科学に預けてゐる生命

西洋医学は科学が生んだものである事は間違ない事実である。そうして少くとも、全世界に於る人類の中、文化的国家の其殆んどの国民は、此科学所産の医学に全生命を預けてゐる。

一体人間の生命なるものは、偶然的に自然発生したものであらふか。それとも有意識的に誰かが生産させ、そうして誰かが握ってゐるものであらふか。もし偶然的で気紛れの如に発生したものであるとすれば、茲に解け難い点がある。それは何であるかといへば、何時の時代でも如何なる民族でも、男女の数は大凡半々位生れる事である。

故に偶然的で気紛れであるとすれば、或時には一方が非常に多くなったり、少くなったりする場合があり相なものであるのに、そうでないといふのは、そこに何物かがあるのではないか。又、今一つの事実がある。それは如何に疫病が流行っても、又、全然医学の無かった時代でも、死ぬ人より生れる人の方が必ず多いといふ事である

此二つの事実をみても、偶然や気紛れではないといふ事を信じない訳にはゆかない事である。

してみれば、誰かが有意識的に計画的に、何等かの目的の為に、寔に巧妙に操作してゐるものである事は充分肯ける筈である。然らば、それは一体何者であらふ乎。私達は此存在を称して神と謂ふのである。即ち人間の生命は、神の意志によって発生し、又、神の工作の儘に存続してゐるものとみるのである。

斯様に、神の御手に在る人間の生命を、人間が作った薬や器械で自由にするといふ事程、不合理はないであらふ事である。

又、今一つの意味から言ってみよふ。それは設し、科学が作った生命であるとしたならば、科学で自由になるから、如何なる病気と雖も治る筈であるが、実際は中々そうはゆかない。科学で自由に出来るのは、それはロボットでしかあり得ない。ロボットは科学が作ったものであるからである。

故に、科学と生命との関聯は、何等あり得ない事は真理である。にも不拘、文化人と称する人間達は科学の力で、生命の解決をしよふと恐ろしい程の努力を続けてゐる。そうして、其無効果である事に気が付かない。飽迄もそれに固執し切って了って、全然他へ眼を転じよふともしない事である。 是等の余りにも馬鹿々々しい盲目者達の眼を醒す事程、大きな啓蒙は無いであらふ。

併も猶恐るべき事は、此蒙昧事を知らない処の一般人は、反って絶大な進歩であると讃歎し、宗教的情操にまで信仰して了ってゐる事である。実に鉛が金に見える色盲者の如にでもある。

自分達が何時脳溢血が起るか判らない病状の不安にありながら、それをどうする事も出来得ない処の医学に頼ってゐる。否頼らざるを得ない事になってゐる。自分の子女が結核に侵されてゐて、如何なる療法をしてみても、治る見込が無いので、日々懊悩を続けつつも、猶転地に療養所に多額の費用を投じて当にならぬ事と知りながら、中止する事も出来ない余儀なさに療病を続けてゐるばかりか、何時死ぬかも知れないといふ不安をどうする事も出来ないでゐる。

そればかりではない。其病人の結核が家族の者に感染するかも判らないといふ危険をさへ感じつつも、まさか全然接近しない訳にもゆかないといふ、苦悩の二重奏さへもある。又、児童の腺病質的弱体に二六時中不安を感じ乍らも、解決し得ない医学に頼らない訳にはゆかないといふ不安の現状維持から免れる事は出来ないのである。

之等に就て医家は曰ふのである。結核は早期に診療すれば必ず治るのであると。然し此言を肯定する事は出来ない。何となれば、それならば中流以上の子女に結核は無い筈であるが、事実はそうではない、同じやうに結核に悩まされてゐる。其他種々の病苦に因る個人と其家族の悩みはどの位多数に上るか、殆んど想像を絶するものがある。

医学が進歩したといふにも係はらず、何故斯くも結核や其他の病者の氾濫を抑圧出来得ないかと言ふ事に、疑念を起さなくてはならない筈であるのに、それがそうでないのは、時期の到らない為かもしれないが困ったものである。早晩誰もが気が付き出す事は間違ひないであらふが、それまでは何処までも人間の生命を科学で解決しやふと努力するに違ひない。

そうして此重大事が、凡ゆる難問題の根元をなしてゐる事である。それは、政治も経済も国防も其他一切は悉く、之に関りがない訳には行かない事である。何故か、それは人間生活に於る一切の悩みの根元である不幸の其原因は、殆んど病苦からであると言へるのである。

病苦が一家の経済力を殺(ソ)ぎ、それが生活苦となり、不幸となり、不平となり、思想悪化となるのも事実である。二・二六事件の起った根本の根本は、国防費に対する充実観と、一方それが財政を不安ならしむるといふ観点の相違からであるのも事実である。

今日、軍部が必要と認むる丈の国防費を快く供給したとすれば、問題は即座に解決すると思ふのである。其他農村問題も中商工問題も、勿論円満に解決されるであらふ。故に、私は飽迄も強調する。国家の凡ゆる問題は、国民からの病苦を除く事によって必然解決さるるのであって、此事以上に根本的であるものは無いであらふ事を、断言して憚らないのである。

又、健康なる身体には健全なる精神が宿るといふ事も明かである。故に、国民一般が健康な肉体と健全精神になるとしたら、罪悪も自殺も如何に激減し、強力国家となるかは想像なし得るのである。

再び言ふ。科学で人間の生命を自由にしよふとする間は、凡ゆる問題の解決は不可能であるといふ事である。故に、科学以外に人間の生命の根元を探究し、そうして解決しなければならない事である。

私は生命の根元の探究と其解決に、既に成功してゐる事を発表したいのである。

(昭和十一年五月十五日)