近来、肺結核激増の趨勢は実に驚くべき程であって、官民共に甚大な努力を払ひつつあり、又、進歩せりと誇称せる現代医学の最善を以てしても、尚且防遏出来ないといふ事は如何なる訳であらふ乎。此処に疑問を起さなくてはならない。それは根本に於て一大誤謬があるからであって、其誤謬とは実に現代医学の治療法が、反って肺患を作りつつあるといふ驚くべき奇怪事である。それを今詳細に述べてみよふ。
先づ肺結核と称する疾患の症状から説明してみる。患者の症状としては此病に特異なる点は微熱と咳嗽とである。勿論食欲不振、疲労、下痢、盗汗等もあるが、順序として最初の特異症状から説いてみる。
微熱の原因としては例外ないといふ程、各患者に共通点の症状がある。それは、淋巴腺及び肺尖上部即ち頸部の付根、肩胛部、背部及び両胸部、重に乳の附近の肋骨膜に、膿の溜結と汚血の滞溜を見るので、之は容易に診断が出来るのである。それは前述の部に掌を触るれば、必ず発熱がある事を知る。(稀には無熱のもある。それは長時日絶対安静をさせ、自然治癒力即ち浄化力を衰退さした結果であるから、是等は浄化力恢復に従って再び発熱するものである)それは膿結の為であるから、指頭で圧すれば必ず痛みがあると共に、大中小のグリグリがあるのである。それが石の如く固結したものもあるが、之は昔から言ふ瘰癧である。
是等の症状の原因は何であるかといふと、それは実に、医療が作ったとも言えるのである。そうして最初の発病は、殆んど風邪が第一歩である事である。
抑々、風邪とは如何なるものであるか、それから説いてみよふ。前述の如き各部に於る膿の溜結を最も簡単に排除する為の自然治癒力の発動が風邪である事を知らねばならない。故に、其際の発熱は此膿の溜結を溶解せんが為である。それは溶解して稀薄にし、鼻汁及び喀痰として排泄するのである。其際の血痰及び喀血は、膿の溜結の外に汚血の排除が加はるからである。故に、風邪なる浄化法によって重症を避けるべく、早期に於て自然に確実に治癒されるやう人体は作られてあるのである。
然るに、それ等真因に盲目である医学は、此発熱を非常に怖れるのである。病患治癒に対し最も重要なる役目を行ふ発熱を、反って病患悪化と思ひ、何よりも先づ解熱療法をする。之が抑々の一大誤療の出発点である。そうして、解熱法として薬剤と氷冷法を行ふ為、其結果として膿の溜結は溶解する処か、反対にいよいよ固結して了ふのは、理の当然である。
之からが所謂肺結核の症状となるのである。それは自然の方では飽迄治癒しよふと、膿結を解溶すべく発熱の工作をするのに対し、錯覚してる医療は、此発熱を防止しよふとするから、事実は治癒しないやうに努力してゐる事になるので、実に恐るべきである。
次に咳嗽であるが、多くの場合其原因はさのみ重症でない、喘息と耳下腺の膿の溜結が気管を圧迫する為とである。そうして、医学では喘息の真因は未だ不明であって、現在は気管の故障とされてゐるが、実は気管の苦痛は結果であって、其根本は臍部両側から胃及び肝臓部へかけての膿の溜結であって、之が溶解して喀痰となり、其喀痰排除の為の咳嗽である。
故に、咳嗽に因って膿が排除さるるのであるに不拘、医学は咳嗽を止めよふとする。又、此際も発熱に因っての膿の溶解を、医療の解熱が固結させるから治癒困難となるので、此点に於ても医療が治癒を妨害する事となるのである。
次に、胃の外廓に右の如く膿溜が固結すればする程、胃は圧迫されるから、消化不良になるのは当然である。加ふるに愚かなる現代医学は消化不良を治さんとして、反って悪化の方法を行ふのである。それは消化薬の服用と絶対安静とである。元来、胃は胃自身の活動によって食物が消化されるのが本当である。然るに、消化薬によって胃は活動の必要が無くなるから自然衰退する。
成程、消化薬服用に由って一時は食欲を増進させるが、時日の経過によって胃が退化するから、終に食欲不振になるのは当然である。此場合食欲不振を治癒しよふと益々消化薬を用ひる。益々不振になる、といふ循環作用によって、終に睡眠状態の胃にまでなる例は頗る多いのである。それへ拍車をかけるのが絶対安静であるから、全体的衰弱は倍々病勢を悪化さす事になるのは当然である。
次に、胸部の肋骨の一本一本に膿が溜結する症状である。之を大抵の医家は肺患と誤診するのである。何となれば、其部に微熱とラッセルとあり、又、レントゲン写真に暗雲の如く顕出するからである。然し、此際肺には何等異常がないのが事実である。
次に、盗汗は浄化作用の一つであるから、大いに好いのである。之は膿結が熱によって溶解し漿液となり、それが汗に変化して排除されるのであるから、実験上盗汗のある患者程恢復し易いのが実際である。其事を知らない医学は、又しても之を止めやふとするから、矢張り治癒妨害である。
次に下痢症であるが、之は末期の患者に多いのである。此原因は、先づ第一は胃部の膿の溜結が、腸部に迄移行蔓延して腸を圧迫する為と、滋養物と称して牛乳、肝油、肉食等、脂肪多量の食餌が、衰弱せる腸の負担加重となる為であるから、之等も治癒妨害の方法でしかないのである。
大体部分的としては右の如くであるが、広汎的に謂って他に大誤謬がある事を告げなくてはならないので、それは病気軽快と治癒とを混同して居る事であって、真相は寧ろ反対でさへあるのである。
本来、病気現象としての苦痛即ち発熱、咳嗽、痛み等は自然治癒としての浄化活動であるから、それが甚だしければ甚しい程、浄化活動が旺盛である事である。浄化活動の旺盛とは活力が旺盛であり、活動が旺盛であるのは血液の循環が旺盛であるからである。それは血液が清浄であるといふ、その為である。
此理に由って、血液を汚濁させる事と、運動不足であるほど血液循環の衰退する事になるのであるから、浄化力は薄弱になるのは当然である。浄化力薄弱になれば病症は還元し、それによって苦痛は緩和される訳である。医学は此緩和を軽快と信ずる結果、治癒に向ふものと解釈してゐる。
であるから、現在の医療は、薬剤の注射と服用に由って血液を溷濁させ、絶対安静に因って血液の循環を衰退さすのであるから、実際を観れば能く判るのである。それは、一旦或程度の軽快に至ったまま、それ以上の進展をみせないで、二年も三年も、中には数年もの同一過程を辿って、決して全治しないといふ例は随所に見るのであるが、之は前述の理由に由るからである。
次に、今一つの重大事がある。それは肺結核は絶対に感染しない事である。元来、結核とは膿の溜結が時日の経過によって頑固性になった為であって、斯ふなった膿は終に腐敗状になるのである。其腐敗膿に黴菌が自然発生するのである。例へて言へば、あらゆるものが腐敗をすれば、蛆が湧くのと等しい理である。之に就てよく経験する事は、新しい膿は臭気がなく、古くなるに従って臭気が増すので、其最も甚しいのが肺壊疽の膿である。
又此事の実證として、本会で養成された百数十人の治療士である。彼等は此真髄を知ってゐるから、肺患者に対しても何等恐怖はない。患者の口唇と二三寸位迄接近する事が常にあるが、一人の感染者も無いのである。又、私の子供数人は十年位以前から、結核患者と伍(ゴ)して常に食事をさしてゐるが、何等異常がないのにみても明かである。故に、此真相が社会へ知れ亘ったなら、世人は結核菌恐怖の不安から解放され、其幸福は蓋し尠からざるものがあるであらふ。
之を要するに、現代医学は如何に錯覚と誤謬の巷に昏迷してゐるかであり、一切の方法が実に姑息と不徹底極まる事である。其結果結核を防止せんと努力しつつ、事実は其反対の結果を招来し、煩悶懊悩しつつあるのである。此事を知悉する吾人は、此重大危険事に対して、一時も晏如たる能はず、一大警鐘を鳴らして社会を覚醒せしむべく、斯文を草したのである。
最後に、今一つ述べたい事がある。それは最近の結核防止運動に対してである。それによれば、早期診断をすれば大抵は治癒するといふ宣伝であるが、之は事実に当嵌らない虚偽と思ふのである。何となれば、中流以上の子弟、医師の家族、看護婦等は、早期診療の絶対可能性があるに拘はらず、罹病者が一般人と何等変りがない事実である。
又、時々健康診断を受けろといふが、吾人は之は実際に於て、反対の結果になると思ふのである。何となれば、病気を悪化させる誤れる医療であるからである。反って医療を受けずして無意識的自然治癒される方が、より安全であると思ふからである。
(昭和十一年五月二十五日)
斯文を書き終った時、新聞紙を見れば斯ういふ事が書いてある。最近、徴兵検査の結果、壮丁の胸患者が百人中二十人といふ恐るべき数字である。然るに、明治卅二年にはそれが百人中二人であったといふ事である。其頃よりも医学は非常に進歩したと言ふに不拘、右の結果から見れば、私の説の誤りでない事を事実が示してゐるのである。