療病者の資格

現在病者の治療に従事する者としては、医師、療術師、灸治電気業者等であって、其他宗教的の療病者も相当有るであらう。是等凡ゆる療病者に対し、私は厳粛なる意味での資格を検討してみたいのである。

それについて、現在当局者が採ってゐる手段は是等療病者へ対し、学歴診断書の呈出、時々の健康診断等であるが、夫等の方法は実は真の医術が生れる迄の過渡期としての便法でしかないのである。

何となれば、人の疾患を癒し、又健康者たらしめよふとするには、最も厳格なる条件を必要としなくてはならない事である。それは如何なるものであるか左に述べてみよふ。

先づ少くとも人の病気を治癒し、尚進んで弱体者をして健康者に転換せしめやふとするとしたら、何よりも自己自身が完全なる健康保持者でなければならないのであって、完全なる健康保持者とふいのは、病気に絶対に罹らないといふ保證の出来得る事である。

此意味から言へば、風邪下痢の如き軽微な病気以外の病気に罹る場合、もう其時療病者としての資格は消滅した訳である。尚又、自己の家族の一員にても重病に犯され、又は夭折する者が出来たとすれば、之ももう其時療病者としての資格は零となったのである。

何となれば、自己の身体を完ふし得ざる者、若しくは自己の家族の病気を治し得ざる事や、不幸な結果に立到らしむるといふ事は、手後れや誤診誤療のある筈がないからである。それは全く其療病法の無力、又は欠陥があるといふ證拠であって、其様な技術を以て、一般世人を療病しよふとするのは、大いに間違ってゐる訳である。宜しく其時限り職業を転換して、再び医療に携はらないのが本当であると、私は思ふのである。

然し乍ら、右の説を直ちに実行する事は、勿論不可能である。若し実行するとしたら恐らく、全世界の医師は全部廃業しなければならない事に立到るであらふ。故に、前述の条件は、単に理想的標準を示したに過ぎないのであるが、将来はそこまで徹底しなければ、人類からの病気祓除は出来得ないであらふ。

随而、右の如き条件可能の時期までは、医学の進歩などといふ事は実に失当であって、万一進歩を強調するとすれば、それは正にインチキであらふ。寧ろ進歩の遅々たるに忸怩(ジクジ)し謙遜するのが本当の態度であると私は思ふのである。

(昭和十一年五月十七日)