛緩和とは治癒の妨害であるから、苦痛緩和した丈は、治癒し難くなるのが実際である。此理に由って約言すれば、現代医術とは、病苦を緩和すると共に、治癒妨害の法であるといふより他に言葉が無いのである。
次に、民間療法例へば鍼灸、按摩、マッサージの類、指圧、掌療法、霊気術、精神療法等、夫等は自然治癒妨害ではなくて、多少援助の方法であるから、無いに勝れる事は勿論である。が然し、之等と雖も医する術ではなくて、治療の補助でしかないのである。唯西洋医学の如に、治癒を妨害しない丈安全である訳である。其他信仰的治病もあるが、之等も多少の効果はあるが、如何なる病気も医するといふ、全能力は勿論無いので、或種の病気に限られてゐる事は否めないのである。
勿論、医術ではない。或ものは病があるのに無いと思はせるといふ、観念療法否錯覚療法であり、或ものは、病気は、神の警告であるといふ一種の神罰観的反省療法であり、或ものは祈祷や難行苦行によって治病しやふとするバラモン式療法であって、何れも神仏の力ではなく、自己自身の観念的精神療法で、畢竟自力でしかないのである。
簡単乍ら、以上説く所によってみるも、今日真の医術といふものは、全く見当らない事が明かである。そうして真の医術即ち、如何なる病も完全に医する術を有してゐるのは、我観音力療法のみである事が知らるるのである。
(昭和十一年六月十四日)