西洋医学の野蛮性

西洋医学は実に野蛮極まるものであると私は思ふのである。何となれば治療の場合、患者に対し非常なる苦痛を与へるのである。勿論それは故意からではない、治療上止むを得ない善意からである事はよく判ってはゐるが、其事実を検討するに於て、確かに野蛮の一言に尽きるのである。

近来、外科医術は進歩したとの誇りを吾々はよく聞かされる。然し、其度毎に失笑を禁じ得ないのである。何となれば、メスを以て肉を切り、筋を断ち、血を流し、患者に苦痛を与へ、多額の費用と相当の日数を要させるのである。

然も、偶々好結果を得たとしても、一生涯不具にも等しい瘡痕をありありと残すと共に、他の疾患を起し易くなるのである。而も、反対に不幸な結果を見る事さへ尠くない事は、誰もがよく知る通りである。それは手術前に万一の場合を顧慮して、異議を言はないといふ證書をとるにみても明かであらふ。

然し乍ら医家は曰ふであらふ。重患の場合手術をしなければ生命に関するので、第二善の方法として止むを得ないのであると。それも吾々は諒知してゐる。勿論それも妥当である事は間違ひないが、唯吾人の言はんとする所は、医学の進歩とは、

一、治療上絶対に苦痛を与へない事。
二、不具的瘡痕を残さない事。
三、万一と称する不結果の無い事。

之である。此三つの一つでも解決が出来たら、それは確かに医学の進歩と言っても可いのである。

然るに、今日言ふ処の医学上の進歩とは何か、それは切開の方法が巧妙になったとか、麻酔法が進歩したといふやうな事であるが、それ等は実は末梢的であって、根本的に何等触れて居ない事は、前述の説明の如くである。斯の如き末梢的進歩に、当事者も世人も幻惑され陶酔しつつ真の進歩の意味を知らない、文化人なるものも亦哀れむべしと言ふべきである。

之を正しく批判するに於て、科学を基本とする西洋医学での研究は、其努力に対する成果の余りに微々たる事である。然らば、それはどうすればいいかと言へば、先づ一旦現代医学の研究を揚棄する事である。そうして、其根本的誤謬と新しい出発点の発見である。

そうして、そこからの再出発でなくてはならない。そうでない限り、依然として現在の如き末梢的進歩に自己陶酔してゐる限り、人類が病苦からの解放は、絶対不可能である事を断言して、斯文を終る事とする。

(昭和十一年五月十日)